41.新しい仲間たち②
……沈黙。
ギルド内の空気が、ぴたりと凍りつく。
「あらあら……ずいぶんと威勢のいいお言葉ですこと」
その声はやわらかく、どこまでも穏やか。
けれど、その裏に潜む気配に気づいたのか、アルフォンスがわずかに眉をひそめる。
イレーナは、変わらぬ微笑みのまま静かに続けた。
「うふふ……まずは、お越しいただきありがとうございます。ですが――」
にこやかな笑顔のまま、ほんの一瞬だけ空気が張りつめる。
その背後には、まるで“鬼”のような圧が形を取るかのごとく立ち昇っていた。
アルフォンスが視線を逸らし、場を取り繕うようにギルド内を見回す。
そして――ユーリたちが座るテーブルの前で、ぴたりと止まった。
「……あれ?」
ようやく気づいたらしい。
アルフォンスが目を細め、こちらの方を見つめてくる。
その視線の先――イレーナの正面、ユーリたち三人が並んで座る席。
金髪を揺らすフィオナがにこやかに手を振り、リリィは少しだけユーリの袖をきゅっとつまんだ。
ユーリは特に表情を変えず、静かにアルフォンスの視線を受け止めた。
ただ、ほんのわずかに口元が緩む。
(……遅いよ)
そんな声が、心の中でぽつりと転がった。
「……まさか、君たちって……このギルドに、依頼しに来たのか?」
アルフォンスの眉が跳ねる。
そこに浮かんでいるのは、驚き半分――呆れ半分の表情だった。
「マジで? こんな寂れた裏通りのギルドに?」
鼻で笑い、あきれたように肩をすくめる。
「いやあ、さすが田舎者。
せっかく王都まで来たのに、もうすぐ無くなるギルドを選ぶとはな……」
「なくなりません!!」
鋭く言い返したのは、エレノアだった。
涙の跡が残る頬を怒りで染めながら、アルフォンスをまっすぐ睨みつける。
「ここは……私たちにとって、大切な場所なんです。
誰にも、勝手になくなるなんて言わせません!」
「そうよ。誰が何と言おうと、ここが“私たちのギルド”なんだから」
続けて、隣の盾士も強く言い放つ。
「うふふ……この《夕凪亭》が“なくなる”、なんて――
それは、ちょっと困っちゃいますね。
ここは、みんなで大切に守っている場所ですから……」
そう言って、イレーナはカウンターに置かれたクエスト板を、指先で軽くとん、と叩いた。
木板が澄んだ音を響かせる。
「あらあら……討伐の件も、先ほど申し上げた通り、証拠を照合させていただきますね。
ギルド規約にありますように、双方の証拠をきちんと確認して、正しい報酬を分け合う決まりですから……
ご面倒かと思いますが、後ほどご提出いただけますと、とても助かります」
アルフォンスは肩をすくめ、鼻で笑った。
そして、少女たちを一瞥すると――
「まぁいいさ。あと一ヵ月もすれば、俺らに支払えてない報酬と利息、きっちり耳揃えて返してもらうだけの話だしな」
ギルド内が再び、張り詰めた空気に包まれる。
「ま、無理なら無理で構わねぇよ?
その場合は――イレーナさんが、俺らの“借金奴隷”になってくれりゃ、それでチャラにしてやるからさ」
白い歯を見せて笑うその顔には、悪びれた様子など微塵もなかった。
「楽しみにしてるぜ。じゃ、せいぜい足掻いてくれよ?」
そう言い残し、アルフォンスは扉を乱暴に開け、取り巻きたちを引き連れて出て行った。
扉が閉まるや否や、フィオナが怒りに震える声を上げた。
「な、なによ、あいつっ! サ・イ・テーっ!!」
そして、ぷんすかと頬を膨らませたかと思えば――
「べーっだ!」
くるりと振り向きざま、扉の方へ舌を出して、あっかんべー。
「……ああいうやつ、いっちばんムカつく!
