第五十六話「侵入するべからず」
早朝。太陽が昇り始めようとしている時間。僕はいつもより早く起き、枕元で身体を丸めて寝ていた真っ黒い毛で覆われている狼―――リルを抱きかかえて部屋を出る。
足音を立てないように摺り足気味に歩き、扉を開け閉めする際も音が出ないように気を付ける。
少しでも物音をたてれば、あの子はすぐにでも気が付く。
心の中で「気づいてませんように」と祈りながら廊下に出てすぐ隣の部屋を目指す。既に腕の中ではリルが目を覚ましていて、「クゥ~ン」と鳴きながら首を傾げるような動作をしていた。
リルは動物にしては物凄く頭がよく、僕たち人間の言葉を理解する事はもちろん、自分で考え、行動し、自らの考えを人に伝えることも出来る。
それもそのはず。
リルは種族的には狼だが、ただの狼ではない。その昔、『豺』と呼ばれた神獣の血を引く狼だ。
神獣といっても、現在の霊体的な意味の神獣ではなく、人々から崇められ、時には恐れられた神様的な意味の神獣だ。つまり、リルは世にも珍しい本物の神獣なのだ。
幸か不幸か、その生き残りであったリルの親がお父さんにリルを託して今に至る。
「静かに。声を出しちゃ駄目だよ」
人差し指を口の前で立てて「しぃ~」とする。
そして隣の部屋の前に到着し、ノブに手を掛け、ゆっくりと回す。
「・・・お邪魔しま~す」
声を極力抑えながら『ユエラ』と書かれた板が掛かっている扉を開けて中に入る。
いつからかユエラの私物が増えてきて、最初の頃は必要最低限の物しかなかった殺風景な部屋が何処からどう見ても女の子の部屋になってきていた。
床には水色の絨毯。脚の低いテーブルにぬいぐるみが置かれている机にクッションなどなど。
見るからに女の子の部屋に入った僕は何を思ったのかリルを頭の上に乗せ、部屋の奥にあるベッドまで匍匐前進で近づく。
ゆっくり時間をかけて近づき、そお~ッと顔を上げて見れば、
「・・・すぅ~、・・・すぅ~、・・・すぅ~」
目を見張るほどの可愛い女の子が寝息をたてていた。
腰まである黒く長い髪を広げ、寝間着用のワンピースに身を包みながら、僕たちのことには気づかずにぐっすりと眠りについていた。
「寝てる・・・よね?」
そう、『眠って』いるのだ。
誰がどこからどう見て寝ているようにしか見えない。
本来この子は寝る必要がない存在だ。肉体的な疲労はないし、精神的疲労は時間と共に回復する。どうしてもという場合は疑似催眠と呼ばれる、極めて睡眠に近い状態を取ることもあるが、近い状態なので正確には起きている。
そんな彼女が、眠っているのだ。これはもうとんでもなく凄いことだ。
初めて会ってからそろそろ三年が経つ。お父さんに言わせればこの状態にまでなるのがとんでもなく早いらしい。
と、そんなことを考えていると、
「う、ん~・・・?」
「あ・・・」
女の子が目を擦りながらそっと目を開く。
炎のような真紅の瞳がこちらを見る。完全に目が覚めていないのか、その眼はどこかおぼろげだった。
「ん・・・あ、れ? おう、か・・・?」
「お、おはよう・・・ユエラ」
身体を起こした女の子―――ユエラに向かって挨拶をする。
ユエラは欠伸を噛み殺しながら「おはよう」と言い掛けるが、突然身体が石にでもなったかのように動きを止めた。
あ、ヤバい。
そう思ったが身体が動かなかった。今すぐこの場から逃げた方が良いのは確かのだが身体が動かなかった。
「え・・・あれ、桜華?」
「う、うん。桜華だよ」
そう答えると、ユエラの身体が小気味に震えだす。
これは本格的にヤバい。こんな事なら早く逃げておけばよかったと後悔しつつ、ユエラを見る。
「一つ、聞いてもいい?」
「・・・何かな?」
この状況で聞かれる事といえば一つしかない。
「な、なんで・・・なんで桜華が私の部屋にいるのよ!」
「ですよねーっ」
自分でも良くわからないテンションで答えるが、どうやらそれが引き金になったらしい。
「勝手に部屋に入って来ないでよ! ―――<イリュージョン!>」
「へ・・・嘘?!」
ユエラの後ろから突然大量の水が湧きだす。水が湧きだすことは別段驚く事ではない。水属性を使える人なんかからすれば容易いことだ。現にそれくらいならば僕にだって出来る。
しかしその水の中に、大量の鋭い歯を覗かせ、獰猛な目をした生き物が―――俗に言う鮫なる生き物がいるとなれば話は別だ。
水で象った鮫ではない。
生き物が持つ体組織。備える器官。迫力までもがまるで本物の鮫。本来なら、この鮫は霊術で創られているため、偽物ということになる。だが、ことユエラが創り出したこの鮫は偽物などではなく本物なのだ。
本物の、生きた生物。
湧きだす水の中を泳ぎ、その巨大な口を開けてこちらに向かって来られては恐怖を感じずにはいられなかった。
「ち、ちょっと!? どう考えても『イリュージョン』はっ―――」
