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色褪せた写真  作者: 氷室冬彦
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11 憐憫、共鳴、あるいは嘆き

神社の前で柳季と別れ、再びあの長い階段をのぼりきったとき、空はうっすらと赤く染まりかかっていた。龍華と玲華の二人と顔を合わせると、春斗と絵里香はまず、今夜泊まることになる部屋にそれぞれ案内された。


たどりついた部屋はギルドの個室より広く、一人ですごすには持て余してしまうほど立派だ。部屋の隅に柳季から受け取った荷物を置き、少し座ってひと休みしていると、龍華が部屋にやってきた。


「よう、ここにおったな」


「龍華さん、どうかしましたか」


「風呂じゃ。もういつでも入れるわ。嬢ちゃんらが先のほうがええかと思ったんやが、飯の用意で忙しいっちゅうんで玲華も絵里香もあとでええちうとるさけ。俺もいつでもええし、先どないや?」


「は――え、あ、でも、それって、一番風呂ってことですか?」


「いや、フィストがぁさっきあがったところや。癒暗と柴闇は順番がどうじゃこうじゃ言うんが面倒やちゅうて、ギルドのほう行ってもたけどな」


たしかギルドには個室のシャワー室の他にも共同の大浴場などがあると聞いている。龍華は押入れの襖のほうを指さした。


「押入れの棚に浴衣あるさけ、一番いっちゃんちょうどええのん使つこうたらええわ」


「あ、はい、ありがとうございます」


龍華の言葉に従い、押入れの襖を開けると、上段には布団が、下段には背の低い棚があった。引き出しの中にはサイズの違う浴衣が何着か、綺麗に畳まれた状態でしまわれている。浴衣の帯とタオルも一緒に入っている。まるで旅館のようだ。元々、この部屋は客人を泊めるために使われていたのだろう。


風呂場までの道筋を龍華に教わり、風呂に入って出るまでにはニ十分もかからなかった。浴衣の帯に少しばかり苦戦したが、なんとか形にして部屋に戻ろうしていると、縁側に腰掛けて庭を眺めている人影に気付く。


「フィストさん」


声をかけるとフィストはこちらを向き、立ち上がる。春斗の部屋にあったものと同じ浴衣を着ているが、帯より上を脱いで涼んでいたところらしい。当たり前だが、腹も背中も肌は灰色だ。春斗が近付くと、フィストは浴衣を着なおした。


「春斗、風呂に入って来たのか」


「はい。フィストさんも、もう入られたんですよね」


「湯せんには浸かっていないので安心してくれ。鬼が浸かったあとの湯などは気味が悪いだろうからな」


「……そう、ですか? なんか、ちょっと強くなりそうですけど」


「その理屈は……俺にはよくわからないが。ともかく陽が沈むまで、俺は適当に姿を消しておく。お前も、あとはゆっくりするといい。レスペルからここまで来た足で一日中、あちこち歩きまわっていたのだ。疲れているだろう」


「たしかに、疲れてはいますけど、楽しかったので……あ、いや、そんなふうに言うと、絵里香ちゃんに悪いですけど、なんていうか、あの……」


目的を忘れたわけではない。ただの付き添いとはいえ、春斗は絵里香を苦しめている謎の現象を解決するためにここへ来たのだ。絵里香がどれほど悩んでいたのかは、礼拝室で明らかになっているとおりである。決して愉快な理由でロワリアに来たのではない。


だが、久しぶりに龍華や礼たちと会えたことや、新たな出会いと、自分の知らない世界との交流。ためらいや不安もあるが、同時に独特の高揚感があることも否定できない。この一日は普段の和やかでゆるやかな日常とはかけ離れていた。なので楽しかったと、ついそんな言葉が口に出た。フィストは小さく笑む。


「言いたいことはわかるとも。今の失言は他言無用としよう、俺も今日は楽しかったからな。久しぶりに礼たちと会えたことはもちろん、お前たちと出会えたことをうれしく思う」


