page 90 : ハナミズキ
「ボス……俺、ハンバーガーよりベーグルが食いたい」
「いいけど、そんな洒落たものどこに売ってるんだい?」
梨人と、その後ろを歩くふたりは生徒たちで賑わう廊下を抜ける。
「どこって、ほら──巡影の、デッキの。お姉さんがやってたワゴン」
「まーた、そうやって無理を言う。ベーグルの一つや二つ、ここでだって買えるだろう?」
猫好きAは蛇遣いの手に握られていたハンバーガー無料券を取り返す。
「ベーグルなら、東岳陵の近くのパン屋さんが扱ってたと思うよ。色んな種類を置いてるの」
梨人の言葉に、蛇遣いの目が輝き出す。
「マジかよ!それなら放課後、買いに行こうぜ」
──ガラガラガラ。
教室に登校してきた梨人たちは、一人の女子生徒と鉢合わせる。
「あ、おはよう。佐山さん」
「お、おはよう、待夜くん!」
驚く結紀に、梨人は静かに笑う。
もう、以前の悪徳な彼女の面影はどこにもなかった。
「今日も、寒いねえ」
穏やかな笑顔を前に、結紀も微笑む。
「うん、ホント寒くて……参っちゃうね」
この他愛もないやりとりの中には──梨人と結紀そして猫好きA、蛇遣いにしか分からない、制裁から生まれた繋がり、そして温もりが隠されていた。
結紀とすれ違うと、梨人たちはそれぞれ席につく。
梨人がカバンを机の上に置くと、こちらを見る隣席の順太とばっちり目が合った。
(……なんだろう。また何か、文句でも言いたいのかな)
梨人は気にせず、カバンの中から教材を取り出す。
「お、お……」
「?」
何か言いたげな順太を、梨人は警戒する。
「……なに?」
怪しむ梨人に一瞬、躊躇った順太は微妙な間の後、小さな声で言った。
「お……はよう」
それだけ口にした彼は、くるりとそっぽを向いてしまった。
今までとは明らかに違う順太の態度に、梨人は教科書を片手に持ったまま固まる。
「ええと……お、おはよう……?」
ぎこちなく返事を返した梨人は席に座ると、机の端にピシッと折られたメモのような置き手紙を見つけた。
隅には、小さな文字で"待夜へ"と記されている。
「えっ……僕宛?」
梨人が恐る恐るメモを開くと、そこにはシンプルな一文が在った。
『今日、一緒に帰れない? 順太より』
隣の席を見ると、チラリとこちらを覗き見ていた順太と、またもや目が合った。
「あ、あのさ──」
梨人が声をかけようとするも順太はまた、そっぽを向いてしまう。
まともに話もできない状況に梨人は順太の肩に触れようとするも手前で躊躇い、置き場の無くなった手を引っ込めた。
「東岳陵駅付近のパン屋さんは……あった、"HAZE BAKERY"だって」
梨人の後ろの席では、ベーグルを食べたい仲間のためとパン屋を調べる猫好きAの隣で、蛇遣いがふたりのやりとりを見守っている。
梨人は筆箱からサインペンを取り出しメモに何かを書くと、折り畳んだそれを順太の机にすっと置いた。
そして、席に着いた彼は机上に視線を戻すと、何事もなかったかのように授業の支度を始めた。
梨人が見ていないことを確認すると、順太は返ってきた手紙を机の下で広げた。
自分が梨人へ送った文のすぐ下、そこには──
"いいよ。じゃあ、またあとで。"と返事が続いていた。
俯き、口角を上げる順太の斜め後ろ──猫好きAはペケダモンシールの貼られたスマートフォンに目を凝らす。
「なになに……ベーカリーに隣接する古民家カフェでは美味しい自家製のコーヒーも取り扱っています──だって。へえ、口コミによると、あの百合亭のライバルだったんだね。私好みのお店が多くて、本当助かるねえ」
