第五十話「疑惑」
桜華と天蘭院がちょうどグラウンドで戦っている時、中央棟四階―――すなわち四年生のいる教室では誰もが窓の傍に行き、グラウンドで起きている事を見ていた。
そう、見ているだけだった。
誰も止めに行こうともせず、もっと近くに行って見ようともしない。それどころかこの状況下でも落ち着いた表情で、それも二人の戦いを見守るような表情でグラウンドを見ていた。
そんな中、一人だけ皆と違う気持ちの生徒がいた。彼女は廊下側の壁に背を預け、腕を組みながら眉間にしわを寄せ、指が忙しなく腕を叩いている。誰が見てもイラついているように見える。現に彼女はイラついているのだ。
彼女の名前は隼美 千慧。スラッとした体系にショートヘアー。少しきつめの眼。異性に好かれるよりも同姓に好かれそうな印象の彼女は蓮桜学園の風紀委員長である。
風紀委員長の彼女がこの騒動を止めに行っていないのには理由がある。そして、その理由に彼女は腹を立てていた。
最初、隼美は二人の争いを止めに行こうとしたのだが、教室を出ようとしたところを自らの主たる人物―――天上院 咲恵に止められたのだ。理由を聞こうしたが天上院は答えずじまい。故に彼女はずっとイライラしていた・・・が。
ここに来てそのイライラも限界に達し、自分の席で優雅に紅茶を飲んでいる咲恵の机を両手でバンッと叩いた。
「説明しろ、咲恵。どうして私を止めた。どうしてあの二人を止めようとしない。生徒同士の争いは規則違反なんだぞ」
「・・・・・・」
必死の隼美を一度だけ見て天上院はまた紅茶を飲み始める。
その姿に更に腹を立てた隼美は右手を上げ、その手を天上院の頬目掛けて振り下ろそうとしたが、振り下ろす前に後ろから誰かにその手を掴まれる。
振り向くと、そこには高校生とは思えない身体つきの天城臣 重次郎が立っていた。
「天城臣か。悪いが、その手を放してくれないか」
「放せばお前は天上院を叩くだろうからな。何もしないと言うのなら放してやる」
「だが! ・・・っく、わかった」
講義をしようとした隼美だが、天城臣の眼を見て諦めた。
「お前がそう思うのもわからんでもない。確かに生徒同士の争いは規則違反だ。それを止めに行こうとしたお前は正しい」
「だったら・・・」
「だからと言って、それが最善の行為だとは限らんという事だ。それに俺は、あの二人の争いよりも少し気になることがある」
そう言って天城臣は天上院に視線を移す。
相も変わらず天上院は紅茶を飲んでいるように見えたが、カップの中身は随分前に空になっていた。
「そもそもだ、天城臣。生徒同士以前に十二天族同士の争い・・・いや、決闘自体が禁止だ。学園行事は許されているがそれ以外となると天照一族が黙って・・・」
「それだ、隼美」
「それって・・・何がだ?」
突然真剣な顔つきになった天城臣に気圧される隼美。
他の生徒も天城臣の雰囲気の変化に気が付き振り返っていた。
「そのことについて、説明があるんだろうな・・・天上院」
「・・・・・・」
天城臣のズッシリと重みのある言葉を聞いて天上院はカップを皿の上に置く。
何の事だかわからない隼美は天城臣に説明を要求した。
「隼美よ、お前はさっき何て言った? 『十二天族同士の争い』と言ったな。確かに天蘭院は十二天族だ。だが天ヶ咲はどうだ。俺達が知っている蓮桜学園の天ヶ咲 桜華は十二天族ではなかったはずだ。ならば何故お前は十二天族同士の争いと言った?」
「そんなの・・・」
あたりまえじゃないか、そう言おうとして隼美は言葉を止めた。
そうだ。よく考えればおかしい。あいつは自分の事を十二天族ではないと言った。だが今自分の記憶では確かにあいつのことを十二天族と認識している。
どうしてだ?