抗議をしようとしたが、さすがに命の危険を感じて迫り来る鮫から逃げ出す。
半開きだった扉を蹴破らん勢いで廊下に飛び出した。
霊力で身体を強化して必死に逃げるが、それを嘲笑うかのように後ろから大量の水と共に鮫が迫って来ていた。
「ユ、ユエラー! わかった。 謝る! 謝るからこれ消してぇ~!」
直ぐに逃げ切れないとわかって必死に訴える。正直泣きたい気持ちだった。
そして鮫が水中で飛び跳ねる様にジャンプするのが見えた瞬間、
「ごめんなさぁーいっ!」
振り向きながらのジャンピング土下座。
同時に、今にも僕の身体を食いちぎろうと口を開けていた鮫と水が音もなく消え失せる。まるで幻だったかのように。
少しのあいだそのままでいると、不意に人の気配がして顔を上げれば、そこにはいつの間にか僕の頭からいなくなっていたリルを抱きかかえたユエラが仁王立ちしていた。
「・・・何か言う事は?」
「ごめんなさい」
◇
「はっはっは、それでユエラを怒らして朝から騒いでいたのか」
「あらあら、二人とも相変わらず仲が良いのね」
静かな食卓の間にお父さんの笑い声とお母さんの声が響く。
楽しい家族団欒・・・とは少し言えなかった。楽しそうなのはお父さんとお母さんの二人でだけで、僕は未だに怒っていそうな雰囲気を出しているユエラの隣で朝ご飯を食べているところだった。
僕の家で天ヶ咲家は決まって四人で食事をする。お昼ご飯などは家にお父さんがいない時もあればお母さんがいない時もあるのでバラバラだが、朝ご飯と晩ご飯だけは皆揃って食べる。もちろんリルも一緒だ。
「ユエラ? まだ怒ってる?」
「・・・・・・」
黙々とご飯を食べ続けるユエラの顔を覗きこむと顔を背けられた。
「ユエラぁ~」
無視されるのは結構こたえる。ましてやユエラに無視されると悲しさが三倍増しだった。
「・・・んど、で・・・して」
「え、何か言った?」
「今度の日曜日にデートしてくれたら許してあげるって言ったの」
薄く頬を染めるユエラ。
言葉の意味を理解するのに少し時間が掛かった。デートという単語が頭の中を飛び交い、ついで僕もユエラにつられて顔が熱くなる。
今まで町に一緒に行ったりしたことはあったが、はっきりとデートと言ったのは初めてだった。
僕は気恥ずかしさのあまり、まるで人形のようにカクカクと頭を縦に動かす。
すると、ユエラの顔からさっきまでの怒りの色は消え、喜びの色が広がった。
それからは機嫌の戻ったユエラと一緒に楽しく会話をしながら朝ご飯を食べた。
ユエラが家に来てからそろそろ三年が経とうとしていた。
今のところ問題らしい問題もおきず、順調な日常を過ごしてきた。ただまあ、ユエラは霊で、僕は身体が弱かったせいもあって学校には行っていない。
何故かお母さんが教育資格を持っていたので、平日の朝はユエラと二人でお母さんに勉強を教えてもらっている。いわゆる家庭学習というやつらしい。お昼からは実技練習というのが日課だった。
お父さんいわく、十二天族に生まれた以上、勉強からは逃れられない。
だからお母さんに教えて貰っているというわけだ。
「しかし、ふむ・・・『イリュージョン』か。そうだな・・・」
右手を顎に当てて考え込むお父さん。
勉強があるのだから、テストがある。それはどこの学校でも同じこと。それは家庭学習でも同じ。
「桜華、ユエラ。例の力―――地獄の三柱の習得は進んでいるか?」
だから、
「えっと、炎獄とかの力だよね。それなら三つともユエラから教えて貰ったけど」
「ほお、三つともか。なら、桜華の修練の程はどんな具合だ? ユエラ」
「ようやく実戦で使えるレベル、かな・・・?」
お父さんが考えている事が何となくわかった気がした。
「それなら二人には今日の午後から実技のテストをする。今回はタウロスを相手にしてもらうか」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
少しの間、お父さんの言っている事がわからなかった。
正確には何を言い出すのかは大体予想は出来ていた。そろそろそう来る時期だったこともある。しかし、その後に付け加えられた僕たちの相手が問題だった。
タウロスを相手にする。
聞き間違いでなければ確かにそう言った。
「「ええぇ~~~~~~っ!」」
言葉の意味を理解した時、僕とユエラは同時に叫んでいた。
◇
朝ご飯を食べた後、僕とユエラはいつもならその後でお母さんに勉強を教えて貰っている、机と小さな黒板だけがある簡素な部屋へと来ていた。
「それではこれから、タウロス対策会議を始めます!」
「はい」
「ワン」
『タウロス対策会議』と書かれた黒板の前にユエラが立ち、机を挟んで僕が椅子に座りながら手を上げて返事をする。リルは相変わらずユエラの腕の中だ。
