38.後宮予算はピンチです②
「え? 何が?」
ユーリがきょとんと聞き返すと、リリアーナは静かに微笑みながら言葉を返した。
「“インチキ商人のギフト”――そうセリーヌ様から伺いましたわ。
ユーリ様が、パサージュも肉匠館も、それに商工会館まで……すべて、あっという間に建てられたのだと」
その声音は穏やかだったが、どこか楽しげな響きが混じっていた。
「先ほどの水車小屋の件もそうですけれど……本当に“インチキ”ですわね。
普通の商人でしたら、お仕事をすべて奪われて泣き出してしまいますわ」
その冗談めいた言い回しに、ユーリは苦笑しながら慌てて手を振った。
「いやいや、そんなつもりじゃないって。
領民の暮らしのために、最低限必要な設備を整えただけだよ。
いくら立派な建物を並べたって、結局は“中身”――人や仕組みが伴ってなきゃ意味がないからさ」
その答えに、リリアーナは小さく笑い、軽く首を傾げた。
「ふふ……普通の領主でしたら、まずは建物や設備の頑丈さを優先するところですのに。
ユーリ様は、本当に柔軟で……不思議と目が離せなくなるお方ですわね」
「“インチキ商人のギフト”で建てた施設って、維持費が地味にかかるんだよ。
セリーヌとの結婚祝いでもらった記念品を売って補填してたけど、さすがにもう底が見えてきてる……。
このままだと、資金ショートが現実味を帯びてくるかも」
冗談めかしながらも深刻な表情で語るユーリに、リリアーナは少し考え込んだあと、ふと遠くを見るように呟いた。
「……こういうとき、本当に“ダンジョン”でもあればよろしいのですけれど」
「ダンジョンかぁ……」
ユーリも同じように視線を遠くにやり、ため息をつく。
「自由都市同盟域とか、あっちの領地が羨ましいよなぁ……」
ユーリの脳裏に浮かぶのは、地下深くに広がる“迷宮”の姿だった。
魔獣とは異なり、討伐すれば消滅する魔物たち。
彼らが棲むダンジョンの探索権は領主が管理し、冒険者たちが持ち帰る貴重な素材や財宝は都市に莫大な富をもたらす。
それこそが、自由都市同盟域の繁栄の源でもあった。
オルタニア王国でダンジョンが確認されているのは、王都近郊に存在する小規模なものが一つだけ。
当然、こんな辺境――レーベルク男爵領には、ダンジョンなど存在しない。
ダンジョンに依存した経済圏、冒険者による活気、貴重素材の流通――
そんな恵まれた仕組みがここにあるはずもなく、交易や冒険者の誘致にも、どうしても限界があった。
「まあ……そんなうまい話が、この領地に転がってるわけないよな……」
ユーリは肩を落としながら、なんとなくチートスキル《インチキ商人のギフト》を起動してみる。
ダンジョンとか、万が一“売ってたり”しないかな――そんな軽い気持ちで。
すると、検索結果に表示されたのは――
(……売ってた。マジで? えっ、ダンジョンって買えるの? 本当にこのギフト、なんでもアリだな……)
思わず内心で素に戻るユーリ。
チートスキルの自由度の高さにツッコミを入れつつ、若干引きながらも、なぜか頬が緩んでしまう。
隣では、そんな様子に気づいているのかいないのか、リリアーナがふっと視線を伏せ、小さく微笑んでいた。
「けれど……私たちの領地には、“魔の森”がございますでしょう?
確かに迷宮ほど便利ではありませんが、魔獣の素材――それも、貴重なものが手に入る可能性もありますわ」
「あー……まあ、そうだよね」
ユーリは、どこか曖昧な笑みを浮かべながら頷いた。
「宝石や財宝みたいな分かりやすい収益は期待できないし、
素材を得るにも……魔獣の解体って、結構大変だしさ」
言葉を合わせながらも、頭の片隅では、たった今見てしまった《ギフト》の検索結果がちらついている。
(……本当に売ってるんだよな、ダンジョン。マジで“買う”ってなんなんだ……いや、これ……言っていいのか?)