理由は簡単。さっき思い出したからだ。あの天ヶ咲 桜華が同姓同名ではなく、本物の十二転属の天ヶ咲 桜華であることを。
「俺達はさっきその事実を思い出した・・・違うか? そして思い出したと同時に激しい眩暈、頭痛、嘔吐感が込み上げてきた。中には我慢できずに戻した者もいたようだ。だが一人だけ、苦痛の表情をせず、ましてや表情一つ崩さなかった者がいただろう。」
全員の視線がある一点に集まる。
その視線の集合地点にいる人物は尚も目を閉じてじっとしていた。
「あれは恐らく強制認識阻害の霊術が破られ、強引に記憶が戻った際に起きる症状だ」
ここまで来て天城臣が何を問うているのか分からない隼美ではない。
その症状が起きなかったと言う事は、既に術が解けていたという事。即ち、既に知っていたのだ。桜華が十二天族である事を。
「本当、なのか・・・咲恵」
隼美の視線の先、そこには身動き一つしない天上院。
教室が重苦しい雰囲気になったところでようやく天上院が口を開いた。
「あ~あ・・・やっぱり、私も苦しそうな表情をするべきだったみたいね」
その声には悪びれた様子が一切なかった。子供のように悪戯気分が混じったような言葉だった。
「いつから、思い出していたんだ? 咲恵。やっぱり、あいつが入学して来た時からか?」
「違うわよ、千慧。て言うか、そもそも私はあの子の事を忘れてなんかいないのよ。皆の記憶は四年前の襲撃事件の時にあの子が封鎖したけど、私は封鎖されなかったのよ」
「どうして・・・」
「封鎖する必要がないからよ」
「なるほどな。つまりグルだったと言う事か」
「グルとは酷い言い方ね~。別に私は何もしてないわよ? ただ以前から知り合いだっただけよ。ただし、ちょっと特別な知り合いだけどね♪」
真剣な二人の言葉に対してふざけたように返す天上院。
その態度に二人は完全に呆れきっていた。
「知り合いとは?」
「それは答えられないかな。どうしても知りたかったらあの子に直接聞いてみて」
「直接・・・か。あいつが生きていればな」
天城臣のその言葉に隼美と天上院が外を見ると、そこには天から翼を持った女神が降臨していた。
「なっ・・・まさか黄道十二神霊?!」
驚いたのは隼美だった。
いくら桜華の神霊が強いからと言っても十二神霊には歯が立たない。他国の軍事勢力を傾ける程の力を持つのだ。最悪死に至るだろう。
さすがの十二神霊の登場に天城臣も顔色を変えたが、天上院だけは顔色一つ変えなかった。それどころか笑っていた。楽しそうに、そして妖艶に。
「あの子の目的を邪魔することは許さない。たとえそれが親友であろうと、親であろうと。それに・・・あの子の事を甘く見ちゃ駄目よ」
誰に言ったのか、それとも独り言だったのか分からないが天上院の声に揺らぎはなかった。
少しして争いが再開され、十二神霊の名が伊達ではない事を証明するほどの霊力が吹き荒れる。もはやそれは霊力の嵐だ。
『天は地に 地は天に 開闢の時まで遡れ』
真っ白な服に、紅と翠の霊力を纏った黄道十二神霊の一体、処女宮の『天界の星乙女』が詠唱を始める。
「光と闇と無を集めよ 全ての空を地へと落とせ」
同じく紅と翠の霊力を纏った天蘭院 綾香がアストライアスの詠唱を引き継ぐ。
『幻想の世 夢の中 偽りの世界を想像せよ!』
「偽りの世界は現実へ 夢は夢であり 全ての想像を実現せよ!」
莫大な霊力を使って霊術が発動する。
「『―――<天地瞑落!>』」
◇
最初の異変は視界がグニャンッと歪み始めた。続いて軽い眩暈と身体中を何かが這いずり回るかのような不快な感触。次は眩いほどの光。その次は光が消えた。
とりあえず目眩と不快感を振り払うために頭を数度左右に振って目を開くと、そこはさっきまでいた蓮桜学園のグラウンドではなかった。
眼前に広がるのはどこまでも続く広大な大地と、視界を遮るものが一切なく、その全てを見渡せる空だった。
「ここは、どこだ・・・」
さっきまで確かに蓮桜学園にいた。それは間違いない。
なら転移霊術で移動させられた? ・・・いや、それはない。転移霊術独特の浮遊感がなかった。それとは別に目眩と不快感を感じた。
目眩と不快感か。となると・・・、
「詠唱から考えて『幻想世界』か『固有結界』か」