朝ご飯の時にいきなりタウロスと戦え、なんて言われてしまったので、対策を考えようということになり、今に至る。
「でも私、あんまりタウロスのこと知らないのよね。ということで、桜華。タウロスの説明と特徴を教えて?」
「了解っと」
早速タウロスの説明を始める。
天ヶ咲家が契約している金牛宮の黄道十二神霊―――『迷界の金雄牛』
牛頭人身の神霊で屈強な肉体を持つため近接戦闘に優れ、物理防御力も高い。
しかも、その物理防御力の高さからなのかはたまた他に理由があるのか分からないが、その肉体は近接型における天敵である中・長距離霊術にも耐えうる程だ。一度その場面を見たことがあるけど、長距離霊術がまるで雨のように襲い来る中を雄叫びを上げながら相手に向かって突っ込む様はかなり勇ましかった。
たいしてタウロス自体は中・長距離霊術を使う事が出来ないという欠点があるが、近接攻撃の範囲を延ばしてくるので少々性質が悪い。
あとは強靭な精神力と胆力といった忍耐力もタウロスの特徴だ。
武器は巨大なバトルアックスで、繰り出される一撃は黄道十二神霊中最強の破壊力を持つ。
いわゆる万能型の神霊なのだ。
「―――こんなところかな」
「・・・それって、私達にどうしろっていうのよ」
ざっとタウロスに関する説明を終えるとユエラが呆れかえっていた。
無理もないと思う。
黄道十二神霊自体がとんでもなく強いのに、弱点らしい弱点が見当たらない万能型が相手とくればなおさらだが、手がないわけでもないはず。
お父さんの部屋から持ってきたタウロスに関する本を見ながらユエラとあれやこれやと対策を練る。どう攻めるか。お互いの役割をどうするかなど、小一時間かかってある程度まで決まった。
「やっぱりこっちも接近戦で挑むしかないよね」
「だね。接近戦での近接霊術がそれなりに有効みたいだし。障壁が役に立たない炎獄とかを使えばそれなりにいけるはず・・・もとい、いってほしい」
「え、桜華が炎獄使うの?」
「ううん。僕は氷獄を使う気だけど? 雷獄はさすがにちょっと・・・」
ユエラが一番得意としている炎獄を使おうとは思わない。同じ属性で攻めるより二種類で攻める方が効果がありそうな気がするし。
雷獄に至っては未だに扱いが難しく今回は使わない方が良いだろうと思っていた。
「それに二人一緒に戦うんだから、炎獄と氷獄の二つで翼刃を使って霊術の物量で畳み掛ければいいんじゃない?」
「ん~、翼刃ね~。確かに、それくらいしかないかな。後はその時の状況しだいってところで今はそれくらいしか出来ないね」
今回は二人一組で挑むことになっていた。
そうこうしている内に対策会議が終わる。早い気もするけど、もともと僕たちに出来ることはそんなになかったのだから仕方ない。
タウロスの特徴と、こちらの攻めの打ち合わせをするくらいで下手な小細工なんかは通用しないし、この短時間でものに出来るはずもないのだ。
重要なのは、実戦でどれだけ出来るかというところだ。
「だね。それじゃあ・・・よっと」
部屋の隅には箱が置かれていて中には紐で結ばれた長い筒状の紙が何本かあり、僕はそのうちの一本を取り出し、紐をほどいて机の上に広げる。
そこには複雑な図形と文字がずらりと並んだ模様の様なものが描かれていた。
霊術陣。
それがこの紙に描かれている模様の正体だ。
既存の霊術陣ではなく、まったく新しい霊術のための霊術陣。お母さんに勉強を教えて貰っている中で、お父さんから基礎を教えて貰いユエラと一緒に霊術陣を描く勉強もしていた。
これはその一つで空間霊術と時空霊術を組み合わせた、時間を完全に停止させるための時空間霊術。お父さんからの僕とユエラへの課題で、時間が掛かってでもいいから完成させてみろと言われていた。
「これ以上考えても仕方ないし、これの続きをしようよ」
「うん・・・これが使えたらいいのにね」
「無茶言わないでよ」
ユエラが溜息を付きながら霊術陣を眺める。
確かにこの霊術がもし使えていたならばタウロスとの戦いがかなり楽にはなっていたかもしれないが、未完成すぎるこの霊術は使い物にならない。しかも時間を完全に停止させるほどの強力な霊術なのだ。そう簡単に作れるはずもない。
空間霊術と時空霊術の基礎の霊術陣を元に、二つの霊術陣を矛盾なく組み合わせて一つにし、そこに時間操作を記していく作業を子供の頭を使って考えていく。霊術陣を描くのには専門的な知識などは殆どいらない。
ひらめきと感が重要なのだ。
新しい霊術は偶然から生まれる。だから知識のない者でも出来るのだ。
それから僕たちはお母さんに呼ばれるまで話をしながら霊術陣を描いていた。
あれ、なんだか久しぶりにユエラを出してみると・・・どんなふうに書いていいのかわからなくなってました
どうしよう(汗)
と、書き始めに思っていたのですが、どうでしたか?
作者なりにはイメージ通りに書けたつもりなんですけどね




