表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
43/44

第5章【第3話:空の記憶と風の少女】

優しく、どこまでも穏やかな風だった。


意識の底から浮上してきたルゥが、最初に五感で感じ取ったのは、まさにその心地よい空気の愛撫だった。


そこには、これまで嫌というほど彼らの肌を痛めつけてきた、あの乾いた砂の匂いは一切混じっていない。


不毛な大地が放つ、生命を拒絶するようなカラカラに乾いた空気でもなかった。


それは、ほんのりと瑞々しい湿り気を帯びた、絹のように柔らかい風。


その風が、まるで長い旅路を終えた彼らを労うかのように、そっと頬を撫でて通り過ぎていった。


「……ぅ」


微かな声を漏らしながら、ルゥは意識を覚醒させようとしたが、瞼がひどく重い。


全身がどこか底の知れない場所へと深く沈み込んでいるような、奇妙な感覚に囚われていた。


いや。よく感覚を研ぎ澄ませてみれば、沈んでいるのではなかった。


彼女は今、ふかふかとした信じられないほど柔らかい草の上に、仰向けになって横たわっているのだ。


「……ここ、は」


身体の痛みを堪えながら、ルゥはゆっくりと、慎重に目を開いた。


視界に飛び込んできたのは、圧倒的な青だった。


それは、砂塵に霞んだ地上の空ではない。


どこまでもどこまでも広く、どこまでも高く突き抜けた、吸い込まれそうなほどの蒼穹。


視線を少し落とせば、眼下には純白の雲海が、まるで底なしの絨毯のようにどこまでも広がっているのが見える。


そして、何よりも彼を驚かせたのは、視界の大部分を占拠するようにしてそびえ立つ、一本の巨大な枝だった。


「……木、なのかな?」


あまりの規格外の大きさに、ルゥは呆然と呟いた。


それは、世界そのものを垂直に貫くようにして伸びる、神話に出てくるような大樹の姿だった。


その太い枝は天の彼方、空のさらに奥へと向かって縦横無尽に広がっており、無数に茂る青々とした葉が、先ほどの心地よい風を受けてサワサワと涼しげに揺れている。


その葉の一枚一枚が、まるで自ら淡い光を宿しているかのように、太陽の光を反射してキラキラと幻想的に輝いていた。


「ようやく起きたか」


すぐ隣から、聞き慣れた低い声がした。


見やれば、そこにはすでに上体を起こして周囲を警戒しているエリアスの姿があった。


その旅装束は激しい落下の衝撃を物語るように土まみれになっており、額には小さな擦り傷ができて血が滲んでいる。


それでも、彼はルゥが目を覚ましたことに安心したように、いつもの不敵な笑みを浮かべてみせた。


「どうやら俺たち、まだギリギリ生きてるみたいだな」


「みんなはっ!?」


エリアスの姿を見て、ルゥは弾かれたように飛び起きた。


慌てて周囲を見回すと、ほんの少し離れた瑞々しい草むらの中で、ティアがゆっくりと身体を起こしているのが見えた。


彼女の周囲では、目に見えないはずの風の精霊たちが、まるで最愛の主の無事を心から安堵しているかのように、小さな光の粒となって嬉しそうにクルクルと回り続けている。


「ティア、平気か?」


「ええ……なんとか。身体はどこも掠り傷程度のようです」


ティアは少し眩しそうに目を細めながらも、気丈に頷いてみせた。


そして。そこからさらに少し離れた、色鮮やかな花々が咲き乱れる場所。


セリスがまだ深い眠りの中に落ちたまま、微動だにせず横たわっていた。


その小さな両腕にはあの古びた楽譜が、まるで命綱であるかのように強く固く抱き締められたままだ。


「セリス!」


ルゥは夢中で草を蹴り、彼女の元へと駆け寄った。


エリアスとティアも、心配そうにその後に続く。