そんなふうに一人で内心ざわついていると、隣でリリアーナがくすっと小さく微笑んだ。
「それでこそ、“肉匠館”のお仕事が成り立つのですわ。
魔獣の解体は専門性の高い作業ですし……まれにではありますけれど、魔石などが採れることもございますもの」
「ああ、確かに。まったくの無駄ってわけじゃないか……」
そんなふうに穏やかなやり取りを交わしていると――
パサージュのほうから、エリゼとエレナが小走りに駆け寄ってくる姿が見えた。
「ユーリ様、リリアーナ様、お帰りなさいませ!」
二人は丁寧に頭を下げて挨拶すると、エリゼがやや曇った表情で口を開いた。
「ユーリ様……パサージュの件でご報告がございますわ」
エリゼはわずかに眉を伏せ、丁寧に言葉を継ぐ。
「現在のところ、想定していたほど人の流れが伸びておらず……目標値には、まだ届いておりませんの。
対策を検討しておりますが、ご期待に沿えず――誠に、申し訳ございません」
サント=エルモ商会から来たエリゼとしては、ユーリの妾という立場もあってか、パサージュが盛況ではない現状は内心穏やかではないらしい。
「ああ……まぁ、そんなにすぐ結果が出るとは思ってなかったけどさ……。
実際、財布がピンチなんだよなぁ」
ユーリが冗談交じりにぼやくと、エレナが目をぱちくりと瞬かせ、不思議そうに問い返した。
「ユーリ様がお金に困る、ですか? でも女男爵様から華楼小領公としてきちんと運営費を頂いてるのでは?」
「あら……そういえば、ユーリ様。後宮の運営費、そんなに逼迫していらっしゃるのですか?」
エリゼは小首をかしげながら、心配そうに言葉を続ける。
「それでしたら――私たちの方でも、多少の節約を考慮すべきかもしれませんわね。
無理のない範囲で、協力できることがあれば喜んでご提案いたします」
エリゼが慌てるのを見て、ユーリは苦笑しながら慌てて両手を振った。
「いやいや! 後宮の予算はちゃんと貰ってるから、そっちは全然大丈夫だよ!」
だが、リリアーナは穏やかに微笑みつつも、容赦ない一言を放った。
だが、リリアーナはいつもの穏やかな微笑みを浮かべながらも――容赦のない現実を淡々と突きつける。
「ユーリ様はそうおっしゃいますけれど……実際のところ、後宮こそが領地予算を最も消耗している主要因ですの。
国からの補助金がなければ――とうに、財政破綻していたと思いますわ」
さらりと放たれた現実に、その場の空気が一瞬止まった。
「えっ……! そうだったんですの……?」
「そ、そんなに……!?」
エリゼとエレナが同時に目を見開き、顔を見合わせる。
エリゼは軽く蒼白になりながら、震える声で呟いた。
「ま、まさか……私たち、破産の引き金になっていたなんて……っ」
エレナもまた、口元に手を当て、しゅんと肩をすぼめた。
「ご、ごめんなさい……わたし、知らなくて……お菓子、そんなに食べてたかも……」
その様子に、ユーリは思わず視線を逸らし、気まずそうに頭をかく。
「あー、まあ……言われてみれば確かにそんな気がしなくもないけど……。
……とにかく! 今はパサージュの活性化が先決だろ?」
と、慌てて話題を切り替えるのだった。
「と、とにかくさ! パサージュに人を集めるためにも、パン屋と薬屋の誘致を急がないと。
エリゼ、エレナ、どの区画に入れるといいか、動線がぶつからないように設計できないかな?
パンを注文してから焼き上がるまでのあいだ、うまくパサージュ内を回ってもらえるようにしたいんだよね」
ユーリの提案を聞いたエリゼは、途端に目を輝かせた。
「なるほど……! パンの香りで人を惹きつけ、待ち時間には店内を自然と回遊させて購買行動を促す。
つまりこれは、ユーリ様がパサージュの入り口に刻まれたあの言葉――
『この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ』の精神に通じますわね!」
「いや、それ言われると完全に悪徳商人っぽく聞こえるから!? あれは冗談で、なんとなくノリで掘っただけで……!」
ユーリが苦笑しながら慌てて手を振ると、エレナも小さく笑いながらうなずいた。
「ふふっ……でも、本当にその格言どおりになったら……パサージュ、きっと大繁盛しちゃいますよね」
「いやいや……だから複雑だってば、それ……」
肩をすくめながらも、ユーリはふとエレナの顔色に目を留めた。
「それより、エレナ。何かあった? さっきから、ちょっと元気がないように見えるんだけど」
「あ……その、はい……。実は父が、そろそろ戻るはずなんですけれど……
まだ何の連絡もなくて……少し、不安で……」
エレナはどこか申し訳なさそうに、視線を伏せながら口ごもった。
それを聞いたユーリは、静かに頷きながら柔らかな声で返す。
「そっか。エレナのお父さんって、今は皇国に絹生地の仕入れに行ってるんだよね。
……ちょうどこれから冒険者ギルドに寄るつもりだったし、クエストを出して様子を確認してもらおうか?」
ユーリがそう提案すると、エレナはぱっと顔を上げた。
「えっ……そんなことまでできるんですか?
お願いできるなら……ぜひ、お願いします!」
ほっとしたように頬を緩めたエレナの隣で、エリゼが少し不思議そうに首を傾げる。
「でも、ユーリ様。“冒険者ギルドでクエスト”って……
本来、依頼の取り扱いは遊撃士の方々の領分ではないのですか?」
その問いかけに、リリアーナがふわりと微笑みながら、優しく口を開いた。
「その点については――
少し前、ユーリ様がとても素敵なアイディアをお話しになったのですわ」
「えっ、僕が?」
ユーリは目を丸くして振り返るが、リリアーナは穏やかに続けた。
「ええ、確か“ダンジョンがない領地でも、魔の森をうまく活用すれば冒険者ギルドと協力できる”と。
定期的に魔獣素材の狩猟依頼を出すことで、冒険者との関係性を築いていける――そうおっしゃっていましたわよね?」
「あー……言った、かも」
記憶を手繰るように頷くユーリに、リリアーナは楽しげな笑みを浮かべたまま続けた。
「私はそのとき、なるほどと思いました。
ダンジョンがないという欠点を、魔の森という資源に置き換えて活かすなんて……さすがはユーリ様ですわ」
「そ、そうかな……?」
面と向かって褒められ、ユーリは居心地悪そうに頬を掻いた。
エリゼとエレナは、そんなユーリの様子を微笑ましそうに見つめていた。
「なるほど……そういう仕組みでしたのね」
エリゼが納得したように頷き、
「それなら、お父様のことも安心してお願いできます!」
エレナも明るく声を弾ませた。
「もちろん。この機会に、冒険者ギルドとの関係もちゃんと築いておきたいしね」
ユーリがそう言って微笑むと、エレナは心から安堵した表情を浮かべた。
「それじゃ、さっそくギルドに行って話をしてくるか」
【あとがき】
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