第九話 銃声の響いた日 後編
グレゴヴィッチに無線機を修理してもらい、二人は作戦を立てることになる。
エイワックスが攻撃を受けている最中にクリューブで介入する。その際、どちらにも攻撃をしない。当たるか当たらないか程度の威嚇射撃を行う。
このとき、グレゴヴィッチの通信チャンネルをエイワックスのチャンネルに合わせ、真田を名乗るゴーストが現れるのを待つ。
そのタイミングでクリューブはウッドペッカーの援護をすることでエイワックスに対する敵意がないことを明らかとする。
同時に真田が通信に介入することで、それをより明確にする。
「エイワックスにエンゲージしたら、チャンネルをエイワックスに合わせろ。コンタクトするまで攻撃は仕掛けるな。テンタクルの展開は許可するが、防衛と威嚇射撃だけだ。エネミーラインには近づくな。エンゲージぎりぎりで待機だ。ウッドペッカーと交戦になるようなことになれば逃げていい。その時点で作戦失敗だ。だが、出来ればウッドペッカーの援護をしろ。第一目標はキャットに対して敵意がないことを伝えること、第二目標はゴーストに対して俺たちの繋がりを知られないことだ。だから、俺が通信を使うのは最後の手段だ。ほとんど俺からの援護はないと思え。質問は?」
真田は淡々と説明する。その説明の間、グレゴヴィッチは静かに耳を傾けていたが、一通り説明を終えるとようやっと重たい口を開いた。
「エンゲージってなんだ」
「・・・」
「なんだ」
わずかにグレゴヴィッチの頬は赤く染まる。それを見て真田はため息を吐き出す。
「射程範囲に入る、てことだ」
「コンタクトは」
今度は耳が赤くなる。
「接触だ。要するに攻撃するまで攻撃を仕掛けるな、てことだ」
「わかった。テンタクルって」
「クリューブの触手だ。・・・お前、ほんとにFSBなのか」
なんだ、と聞く前に真田は答えてくれた。それと同時に投げかけられた質問にグレゴヴィッチもため息を吐き出した。
「さぁな。俺にもよくわからん」
ロシア語をしゃべることは出来ない。銃の打ち方も冴島を名乗る男に教えてもらっただけ。
そのくせ情報収集には長けているという自負はある。
「度胸もあると思うぞ」
「そりゃどうも」
そう言って二人は笑い合った。まるで、二人の姿は友人のように映っていた。
「吉野!おい、聞こえるか」
地下室から響く真田の声にリビングで三浦紗枝と肩を並べていた吉野圭一は慌てて立ち上がり、地下へと通じる扉へと駆け寄った。
「はい!」
元気よく声を張り上げる。
「酒があったろ!グラスと一緒に持ってきてくれ!」
「はーい」
二度目の返事は気怠さにまみれていた。
ったく、召使じゃないんだぞ。と、文句を心の中で吐きつつも、よいこの吉野は渋々台所へと向かった。
父は酒豪だ。酒好きでよく母に怒られていた。それでも、やめられないからこそ酒好きなのだ。
グラスも大中小と様々だ。ショットグラスから店にしか置いていないような特大のジョッキグラスまである。
一度肝炎で入院してからはジョッキグラスの出番はなかったと記憶している。
その中でも中くらいのサイズを選び、吉野はお盆にそれらを載せた。
次に父の秘密の貯蔵庫へと頭を突っ込んだ。母親も知らない床板を一枚はがすと顔を覗かせる秘密基地だ。
その中には父のコレクションが眠っている。たまにひっそりとここから瓶を取り出しては、父が一人で酒を飲んでいる姿を目撃していた。
肝炎と診断されたあとにも、よくここに胡坐を掻いて、
「あの人たち、なんなの」
心臓が飛び出るかと思った。突然、背後から聞こえた声に体は飛び跳ね、頭は秘密基地の天井と濃厚なキスをした。おかげで、激痛が脳天から足の指先まで駆け抜けた。
慌てて頭を引っこ抜くと三浦が立っていた。ふらふらとした足取りの虚ろ気な瞳の彼女ではない。
何かを射抜くような鋭い眼差しで、三浦は吉野を見ていた。
「えっと、軍の人だよ」
吉野は漠然と答えた。いや、彼はその答えしか持っていなかった。
真田とグレゴヴィッチは秘密の暗号を交わすかのように難しい言葉を並べ立てた。
ただ彼にもわかったのは、二人が一般人ではないということだけ。それがイコールで結ばれた結果が軍人という言葉だった。
「そうじゃない」
じっと低い声が静かに言葉を重ねる。
「なんであの人たちがいるの」
「なんでって」
この状況だ。大人がいた方が安心するからだ。だが、彼女は彼らにこそ不安を抱いている。
そのストレスが爆発したのだ、と吉野は理解する。そして、不運とも幸運ともつかないが、彼女が目を覚ましたのだと同時に理解する。
深くも浅いまどろみの中から目覚めた彼女が見ていたものは夢と現実の境界線。
悪夢といい夢の境を行ったり来たり。その判断を下せないまま夢を見ていた彼女が現実と捉えたのは悪夢だった。
悪夢から覚める時は最悪の気分だ。じっとりと脂汗を浮かべ、一刻も早くシャワーを浴びたいと思うだろう。もしくは頭の中に残る夢の残滓を吹き飛ばそうと画策するものだ。
三浦はシャワーを浴びるという選択よりも悪夢の残滓を排除することを優先とした。だが、悪夢こそが現実であることを認識できない彼女は夢の住人に問いかけるのだ・
