44.ボイオス伯爵編1
「金が足りないのか、なら税を上げよう。よし、お前らしっかりと税を集めるのだぞ」
「ボイオス伯爵閣下、恐れながらすでに領民に課している税で限界が来ております。いくつかの町では餓死者が出ている報告も受けている状況です。どうか、ご再考を」
「うるさい、金が足りないのだからしょうがないではないか。私が必要だと言っているのだ、領民も喜んで税を納めるだろうよ。それともお前に何か良い案があるのか」
マクトルの東に位置し、領地の東にはトゥルバ帝国との国境線があるこの地にはアンスガー・ボイオス伯爵が領主として君臨していた。アンスガーは数年前に先代である父が急死し、その跡を引き継ぐ形で領主となった。先代は公国の国境を有する領地を治める者としてふさわしい武功を上げてきた人物で、領軍の育成にも努めてきた。領内は決して豊かという訳ではなかったが、生活に困ることはなく武断的な統治ではあったが領主の人柄もあって受け入れられていた。しかし、自身の家族についてはあまり気に掛けることなく、自由に育った唯一の息子は領主としての能力に乏しいまま世代交代がなされてしまった。
「ったく、なにをしようにもこの領には金が少なすぎる。父上がもっと税を取っていればやりたいことが出来たというのに」
ボイオス伯爵は日ごろの飽食の影響で、どっぷりと出た腹を揺らしがら思うように増えない自分の金に不満を漏らしていた。
「全くですな、アンスガー様。もっと早くあなたがこの領地を任されていれば、マクトル領にも勝る富を手にしていたでしょうね」
統一感の欠けるも高級家具に囲まれた部屋にある大きな執務机の前に座るアンスガーの隣には、一人の男が立っていた。その男は先代の伯爵が急死する一年ほど前にアンスガーへ政治を教えるために招かれた家庭教師であり、領主となった後もアンスガーの相談役として助言を与えていた。
「ディルクもそう思うか。それにしてもマクトルか、奴らのせいで私の領の金が奪われていく。おかげで、なにをしても上手くいかん。そもそもアロイジアは私が手に入れるべき女にもかかわらず簡単に大公爵家の男になびきおってからに」
「おいたわしい。ですがアンスガー様は女を盗られて大人しく指をくわえている方ではないはず。どうでしょう、以前私がお話させていただいた戯れにアンスガー様の英知を加えて作成したマクトル接収計画を始めるのは。成功すればアロイジア様をアンスガー様の妾としてお迎えできるでしょう。それに、マクトルの持つ莫大な資産が手に入るのですよ」
アンスガーはディルクからこの計画について何度も実行を勧められていたが、いくら浅慮なアンスガーと言えどマクトルの現当主エンゲルベルト・マクトル公爵が大公爵の弟であることと、同国の貴族領を攻めるという大それたことに躊躇していた。
「だがなー、もしマクトルを攻撃してしまっては大公爵陛下の身内を手に掛けることになるかもしれない。そうすれば討伐軍を差し向けられてしまうかもしれないし、そもそも隣国のトゥルバ帝国が出てくるかもしれない」
「実は私、何度かトゥルバ帝国の商人と話をさせていただいておりまして、聞こえてくる話では過去に何度も剣交え、敵ながら敬意を抱いているボイオス家の現当主が資金繰りに悩み、不遇な状況にあることを大変憂いているそうです。トゥルバ帝国としてもその武威を認めたボイオス家のために何か出来ればと思っているとのことです。それに、トゥルバ帝国とヤンティヌム公国は同じ大ヨルン同盟の一員ですし決して敵ではないでしょうね」
「なんとトゥルバ帝国がそこまで我が家のことを気にかけていたとは知らなかったぞ。そうか、そうか。少し考えさせてくれ」
翌朝、執務室に呼ばれたディルクは晴れ晴れとした表情で椅子に座るアンスガーの姿を見た。
「ディルク、決めたぞ。例の計画を実行しよう。私が今ここで立たなければヤンティヌム公国がだめになってしまう。そうすれば大ヨルン同盟全体に悪影響を及ぼし、ユリオマグス大帝国の跳梁を許すことになってしまう。それは断じて防がなければならない」
「さすが、アンスガー様。ご自身の領のことだけではなく、大陸全体のことを考えていらっしゃるとは私の矮小な知識ではそこまで考えが至りませんでした」
「ふふ、お前が教えてくれたことが基礎になっているんだ。お前の功績とも言えよう。さあ、始めようではないか。マクトルを手に入れ、大公家に靡くような尻軽のアロイジアを跪けてやる」
「承知いたしました。では、初めにマクトル領の辺境地域に対する作戦を開始します。相手の出方などを図るために、まずは私が目をかけている者に指揮を任せて、いくつかの村を襲撃させようかと思います。ライマー、入ってきてください」
ディルクがそう言うと執務室に領兵としては細めの体格で、穏やかそうな表情をした男が入って来た。