「……ありがとうございます。あ、あの、僕、しばらく一人なので、よかったら、フィストさんの話を……なにか、聞かせてもらえませんか?」


「話、か」


「旅を、されてるんですよね。僕は……その、世間知らずというか、この年になるまでレスペルの外に出たことがなかったので……」


興味本位の春斗がそう切り出すと、フィストは数秒、春斗を見たまま黙っていた。


「……フィストさん?」


「あ――ああ。旅の話か。そうだな、いいだろう」


「ど、どうか、したんですか? あの、なにか都合が悪いなら、無理にとは……」


「いや、なんでもない。なんでもないんだ。ただ……」


フィストはうつむいて言いよどみ、そしてまた春斗を見ると、しかしそれでいてどこか遠いところを見るような目で、少し笑った。


「なんだろうな。お前が……なんだか、少しだけ、俺のかつての友に似ている気がしたのだ」


かつての友。


「それって……昼間に言っていた、セル―シャで出会ったっていう?」


「ああ。似ていると言っても、姿が、という意味ではないのだが」


少し迷って。尋ねる。


「どういう人、だったんですか?」


「……無愛想で、ぶっきらぼうなやつだった。しっかりしているようで、どこか抜けていて。肝が据わっているように振る舞いながら、その実、とんでもなく臆病な。しかし怖気づきそうな己を奮い立たせることができる強さのある、面倒見がいい、優しい男だった」


「……僕とは正反対ですね。似ている、というのは気のせいですよ。僕は弱いです。どうしようもなく平凡で、小心者で。その人とは似ても似つかない、と思います」


「そうだろうか。彼はセル―シャという土地では稀有な価値観の持ち主であったが、セル―シャの外の者と比べれば遜色ない、平凡で普遍的な男だった。セル―シャの外の世界を知らない男だった。似通っている部分はあるとも。お前と会ってから、なぜか無性に思い出してしまうのだ」


平凡で、普遍的。臆病で、外の世界を知らない、世間知らず。そういった面だけ見れば、たしかに春斗とも似ている部分がある、というのも頷ける気がする。その人と実際に関わってきた彼が似ていると言うのだから、春斗が思っているよりは似ているのかもしれない。


「……会いに、行かれないんですか? いや、会わなくても、元気にやっているのか、物陰から少し様子を見るだけでも」


「会うことはできない。言ったろう、彼は俺のことを覚えていないのだ。それどころか、出会った日から別れの日までの記憶が一切ない。つまり夢喰いの力の影響が、いくところまでいってしまったということだ。今はもう、ひと目見ようと近付いただけでも、彼の精神きおくには悪影響が出てしまう」


「それは……」


「……話すのであれば、もっと愉快な話がいいだろう。俺がとあるサーカス団と出会ったときの話はどうだろうか。彼らは各地を旅しながら、行く先々で公演を開く旅の一団だったのだが、俺が東大陸のフェイムという国に立ち寄った際に――」



*



「ごちそうさまです。おいしかったです」


「お粗末様です」


柴闇と癒暗がギルドから帰ってきたのは、彼らが神社を出て一時間以上が経ったころのことだった。あの長い髪を洗って乾かすには、相当の時間がかかるのだろう。彼らが戻ってから、ほんの十分ほど。夕食の席にフィストはいなかった。彼は春斗たちとは食事の内容が根本から違っているので、それも当然だ。来るべきときまでは姿を消し、おそらく今から探しに出かけても、暗い中では見つけられないだろう。


各々が食事を終えてひと息ついたあと、龍華がおもむろに立ち上がった。夕飯前に風呂を済ませたのか、和装姿から黒い薄手のハイネックに変わっている。それが普段の部屋着なのだろうか。


「よっしゃ。ほんだら、絵里香と玲華はゆっくり休んどいたらええわ。ここにおるでも、部屋戻るんでも、風呂入るんでも、ええようにしとき。あとは俺がやっとか」


食器をまとめる龍華にならい、春斗も一緒に炊事場へ食器を運んだ。


「ぼ、僕も手伝います」


「おう? 休んじょったらええぞ。疲れちゃあるやろ。俺ぁ今日きょうわはずうっと神社におっただけやし、なあんもしちょらんさけ、洗いもんくらいするよってに」


「いえ、僕だけなにもしないのも、落ち着かないので……手伝わせてください」


「えらい律儀なやっちゃな。ほいたら、そっち頼んどかよ」


流し台の前で龍華が両袖を肘まで捲り上げる。いつもは右手に手袋をしているが、最初から水仕事を想定していたためか、今は着けていない。彼の右腕には、手の甲から肘のほうにかけて赤い刺青のようなものがある。それは龍のようにも、炎のようにも見えた。


