第十話 姿を消したロミオと戦うジュリエット 前編
幸村理恵は公園にいた。平和の象徴とも言われたハトが群れを成して我先に餌を奪い合う。
少し前にはもっと多くのハトが見られたはずの大きな公園には今はカラスの方がずっと多い。
平和に染まり切った種類の生き物は、争いに慣れた種類には勝つことは出来ないのだ。だが、それでも、命である。
黙って死ぬことを認めることは出来るはずもない。
戦う術があるのなら、力がなくても戦うことを優先する。幸村自身も己が今はハトであることを知る。
幸村を拾いに来てくれるはずのヘリが来ない。今は桐野柚葉と共に大きな通りに面した公園でじっと静寂を守っていた。
『こちら真田、攻撃を止めろ』
無線でのやり取りをずっと聞いていた。エイワックスが攻撃を受け、スワローズが応戦している。
天川結衣も出撃したが、敵の攻撃を受け、現在は通信不能。
さらには所属不明の鉤爪まで現れたと知り、絶望していた。
そんな中、唯一の救いとも言える声が、それだけ告げた。
『真田は俺だ。。攻撃し、ウッドペッカーもろとも破壊しろ!』
だが、同じ声が二つの意見を出し合っている。しかも、片や沈黙し、もう一方はどちらかが偽物であると言っているようだった。
幸村は激しく混乱した。状況が飲み込めない。
なぜ真田は敵の戦闘機を攻撃しない。
なぜ真田は敵の戦闘機もろとも天川まで撃墜しろなどと命令を出しているのか。
エイワックスもまた混乱している。今頃引き金に手を掛けながらも指を動かすことも出来ずにいるのだろう。
あの男はまたしてもよくわからないことをやっている。いつも突然行方をくらましたかと思えば、こうやって突然現れては仲間を混乱させる。
『俺の声は聴くな。命令だ。俺の声を聞くな。攻撃を停止、敵の出方を見ろ。以上」
『俺が真田だ。偽物の声に惑わされるな!天川を殺せ!」
どっちが偽物だろうと本物だろうと構わない。
あったら一発ぶん殴ってやろう、と幸村は心に誓った。
その後、スワローズは空軍自衛隊を迎撃に成功し、戦線を離脱した。
本物か偽物かはわからないが、真田の声が金切り声で叫び声を上げ続けていた。
その声もすでに死に絶えたかのように声を殺している。幸村は何度も呼びかけたが、エイワックスからの応答はない。
いい加減幸村の怒りは頂点に達しようとした時だった。わずかに響いたノイズと共に堪忍袋の緒が切れた。
「こちら幸村。織田、聞こえる?」
幸村はベンチを蹴り上げるように立ち上がり、声を張り上げた。隣に座ってうつらうつらしていた桐野がビクンと飛び跳ねた。
『幸村か!?今、どこにいる!?』
切羽詰まったような織田の声が答えた。
苛立ちを込められた織田の声は久しぶりに聞いた。その声が彼がどれほど困惑し、怒り狂っているかを表していた。
「札幌!いつになったらヘリを寄越すのよ!それにさっきのは何!?真田はどうしたの!?」
織田はつっかえるように言葉を吐き出した。それは言語と呼ぶにはあまりにも支離滅裂としていた。
幸村はじっと耳を澄まし、言葉の断片から状況を読み取ろうと意識を傾けた。
空軍自衛隊が撤退し、海軍艦隊も海から姿を消した後の出来事だった。
ロシアの新型戦闘機と思われていたクリューブがウッドペッカーを救出し、グレゴヴィッチという男がエイワックスへと降り立った。
最初は彼に銃口を向けたが、彼はただ一心不乱に真田の声を届けに来たと叫び続けた。
クリューブを押収し、投獄されてもなお、彼は真田の声を聞けと声高に叫んでいた。
尋問に入るまで一〇分という時間も要さなかった。
織田は真田の代理を代表して尋問室へと赴いた。
落ち着かない様子のグレゴヴィッチと向かい合い、挨拶もそこそこに彼は質問をぶつけた。
どんな質問を投げかけても、グレゴヴィッチはひたすらに真田の声を届けに来たとしか言わなかった。
彼は真田を拾いに旭山市に向かえと命じた。
織田と共に尋問についた男は精神科に精通する軍医だった。すぐさまエイワックスの舵を旭山市へと向けようとする織田を制止し、彼はグレゴヴィッチを信じてはいけないと強く命じた。
「彼は錯乱している。彼の言葉を鵜呑みにするのは危険だ。まずは真田の連絡を待った方が」
軍という組織では上官命令こそが絶対である。だが、真田が葬儀屋と呼ぶ、この組織においては真田の声こそが絶対であり、その他の声は聞くに値しないものとして扱われている。
「真田の命令を忘れたか!あいつは俺の声を聞くなと言ったんだ。あいつはもう自分から連絡はしてこない!」
