39.男爵領の女たち①
ユーリたちは城下町の中心部にそびえる『レーベルク商工会館』の前で足を止めた。
重厚な石造りの一階と、彩色豊かな木組みが印象的な上階。
小ぶりな尖塔がその両端を品良く飾っている。
建物の左側には外付けの階段があり、そこから二階の商工会議所――町内の職人や商人たちのギルド本部へと通じている。
一階は広々とした空間で、冒険者ギルドとして一般に開放されていた。
入口扉の横には、盾に剣を添えたレリーフが誇らしげに飾られている。
「こうやって改めて見ると、ちょっと立派すぎて気後れするな」
ユーリが苦笑すると、リリアーナが柔らかく微笑んだ。
「いいえ――これくらい堂々とした佇まいの方が、領民の皆さまにとっても、きっと安心につながりますわ。
これからは、この建物が領内におけるギルド活動の中核となるのですもの」
リリアーナの言葉に勇気づけられるように、ユーリは小さく頷いた。
重厚な木扉を押し開けると、冒険者ギルドの活気に満ちた喧騒がふわりと――
漂ってこなかった。
(おぉう、冒険者がいないとは聞いてたけど……これは、ヒドイな……)
そこに広がっていたのは、まるで広場のように閑散とした光景だった。
受付カウンターの向こう側では、手持ち無沙汰な職員が数人、所在なさげに帳簿をめくったり、小声で雑談を交わしたりしているだけだ。
壁際に立つ大きな依頼掲示板も空白が目立ち、数えるほどしか貼り出されていない依頼書がむなしく揺れている。
あまりの静けさに、後ろから続いて入ってきたエリゼとエレナが思わず顔を見合わせた。
「えっと……ここ、本当に冒険者ギルドなんですよね?」
エレナが戸惑いを隠さず小さく呟くと、エリゼも不安げに周囲を見渡す。
「はい、正真正銘の冒険者ギルドです。正式なギルド支部として王国からも認可を頂いていますし、設備や制度も整っています。ただ……肝心の冒険者の方々がまだあまり……」
受付カウンターの中から申し訳なさそうに説明したのは、初老の職員だった。
(あー……やっぱり、そうですか。建物だけ先に整えても、なかなか人は集まらないよなぁ)
ユーリが内心で苦笑いを浮かべると、職員は恐縮したように肩を落とした。
その様子を見ていたリリアーナが、小さく頷いて受付カウンターへ一歩進み出る。
「お疲れ様でございます。
わたくし、レーベルク女男爵セリーヌ様の代理として参りました、リリアーナ・フォン・シュトラウスと申します。
ギルド長様に、ぜひご相談申し上げたいことがございますの。
ご面倒をおかけいたしますが――お取り次ぎいただけますでしょうか?」
リリアーナが落ち着いた声音で告げると、初老の職員は驚いたように顔を上げ、すぐさま恐縮した様子で姿勢を正した。
「これはこれは、リリアーナ様……! すぐにギルド長をお呼びいたしますので、奥のギルド長室でお待ちください」
職員に促され、ユーリたちは部屋へと案内された。
通された『ギルド長室』と記された部屋は、冒険者ギルドらしい武骨な内装だったが、まだ使用感は薄く、壁の地図や飾り盾も真新しいままだ。
やがて扉が開き、背筋を伸ばした壮年の男性が丁寧に礼をしながら入ってきた。
「お待たせいたしました。冒険者ギルド支部長のグレイと申します。領主代理のリリアーナ様におかれましては、初めてお目にかかります。お会いできて光栄です」
ギルド長のグレイは礼儀正しく一礼すると、リリアーナの向かい側に静かに腰を下ろした。
リリアーナの背後にはユーリ、エリゼ、エレナの三人が控えている。
「本日はどのようなご相談でしょうか?」
グレイの問いかけに、リリアーナは穏やかでありながらも芯の通った表情で口を開いた。
「実は現在、領内にていくつかの問題が発生しておりまして……
それらを解決するために、冒険者ギルドの皆さまのお力をお借りできればと存じます」
グレイは真剣な表情で静かに頷く。
リリアーナは彼の反応を確かめるように目を合わせると、丁寧に口を開いた。
「具体的には四つほどお願いしたいのですが――」
すっと伸ばした指で順に挙げていく。
「一つ目は、水車小屋の破壊事件についての調査と情報収集。
二つ目は、皇国に絹生地を仕入れに出かけ、そのまま消息が途絶えた商人の安否確認です。こちらのエレナの父上ですので、早急にお願いします。
三つ目は『魔の森』を活用した魔獣素材の定期的な供給体制の確立。