『さすが天ヶ咲家の人間。感心するわ』
突然声が聞こえて来た。
半ば反射的に鎌創剣を声のした方―――俺の後ろへと斬りかかる。だが鎌創剣に手ごたえがなかった。
代わりに、蜃気楼のようにそこにあったアストライアスの姿がスゥーッと消えていった。
『ここは私と綾香が創った幻想世界。天属性幻術霊術―――『天地瞑落』 幻想世界だからと言って甘く見ていると死ぬわよ』
今度は直接頭の中に声が聞こえて来た。
その言葉を最後に、アストライアスの気配が消えた。
幻想世界は異空間ストレージに似ていて、霊力で作った異空間みたいなものだ。
大きさは霊力の量によって決まるが、ここまでデカいともはや考えたくない程の霊力が使われているだろう。そしてこの世界では何でもありだ。
幻想の生物を創り出そうが自分だけの城を築こうが霊力が続く限り思いのままだ。
しかし、この世界の真の恐ろしさはそんなことではない。
この世界は全てが幻だ。術者が想像した幻想。故に元の世界には何の影響も齎さない。しかし、この世界の内側にいる内はその限りではない。この世界で負った怪我は元の世界に戻ってもそのままなのだ。
自分の肉体がそのまま幻想世界に来ているので当たり前だ。当たり前なのだが・・・。
ここは人が創り出した偽りの世界。
だがここで起きることは全て嘘偽り無き事実。
それを可能にするのがこの霊術―――幻術だ。
幻覚霊術や幻惑霊術とも違う。
五感の内どれかを騙すのではない。五感全てを騙し、脳を支配する。それが幻術。
故この世界でもし俺が死ねば、それは本当の『死』を意味する。
どうやってこの世界から抜け出そうか考えていると、急に世界が反転。気が付けば俺は空にいた。
「・・・・・・」
一瞬訳が分からなくなり、とにかく落下を避けるために足場を造ろうとしたがその必要はなかった。浮遊感はともかく、落下感すらいつになっても感じられない。それどころか下を見て驚いた。
そこには、どこまでも果てしなく続く『空』があった。
慌てて上を向けばそこには『地』が見えた。
なんだ? 俺は逆さまに立っているのか? そう思ったが違った。
逆さまになっているのなら重力に引かれて血が頭に溜まったり服や髪の毛にも影響があるはずだ。それがないと言う事はつまり―――空が地になり、地が空になったのだ。
「おいおい、嘘だろ」
物理法則どころか、世界の法則が捻じ曲がっている。
いくらなんでも無茶苦茶だ。こんなことがあっていい訳がない。
これ以上は危険だと判断して脱出を図ろうとしたが、直後に足元から強烈なGが押し寄せ、今度こそ間違いない落下感が押し寄せ、捻じ曲がっていた法則が戻り、空から地へと向かって落ちていく。
どれくらいの高さだろうか。そもそも今はそんな事関係なかった。今俺は確実に落ちている。急いで落下を止めようと霊術を発動しようとした、その時・・・俺は死を覚悟した。
さっきまで少なくても二千メートルはあったはずの地上との距離が、一瞬にして数十メートルまでになっていた。
「っ!」
強烈なGによって物凄いスピードで落下する中、迫り来る地上に背を向け首に掛けている銀色のネックレスを引き千切る。同時に俺は地上に背中から思いっきり激突した。
「ッッッァ・・・ヵハッ!」
全身に激痛が走る。
内臓が口から出るのではないかと思うほど何かが込み上げてくる。落下のスピードは地に落ちても収まらず、数メートル程陥没して小さなクレーターを造る。
生きて・・・るな。
まだ自分が生きている事を確認する。骨も折れていないようだ。
「はっ、本当に化物だな・・・『霊核剥離』は」
自分のことながら化物という言葉が何故かしっくりきた。
あの一瞬で体を霊力―――ネックレスを取ったから黎明力で覆い、対物障壁を同時に多数展開。加えて地面との衝突時に衝撃を拡散させた。それでも受けたダメージから心臓と脳なのどの内臓器官が破裂しないように保護。
これだけの工程を他の奴がしようとすれば十秒ほどの時間が必要だろう。
自分という存在に呆れていると
―――~~~・・・
何か音が聞こえてくる。それはまるで、高速で移動しながら風を切る音。
「・・・・・・」
嫌な予感を覚えながら上を向くと、
―――ヒュンッ・・・ズドォン!
