小品:ぬくもり
その島には、人間の住民のほかに、塩好きの小さな精霊たちが、たくさん暮らしているらしい。
精霊を寄せないようにするまじない札を、いまでは島全体にふたりしかいなくなってしまったまじない師から買い、ちゃんと棚の扉に貼りつけたうえで、塩壺をしまわないと、実際につかう以上に、塩の減りかたが早くなるのである。
精霊のすがたは、まじない師をのぞいては、人間の目にまったく見えないのだが、半分しか見えていないような扱いをうける者なら、そこかしこにいた。
家のまえに椅子を出し、なにをするでもなく座ってただ時を過ごしている、爺さんのことであり、婆さんのことである。
彼らはたいてい、近くに住む親族から居場所と食事を恵まれたり、遠くの街に住む子や親戚たちからわずかな送金をうけたりしてほそぼそと生活しながら、誰かに人生の秘密の知恵を授けたがっていた。ながく生きた自分たちが、宝石のような価値のある経験や見識を、身のうちに隠しもっていることを、かたく信じていた。
しかし、そもそも授ける相手となるべき若者が、島にはたいへん少なくなっており、右を見ても左を見ても、似たような経験のなかで生きてきた、老人ばかりなのであった。
同居している家族の話はよく聞こえず、こちらの話は聞いてもらえず、飯を余分に減らしていくだけの存在として扱われ、嘆きたい気持ちで、老人たちは家のまえに椅子を出し、一日の大半を、そこに座って過ごすのである。
ソハ婆さんも、家のまえで椅子に座り、めずらしくもない情景に参加している、ひとりだった。
彼女のいる場所は、日陰になっている時間がながくて、寒いと感じることも多いのだが、ほかにいるべき場所もなく、うとうとと眠ることで、胸のなかの哀しみやさびしさをごまかしていた。
彼女もまた、ほかの老人たちと同じように、〈精霊のぬくもり〉を待っていた。
精霊除けの札から離れていて、なおかつ生活の匂いのする場所にいると、精霊たちが、年寄りの白髪を塩とまちがえて、触れてくることがある。その際に感じるというわずかなぬくもりの噂が、老人たちのあいだに広まっていて、皆が、その小さな奇蹟を待ち望み、毎日椅子に座りつづけているというわけだった。
ソハ婆さんは、まどろみのなかで、幼い子どもになったり、若い女になったりしながら、ぼんやりと嘆きつづけていた。
小さな島からろくに出ず一生を暮らしたが、いろんなことがあり、いろんな人に出逢ったものだ。善人もいれば、悪人もいた。殺されかけたことすらあった。そのすべてをのりこえてここまで生きたのに、地面に落ちた渋い木の実のように、誰からもかえりみられなくなるなんて。もっと楽になりたい、もっと幸せになりたいと、もがいて生きたが、そもそもわたしがこの世に生まれてきたことからして、誰にとっても、どうでもよかったのではあるまいか。人が生まれてくることに、なんの意味もないのではあるまいか……。
まなじりに涙が染み出し、すすり泣きの声が口からもれた。家のなかにいる、ソハ婆さんの娘は、それに気づいても、いつものことと思って、相手にしなかった。
ふと、かすかなぬくもりを感じた気がして、ソハ婆さんは、目をあけた。
胸から腹のあたりに、薄い布がかかっていた。そばにひ孫である少女が立ち、遠慮がちに、ソハ婆さんの髪を撫でていた。
男と別れて、島の外から泣きながら出戻った孫のひとりが、連れてきた子どもだった。
婆さんは、すぐにはその子の名前を思い出せなかったが、もうこんなに大きくなっていたとは……と、いまさらに気がついた。
人は、このようにどんどんと成長するものなのか、ならば自分があっという間に年をとり、しぼんでいくのもしかたがない。きっと、そういうものなのだろう、と胸の内で納得される気がした。
それに、さあ、この子の目の光ややさしさを見るがいい、意味がない、などとどうして言えようや……。
ソハ婆さんは、少女の髪を撫でかえしてやり、家のなかへ入るから肩に手を置かせておくれ、と言った。
よちよちと歩いて入口をくぐりながら、婆さんは願った。
さようなら、精霊たち。明日からは、白髪頭でなく、本物の塩を小皿に盛って、出しておいてあげよう。だからかわりに、つやつやとした黒髪でも、この子たちの頭をたまに撫でてやっておくれ、青空が、雲の手で太陽を撫でるように!
精霊たちは、ソハ婆さんの願いをなるべくかなえてあげようとした。
しかし、まもなく死んだソハ婆さんも、長じては島を出ていった子どもたちも、気づくことはなかったのである。
了