そして最後は、最近問題になっている街道の物流妨害への対処と警備の強化です」
さらりと難しい内容を説明し終えたリリアーナを、グレイは真剣に見つめながら、小さく息を吐いた。
どうやら想像以上に重い依頼だったらしい。
「……なるほど。ご事情はよく理解いたしました。ですが、申し訳ありませんが……現状、我々のギルドでお引き受けするのは非常に難しい状況です」
はっきりと断られ、リリアーナは軽く眉を寄せ、小首を傾げる。
「お断りになる理由をお聞かせいただけますでしょうか?」
穏やかな口調だが、きっぱりとした態度にグレイは恐縮したように頭を下げた。
「正直なところ、圧倒的に人材が不足しております。ご覧になった通り、熟練した冒険者はほとんどおりません。この辺りでは『魔の森』があまりに危険すぎて、報酬に見合わないと考える者が多いのです。命を賭ける価値がない――残念ながら、若者たちにはそう思われております」
グレイの説明に、リリアーナは隣のユーリに視線を送り、困惑したように小さく息を吐く。
(あー、確かにこんな状態じゃな……)
ユーリが内心でぼやいていると、リリアーナはすぐに視線を戻して言った。
「ギルドの人手不足を解消するために、何かお力添えできる方法はございませんでしょうか?
領主側といたしましても、可能な限りの支援は惜しまぬ所存ですわ」
グレイは少し考え込み、戸惑いながらも丁寧に答える。
「支援いただけるのは大変ありがたいのですが……即効性のある人材確保となりますと、なかなか難しいのが現状です」
グレイは申し訳なさそうに眉を下げつつも、はっきりと言葉を続けた。
「特に、水車小屋事件の調査や街道警備といった高度な任務は、そもそも一般の冒険者よりも専門的な訓練を受けた遊撃士が請け負うような仕事です。冒険者ギルドに所属する者の大半は魔獣や魔物の討伐、素材採取が主でして、調査や警備などを安心して任せられる人員は非常に限られております」
リリアーナは少し驚いたように目を見開き、控えめに口を開いた。
「では、そういった専門的な仕事を遊撃士に依頼するとなると、どうすれば……?」
「領外から一時的に遊撃士を招致することになるでしょうね。ただ、彼らを招くには当然、相応の費用がかかります」
リリアーナが考え込むように眉をひそめる中、ユーリは内心で深いため息をついた。
(結局、そこに行き着くのか……。人が足りないだけじゃなく、財布もかなり厳しいんだけどなぁ……)
リリアーナはそんなユーリの心情を察したのか、穏やかな表情でグレイに向き直った。
「費用面を含めて難しい問題ではありますが……領主側としても可能な限りの支援を模索してみます。まずは、冒険者の募集と簡単なクエストを提供して、徐々に経験を積んでもらうのはどうでしょうか?」
グレイは少し申し訳なさそうに躊躇いつつ、静かに口を開いた。
「お気持ちは大変ありがたいのですが、新人を募集しても、すぐに魔獣討伐が可能になるわけではありません。やはり育成には相応の時間がかかります。ですので、まずは王都など他地域から冒険者を誘致し、この領地に活動拠点を移してもらうのがよろしいかと思います」
「他地域から……ですか?」
「はい。この領地にはダンジョンがございませんので、『魔の森』で魔獣討伐や素材回収を行う『ハンター』系の冒険者が中心となります。一定以上の経験や実力がないと、安定して活動するのは難しいでしょうね」
グレイの言葉を聞き、リリアーナは静かに頷いた。
「ですが――」
グレイは控えめに切り出すと、ちらりとリリアーナの背後で控えるユーリへ視線を向けた。
「まったく手がない、というわけではないかもしれません」
その言葉にリリアーナは少し意外そうな表情を浮かべ、グレイを見返した。
「領内の若者が冒険者を目指すには、目標や憧れとなる存在が必要です。身近に成功している冒険者の姿があれば、自分も誰かの役に立ちたいという気持ちが自然と芽生えるものですから」
リリアーナが納得したように頷くと、グレイは一呼吸おいてから続けた。
「そこで、ひとつご相談なのですが……」
「相談、ですか?」
「はい。最近、女男爵夫のユーリ様から領民に大量の魔獣肉が配られていると伺いました。どなたが仕留められたかまでは存じませんが、肉の品質や量から察するに、相当な熟練者であることは明らかです」
(え……?)
