35.思い出②
門を出ると、石畳の道に朝露がきらめいていた。
並木道には初夏の花が咲き、教会の尖塔が朝日に映えて輝いている。
普段は何気なく歩いていた道も、この日はどこか違って見えた。
ミュゼリアナは兄の横顔をちらりと見上げる。
「お兄さま、今日はどんなギフトがもらえると思う?」
「うーん、どうだろうな。みんなが期待してるみたいに、立派なギフトをもらえるといいけど……」
「きっと大丈夫だよ。お兄さま、すごく頑張ってたもん。剣の練習も、お勉強も、全部全部!」
自分でも驚くほど、自然にそんな言葉が口から出ていた。
ユーリは少し照れたように笑って、ミュゼの頭をぽんぽんと撫でる。
「ありがとう、ミュゼ。お前が応援してくれると、なんだか元気が出てくるよ」
教会に近づくにつれ、通りには正装をした人々の姿が増えていく。
知り合いの貴族や、商会の人たち、普段はあまり見かけない神官の集団――
今日は、街全体が少しだけそわそわしているみたいだった。
教会の前庭では、薄い金色のローブをまとった司祭たちが出迎えていた。
(きっと大丈夫。お兄さまなら、きっと……)
教会の扉が音もなく開き、白い光が、まるで別の世界の入口のように差し込んだ。
家族がゆっくりと神殿へと進んでいく。
ミュゼリアナは、兄の背中を見つめながら、
胸いっぱいに「希望」と「誇り」を抱えて、そっと歩みを進めた。
朝の光が高い天窓から降り注ぎ、神聖な空気が星辰の間を包んでいる。
天球儀のある台座の前で、ユーリ兄さまは家の紋章が入った礼服を身にまとい、緊張した面持ちで立っている。
ミュゼリアナは母たちと並び、息を潜めて兄の姿を見守っていた。
司祭たちが祈りの言葉を唱え始めると、星辰の間が静まり返った。
空気がぴんと張り詰め、誰もが固唾を呑んでその瞬間を待っている。
ユーリが台座の水晶にそっと手を添えると、
星辰の間に置かれた天球儀が、音もなくゆっくりと回り始めた。
球体の内部に浮かぶ星々が、淡く瞬きながら光を放つ。
その輝きと配置が何を意味するのか――
司祭たちは、わずかに息を詰めてその動きを見つめている。
(お兄さま、きっと――)
ミュゼリアナの小さな祈りが胸の中で揺れる。
だが、その時――
儀式を取り仕切る星詠みの司祭の手が、わずかに震えた。
何度も星の位置を確認し、巻物を広げ、他の司祭たちと小声で慌ただしく言葉を交わしている。
一度、奥の控え室へ引っ込むと、しばらくしてまた別の司祭たちも加わり、神殿の空気がざわつきはじめた。
「どうしたのかしら……」
ユーリの母が小声でつぶやく。
隣のケビン兄さまは、天球儀を見つめながら、口元をきゅっと結んでいる。
やがて、祭壇の前に戻ってきた星詠みの司祭が、かすかに声を震わせながら告げた。
「本日の星霊のご加護により――ユーリ様の授かったギフトは、――商人です」
一瞬、空気が凍りついた。
「商人……?」
誰かがぽつりと呟く。
参列者たちが顔を見合わせ、ひそひそとさざめきが広がる。
ユーリに与えられたギフトが“商人”であると告げられた瞬間、
空気が凍りついたのは当然だった。
レオニダス家は代々、強力な魔術系のギフトを継ぐ家系。
父アルベルトもまた、『氷帝』の異名を持つ高位魔術師であり、帝都の魔術庁長官という肩書を持つ男だ。
そんな家の長男に、戦も魔法も関係ないギフトが与えられるなど――
誰ひとり、夢にも思わなかったのだ。
父アルベルトの表情が見る間に険しくなり、ケビン兄さまの口元には嘲りの色が浮かぶ。
ユーリの母は、顔を両手で覆い、その場に崩れ落ちそうになった。
「はっ……兄さん、やっぱり“外れ”だったな」
ケビン兄さまの小さな声が耳に刺さる。
ミュゼリアナは、何が起こっているのか分からず、ただ兄の方を見つめていた。
ユーリ兄さまは、一歩も動かず、まっすぐ前を見ていた。
けれど、その背中はどこか小さく見えて――
どうして誰も兄のことを褒めてくれないのか、不思議でたまらなかった。
会場の空気はざわめきから、冷たい失望へと変わっていく。
司祭たちは何度も巻物を見直し、首を振り合っている。
だが、誰一人、兄に「おめでとう」と声をかける者はいなかった。
(どうして? お兄さまは、ちゃんとがんばってきたのに――)
ミュゼリアナの心に、今まで感じたことのない不安と戸惑いが、静かに広がっていく。
ユーリ兄さまの「商人」という言葉が、神殿の隅々までじわりと広がっていく。
静寂を破ったのは、控えめなすすり泣きだった。
兄の母が、祭壇の下で小さく身体を震わせている。
その肩を、司祭がそっと支えていた。
「そんな……ユーリ……」
かすれた声が、神殿の床に吸い込まれていくように響いた。
ケビン兄さまと母は、隣で小さく鼻で笑った。
「やっぱり……兄さんは、レオニダスの名前にふさわしくなかったんだよ」
そのとき、母が、微笑みを浮かべたまま、ゆっくりとケビンに顔を向けた。
唇には柔らかな弧があったが、その目には一切の温度がなかった。
「そうね……ふふ、ケビン、次は貴方の番よ。
あんな女の子供とは違うって、ちゃんと見せて差し上げましょうね?」
父アルベルトは、何も言わず、ただ厳しい眼差しでユーリ兄さまを見下ろしている。
その冷たい視線に、兄の肩がわずかに震えたように見えた。
ミュゼリアナは、どうしてみんなこんな顔をしているのか分からなかった。
さっきまでの明るい空気はどこにもなく、家族の誰もが、兄に向ける言葉を見つけられないでいた。
周囲からは、貴族たちの失望や好奇の目が突き刺さる。
――兄さまは、何も悪くないのに。
【あとがき】
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