ルゥが彼女の肩に手をかけようとした、まさにその時だった。


「……ん」


小さな、吐息のような微かな声を漏らしながら、ゆっくりと、本当にゆっくりとセリスの瞼が開かれた。


そこから覗いたのは、いつも通りの美しい翡翠色の瞳。


だが。その瞳が世界の光を捉えた瞬間、その目尻から大粒の一筋の涙がキラリと光って頬を伝い、零れ落ちた。


「……どうして」


それは、誰に向けるでもない、困惑に満ちた静かな呟きだった。


セリスは自分の頬を濡らす涙の冷たさに驚いたように、細い指先でそれを拭った。


「どうして……私、泣いてるんだろ」


自分自身でも、その涙の理由がまったく分からなかった。けれど、なぜだか胸の奥が、引き裂かれるように痛くてたまらないのだ。


頭の芯に残る、どこまでも優しくどこまでも悲しげな声。


自分と鏡写しのような姿をした、あの美しい白銀の髪の少女。


『会いたかった』


その言葉だけが、まるで消えない残響のように、何度も何度も彼女の胸の奥で寂しく響き渡っていた。


「……あの人は、誰だったんだろ」


いくら自問自答しても、返ってくる答えはない。


抱き締めた楽譜も、今は沈黙を守ったまま静かだった。


だが、セリスは気付いていた。

ページに記された、あの"最後の一音のない旋律"が、ほんの少しだけ本当に僅かではあるが、記憶の回廊を通る前よりも先へと長く伸びていることに。


「立てる?」


ルゥが心配そうに覗き込みながら、優しく手を差し出す。セリスは一瞬だけその掌を見つめたあと、小さく頷いてその手をしっかりと取った。


「……うん、大丈夫」


ルゥに支えられながら、セリスがゆっくりと立ち上がる。


そして、4人はここで初めて、自分たちが今立っている場所の本当の全貌を目にすることになった。


「……すごい」


ティアが思わず息を呑み、美しい瞳を見開いた。


そこは、豊かな緑と鮮やかな花々に覆われた、小高い丘の上だった。


そして、その丘の上から眼下を見下ろした先に広がる光景は、彼らの想像を遥かに絶していた。


そこには、確かに一つの巨大な"街"が存在していた。


どこまでも白い石造りで統一された、美しい家々の並び。


信じられないことに、大気の中には大小様々な島々がいくつもプカプカと宙に浮かんでおり、それらの島と島の間を無数の頑丈な吊り橋が複雑にかつ美しく繋いでいる。


あちこちで巨大な風車が優雅に羽根を回し、街の隅々には透き通った清らかな水が流れる水路が、まるで張り巡らされた血管のように美しく輝いている。


そして、その空を見たこともない大きな鳥のような、不思議な生き物たちが悠々と羽ばたいていた。


「……空飛ぶ、島」


ルゥが呆然と呟く。


その言葉に、誰も答える者はなかった。

だが、答えなど必要なかった。


確信があった。

こここそが、語り部の王が彼らに託した次の舞台であり、失われた歴史の彼方で、今なお"空の民"が呼吸をし、暮らしている隠された世界なのだ。


「地上とは、まったく違う文化だな。綺麗だな、本当に」


エリアスが剣の柄に手を置いたまま、感嘆したように小さく呟いた。


その時だった。


「……?」


ティアが唐突に、何かの気配を察知したように顔を上げた。


心地よく吹いていたはずの風が、急に不自然にざわめき始めたのだ。


肌に触れる風そのものは、相変わらず優しく穏やかなままだ。だが、その風が運んでくる精霊たちの声の奥底に、異質な響きが混ざり合っていた。


「……泣いてる」


「え?」


ルゥが不思議そうに振り返る。


見れば、ティアの顔色があからさまに変わっていた。


「この島を流れる風が……怯えるように、激しく泣いているの」