アレは燃えるゴミか、燃えないゴミなのか。そのゴミの処理方法を。
吉野は人生で初めて殺意の込められた眼差しというものを正面から捉える恐怖というものを知った。そして、その手に握られた猟銃の重みというものを全身で感じた。
「三浦、待って」
その言葉を聞き間違えたと思った。待って、を、撃って、と。
三浦は両目をつぶり、銃身を持ち上げた。それを見て、とっさに吉野は後ずさりした。すると、吉野の小さな臀部は滑るように秘密基地の中へとすっぽりとはまった。
それは不運でもあり、幸運でもある。身動きが取れなくなった代わりに、吉野の頭頂部をすり抜けるように三浦が放った弾丸は頭上を掠めた。
わひゃー、という表現がしっくりくるだろう。吉野は女の子の悲鳴というよりも赤ちゃんの泣き声みたいなのらりくらりとした悲鳴を上げていた。
その情けない悲鳴と雷鳴のように轟く銃声は地下の二人にも届いた。
真田が銃を抜くのを見て、グレゴヴィッチも倣うように銃を抜いた。
真田が声を出すな、と指先一つで指示を出す。グレゴヴィッチは一つだけ頷くと真田と共にゆっくりと歩を進めた。
地下室の冷たい鉄の床を抜け、木の板が貼りつけられた階段に足を乗せる。
一歩進むごとにギシと悲鳴を上げる。それ以上進むなと二人に囁きかけているかのような囁き。
それを耳にしながらも、なおも二人は歩を進めた。
二人には状況が理解できない。発砲をしたのが三浦であることも知らず、その三浦が猟銃を抱きかかえて静かに泣いていることに気付いたのも、それから数刻ほど後のことだった。
「PTSD《心的外傷後ストレス障害》だな。米軍じゃ日常茶飯事だ」
だから、大丈夫だ、と声を掛けたが、吉野は意気消沈していた。
民間人の男子高校生が銃を突きつけられ、あげくの果てには発砲された。その事実が少年にどれほどのショックを与えるのかは真田にも計り知れない。それ故に彼に出来ることはないと判断した。
「無線機を見てこい」
どちらにも外傷がないと判断すると真田はグレゴヴィッチに指示を飛ばした。
グレゴヴィッチは二人の様子を気遣いつつも渋々地下へと走り出した。
「吉野、おい、吉野」
ぺちぺちと吉野の頬を手のひらで叩き、揺らいでいた視線を真田に向ける。
「ちびったか?」
その問いかけに吉野は思い出したように股間に手を当てて、今にも泣きそうな顔になった。
「パンツを取り換えてこい」
ぽんと吉野の頭を叩いてやると吉野は恥じらうように股間を押さえながら洗面所へとよちよち歩きで向かった。
それを見送ると今度は三浦へと歩み寄る。
「おい、嬢ちゃん。どっからこんなもん持ってきた」
三浦の腕から奪い取った猟銃を目の前でチラつかせる。三浦はただ怯えるように目を逸らすだけで応えなかった。
ぱちん、という音を聞いてから、三浦は真田に頬をぶたれたのだと理解した。
じん、と頬が俄かに熱くなった。
「目、覚めたか?どっからこんな物騒なもん取り出した」
怯える、というよりは驚いていると言った方がいい。三浦は目を見開き、わなわなと唇を震わせた。
ぱちん、と再び音が響く。暴力と呼ぶには弱すぎる力だが、三浦の心に響く衝撃は核弾頭にも勝るほどだった。
「大丈夫か?」
追い打ちをかけているとは知らない真田はただただ心配そうに三浦の瞳を覗き込んだ。
その瞳に映る自分の顔が、三浦の心を侵す恐怖に濡れていることを、真田は知らない。
「まぁ、いい。バカなことはするなよ」
そう一言吐き捨てると同時に地下から真田を呼ぶグレゴヴィッチの声が聞こえてきた。
慌てて地下室へと向かうと、無線機がけたたましく歌声を上げていた。
『こちらエイワックス、所属不明の戦闘機、並びに海軍艦隊が接近中。戦闘態勢に行こうする。スワローズ、ウッドペッカーは戦闘空域にて迎撃態勢に入れ』
無線機から様々な声が了解の声を上げている。
それを聞いて真田とグレゴヴィッチはニヤリと笑い合った。
「チャンスは一度だ」
真田は無線機と向かい合い、階段を駆け上がろうとするグレゴヴィッチにその言葉を投げかけた。
「無論だ」
ただ一言、グレゴヴィッチは言葉を返し、そそくさと階段を上る。
彼が階段を駆け上がり、玄関から飛び出すと彼の帰りを待っていたかのように、クリューブは口を開き、彼の体を空へと運ぶ。
その姿を見て、三浦は再度思い出す。
アレは敵なのだ。許してはいけない。
吉野は頼りにならない。
私が行動しないと。
三浦は足元に転がっている猟銃を再度握りしめ立ち上がった。その姿を吉野は洗面所から見ていた。
何をする気なのか、と自身に問いかけながらも、そこから動くことは出来なかった。
地下室へと猟銃を抱えた三浦が走っていく。
何が起こるんだ。
どうすればいい。
ひたすらに頭を動かした。心臓が頭の中で鳴っているみたいにどたばたと暴れている。
去っていくクリューブの空を切り裂く音が遠のいていく。
残された静寂がキンとうるさく鼓膜震わせた。
直後、銃声が轟き、吉野は再度下着を湿らせた。