織田が声を張り上げると軍医は頭を抱えた。
「今は出来ない状況だというだけだろ!冷静になれ、彼の連絡が途絶えるのはいつものことだ。そのうちいつものようにフラっと連絡してくるはずだ。今は真田の声をじっと待つんだ」
その声には織田も概ね賛成だった。だが、織田にとっても真田の命令は絶対的なものである。
声を聞くなという命令を無視するわけにはいかない。
真田という男はいつも曖昧で飄々としている。だが、自分の言葉を易々と曲げるような男ではないということを織田は理解していた。
「あいつの言葉がどうとか俺には関係ない。今は俺の言葉を聞け」
両手を封じられているグレゴヴィッチは口を動かすことしか出来ない。
目の前で口論を繰り広げる二人をじっと睨み付け、その言葉を繰り返す。
「真田を回収しろ、吉野という少年の家に真田はいる。大きなパラボラが目印だ。すべてはそこから始まる」
グレゴヴィッチは語り続ける。
目の前の軍医を説得しようとする織田には、その言葉は届いても行動には移らない。
軍医はただ沈黙が破られるのを待つべきだと叫ぶ。
尋問室の扉越しに彼らの会話をじっと聞いていた斎藤琢磨だけが動き出す。
狭い通路を走り抜け、斎藤は天川の自室へとやってきた。
グレゴヴィッチという男の主張。そして、真田が沈黙した意味。
ただの直感だ。
誰かのために声を張り上げる者の姿を見て、心が動かないなど人間じゃない。
ならば、心が動いたのなら足を動かせ。足が動くなら行動しろ。
黙っていれば、敗者に落ちる。
俺は勝者になる道を選んだんだ。
真田に問いかけられた二つの選択肢。その先に見出した斎藤の未来は勝者になること。
野球部の補欠だ。女子にも人気がない。
ただ怠惰に生きる男子高校生にとっては、それだけで立派な敗者だった。
それを常々思っていた。だから、勝者になりたいと思っていた。
渡りに船だった。だから、船に乗ったからにはオールを漕がなければならない。
例え、他の誰かが漕ぐことを止めてしまったとしても、斎藤は前に進む意思だけは変えてはならないと思ったのだ。だが、斎藤は自身が勝者になれるかはわからなくても、弱者であることを知っている。
規則に縛られた組織の中で自由に動ける翼を持った戦士が誰かを彼は知っていた。
「天川!助けてくれ」
どんどんと強く扉を叩き、ようやっと天川は扉を開いた。
天川は憮然とした顔で立っていた。
「出撃?」
それ以外の言葉は聞かない、と顔に書いてあった。
「あ、い、いや、違うけど」
斎藤はバカ正直である。それ故に天川は不機嫌な顔で扉を閉じてしまった。
「あ、天川!頼むよ!ちょ、ちょっと聞いてくれ」
なんとも頼りなげな声である。その声が少しだけ神崎颯太と重なった。それ故に天川は少しだけ耳を傾けた。
「なに?」
扉越しにくぐもった声に斎藤はわずかに安堵した。
「織田さんが困ってる」
その安らぎを吐露するように静かな声が響いた。
「俺じゃあの人を助けられないんだ。だから、天川に助けてほしいんだ。情けないことを言っているのはわかってる。でも、天川しか頼れないんだ」
なんて惨めなのだろうと思った。
人に助けられてばかりだ。助ける側に回るつもりで、ここへやってきたのに、こうして一人の少女に助けを求めている。
「天川、頼む。そこに俺の親友がいるんだ」
いまさらになって吉野圭一のことを思った。
幼馴染と呼ぶには付き合いが浅いが、ただの知り合いと呼ぶには深く付き合いすぎた。
一度は袂を分かった友人だ。そうだとしても、彼が親友であることに変わりはないのだ。
「・・・」
天川は何も言わず、斎藤の声をじっと聞き入っていた。
「真田さんと一緒に連れてきてほしい。昔から一緒にいたんだ。助けてやりたいけど、俺には出来ない」
助けてくれ、と斎藤は叫んだ。
「颯太にとって、私より大事?」
そんな悲痛な声を上げる斎藤に天川は素っ頓狂な質問をぶつけた。
斎藤はわずかに迷いながらも言葉を紡ぐことにした。
「一番大事なのは天川だよ」
その言葉を代弁するには少しだけ気が引けた。だが、今の颯太の姿を見て、彼ならば同じ言葉を答えるだろうと斎藤は確信した。だから、声を抑えながらも力強く答えることが出来た。
扉の向こうで天川がわずかにほほ笑んだのは斎藤は知らない。
扉が再び開くと少しだけ機嫌のいい表情を浮かべた天川が立っていた。
「・・・どこに行けばいい?」
斎藤の顔を見て、再び少しだけ機嫌を悪くしたことを斎藤は知らない。