風は、彼ら旅人の訪れを確かに喜んでいる。

心から歓迎し、どこか懐かしんでいるようでもある。


しかし、その感情の裏側に押し潰されそうなほどの強烈な"恐怖"が張り付いていた。


「何かが、いる……この空の、もっと上に」


ティアが呟いたその瞬間。


突如として、太陽の光を遮るほどの巨大な影が、彼らの頭上を猛烈な速度で横切った。


周囲の空気が一瞬にして圧迫され、4人は一斉に大空を見上げる。


「なんだ、ありゃあ!?」


エリアスが声を荒らげる。


見上げた空、遥か雲海の向こう側。

世界樹の太い枝のさらに上空、果てしない天の彼方に、その"存在"はいた。


あまりにも巨大だった。

一地方の山がそのまま空に浮かんでいるのではないかと錯覚するほどの、圧倒的な質量を持つ影。


だが、その姿は周囲の濃い雲に隠され、眩い太陽の光に溶け込んでいるため、地上からははっきりと視認することができない。


ただ、その神々しくも巨大な輪郭だけが、大気の歪みとしてぼんやりと見えている。


「竜……なのか……?」


エリアスが、信じられないものを見る目でぽつりと呟いた。


次の瞬間。


雲の合間に隠れていたその巨大な存在が、ゆっくりと首を巡らせ、こちらを見下ろした。


燦然と輝く、黄金色の瞳。


距離があまりにも遠すぎる。

豆粒にすら見えないほどの高高度だ。


それなのにルゥたち4人は、その黄金の双眸と、確かに、真っ直ぐに目が合ったことを自覚した。


ゾクリ。


全員の背筋に、氷水を流し込まれたかのような激しい震えが走る。


生物としての絶対的な格の違い、圧倒的な神威が、彼らの肉体を金縛りにした。


だが不思議なことに、そこには一切の敵意や悪意は含まれておらず、むしろ静かな慈愛すら感じられた。


その巨大な存在は、ただ。

じっと観察するように4人の姿を見つめていた。


やがて、目的を果たしたかのように巨大な影は雲の向こうへと滑るように滑落し、ゆっくりとその姿を消していった。


あまりにも長い沈黙が、丘の上を支配した。


誰も次の言葉を発することができない。


やがて、喉の渇きを覚えたティアが、消え入りそうな声で小さく呟いた。


「……見てたわ」


「間違いなく、私たちのことを見ていた」


ルゥたちがその言葉の意味を反芻しようとした、まさにその時。


緊迫した空気を破るように、丘の下の斜面からとてもに元気な声が響き渡った。


「おーい!そこの人たちー!」


4人が驚いて一斉に振り向くと、そこには一人の少女が立っていた。


活発そうな、栗色の短い髪。

好奇心に満ちた、輝くような青い瞳。


年齢はルゥたちとほとんど同じ、15、6歳といったところだろうか。


何より目を引いたのは、彼女の背中に背負われた、真鍮と革で作られた奇妙な"機械の翼"だった。


それが風を受けてカシャカシャと音を立てている。


「あっ!」


少女はルゥたちの姿を視界に捉えるなり、その青い瞳をこれ以上ないほどに丸くした。


「人!?本当に人なの!?」


「しかも一気に4人も!?」


少女は驚きのあまりその場で激しく飛び跳ね、そして次の瞬間、周囲の鳥たちが一斉に飛び立つほどの信じられない大音量で叫んだ。


「大変だー!」


「空から人が降ってきたぞー!!」


その元気いっぱいで底抜けに明るい声が、丘を駆け抜け、空飛ぶ島全体へと響き渡っていく。


あまりの勢いに、ルゥたちはただただ呆気にとられ、互いに顔を見合わせた。


そして、張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れたように、誰もが思わず吹き出して笑ってしまった。