「ガァッ・・・!」
突如空から降って来た何かが直撃する。
またもや激痛が身体を駆け巡る中、それが何なのかを理解した。空気を超圧縮した槍―――すなわち『天の穹槍』だ。それが落ちて来たのだ。
――――ヒュン・・・ヒュンヒュン、ヒュンッ
一本だけじゃなく次から次へと落ちてくる。一本一本が大きいので串刺しになることはなかったが威力が半端ない。普通の人間なら一発でぺしゃんこになってもおかしくない威力だ。
「調子、に・・・乗るな!」
俺を中心に半球状になるように防御障壁をいくつも展開する。ネックレスを取った今は障壁を同時多数展開など息をするかのように出来る。
『天の穹槍』を防いだのを確認して一息ついたが、当然強烈なプレッシャーを感じた。今度はなんだと半ば呆れながら上を向く。そこで俺は今度こそ言葉が出なく―――否、それをどう表現したらいいか分からなくなった。
そうだな。あえて表現すればこうか・・・、
空が落ちて来ていた。
いやいや、待て待て待て。
空が落ちて来るって・・・なんだ? どういう意味だ? 空なんて落ちるものなのか? ありえないだろ、空が落ちるなんて。
だが、確かに空から何かが落ちて来ていた。見えない何かだ。
何が落ちて来ている?
必死に思考していると身体がだんだんと重くなってきていた。まるで徐々に何かに押さえつけられているかのように重くなって来ていた。しかもすぐに立ち上がれなくなり、起きているのも辛くなってきた。
しかも大地に亀裂が走り、陥没し、砕け始める。
まさか・・・。
ようやく今起きている事に気が付いた。
空と認識出来る大気が超圧縮され、大地を凝縮するかのように押してきているのだ。
もしこの幻想世界が『空間』ではなく『星のような小さな球体』と設定されて作られているとしたら、このままでは凝縮に耐えかねて大爆発を起こしかねない。それにこの超圧縮された大気の解放も加われば確実に死ぬ。
そうこうしている内にとうとう身体を起こす事すら出来なくなった。
大地はミシミシと音を立てながら小さくなっていく。
しかも、なんだ? さっきからゴゴゴゴゴゴゴゴォォォ・・・と激しい地震と共に地鳴りも聞こえて来た。どこかで小さな爆発の音も聞こえたような気が・・・。
もしかしてこれはあれではないだろうか・・・そう、超新星爆発というやつだ。
たしか超新星とは大質量の恒星の大規模爆発の現象だったような気がするから正確には違うのだろうけど、光るか光らないかの違いだろう。爆発する事は同じなのだから(今の現象に心底呆れてもはや投げ遣りだ)
・・・って、投げ遣りになってどうする。
この世界で追ったダメージは元の世界でもそのままだ。もし爆発に巻き込まれでもしたら死は確実。いくらなんでもそれは防ぎきれない。
背筋に悪寒が走る。
数十トンの重りを載せられているかのように重い体に黎明力を流し、右腕を持ち上げる。
手を広げて天に向ける。
息をするのもきつい中、誰にも感じることが出来ない黎明力を解放する。そして、ここを脱出するために唯一無二の霊術を発動する。
「マッ・・・テ、リア・・・ルッ、バーストッ!」
―――バキィンッ
破砕音と共に、世界が・・・砕けた。




