45.ボイオス伯爵編2
マクトル領に侵入したボイオス伯爵軍はすぐに異変に見舞われた。大軍が峠を越え移動していることからどうしても最前部の状況が最後部にいるアンスガーに伝わるまで時間を要し、行軍が遅滞せざるおえなくなくっていた。
「報告します。先ほど先頭の偵察部隊が襲撃を受けた模様。ほぼ同時に中央部でも襲撃がありました。偵察部隊は全滅。中央の襲撃に関してはそれほどの被害はありませんでしたが、街道の側の森からの攻撃で敵の捕捉は出来ませんでした」
どういうことだ、何故こんなところで襲撃を受ける。まだマクトル領内に入ったばかりだというのに。当然敵に軍の進出のことが露見していることも想定しているが、それにしても対応が早すぎる。私の予想ではもっと先でのことだと考えていたが。
ディルクがマクトル領軍の異常な対応の早さに驚いていると、隣で報告を聞たアンスガー・ボイオス伯爵が偵察部隊が全滅したことに苛立ちながらも指示を出していた。
「っち、お前たち騎士には高い金を使っているのに簡単に死におって。襲ってきた奴らはどうせ森を住処にした賊だろ、そんなものの襲撃にいちいち狼狽えて進む軍がどこにいる。気にせず進め、今は一刻も早くマクトルに着くことが重要なんだろ、ディルク」
「・・・素晴らしいご指示かと思います。報告では先行していた騎士は少数であったため敗れてしまったのでしょう。これからはもう少し数をまとめて偵察部隊として運用したほうが良いのではないでしょうか。そうですね、中段に配置している督戦部隊から少し抽出しましょう。中段の徴兵した兵たちの統制は少し乱れるかもしれませんが、騎士の数の維持と偵察部隊の維持のためにはやむを得ないかと思います」
ディルクの返事を聞き、気をよくしたアンスガーは領軍の司令官にディルクの提案通り指示を出し、自身の馬車の中にいる妾の元へ去って行った。
「すみません司令官、先ほどの閣下のご指示に加えて中段の兵たちにむやみに森の敵を追うことをしないように注意してください。それと小規模な襲撃の度に進軍を止めることがない様に差配してください。ああ、それと敵を追って森の中に向かって戻ってこない兵がいても探しに行くようなこともやらないようにしましょう。おそらく罠ですから。よろしくお願いします」
領主の相談役という微妙な役職に就いているディルクは司令官を始め、ボイオス領の要人たちからは避けられていたがアンスガーと親しい関係を維持しいることから決して無視を出来ない存在であった。司令官にとっても決して従いたいとは思わなくとも、ディルクの言っていることに同意が出来ることから渋々ながら「分かった」と小さく返事をして行動に移した。
ふふ、相変わらず嫌われてますね、私も。しかし、思った通りに全てが進むとは思っていませんが、ライマーが行方不明になり、進軍もマクトル領内に入ったとたん躓いている。もしかしたら今回の侵攻は相当な被害を被るかもしれませんね。
ディルクは順調とは評価できなくとも彼我の兵数の絶対的な差を思い失敗はないと考えた。今回の襲撃に関しても小規模なもので、最悪、何かしらの理由で侵攻の意図が露見して念のために森にマクトル領軍の精鋭部隊が展開していることが考えられたが、それにしても敵兵の疲労や物資の枯渇を考えれば2日もすれば襲撃が収まると予測した。
しかし、ディルクの予想とは裏腹に敵による奇襲は昼夜を問わず、断続的に行われ続けていた。襲撃の度に行軍が止まることはない様になっていたが、森の中に入って行ってしまう部隊を完全に抑えることは出来ず、そのことごとくが戻ってこないという状況が軍全体の士気にも影響を与えていた。
「どうする、ディルク。この襲撃は賊ではないのか、お前の予定ではそろそろマクトルが見えてきてもよかったが、まだ距離があるぞ。もしや敵に我々の計画が洩れていたのではないか、まずいぞ撤退するか」
「落ち着いてください、アンスガー様。おそらくここ最近の襲撃はマクトル領軍によるものと思われます。ですが、我々の計画が洩れていて事前に準備されていたとしても、確実なのは辺境地域に約半数のマクトルの兵が展開しているということです。密偵や商人の話から辺境地域に広く展開していることは確認できていますので、今更戻ってこようとしても今頃は集結の準備をしているのが良いところです。我々が今のペースで行軍してもマクトル防衛には到底間に合いません。そうでしょ、司令官」
ディルクに突然話を振られた司令官は広域に分散した部隊を集合させるのは、とても時間が掛かることだと説明した。
「それに我々の食料の余裕はほとんどありません。兵たちが携行している食料はそろそろなくなります。仮に撤退を行ったところで領地の状況は深刻なものになります。私たちは前にしか進めないのです、アンスガー様」
「そうだな、確かにお前の言う通りだ。マクトルを手に入れなければ私の状況は良くならない。よし、農民どもに今の我々の食料事情を伝えよう。そうだな、敵に糧秣が襲われてしまったから苦しい状況になったと伝えた上で、マクトルに着けば農民を騎士たちより半日早く略奪を始めることを許可しよう」