スポンジを持ち、皿の一枚を手に取りながらも、春斗の目線は自然とその右腕に移ってしまう。洗い場は春斗と龍華が並んで立っても、とくに窮屈さは感じられない。


「がいに珍しモンでもあらへなして。わがの周りにゃおらんか?」


「えっ」


しまった。通訳できる人がいない。


鈴鳴龍華という人は、人当たりがよく面倒見もいい、さっぱりした男だ。豪快に笑うさまは夏の太陽のよう。春斗が影なら、彼は快晴の日向。率直に、とっつきやすい雰囲気なのだ。人見知りで内気な春斗も、彼に対してはそこまで萎縮せずにいられる。なので、今日はほとんど別行動だったが、漠然と、彼となにか話したい気持ちがあった。


だが、春斗たちとは微妙に異なる言語を扱う彼を相手に、一対一での会話はさすがにレベルが高すぎる。


龍華は右腕を春斗のほうに突き出した。


「なんも彫っちゃあるわけやない。おっと、あんま触れんほうがええぞ。こら言うたら火炎やよって、ちいとならかまんが、じっとぉ触れとったら火傷すら」


「火傷?」


「癒暗は一回いっぺんそいで火傷しよったわ。ガキのころの話やけどな」


「それって、炎の模様なんですか?」


「なんじゃろな。そらわしにもわからな。なんでもええんとちゃうか。龍か炎か知らんが、なんぞ能力の表れっちゅうんに変わりはあらへん」


龍華は濡れた右手の人差し指をまっすぐに立てた。ぼう、と一瞬だけその指先に火が灯り、消える。その瞬間、彼の目が一瞬だけ青く光ったような気がしたが、春斗が口を開くより先に、龍華は背後の座敷に向かって声を上げた。


「柴闇、明日はどないすんねや?」


呼ばれた柴闇がこちらに顔を出す。


「とりあえず、絵里香の家に行ってみようと思う。例の絵画を見ておきたくてな。絵自体もそうだが、誰が描いたどういう絵なのか、そこからなにかわかるってこともあるかもしれないし」


