1.
クレア=ミア=レンドーレ公爵家の次女。
これが私が生まれた時から持っていた『場所』。
貴族に生まれ、飢えや寒さ、死の心配もない、幸せで順風満帆な人生を送る恵まれた女。名前と立場を聞いただけだと、そう思われるかもしれない。
しかし、そうではなかった。そうはいかなかったのだ。
私はとあるできごとから生きることに絶望して、全てに投げやりで無気力になっていた時期がある。
そして驚くことに、その『無気力』を覆してくれた人間というのが、最悪の出会い方をした筈のエスト=フィア=クロシュテインだった――。
***
私の人生での絶望。
それは、8年前――私が11歳の時にまで遡る。
私は当時、とある流行り病によって最愛の姉を失った。後々、不治の病とまで言われるようになる喰花病によって。
この病は、10代から20代後半までの若い女性にのみが罹る病気であり、症状としては、ある日体内から皮膚を突き破るようにして急に花が開花するというものである。
当時は、女性だけに罹るということすらもまだ分かっていなかったので、世界中の様々な人が恐怖していた。
花が生えてくる。それだけ聞けば綺麗だと思われることもあるかもしれない。
しかしその花は、宿主の魔力と生命力を吸い取って体内で成長していき、花を咲かせるというとんでもなく恐ろしい代物だった。
この病気の最も恐ろしいところは、宿主が命を失うその瞬間までは、『いつもよりも少し体調が悪いかな?』程度の症状しか出ないことである。まるで水に浸した布のようにゆっくり、ゆっくりと命を吸い取っていく。だから最後の段階になるまで気が付くことが出来ない。
他の病気であれば、事前に気付いて手術なりなんなりが出来るが、この病気の場合は気付かない故に、何もできない。そもそも、治療方法も全く分かっていなかったのだが。
そうして、一定の栄養を摂りつくした暁には宿主の命と引き換えに、その――この世のモノとは思えない程に美しい花を開花させるのだ。咲いた後は、結晶のようになり、その場で朽ちることなく咲き続ける。記憶に残り続ける忌々しい花。
その美しさは、喰花病の治療方法が見つかった後に、どこかの誰かが咲かせた花を買い取り、飾っている悪趣味な貴族や金持ちがいるほどのものだ。
このクロシュテイン王国で、貴族の中で一番最初にこの病気に罹ったのは私の3歳年上の姉、ロザリア=ミア=レンドーレであった。
当時14歳だった私の姉、彼女こそがこの病気のこの国での最初の犠牲者。
感染経路をどうのと言っても後の祭りだが、孤児院の慰問に行ったことが、きっと感染の切っ掛けだったのだろう。姉は優しすぎた。人の心を気遣いすぎた。
そして体調が悪いからと私を遠ざけようとはしていたが、近くであやしてくれていた優しい姉様。『看病』と称して、一緒に寝ていた私は、花が姉様の身体を内側から引き裂いて、開花する瞬間をその目で見てしまった。
少し難しめの本を読んでもらって、手を繋いで眠りについた、あの夜。
急に繋いでいる手が震え始めて、寒いのかと毛布の面積をもっと増やそうとして、上半身を上げた時のことだ。
妙に姉様が苦しそうなことに気が付いた。緊急事態かと思い、部屋の電気をつけて、駆け寄ろうとした私の足は止まってしまう。
姉様は痛みと自分の身体が変化するという得体のしれない恐怖心に顔を歪ませたと思ったら、メキメキという音を立てて、そのネグリジェ越しの腹から、木の枝が出てきた。そして1分もしないうちに、『開花』した。
私は、姉様が苦しそうにしているのを見て、できたのは、彼女の名前を叫んで立ち尽くすことだけだった。
他の家族の助けを呼ぶことも、しっかりと最後の言葉を聞いてあげることも何も出来なかったのだ。出来たのはただ見て恐怖して、喚いている事だけ――。
『花が開花する瞬間、苦しむ姉に何もしてあげることが出来なかった』
最後、きっと姉様は自分の名前を呼んでいたような気がする。
何か伝えたいことがあったのかもしれない。何か出来ることがあったのかもしれない。その考えがずっと頭の中から抜けなかった。
何もしてあげることが出来なかった、助けられなかった私は、姉を見殺しにしてしまったようなものだ。
それが大きな罪悪感として、ずっと私の背中に圧し掛かる事になる。
そうして気が付いた時には、姉様の葬儀の準備が始まっていた。
その日から私の人生は絶望に染まり切る。
毎日、毎日、大好きだった姉様の影を探して、無意識の内に共に過ごした場所を出歩いては、いなくなったことを改めて理解させられる。
兄様や両親が気遣って用意してくれた私と姉様が好きだた紅茶。姉様と何度も一緒に飲んだ、大好きだったはずの紅茶も、匂い、そして味がしなかった。そして、一日の終わりは、姉様の最後の瞬間を思い出して後悔し続ける日々――。
どれだけ後悔しても、反省して、懺悔しても、姉様は戻ってこないのだ。両親や兄様も『クレアは何も悪くない』と慰めてくれたが、私の心の重荷が下りることは一度もなかった。生きていることがただ苦しい。姉様のいなくなった世界で、何もできなかった私が生き続けていることが、申し訳なくて、悔しくて、寂しかった。
だって、大好きだったのだ。私は、誰よりも長い時間を姉様と過ごして、姉様にどうしてもと同じ礼儀作法や勉強を一緒に教わって。
私は姉様と一緒にいたいという理由で勉強や、芸事の時間も一緒にいたが、私と違ってなんでも完璧にこなす姉様はとても美しく、優雅で、そして誇りだった。
そんな、一種の依存にも似た感情を持っていた私は、姉様がいなくなってからは、『まるで抜け殻のようだった』と、周囲の人からは言われていた。
そんな精神状態で、二カ月ほど経った頃。
国内でも喰花病の被害は止まる事はなく、むしろ被害は増え続けるばかり。既に国内外の貴族・平民問わず、かなりの数の女性に犠牲者を出し続けていた。
そしてついに私の番がやってくる。
最初は、何となく気怠いだけだった。けれどそれが数日続いた時点で直感する。自分は姉様と同じ病気に罹ったのだ、と。
医者に喰花病と診断され、確定した時には私の後ろで泣き崩れる両親らと裏腹に、特に悲しみも恐ろしさも感じなかった。むしろ、あったのは『やっと姉を見殺しにした自分に罰が下される』、『自分だけ生きているというこの息苦しさから解放される』というそんな苦しみからの解放と、諦めの様な感情だけだった。
しかしそんな感情を持ちながらも、私は一週間の間高熱で寝込んだ後、喰花病が完治した……否、完治してしまった。
起きた私の目の前にあったのは、『奇跡だ』と歓喜する家族や使用人達と、今までからは似ても似つかない変わり果てた容姿になってしまった自分だった――。