記憶の海の壮大な美しさ。

世界の崩壊。

すべてを虚無に還す完成を喰らうものとの遭遇。

そして、語り部の王との別れ。


そんな重たく過酷な旅の果てに、ようやく辿り着いた未知の世界で、彼らが最初に出会ったのはあまりにも騒がしく、あまりにも生気に満ち溢れた一人の人間の少女だった。


しかし。

この時はまだ、その場にいる誰も知る由がなかった。


この突飛な少女との出会いが、やがて、この空飛ぶ島に隠された千年の真実。


そして。

セリスの心の中に深く眠る、あの失われた記憶の核心へと繋がっていくことを。


さらに、その頃。

世界樹の最上部、雲よりも高い聖域では。

先ほどの黄金の瞳を持つ巨大な存在が、静かに巨体を揺らし、深く重い声で呟いていた。


「……始まったか」


「白銀の姫よ。お前の紡いだ物語の続きが、今、再び動き出した」


「今度こそ……破滅の前に、間に合うといいのだが」


---

先ほどの少女の声は、依然として丘全体に、まるで警報か何かのように響き渡り続けていた。


「人!しかも4人!」


「うわぁ、本当に4人いるよ!夢じゃないよね!?」


彼女は一人で大騒ぎし、一人で大げさに驚き、一人で納得したように何度も大きく頷いている。


その一連の動作があまりにもコミカルで、ルゥたちはしばらくの間、完全に呆然としたまま彼女の動きを見つめることしかできなかった。


「……えっと」


見かねたルゥが、ようやく引きつった苦笑いを浮かべながら口を開いた。


「こんにちは?……で、いいのかな?」


すると少女は、まるでネジが巻かれたオモチャが急に止まったかのように、ぴたりと動きを止めた。


そして。


「こんにちはー!」


満面の笑みを咲かせた。

それは、まるでこの世界を照らす太陽そのもののような、どこまでも屈託のない輝かしい笑顔だった。


「わたし、フィナって言います!」


「フィナ・エアリス!」


「空の民の見習い!」


「年齢は十五歳!」


「担当は飛行機械の整備係!」


「それから、それから――」


彼女はそこで一呼吸置き、これでもかとばかりに大きく胸を張った。背中の機械の翼が誇らしげに上を向く。


「未来の大発明家になる予定の女の子です!」


「よろしくね!」


とにかく元気いっぱい、エネルギーの塊のような自己紹介だった。


そのあまりの勢いに、普段は冷静なエリアスも、呆れを通り越して思わず大笑いしてしまった。


「はは、随分と元気な嬢ちゃんだな……」


「よく言われるよ!元気だけが取り柄だって!」


フィナは褒め言葉と受け取ったのか、嬉しそうに何度も頷いた。


「……って、そうじゃないじゃん!」


彼女は自分の頭をポカポカと叩き、また慌て出す。


「みんな、怪我とかはない!?こんな高いところから落ちてきて平気なわけないよね!?」


「あ!」


「食べ物はある!?」


「お水は!?」


「早く村長さんに報告しなきゃ!」


「お医者さんも呼ばなきゃ!」


「うわぁ、とにかく大変だ!」


またしても一人で勝手に慌てふためき、右往左往し始める。ルゥはその様子を見て、今度は心からの笑みを思わず吹き出してしまった。


「ふふっ……あはは」


本当に久しぶりだった。

こんな風に、心の底から何も考えずに笑ったのは。


思い返せば、砂に埋もれた語り部の都に入ってからというもの、未完の影という重い存在に出会い、世界を脅かす完成を喰らうものと必死に戦い、歴史の重みばかりを目にしてきた。


4人の心には、常に目に見えない重圧がのしかかっていたのだ。


だからこそ、このフィナという少女が放つ呆れるほどの騒がしさと生活感が、ルゥにとってはどこか救いのように、そして無性に懐かしく感じられた。


隣を見ればティアもまた、その口元に小さく優しい笑みを浮かべていた。


「……風が、とても喜んでいるわ」


「え?」


フィナが不思議そうに首を傾げ、大きな青い瞳をパチくりとさせた。


「風が?どういうこと?」


「うん」


ティアは優しく微笑みながら、フィナの周囲の大気をそっと手で撫でるような仕草をした。


「あなたの周りを流れる風、とても楽しそうに踊っているの。あなたという存在を、心から好いているみたい」


フィナは驚きのあまり目を丸くした。


「すごーい!お姉さん、もしかして風とお話ができるの!?」


「ええ、少しだけね」


「かっこいい!超かっこいいよ!いいなぁ、それ!