一罪かずさもつれてったらどないや? あのやんちゃくれ、たしか元絵描きじゃったろ。その手のもんはお前らよか詳しかろうし、どうせ明日あいつ暇やろ」


「たしかに、俺も癒暗も、絵に関してはからっきしだからなあ。詳しいやつが一緒のほうがいいかもしれねえ。でもあいつ朝弱いんだよな……」


言いながら柴闇は座敷に引っ込む。最後のほうはまた独り言だろう。隣の部屋で癒暗になにか声をかけているのが聞こえた。


「そ、の……カズサさん、というのは?」


「五軍――まあ、ギルド員の一人や。元絵描きや言うたけども、本人にその話は振らんほうがええわ。いらちやから、そいだけ気い付けとけよ」


「い、いらち……?」


ダメだ。通訳できる人がいない。



*



入浴を済ませ、部屋で髪を乾かしたあと、少し外の空気を吸おうと廊下に出る。そのまま少し散歩がてらに歩きまわっていると、縁側に腰掛けている春斗の姿を見つけた。


「春斗くん」


「絵里香ちゃん、どうしたの?」


「ちょっとお散歩。春斗くんはなにしてたの?」


「なにも。ちょっと風に当たってただけだよ」


春斗の隣に腰を下ろす。


「フィストさんは、もうそっちの部屋に?」


「うん、って言っても、もうしばらくは部屋の外にいるって。気を遣ってくれてるみたい」


「……これで、なにかわかるといいんだけどね」


「うん。……ありがとう、春斗くん」


「え?」


「柳季もだけど、最初は、ただ話を聞いてもらうだけのはずだったのに、ここまで付き合ってくれて」


「いや、そんな……僕は、柳季について来ただけで、なにもしてないし……」


「一緒に残ってくれたじゃない。それに、明日も一緒に来てくれるんでしょ?」


「それは……そうだけど」


「なんか恥ずかしいなあ。私のほうが年上なんだし、本当はもっとしっかりしたところだけ見せてたかったんだけどね。ちょっと悔しい」


「……絵里香ちゃんは十分、しっかりしてるよ。たぶん、むしろ、しっかりしすぎなんだと思う。なんでも、自分でなんとかしないとって、思ってない?」


「それは、だって自分でできることは自分でしなきゃでしょ?」


「なんでもかんでも、誰かに頼りきりなのは、よくないけどさ。自分ではどうにもならないことまで、どうにかしようとしたり……そういう、無理しすぎなんだと思うよ。付き合いの浅い僕が言っても、知ったようなこと言うなって感じだけど……」


「そんなこと……」


「僕も柳季も、いつでも話聞くから。悩みとかじゃなくても、愚痴とか、なんでも。僕はそれくらいしかできないけど……でも、誰かに聞いてもらうだけでも、すっきりすることってあると思うし……いや、あの、僕に話すくらいなら、柳季とか、他の人に話すだろうけどさ」


「ううん、ありがとう。優しいよね、春斗くんは」


「……気が弱いだけだよ。誰にでも手を差し伸べられるような勇気も、これからのことを即断して気をまわせるような決断力もないし、自分を顧みず他人の心配を第一に考えられるような純粋さも、なんとかしてやるって堂々とできるような実力もない」


「私に元気がないときとか、嫌なことがあったとき、一番に気付いてくれるのは、いつも春斗くんだったよ。私が落ち着いて話せるまで辛抱強く待ってくれるし。私がなにがつらいのかちゃんと理解してくれて、寄り添って、共感してくれる。それは今回のことだけじゃないよ」


「か、買いかぶりすぎじゃない? 僕は、ただヘタレなだけだよ」


「自己評価が低いなあ、柳季や柴闇くんたちと自分を比べることないんだよ。みんな優しくていい人だけど、それは春斗くんもそうなんだから。ギルドの人たちはたしかに頼りになって心強いけど、私と同じ目線になって、同じペースで一緒に悩んでくれるのは、春斗くんだけだよ」


「……ありがとう。そんなふうに言われたの、初めてだよ」


少しの間。絵里香の言葉になにも言い返せなくなった春斗は、やがて力なく笑んでみせると立ち上がった。


「そろそろ寝ないと。絵里香ちゃんも、今日はいろいろあって疲れたでしょ? 明日も動き回るだろうし」


「そうだね。私も部屋に戻らなきゃ」


「おやすみ。また明日」


「うん。おやすみ」



絵里香が部屋に戻ると、玲華が押入れから二組の布団を下ろそうとしているところだった。それを手伝い、二人で布団を敷く。部屋の襖がすっと静かに開き、廊下から灰色の顔が遠慮がちにこちらを覗いた。


「フィストさん、本当によろしいのでしょうか。お布団のほう、隣の座敷からお持ちしますが……」


「いや、かまわない。俺は能力の性質上、眠ろうと思えばどのような姿勢や環境でも、睡眠の質を維持したまま眠ることができる。布団で寝るも、座って寝るも同じだ」


「あの、夢を共有するって、具体的にどうすればいいんですか?」


「それは俺のほうでどうにかするので、絵里香はなにもしなくていい。俺はすぐ傍に座っているが、夢を共有するだけなら、占うときと違って相手に触れている必要はない。どうか気負わず、いつもどおり眠ってくれ」


言いながら、フィストは布団の傍で、こちらに背を向けて座った。いざ布団に潜り込むと、すぐ隣に彼の背中が、そして反対側には玲華がいることになる。これから見る夢の内容がどうあれ、誰かが一緒だというだけで心強いような、なんだかかえって気恥ずかしいような気もする。


明かりを消し、眠くなるまで玲華とほんの少しの雑談をした。フィストは背中を向けたまま、身動きひとつとらない。見守られているような安心感と、かすかな緊張感の中。絵里香はやがて眠りにつき、そして案の定、例の夢を見ることになるのだった。


そして翌朝に目が覚めたとき、隣にいたはずの背中は姿を消し、そこには真新しい血の痕だけが残っていた。

次回は九月二十五日、十三時に更新します。

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