第十一話「夢と現実」
闇。
それを表現するならばそんな言葉しかない。
光も影もない暗闇の中、霧散していた感覚が戻っていく。
気が付けば僕は大きな樹の下に立っていた。大きな、本当に大きな樹が目の前にそびえ立っている。
上を見れば樹の先は空の中へと消えていた。
どこかで見たことがあるような樹だったが、思い出すことは出来なかった。
今度は周りを見るとそこには誰もいなかった。いるのは僕だけ。まるで、この世界に僕しか存在しないような気が一瞬するが、すぐに気づく。
―――違う。これは、夢?
そう思い、歩み寄った樹に触れると頭の中で誰かの声が聞こえた。
(―――・・・)
だがその言葉を理解することが出来ない。
確かに声が聞こえるが、すぐに頭の中から消えてしまうような声。
それなのに、自然と僕の口はその言葉を反復していた。
「―――・・・」
自分でも何を言っているのか理解できなかったが、言い終わると同時に触れていた辺りの樹の皮が軋み、広がり、奥へと通じる穴が開いた。
奥には何やら小さな光が見えた。
その光を見た途端、脚が勝手に穴の中へと進んでいく。僕の意思に反してどんどん奥へと進んでいく。
次第に視界が広がり、そして目の前に想像を絶する光景が広がる。
そこは確かに樹の内側のはずだ。だが、今僕の目の前に広がる景色は決して樹の内側にある景色などではない。
そこには樹の外側にあるはずの世界がいくつも存在していた。
さらに、その九つの世界は一つの大きな樹に支えられ維持されていたのだ。
夢だ。そう、これは夢に違いない。
そう思いつつありえない光景に驚かされていると、不意に前方に人が現れる。
蒼白色の巫女装束を着て、腰には日本刀のような長剣と短剣、そして藍色の髪と碧い瞳を持った人がこちらに近づいてくる。
なんだろう。どこかで見たような、懐かしいような感じがする。
遠い昔―――いや、違う。
そもそもこの感じは僕の記憶によるものなのか。
「よう・・・そ、世―――の・・・へ。また―――しいわ」
その人―――女の人は僕の目を見て微笑みながら何事かを言う。
さっき聞いたような声だが、僕の耳まで完全には届かず所々しか聞き取れなかった。
「―――」
何て言ったの、そう言おうとしたけど声が出なかった。
声が出ない事に戸惑っていると、そんな僕を見て彼女は何かを理解したのか残念そうな顔をする。
そして僕の手を取る。
今度ははっきりと声が聞こえた。
「あなたはまだ早すぎる。戻りなさい、今いるべきところへ」
優しげに彼女は微笑む。
すると、僕の足は地面へと沈み込んでいく。
慌てて逃げようとするが、脚が完全に地面に沈み込んでおり歩くどころか動かすことすら出来なかった。
僕は傍にいる彼女に手を伸ばしながら助けを求めるが彼女はただ見ているだけで、その面持ちはどこか名残惜しそうだった。
下半身までが完全に沈んだところで、彼女は口を開いた。
「私の名は天照大御神。あなたが次ここに帰って来るのを私たちは心から待っています」
―――待つ? いったい何を待つっていうの? それに今、天照って・・・
のど元まで沈んでいたせいで声が出なかったが、僕の心の声は彼女に届いていた。
「あなたが無事成長し、真実を携えてここに来るのをです。しかし残念ですが、それまでにはかなりの月日と時間が掛かってしまいます。そして、その時まで再びあなたに会うことは恐らくこの先ないでしょう」
そして完全に僕は地面の中へと沈んでしまう。
息をすることは出来なかったが不思議と苦しくはない。まあ夢の中だから当たり前か。
それからしばらくは何もない無だけが訪れる。
どれだけ沈んだのか、そもそもあれから沈んだのか分からなくなり、上下すらわからなくなった頃、再び彼女の声が今度は頭の中に聞こえてくる。
(再び会うその時まで、私の事を忘れないでください。もし忘れていたとしても会った時には思い出してください。そうすればこの連なる世界は救われるでしょう。その時にでも、あなた自身について全てお話ししましょう)
―――僕の事?
(ええ。ですから、またお会いしましょう。いつか、かなら・・・ず)
次第に彼女の声は聞こえなくなり、僕の意識も目覚めへと覚醒していく。
おそらく、目が覚めた時にはこの夢の事を僕は綺麗さっぱり忘れているだろう。でも、いつかかならず思い出す。
この夢の事を、彼女の事を。
そして目覚め行く意識に身を任せた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
少年の沈んだ傍には未だに巫女装束を着た女の人が立っていた。その視線は少年が沈んだ辺りを見つめていた。
すると、彼女の横の空間が突然歪み始め、歪みが消えるとそこには一人の男性が立っていた。
「こんなところにおられたのですか、姉上」
紅色の貴族のような装束を着て背中に大剣を背負った男の人が軽く頭を下げる。だがその男性が着ている服はただの貴族服ではなく、鎧と服が一緒になったような服だ。
「あら、素戔嗚じゃない。どうしたの?」
「父上・・・いえ、伊弉諾様からの言伝です。先ほど壁の向こう側に新たな『鍵』が現れたので、その者をこちら側に通せとのことです」
「・・・今回はやけに感知が遅いわね」
巫女装束の女性―――天照は少し呆れ気味に呟く。
素戔嗚と呼ばれた男性は顔をあげる。
「どうかなさいましたか?」
「いいえ、なんでもないわ。それより戻りましょう」
「鍵はどうなさるおつもりで?」
踵を返した天照を呼び止める。
「そのことならもういいのよ。あちら側に帰したから」
「え、帰されたのですか!?」
驚く素戔嗚。
どうやら、その鍵とやらを帰してしまったことがよほど衝撃だったのだろう。
「ええ、そうよ。彼は―――あの子がここに来るにはまだ早すぎる」
「ということはもうとっくにこちら側に導いたということですか。早いですね」
「いいえ、私は導いていないわ」
「・・・え?」
意味が理解できなかったのか、素戔嗚は間の抜けた声を出す。
「私はこちらに来るための『言の葉』を教えただけ。そしたらあの子が勝手にこちら側に来たの」
「そんな・・・こちら側からの導きがなく、内側から外側に出て来るなんて。え、自分で出て来れたということは・・・」
「ええ、そうよ。やっと・・・やっと見つけた」
視線を上げ、九つの世界を支える樹をみる。
良く視ればその樹は根が三本しかないが、一本一本が物凄く太い。そのうちの一本は近くの町の付近へと根付いていた。
「あの子こそ私たちが待ち続けていた『鍵』であり、そして―――」
―――ヒュゥゥゥーー
最後の言葉は風が吹く音によってかき消され、近くにいる素戔嗚にすら届くことはなかった。