わたしもそんな風に風の気持ちが分かったら、機械の翼の改良がもっと進むのに!」


エリアスが楽しそうな表情のまま、小声でルゥの耳元に囁いた。


「おいルゥ、随分と賑やかな場所に放り出されたな」


「うん」


ルゥも深く頷く。


「でも、なんか……すごく安心するよ」


だが。まさにその時だった。


「……?」


それまで元気に喋り続けていたフィナが、突然、何かに糸を引かれるようにして動きを止めた。


彼女の青い瞳が、ルゥたちの後ろに静かに立っていた、セリスの姿をじっと見つめる。


「え……?」


フィナは吸い寄せられるように、一歩。

また一歩と、ゆっくりセリスの元へと近づいていく。


その表情からは、先ほどまでのふざけたような明るさは完全に消え失せていた。


「どうした、嬢ちゃん?」


エリアスが直感的にセリスをかばうように、微かに身構えて警戒の視線を向ける。だが、フィナにはその声すら聞こえていないようだった。


「……きれい」


フィナはセリスの目の前まで来ると、ぽつりと小さく呟いた。


「きれい、ですか……?」


セリスが不思議そうに首を傾げる。


フィナの視線は、セリスの最大の特徴である、あの美しい銀白色の髪に釘付けになっていた。


「ねえ、お姉ちゃん」


「はい……?」


「なんかね」


「わたしの知ってる、お姉ちゃんに……すごく、似てる気がするの」


その言葉がフィナの唇から零れ落ちた、まさにその瞬間。


セリスの胸元に抱えられていたあの未完の楽譜が、目に見えて小さく、しかし激しく震動を始めた。


「……!」


セリスの翡翠色の瞳が、驚愕に大きく揺れ動く。


頭の奥、記憶のさらに深い深淵の底から、誰かの呼ぶ声がはっきりと響いてきたのだ。


『セリス』


それは、あの星の海で出会った、自分と同じ顔をした白銀の少女の声。


涙を流しながら微笑んでいた、あの少女。


『会いたかった』


その言葉が引き金となり、セリスの脳裏に激しい濁流のような一瞬の映像が流れ込んできた。


それは、まだ今よりもずっと小さな幼い女の子の姿。


屈託のない満面の笑顔。

手渡される、美しい青い花。

そして、優しく吹き抜ける大広場の風。


さらに、その映像の中で、誰かが確かに叫んでいたのだ。


『お姉ちゃん!』


「……っ!」


突如として襲いかかってきた強烈な頭痛に、セリスは思わず頭を強く押さえてその場にしゃがみ込みそうになった。


「セリス!」


ルゥが慌てて駆け寄り、彼女の細い肩を支える。


「大丈夫!?しっかりして!」


「う、うん……大丈夫、なんでもないから……」


セリスは荒い呼吸を繰り返しながら、なんとか声を絞り出した。


けれど、胸の奥が張り裂けそうなほどに苦しい。


(今の映像は……一体誰?あの小さな女の子は……フィナなの?)


(いや、違う……何かが決定的に違う……)


(もっと、もっと私に近い、小さな……)


その様子を見て、フィナも自分が何か大変なことをしてしまったと気付き、激しく狼狽した。


「ご、ごめんなさい!わたし、何か変なこと言っちゃったよね!?」


「違うの!本当に悪気はなくて……ただ、お姉ちゃんの髪を見た瞬間、なぜだか急に、どうしてもそんな気がしちゃって!」


その一連のやり取りをじっと見つめていたティアの表情が、静かに、しかし深刻に変わっていった。


彼女の周囲の風が、先ほどとは違う意味で、激しく、複雑にざわめき立っている。


「……不思議ね」


「ティア?何が分かったの?」


ルゥの問いかけに、ティアはフィナの姿をじっと見つめながら答えた。


「この子の周りの風……ただ楽しそうにしているだけじゃないわ。もの凄く……"懐かしがって"いるの」


「懐かしい?」


「ええ、そうなの」


「まるで……」


ティアはそこで一度言葉を区切った。


その先にある結論を口にすることが、あまりにも現実離れしていて、奇妙すぎたからだ。


風の精霊たちのざわめき。

それは、数年や数十年レベルの再会ではない。


まるで、何百年、あるいは千年以上も前からずっと知っている伝説の存在を、長い時を経て再びこの地に迎えた時のような――そんな、気の遠くなるような時間の重みを含んだ、狂おしいほどの懐古のざわめきだったのだ。


