70.女神、裁判に降臨す③
木槌が一度鳴り、裁判長の声が響く。
「――罪状の朗読を」
星導教会の神官が一歩前へ進み、厳かに巻紙を広げた。
「オスカー・フォン・ヴァレンシュタインと婚約している令嬢ミュゼリアナは、淫薬に溺れ、星霊の理に背き、さらには兄ユーリ・フォン・シュトラウスとの姦通に及んだのは――疑う余地なき事実であります!」
低いうねりが波紋のように広がり、群衆の息がひとつ重くなる。
神官は続けざまに合図を送った。
「証拠を」
係吏が布を払いのける。
現れたのは――瓶とシーツ。
ふわりと鼻を刺すような匂いが漂った。
ふわりと鼻を刺すような匂いが漂う。
一見すれば“甘美”な香り。だが、鼻を澄ませばどこか酸味を帯び、発酵しかけたような重たさが混じっている。
布地は乾いて硬化した部分と、妙に湿り気を帯びた部分がまだらに残り、光を反射して不自然に黒ずんでいた。
前列の女たちは口元を覆い、男たちは険しい顔で身を乗り出す。
その生々しさに、誰もが一瞬「本物だ」と錯覚した。
「見よ! 妹はこのシーツで淫蕩にふけり、ヴァレンシュタイン卿との誓いを踏みにじったのです!!」
ケビンは叫び、さらに声を荒げて拳を振り上げた。
「誓いを捧げた貴族は、星霊の加護によって守られ、他の男を受け入れることなどできぬはず。
だが――淫薬だけは堕落を招き、その加護を弱める。やがては、自ら快楽を乞うようになるのだ!
次期当主であるこの俺が、どれほど目を背けたかったか……!」
芝居がかった慟哭に、観衆の視線はミュゼリアナへと突き刺さる。
それでも彼女は前を向き笑みを浮かべる。
「淫薬の効能は、聖典に記された典礼記録と一致している。
教会の神官に伺った――一滴で身体は火照り、二滴で意志は鈍り、三滴で……女は自ら求め始める、と」
オスカーの低い声。
淡々とした説明ほど、逆に重く響く。
観衆が一斉に息を呑み、押し殺した声がさざ波のように広がった。
「この染みは、まさにその痕跡だ。
汗と吐息が幾重にも重なり、そして……薬の甘い香が染み込んでいる。
典礼記録にある“薬に溺れた女の証”そのものではないか?」
男たちの拳が震え、女たちは顔を覆いながらも隙間から目を離せない。
ざわめきはやがて重なり、怒号と嘲笑に姿を変えていく。
「まさか……」
「ありえるわけがない!」
「薬で女神を堕としたのか!」
「残念貴族のくせに……!」
声が飛び交う。
嘲笑と嫌悪と、ぞっとする好奇。
そのすべてが、ユーリとミュゼリアナへと注がれていく。
(……なんて茶番だ)
喉の奥で小さく息を呑む。
掌にはじっとりと汗がにじみ、心臓は鼓膜を突き破るほどに暴れていた。
舞台に並べられた瓶とシーツ――それは、あまりにも“分かりやすい”証拠だった。
群衆は理屈ではなく、分かりやすい方に流される。
甘ったるい香りが漂えば「薬だ」と信じ、染みた布を見せられれば「行為の痕跡だ」と思い込む。
どれほど安い手口であろうと、大衆にとってはそれが一番説得力を持つのだ。
放っておけば、それだけで有罪の空気が固まってしまう。
(……違う。俺の部屋にあったシーツじゃない。それに、ミュゼが、あんなに汚れているわけがない!)
ケビンとオスカーが自ら用意した――その可能性は限りなく濃い。
そして決定的なのは、二人の口ぶりだ。
“一滴、二滴、三滴”――薬効の段階を、まるで手順書のように淀みなく並べてみせた。
そんなもの、実際に試した者でなければ語れるわけがない。
(何人だ……。何人に使った……?)
(どれだけの女を、薬で壊してきたんだ……!)
ユーリは深く息を吸い、静かに口を開いた。
「一点だけ、確認させてください。“婚姻秩序の破壊”が成立するのは、相手に婚姻関係――あるいは婚姻前提の誓約が有効な場合に限られるはずです。ですが、ミュゼリアナとオスカー殿の婚姻は、そもそも成立しておりませんよね?」
前列の貴婦人たちが互いに顔を見合わせる。
空気がわずかに揺れ、裁判長が神官へ視線を送った。
「代理人、婚姻または婚約関係の立証は?」
そこで、ケビンがほくそ笑んだ。
用意していた獲物を見せびらかす狩人の顔で、神官へ軽く顎をしゃくる。
「――書類を」
神官が巻紙とは別の束を持ち出し、封蝋の押された一通を恭しく掲げた。
赤い蝋の印は三つ。王都貴族管理院印、星導教会印、そして――
「こちらが“婚姻前提の誓約書”であります。立会人サインとして、レオニダス家当主――アルベルト・フォン・レオニダス殿の署名と割印がございます」
場内の息遣いが一段重くなった。
ケビンは勝者の笑みを隠そうともせず、ユーリを見下ろす。
「どうだ、残念貴族。これでも“成立していない”と言い張るのか?」
ミュゼリアナの瞳が、音もなく揺れた。
乾いた唇が、震える。
「……嘘。そんな、はず……」
ユーリは一歩も動かない。
「それは、本物なのでしょうか?」
ユーリの静かな問い。
一瞬の沈黙ののち、ケビンの口元がにやりと吊り上がる。
待ってましたと言わんばかりの勝ち誇った顔。
聴衆席に座る男へ、これ見よがしに腕を伸ばした。
「父上。――この署名に、相違はありませんよね?」
裁判長がほんの一拍、逡巡する。
それでも求められた体面を取り繕い、淡々と告げた。
「……アルベルト卿、答えてよろしい」
長椅子から立ち上がる影。
レオニダス家当主――アルベルトは、変わらぬ氷の貌で視線だけを落とし、短く告げた。
「私の署名に、間違いはない」
アルベルトを中心に観衆の声が円形に膨らみ、法廷全体の温度がさらに上げる。
ケビンの頬に、勝利の色が差した。
(父上も本気、と言うわけか……)
【あとがき】
読んでいただきありがとうございます!
ユーリとハーレム運営、応援したいと思ってくださったら、
⭐評価と❤、ブックマークお願いします!
ヒロインたちから見たショートストーリーをpixivFANBOX に置いています。
応援していただけると嬉しいです。よろしくお願いしますヾ(≧▽≦)ノ
URLはこちら:https://kuzumochi-mozuku.fanbox.cc/




