70.女神、裁判に降臨す④
「あとは、ミュゼリアナ本人の同意が必要なのでは?」
「家長が決めたことに従うのが女の務めだろう!」
ケビンの声が高らかに響いた瞬間、空気が凍りついた。
その顔には得意満面の笑みが浮かんでいる。
「ミュゼリアナは道具でも人形でもない。一人の人間なんだぞ」
ユーリが顔を歪め、思わず言葉を漏らす。
「……人形?」
ぽつりと洩れた女の声が、会場の隅々まで静かに広がっていく。
「女神を“人形”のように扱うなんて――不敬だわ!」
「そうだ、女神の声を封じるなんて冒涜だ!」
「本人の言葉を聞かずして、どうして婚姻だなんて言える!」
次々と声が重なり、やがて会場全体を揺らす大合唱となった。
さっきまで冷ややかだった空気が、一転――祭礼のような熱を帯びていく。
「女神の声を! 女神の御言葉を!」
「ここで示していただけ!」
木槌を握る裁判長の手が、目に見えて震えた。
群衆の熱気に押され、もはや誰も止められない。
「……尤もだ。女神――もとい、ミュゼリアナ様の御意志を確かめるのが理であろう」
その一言で、場の空気は決定的にひっくり返った。
貴族社会では家長の言葉が優先される。
だが、星導教会における婚姻は、両者の合意があってこそ。
ケビンの顔色がさっと青ざめる。
勝ち誇っていた口元が、ひきつったように固まった。
――そして、視線の流れは自然に彼女へと集まっていく。
ミュゼリアナ。
薔薇色の薄布に包まれた少女は、一瞬だけ瞼を伏せる。
震える肩。
固く握りしめた拳。
けれど――その瞳がゆっくりと上がった。
「……私は」
掠れた声が、会場に染み渡る。
観衆の呼吸が止まり、空気そのものが張りつめる。
「ヴァレンシュタイン卿との婚姻を……望みません」
その言葉が響いた瞬間、会場は大地の下から唸りが湧き上がったかのように揺らいだ。
群衆の胸に溜まっていた熱が、一斉に弾け飛んだのだ。
「女神がそう仰ったぞ!」
「御意志を聞いたか! これ以上の証拠はあるまい!」
歓声と喝采。
「ぐ、ぐぬぬ……!」
ケビンが顔を歪め、必死に声を張り上げる。
「言わされているだけだ! あれは薬で正気を失っているんだ! その女神は穢れているんだぞ!」
必死の叫び。
観衆の間から失笑が漏れた。
「薬? またその言い訳か……」
「女神様が穢れるわけないでしょ!!」
「往生際が悪いなぁ」
ケビンの顔がみるみる赤黒く染まる。
そんな中――ユーリが一歩、静かに前へ進み出た。
「穢れているのは、そちらだ。薬などなくても……」
その声は低く、澄み渡る。
群衆のざわめきがぴたりと止まった。
ユーリは隣に立つ少女を見つめ、はっきりと告げる。
「私とミュゼリアナは、本気で――愛し合っている」
「な、なんと……!」
「これが……真実の愛……!」
ミュゼリアナの頬に、薔薇色の熱が広がる。
彼女は震える指先を胸に当て、小さく、しかし確かに頷いた。
「はい……私は、ユーリ様を、心から愛しています」
その瞬間――群衆は理屈も証拠も超えて、圧倒的な歓声へと変わった。
「女神に祝福あれ!」
「真実の愛に祝福あれ!」
「残念貴族などではない! 彼こそ……愛を貫く男だ!」
――その熱狂を、ひとつの音が断ち切った。
乾いた拍手。
「……素晴らしい。実に素晴らしい」
声の主は、オスカー・フォン・ヴァレンシュタイン。
悠然と立ち上がり、手を叩きながら口元に笑みを浮かべる。
「愛の告白……民衆の心を掴むには最高の演出だ。私も胸を打たれたよ」
だが、その声音が次第に冷ややかに変わっていく。