ユーリはぎくりと体を固くした。
執事姿で控えていたため、まさか自分に話が及ぶとは考えていなかった。
グレイはそんなユーリの動揺を鋭く見抜いたのか、小さく微笑んだ。
「失礼を承知で申し上げますが、そちらに控えておられるのはユーリ様ご本人ではありませんか?」
「っ……なぜ、それを?」
ユーリは思わず素の口調で問い返した。
グレイは穏やかな口調で答える。
「冒険者ギルド長として多くの狩人や冒険者を見てきましたからね。立ち姿や手元を見れば、ある程度の腕前はわかるものです。それに、魔獣の肉をあの量、しかも安定して供給できるとなると、かなりの凄腕以外考えられません」
(う……ま、まずいな……!)
ユーリは冷や汗をかきながらも平静を装うが、すでに隣のリリアーナが楽しげに微笑んでいるのに気づく。
グレイは続けた。
「ですので、ぜひユーリ様に冒険者としてギルドへ正式に登録いただき、広告塔と教官の役割をお願いできないでしょうか。領内の若者にとって最高の見本になりますし、外部からも優れた冒険者を誘致しやすくなります」
ユーリが慌てて断ろうと口を開きかけると、リリアーナがそれを遮るように、明るく微笑んだ。
「それは素晴らしい提案ですわね。ユーリ様が冒険者として立てば、若者たちも安心して後に続くでしょう」
「ちょっ、リーナ……!」
動揺を隠せないユーリを見て、エレナとエリゼは思わず顔を見合わせた。
(ユーリ様が冒険者……?
確かに以前、私を助けるために迷わず飛び出してくださったけど……。
でも結局、殴り飛ばされてたような……。
本当に強かったら、あんなことにはならないですよね……?)
エレナは戸惑いつつも、心配げにユーリをそっと見つめる。
その瞳は純粋さと、どうにもぬぐえない疑念が入り混じっている。
一方のエリゼも眉をひそめ、難しい顔で内心を巡らせていた。
(ユーリ様が冒険者って……勇敢な方とは思いますけど……。
魔獣を狩っているのは全部コクヨウさんの方なのでは?
まさかユーリ様自身にそんな力が?
もしかして、私の見る目がなかったということなのでしょうか?)
エリゼは困惑と驚きの入り混じった視線をユーリに向けるが、それに気づいたユーリは気まずげに視線を逸らすしかなかった。
そんな二人の微妙な空気を楽しむかのように、リリアーナだけがにこやかに微笑んでいた。
(ふふ……エリゼさんもエレナさんも、ユーリ様の本当の強さをご存知ないのですね。
いつもは頼りなさそうに振る舞っているけれど、本当はいざという時に強引で逞しくて……頼もしいお方なのに……)
リリアーナは誰にも悟られぬよう、こっそりと微笑みを深めた。
そんな彼女の密かな笑みにはまったく気づかず、ユーリは焦ったように手を振って言い訳を始める。
【あとがき】
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