偉そうで、横柄で、女の子を道具みたいに見てて――! ほんっと無理っ!!」
フィオナは拳をぎゅっと握りしめ、顔を真っ赤にしていた。
怒りがこめられたその声は、まだ静まりきらないギルドの空気に、しっかりと響く。
(……ほんと、それな)
ユーリは心の中で強く頷いた。
ああいう連中が、力や立場を盾にして人を踏みにじるのを、何度も見てきた。
嫌というほど。
(見てて……胸くそ悪いったらない)
そう思った瞬間――
(……って、あれ?)
ふとユーリの脳裏をよぎるのは、最近の“スケジュール”。
(俺……最近、毎晩交代でみんなと……いやいやいや!?)
(もしかして――いや、もしかしてだけど――俺も、最低だったりする?)
思わず額に手を当てる。
(いやいやいや! 違う、そうじゃない!)
(俺はちゃんと、みんなを大事にしてるし! 決して、あいつみたいな扱いは……!)
――と、必死で頭の中をぐるぐるしていると、
気づけばリリィがこちらを見ていた。
目が合った。
やさしく微笑むその顔には、ほんのりと赤みが差している。
「……旦那様は、あんな方とは違いますから。
どうか、ご安心ください」
静かだけれど、まっすぐで――
どこか芯の強さを感じさせる声だった。
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
(……よかった。嫌われてないみたい……)
ユーリは、心の中でそっと息を吐いた。
だが、そのわずかな安堵も、すぐに静かに崩れていく。
「うふふ……ごめんなさいね。
ちょっとお恥ずかしいところをお見せしてしまいました。
でも――これが、今のこのギルドの現実なんです。
……けれど、みんなで少しずつ、良い場所にしていけたら嬉しいなって思っています」
イレーナはそうつぶやき、机の上の書類にそっと手を添える。
それを伏せる仕草は丁寧で、どこまでも静かだった。
その横顔には、相変わらず穏やかな微笑みが浮かんでいた。
けれどその奥に、ふと滲むような深い疲れと――静かな諦めが、確かに見えた。
静寂の中で、エレノアがぽつりと口を開く。
「……ずっと、こうだったんです。
どんなに頑張っても、最後にはあの人たちが現れて――全部、持っていく。
私たちは、ただ……逃げることしかできなくて……」
静かに悔しさを押し殺したような響き。
(どうにかしてあげたい。でも……)
ユーリは腕を組み、深く息を吐いた。
焦りとも、怒りともつかない感情が胸の奥で渦を巻く。
「ねぇ、旦那様……なんとかできないかな?」
フィオナがこちらを見つめながら、真剣な声で言った。
「……あんな奴らに、好き勝手されるの、もう我慢できないよっ」
その瞳には、怒りと――ほんの少しの期待が宿っていた。
隣では、リリィがそっと袖を引く。
「私も……そう思います。
きっと、旦那様なら……なんとかしてくださるって……」
……言われたところで、そんな簡単にいくはずがない。
ユーリは内心で苦笑しながら、机の端に視線を落とす。
相手はAランク冒険者、そして背後にいるのは王都の冒険者ギルドの“主流派”だ。
こっちは零細ギルドに、ギリギリまで追い詰められた女の子たち。
(……力も地位も、こっちには何もない)
現実は、あまりにも分が悪い。
けれど――
ふと視線を上げると、フィオナとリリィの瞳が、まっすぐにこちらを見つめていた。
まるで、信じることが当たり前だと言わんばかりの眼差し。
(……まったく、そう言われると断りにくいんだよな)
手がないわけじゃない。
レーベルク男爵領に彼女たちを呼び、魔の森で素材を採ってくれば――ギルドの資金繰りも、少しは立て直せるかもしれない。
でも、それは彼女たちをまた危険な場所に送り込むということだ。
誰かが傷つくかもしれない――そう思うと、言葉にできず、ユーリはただ黙って視線を伏せた。
その沈黙を、イレーナはそっと見守っていた。
やがて、何かを思い出したように、ふわりと目を細めて微笑む。
「レーベルク男爵領……素敵な場所がありましたよね。たしか――」
不意を突かれたユーリが、はっと顔を上げる。
「魔の森、でしたね。希少な魔核や素材が眠っていると、私も耳にしたことがあります。