「――だが、貴族の婚姻は“個人の感情”で結ばれるものではない。
婚姻とは家と家を繋ぐもの。血統を護り、格式を守るものだ。
いかに愛があろうと、美しかろうと……“魔術すら使えぬ残念な男”との婚姻など、許されるはずがない」
オスカーの言葉は、鋭い刃となって場を斬った。
「それに、本人が“嫌だ”と口にしたところで――無意味だ。
この誓約書はすでに正式に王国に受理され、貴族年鑑にも登録済みだ。
すなわち――私とミュゼリアナ嬢は、すでに夫婦なのだよ」
観衆の空気がざわりと揺れ、さっきまでの祝福の熱が、冷水を浴びせられたようにしぼんでいく。
「どんなに愛があろうが、それは“夫婦”を裏切った行為に他ならない。
すなわち――姦通罪だ」
オスカーの冷徹な断言が、祝福の熱を無慈悲に踏みにじる。
静まり返る中、ユーリが毅然と声を放つ。
「まず、一つ。僕は魔術が使えないわけではない」
「……何?」
オスカーが眉をひそめた。
ユーリは淡々と続ける。
「あまりにも危険だから――使わないだけだ」
ざわっ、と群衆が波打った。
使えないのではなく、使わない。
その逆説的な言葉に、好奇と不安が入り混じる。
誰もが息を呑み、次の言葉を待った。
「嘘をつくな!」
ケビンが机を叩きつける。
「星辰の儀で才能を授からなかった男が――魔術だと? ならば今ここで証明してみろ!」
視線が一斉にユーリへと注がれる。
「……そうか」
ユーリはひとつため息を漏らし、ゆっくりと手を掲げた。
「見せろと言ったのはそっちだからな。怪我しても、知らないぞ」
次の瞬間――
眩い稲光が奔り、ケビンたちの目前にあった机を直撃する。
乾いた木材が炸裂音を上げて砕け散り、積まれていた書類は炎に舐められるように四散した。
「ひっ……!」
ケビンは尻餅をつき、オスカーですら思わず後ろへと身を引く。
群衆の誰もが、息をするのを忘れていた。
「え、詠唱はどうした……?」
オスカーが震える声で問う。
ユーリは首を傾げ、気まずそうに笑った。
「あ……忘れてた。
でも別に無くてもできるから、いちいち覚える意味ないんだよね」
「は……?」
「詠唱って、魔術式を頭の中で組み立てるために必要なんだろ? 言葉があればイメージしやすいからね。
でも僕の場合、そんな手順なくても……自然にコントロールできちゃうんだ」
さらりと告げるその声音は、普段の残念貴族そのもの。
だがケビンとオスカーにとっては、まるで別次元の怪物の告白だった。
「ふ、ふざけるな! そんな理屈が――」
青ざめたケビンの声を、観衆のどよめきがかき消す。
「残念貴族……? いや、あれはもう別物だ……」
「詠唱なしで魔術を操るなど、聞いたことがない!」
「……まさか、本当に女神に選ばれしお方なのでは……」
――もちろん、真実は違う。
今の雷は魔術ではなく、《インチキ商人》で得た神格の力にすぎない。
(……まあ、説明する必要もないよな)
ユーリは心の奥でだけ肩をすくめ、淡々と立ち尽くしていた。
雷撃の残響がまだ耳に残る中、ユーリはゆっくりと視線を巡らせた。
そして、静かに口を開く。
「――それから、もう一つ」
観衆のざわめきがぴたりと止まる。
空気そのものが、張り詰めていく。
ユーリの瞳が、オスカーを真っ直ぐ射抜いた。
「オスカー・フォン・ヴァレンシュタイン」
呼ばれた名に、オスカーの肩が小さく震える。
「貴方を――父親殺しで告発する」
【あとがき】
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