「この者がディルクが押す人物か。そんなに強そうに見えないが、大丈夫か」
「ええ、彼は戦闘技術はもちろんですが頭がよく回ります。行商人に偽装して襲撃のために情報収集が出来ますし、それを基に部隊の指揮が出来る人物だと思っています。どうでしょうか、やらせてみるのは」
「ボイオス伯爵閣下。ディルク殿からすでに計画の一部をお聞かせ頂き、小官ならご期待に添えると自負しております。どうか任せていただけないでしょうか」
アンスガーはライマーの熱意を受け、部隊の指揮を任せることにした。そして、ライマーとライマーが率いる部隊が辺境地域へ発ってからしばらくすると順調に村を襲い、より効果的にマクトル領軍を誘い出す襲撃の具合や場所の調査を行っていると報告が入った。
ディルクの方では領軍を伴い、ボイオス伯爵領では目にしない日のほうが少ないと言えるほど増えた盗賊を襲撃し、マクトルの辺境地域に向かいそこに拠点を置けば罪に問わないと持ち掛け、大量の賊を辺境地域に向かわせた。
「どういうことだ、ディルク。あのライマーからの報告が急に来なくなったぞ。何かまずいことでも起きたのではないだろうな」
「どうかご安心ください。おそらくですが、運悪くマクトルの傭兵か何かと出会ってしまったのかもしれません。しかし、彼はよくやってくれました。おかげで村をどのように襲撃すれば効果的に領軍を誘い出せるかが分かりましたから。賊はすでにかの地に送り込んでおります。後はマクトルから領軍が辺境地域に移動するのを待っていれば良いのです。本格的な侵攻に向けて今から少しづつ徴兵を始めましょう」
「わ、分かった。おい、誰かいるか」
アンスガーが呼びかけると先代から仕えている執事が現れた。領内の統治に不慣れであった先代が信頼を置いていたことからボイオス領の様々な情報を知っている人物であり、アンスガーも執事として仕えさせていた。
「徴兵を始めるぞ、まずは少しずつでいいから農民どもを集めろ。そうだな、まずは領都から離れている町から徴収を掛けるとするか。そうすれば、良いタイミングでマクトルに向けて行軍が出来るだろう」
「お、お待ちください。今の食料事情ではとても兵を集めることは出来ません。マクトルに着く前に農民たちが飢えてしまいます。どうかお考え直しください。もし、マクトルを落とせたとしても大公陛下が黙っているとは思えません。トゥルバ帝国も同じです」
「お前は言われた通りにしていればよい。それに公国が動くことも想定済みだ、それにディルクによってトゥルバ帝国ともすでに話を付けてある。お前は黙ってマクトルを落とすための兵を集めればよいのだ。さあ、行け」
信じられないものを見るような目で執事はアンスガーとディルクを見た後、あきらめたように頭を俯かせた。
「ご安心ください、私がアンスガー様のご英断を邪魔をしないようトゥルバ帝国と交渉を行い、ボイオス領に対する不可侵に加え、公国が討伐軍を差し向けた場合は支援を行う約定を秘密裏に結んでまいりました。これで、後顧の憂いなくアンスガーにはご活躍いただけます。私たちはそのための手助けを行うべきだとは思いませんか」
ディルクの話を聞いた後、執事は力ない返事を残し執務室を出ていった。
それからしばらくするとマクトルに潜入させていた間者から2,000ほどの領軍が辺境地域に向けて出発をしたと連絡が入った。この報告を受けたアンスガーは本格的な徴兵を始め、飢饉の影響で動ける者が減っていた領内から比較的健康な領民を全て集めるような勢いで軍を編成し、マクトルに向けて出発した。
「何とも思っていたより我が軍は少ないな、もう少し集まると思っていたのだが。ちゃんと徴兵をしていたのか」
「なんでも、健康な者が思った以上に少なかったようです。これもマクトルに富を奪われ、領民が飢餓にあえいでいる影響かと思います。と言うことは、マクトルには莫大な量の食料があるに違いありません。そこで徴兵した者には少量の食料のみを持たせ、足らない分はマクトル領で集めるように指示を出しましょう。そうすれば領軍や騎士たちの食料を十分に確保できます」
「うむ、分かった。それと、農民たちの周りは所々に領軍を配して逃亡を阻止しよう。あと、血の気の多そうなやつを農民の中に混ぜておけば士気も高まるだろう」
「素晴らしい案であるかと。それと、補給隊は最後尾のアンスガー様の部隊の側におきましょう、味方に襲われて食料が無くなるのは嫌なので」
行軍の形が決まり、領都から本体が出陣し始めるとそれを受けてそばの町に集められていた軍が動き出し、マクトル領との境である峠の手前で集結が完了した。そして、止まることなくマクトルに向け領境の峠を越え、ついにマクトル領に足を踏み入れた。
次回は6月1日午前0時の投稿となります。
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