もし、討伐が叶うのなら……ふふっ、それはきっと、私たちのギルドにとっても、嬉しい出来事になりますね」
イレーナの静かな一言が、空気をすっと変えた。
エレノアの肩がわずかに震え、ローラとシルの表情が固まる。
まるで夢だと思っていた“現実”が、優しく差し出されたかのようだった。
「……ま、魔の森……?」
エレノアがかすれた声でつぶやく。
“魔の森”――それは、ただの場所ではない。
瘴気が立ち込め、凶悪な魔物たちがうごめく、生死の境すら曖昧な領域。
「わ、私たち……この間の狼型魔獣すら、やっとだったのに……」
ローラの声が、震えながら落ちる。
「あそこ……Aランクの人でも、戻れないことがあるって……」
シルの声が震える。顔面は青ざめ、隣のメルリナも静かに頷いた。
場には、じわじわと不安が染みわたっていく。
その空気の中で、イレーナがふっと微笑む。
「あらあら……そうですわね。無理をさせるわけにはいきませんものね」
やさしい声。どこまでも穏やか。
――だからこそ、次の一言が胸を抉るように響く。
「……でしたら、私が“銀閃”の皆さまの慰みものにでもなれば、きっと解決しますわね。
冒険も、討伐も、もう無理をせずに済みますし」
その言葉の意味が、脳に染み込むように広がっていく。
“慰みもの”。
たった一言。それだけなのに――頭の奥が真っ白になりそうだった。
まだ出会って間もない。彼女のことを深く知っているわけでもない。
それでも、あの微笑みが、あの声が、アルフォンスに汚される未来を思い浮かべた瞬間――
怒りが、胸の底から噴き出した。
(……ふざけるな)
言葉では説明できない感情が、喉元までこみ上げてくる。
怒りと、悔しさと、どこか――得体の知れない独占欲に近いものまで。
(今、この人を守らなきゃ。俺が)
「……イレーナさん。その案は、却下だ」
そのまま、エレノアたちへと視線を向ける。
彼女たちの怯えた瞳、その震えた肩を、まっすぐに見据えて。
「怖くて当然だ。……でも、それでも前に進まなきゃいけない時がある」
その言葉を聞いた瞬間、エレノアは眉をひそめた。
(……は? 何言ってんの、こいつ)
思わず心の中で毒づく。
軽く言うな。簡単に言うな。
あんたに何がわかるっていうの。
(私たちが、どれだけそれを“怖い”って思い続けてきたか、知らないくせに)
「君たちには、力がある。俺は知ってる。どれだけ必死にここを守ろうとしてきたか」
(あんたが何を知ってるって言うのよ! いつ、どこで、何を見てきたって言うのよ!)
「だから、信じてほしい。今度は、俺が君たちを支える番だ」
まっすぐな視線が刺さる。
(ほんと馬鹿なの? アホ通り越して純情ってやつ?
さっきまでイレーナさんの胸ばっか見てたくせに……)
否定でも、慰めでもない。
信じることを、ただ投げかけてくるような目。
(くっ……でも、なんなのこいつ……子犬みたいな目してさ……
マジで、そういうの一番ズルいんだけど)
それでも――その真っ直ぐさが、どこか痛かった。
悔しいくらいに、まっすぐで、うらやましいくらいだった。
「魔の森がどれだけ危険でも、俺たちならきっとやれる。……一緒に、やろう」
その時にはもう、心のどこかで何かが崩れていた。
(ほんと、勘弁して!!)
視線を逸らす。
ふと、イレーナの横顔が目に入った。
いつもの微笑み――けれど、ほんの少しだけ儚い。
(……イレーナさん)
あの人に、どれだけ支えられてきたか。
何度、救われてきたか。
(イレーナさんのために――やるしかない、よね)
ぐっと拳を握りしめ、震える足でなんとか前を向く。
たとえ声が震えても、もう構わなかった。
「……わかりました。行きます」
エレノアがそう言った瞬間、イレーナがふんわりと微笑みながら口を開く。
「まぁまぁ……そんなに気負わなくても大丈夫ですよ」
やさしい声で、そっと場を包み込むように続けた。
「それでは、私もご一緒しますね。みなさんで、一歩ずつ進んでいきましょう」
【あとがき】
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