「まぁ!大変!」


フィナが突然パンッと自分の両手を叩き、湿っぽくなりかけた空気を無理やり吹き飛ばした。


「こんな景色のいいところで、いつまでも立ち話してる場合じゃないよ!」


「とにかく、わたしたちの村に行こう!みんな、絶対に腰を抜かしてびっくりするよ!」


「だって、空から人が一度に4人も降ってきたなんて、この島の歴史が始まって以来、絶対に初めての出来事だもん!」


「それにさ!」


フィナは再び、いつものひまわりのような明るい笑みを浮かべた。


「きっと、うちのおじいちゃんも、みんなが来たらもの凄く喜ぶと思うんだ!」


「おじいちゃん?」


ルゥが問いかけると、フィナは得意げに鼻を鳴らした。


「うん!島で一番の物知り変屈おじいちゃん!とにかく何でも知ってるの!」


「この島に伝わる古い古い歌のことも!」


「大昔の誰も知らない歴史のお話も!」


「地面から掘り出される、変な模様のついた石のことも!」


「わたしが拾ってくる、壊れた変な機械の動かし方も!」


「……それから、時々この島にやってくる、変な人のこともね!」


「変な人……?」


エリアスが眉をひそめる。


「うん!普段は街の外れにある、大きな白い塔の近くに住んでるおじいちゃんなんだけどね!ちょっと偏屈で変だけど、本当はすごく優しいんだよ!」


その"塔"というキーワードを聞いた瞬間。

セリスとティアの二人が、同時に弾かれたように顔を上げた。


「塔って……あの塔のこと?」


「うん、そうだよ!」


フィナが振り返り、元気よく指を差した。


彼女の指の先、果てしない雲海の向こう側。


世界樹の太く巨大な枝のさらに遥か先、空間そのものを切り裂くようにしてそびえ立つ、一本の巨大な白い塔。


それは、間違いなく。

彼らが先ほどまでいたあの"記憶の回廊"の奥深くから、かすかに見えていたあの白い塔そのものだった。


そして。

その遠くそびえ立つ白い塔の頂上付近を、セリスがじっと見つめた、まさにその時。


ほんの一瞬、本当に瞬きをするほどの刹那の間だけ。


その塔の天辺に、誰かの人影が立っているのが見えた。


それは、風に激しくなびく、長い銀色の髪。


同じく風に揺れる、古風な外套。


そして、遠く離れているはずなのに、なぜか確信できる美しい翡翠色の瞳。


「……っ!」


セリスはあまりの衝撃に、一瞬だけ呼吸をすることすら忘れてしまった。


だが。

彼女が驚いて目をこすり、次の瞬間に再び同じ場所を見たときには、その人影はまるで最初から存在しなかったかのように、綺麗に消え去っていた。


「どうしたの、お姉ちゃん?何か見えた?」


フィナが不思議そうに覗き込んでくるが、セリスはそれに上手く答えることができなかった。


ただ。彼女の胸の奥深くで。

あの未完の楽譜が、これまでの旅のどの瞬間よりも、どこまでも優しく、暖かく震えていた。


まるで。


『もうすぐ、すべての真実に出会えるよ』


そう優しく、彼女の魂に囁きかけているかのように。


そして、その頃。

世界樹の最上部、遥かなる天の聖域では。


黄金の瞳を持つあの巨大な存在が、静かに眼下の4人と一人の少女を見下ろしていた。


「……風の娘か。運命の巡り合わせとは、真に不思議なものだな」


巨大な存在がそう呟いた、その傍らで。


一人の少女が、静かに、愛おしそうに微笑んでいた。


その美しい白銀の髪。

そして、深い輝きを湛えた翡翠色の瞳。


その容姿は、あの星の海で命を賭してルゥたちを逃がした、あの少女の姿とあまりにもよく似ていた。


「ええ、本当に……もう少しです」


少女は白い塔の方向を見つめながら、祈るように両手を胸の前で組む。


「お姉ちゃん。今度こそ、私たちの本当の物語を……」


だが、その切実な願いを込めた声は。

今はまだ、誰の耳にも届くことはなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