小品:酒溜り
野山で蛇たちが渦のやうに一箇所を廻つてゐる場所を見つけたら 其処は酒溜りである
中を通した竹を其の場所に突きこむと 煮た芋に箸を刺すがごとく 容易に竹が 固いはずの地面に入つていく
四日ほど経つと ますます蛇の数は増えるが 気にすべきではない 竹の先からはツンとした 酸いやうな甘いやうな 人心を切なくさせる匂が立ちのぼつてゐるだらう
五日目に 竹の口から液体が零れだす 其れを柄杓に受けて呑んでみると えも云はれぬ芳醇な味はひ 人が喜んで騒ぐのを見て 周囲の蛇たちも蠢きを盛んにする
此の時 決して蛇たちを邪険にしてはならぬ
地の下の酒は もともと蛇たちの先祖が集めた材料が 変じてできたものだからである もちろん 蛇の先祖は其れを酒にしようと集めたのである 材料が地に埋まり 永い時の内に酒となり 未来において子孫たちに宿る自分が呑むことを 疑ひもしなかつた そして其れはちやんと実現した
ただ 如何にして地中から酒を得るかの 計画がなかつたわけである 場所は覚えてゐるが 自分たちは土を深く掘れぬ ゆゑに同じ場所をぐるぐると廻る有り様となる
此のやうなわけで 人が酒を取り出すと 蛇たちから感謝されるくらゐであるが 人だけで独占してはならないことも 理解されるであらう 仮に蛇たちを追ひ払つたり まして叩き殺したりなどすれば 関はつた者の全てが 強い祟りに遭ふのである
酒を酌む間 蛇たちにどいてゐてもらふには 太鼓に類するものを指先で軽く打ちながら 歌をうたふと云ふことだ 内容は 蛇の知恵にて佳き酒ができた 佳き酒皆で呑も 我にもちと分けてたもれ と云つたものであつたらしいが 詳しい文句は失はれてしまつた
筆者の祖父は まだ広々とした野があつた少年の頃 一箇所に集落の人たちとたくさんの蛇がつどつて騒ぐ情景を見たことを よく覚えてをり 筆者に話してくれた 件の酒も少し分けてもらつたが いまから思へば 蜜が酸つぱくなつたやうな味で あれを酒と呼んでよいものか と云つてゐた 体が縮み始めた祖父は目を閉ぢて昔を懐かしみ なかなか目を開けなかつた
蛇たちがまるで仔犬のごとく足もとにまとはりついても怖くなかつたのは 彼の時だけであるとも云つてゐた
了




