3.
薬を煽ると、冷たい液が喉を通って胃に染み込むのを感じる。
自室ベッドの上に横になり、いつ『その時』が訪れてもいいように準備をした。
私はそれから数分経たない内に身体全体が鉛の様に冷たく、重くなり、呼吸一つはおろか、指の一本すらも自由に動かせない状態になっていた――。
苦しさなどは全くない。ただ、自分の身体が『動物』から『静物』になったかのような不思議な感覚に襲われていた。
これは、私が飲んだ薬……魔法薬の効果だった。
『一時的に身体の中で流れる時間を、外部から観測できない程に遅くして、死体に限りなく近い状態を作り出す』
要は仮死薬と呼ばれる類のものである。
元々は喰花病に対して『病気自体が侵攻する時間を遅くする』という別角度からのアプローチとして開発を進めていた薬だったが、重大な欠陥を発見したために開発を中断した薬だった。
簡単に言うと、この薬は普通の人間には効果が強すぎる。魔法での仮想実験時に証明されたことなのだが、そう簡単に医療に使えるようなものではなかった。
一つ目の欠陥。
本来であれば、病気の進行だけを時間が止まったように遅くしたかったのだが、人間の方も一緒に時間が止まったように何もできなくなってしまうという、今起きている状態のことだ。
身体の時間を止めるのまでは良いのだが、薬の効果時間中は身体自体が全く動かすことが出来なくなってしまうのだ。
しかも意識は保ったままで……だ。
何があったとしても数日単位で意思伝達をすることも、完全に意識を失うことも出来ない。
まるで精神だけを時間の牢獄に閉じ込められたような状態だ。並大抵の人間の精神であればそれはそれは大きな苦痛になるだろう。
一時的な延命としては使えるものではあったが、意識があっても何もできないというのは、人間の精神的負担があまりにも大きい。それに、犯罪への利用も考えられた。
2つ目の欠陥。
使っている素材と薬品が強力すぎるせいだろう、元々所持している魔力が少ない人間にはかなり依存性・中毒性が高い仕上がりとなってしまった。
私の場合は元々の魔力の高かったのだが、皮肉なことに喰花病が完治した時に量も質も更に跳ね上がっていた。具体的には、国内外でも私程の魔力を持つ人間は殆どいない程である。
これも他人から『化け物』などと呼ばれてしまった原因なのだが、今はこの変化に少し感謝していた。なにせ、私の魔力と身体であれば、この薬を使用しても大した問題にはならないからだ。何度か少量ではあるが、治験してみて確信があった。だからこそ、この方法を取ることを思いつくことが出来たのだ。
このような観点から、世には出せなかった魔法薬。
暗中模索の中で、私は何も分からなかった故に、色んな角度からアプローチを行うようにしていた。そんな過程でできたもの。
そして今回、エストの経歴も私自身の家も傷つけることのない婚約解消計画を練る中で、この薬の存在を思い出した。
私自身が死んでしまったと他人に思い込ませることが出来れば、仕方のなかったことだと誰からも責められることはない。私はもう、19歳だ。体調管理を含めて、全て私の責だ。ずっと前から、私の生活が不規則すぎるということで、メイドや執事も既に私の元からは外している。
だから、私以外の誰にも責任を負わせない。『死』というのは誰にもどうすることも出来ないものなのだから。
元々それなりに反対してくる人間もいた婚約だ。
私が死んだと知って喜ぶ人間は多かれど、悲しみ嘆く人間はかなり少数であろう。
もしかしたら家族以外はいないのではないかとすら思ってしまう。むしろそれを望んでいる人間の方が多いかもしれない。これは本来であれば悲しい事だが、利用できると思えば逆に好都合である。
喜んでくれる人間たちが、より私の死を仕方のないものだったのだと広め、擁護し、私の家族の支えになるだろう。彼らは私以外の誰かに、エストの婚約者になってほしかったのだから。
その証拠に私は、このエストの婚約者という立場、そして今までの経歴から何度か命を狙われたこともあった。強力な毒を盛られたり、暗殺者に襲われかけたり、それなりに散々な目にあっていたのだ。高まりすぎた魔力と魔法のせいで、毒はお腹を下す程度、暗殺者は即返り討ちとなっていたが。苦労を掛けた労働くらいはしてほしい。
当時は、エストには少しでも迷惑を掛けたくなくて……いや、違うな、手間を割くのが面倒だとちょっとでも思われることが嫌で、両親や兄にも口止めしていた。彼らは皆一様に、話すべきだと反対したが、私の頑なな態度を見ていつの間にか説得することを諦め、協力してくれていた。
エストは他人に優しすぎるのだ。口では散々切り捨てると言いつつも、最終的には関わる人間に対して世話を焼いてくれる。
だから結局、どんな結果に転んでいたとしても、コレを使用することに躊躇いはなかった。
「クレア……やはり飲んでしまったんだね」
クリス、兄様――。
部屋のカーテンの隙間からは既に陽光が漏れ出し、鍵が外から開錠され、扉が開く音がしたかと思うと最初の計画通り寝室に協力者の内の一人である兄・クリストファーがやってきた。
彼は私の実の兄。エストの婚約者になってからも、たくさん助けてくれた家族である。
「ああ。ごめんね。分かっていたことと言っても実際見てみるとなんていうか応えるものがあってね――って言葉を返してくれるわけないか……大丈夫。ちゃんと計画通りに進めるよ」
薬を飲んでどれだけ時間が経っただろう。
本当に死んでいるわけではないのに悲しそうな声音で自身の名前を呼ぶ兄に少し申し訳ない気持ちになりながらも、私はクリス兄様に任せたこの計画に、身を委ねたのだった――。