アンスガーの指示を聞いた司令官は騎士である自分達の取り分が減ることに多少の不満があったが、現状では士気の低下が著しく軍の体裁を整えたままマクトルに到達できるか不安であったこともあり直ちに全軍に伝えるように手配を行った。
「アンスガー様、私ではとても思いもつかぬ名案かと。これでマクトルは落とせたのも同然でしょう。相手がどのような策を講じようと我々の方が兵数が多いのは確実ですしね」
会議が始まる前は不安の色を隠しきれずに貧乏ゆすりばかりしていた様子から一転し、満面の笑みを浮かべながら到底行軍中とは思えないような料理の数々を満足そうに食べ始めていた。
その夜もマクトル領軍による襲撃は収まるところはなかったが、アンスガーの言葉に効果があったのか夜明けからの行軍は1万ほどの軍の行軍に相応な速度で行えるようなっていた。徴兵された農民と騎士との間でマクトルでの略奪という共通の目的が出来たことで、それまで度々起きていた騎士たち督戦部隊と農民のトラブルも減少し、森からのマクトル領軍の襲撃に関してもマクトルに一刻も早くたどり着き食料を入手したという意志のもと、森に釣り出されてしまう兵も目に見えて減少していった。
「素晴らしいです。アンスガー様の指示によって行軍速度は以前とは比べ物にならないものとなりました。これなら今までの遅れも取り戻すことも可能でしょう。もしかしたら私の予想よりも早くマクトルが陥落してしまうかもしれません。これは参りました、アンスガー様にしてやられましたな。トゥルバ帝国に事前に伝えたよりも早く決してしまうことを伝えておかないといけなくなりました」
「ははは、ディルクの予想を超えてしまったか。すまぬ、すまぬ。しかし、これでトゥルバ帝国の知るボイオス家の戦記が増えてしまうな」
行軍速度も上がり、ディルクに持ち上げられアンスガーの士気は高まる一方であったが、深刻な食糧難はいかんとしがたく、襲撃による死傷者や飢餓による落伍者は相当なものとなっていた。当初1万に迫る数がいた兵数は9,000台を割り込むまでに減少していた。ボイオス領軍の進む道には転々と落伍者が横たわっている状態となっていたが、すでに退却という選択肢が消えてしまっていた農民たちは黙々と歩き続けた。
「なにやら、うるさいほど襲撃の報告が来ていたが今日は何もなかったな。うるさい敵を討ち果たしたのか?」
「敵を撃滅したという報告は上がっていませんが、敵もいい加減森に籠り続けるための食料がなくなったのでしょう。もしかしたら、もう少し進んだところでマクトル領軍が防衛のために集結しているのかもしれませんね。だから襲撃をやめて本隊に合流したといった所でしょうか」
「ん?マクトルに籠って守りを固めるのではないのか普通は。この数のを相手に平野で決戦など正気の沙汰ではないな」
「ええ、普通はそのような愚策は誰も取りませんが、あのマクトルを収めるエンゲルベルト・マクトル公爵がマクトルの町の民を戦闘に巻き込まぬために壁の外に出てきてもおかしくはないかもしれません。うん、そうですね、十中八九この先にマクトル領軍は待ち構えているでしょうね。アンスガー様との会話で確信が持てました」
「ふん、あの偽善者のお坊ちゃまが愚かな行動をしたものだな。まあ、マクトルの壁の中に籠られてはこの数で攻めても時間が掛かってしまう。私には都合がいいがな」
それ以降はマクトル領軍の襲撃はぱったりと止み、連日順調な行軍を行っていたアンスガーに偵察部隊から進撃路上にマクトル領軍が築城を行い、布陣していると報告がもたらされた。ボイオス領軍の司令官はすぐに敵の布陣に対応するように陣形を整えるように動き出した。その最中にマクトル領軍の陣地を見たアンスガーは、脂汗を流しながら隣にいるディルクにすがるように確認を行っていた。
「ディ、ディルク、この程度の陣地が出来ていることはお前の想定の内だろう?ど、どのように攻めるか参考までに聞かせてくれないか」
単眼鏡でマクトル領軍の陣地を観察していたディルクはアンスガーの問いにすぐに答えることが出来ずにいた。陣地の中を行きかう敵兵の数は決してディルクの予想から大きく外れていることはなかった。誤差はマクトルの傭兵ギルドの所属しているであろう者たちが参加したから生まれる程度で無視し得るものだった。しかし、
なんなのだ、あれは!ぎりぎりまでマクトルの情報は把握できるようにしていた、私たちが進軍を始めるあたりまで情報がとれていたはずだ。その時にはこのような報告はなかった。いくら敵が妨害し行軍の速度を低下させられていたとは言え、こんなものを造れる時間はなかったはずだ。どうやった、いや、どうする!
ボイオス領軍の前に現れたのは1mほどの空堀とその後ろに堀を掘って出た土で盛り上げた盛土、その上には木の柵が設けられていた。それだけではなくその後ろにもう1セット同じ防衛線が築かれており、二重の構えてボイオス領軍を迎えていた。
突如現れた堅固な防衛線にボイオス領軍の上層部は有効な解決策を見い出すことは出来ず、翌朝から数の優位を活かした突撃を行う以外の策が無かった。
次回は6月8日午前0時の投稿となります。
誤字・脱字、語句の選びの間違いなど指摘いただければと思います。