「なに、百合亭のライバル!?これは尚更、リサーチしに行かないとな」
猫好きAのスマートフォンから目を外した蛇遣いは、順太の嬉しそうな背中に口元をわずかに緩ませた。
──放課後。
「……待っててくれたんだ」
梨人が下駄箱に着くと、そこには既にガニ股で座り込んだ順太が待っていた。
「お、俺が誘ったからな」
ぎこちない順太の後ろを付いて行く形で、梨人は帰路に着く。
昇降口に溜まっていた女子生徒の一人が、校門へ向かうふたりの背中を目で追う。
「でさあ!その後、私の推しってばTシャツに跳ねたラー油の染みをアートに……ってちょっと結紀、聞いてるの?」
「あ、うん。ごめんごめん」
楽しそうにアイドルの話をする同級生に頷く結紀の頭には、梨人たちへの心配があった。
今朝からの様子を見れば、順太は梨人に危害を加えることはないだろう。
しかし──あの順太のことだ。
順太と一時期、連んでいた結紀は彼の気難しさをよく知っていた。
(順太……待夜くんと、上手く話せるのかな。ちゃんと、謝れるといいんだけど)
そんなことを想いながら、彼女は興味のない話題を顔だけのリアクションで過ごした。
「待夜──」
高校付近の公園のベンチに、順太と梨人は並んで腰を掛けている。
辺りでは小さな子供がキャッキャッと楽しげに走り回る。
賑やかな公園を見渡す梨人の足元では、大人しそうな女の子が服の裾を受け皿にして、赤い木の実を集めていた。
梨人の方を向いた順太は、深々と頭を下げる。
「今まで、本当にごめん」
順太の謝罪に、梨人は小さくため息をついた。
「野辺山──僕の本、破ったもんね」
順太は、少しだけ頭を上げる。
彼の視界には梨人の膝元と細い指だけで、表情は見えない。
「ああ……やっちゃいけないって頭では分かってたんだけど……って、言い訳がましいよな、ごめん。全部、俺がイライラしていたせいだ」
順太が座るベンチの脇に、女の子は拾った木の実を綺麗に並べ始めた。
視界でひょこひょこと動く子供の頭に落ち着かない様子の順太に、梨人は問いかける。
「野辺山にとって僕は、見ていて苛立つ存在?」
その言葉に、順太はゆっくりと顔を上げた。
「違う、待夜に苛立ってたんじゃなくて──」
一呼吸置いた順太は、膝の上で手を組むと梨人の目をまっすぐ捉えた。
「暗い話になっちまうけど。俺──昨年、兄ちゃん事故で亡くしててさ。兄ちゃんは結構、待夜に似てるタイプで。俺とは違って華奢で、眼鏡掛けてて、読書家で、優しくて──クラシックを好んで聴くような、穏やかな人だった」
淡々と話す順太の、どこか落ち着いた瞳から、梨人は初めて素の彼を見た気がした。
「カッコわりいんだけど、その……俺、未だに兄ちゃんのこと信じられなくて、受け入れたくないって突っ撥ねてたというか──兄ちゃんが死んだってこと、思い出さなければイケるんじゃないかって考えたりもしたんだけど。でも、どうしても隣の席の待夜を見る度に、兄ちゃんがチラついて。そんなくだらない理由から、待夜のこと勝手に嫌うようになって……本当、ごめんな。兄ちゃんが死んだことと待夜は何の関係もないのに、こんな身勝手で……」
申し訳なさと、やるせなさに俯く順太──
「キャハハハッ!冷たーいっ!」
梨人たちが座るベンチの近く、ニット帽を被った子供は水飲み場の蛇口を大胆に捻ると、寒さも気にせず大量の水飛沫を浴びる。
「ああっ、もう!なにやってるの!」
急いで駆けつけた母親は、慌てて水道を止めると子供を叱りつけた。
「まったく、こんなに濡れて!はい、今日はもう、これでおしまい。お家帰ってお風呂入らなきゃ、風邪引いちゃう」
びしょ濡れの子供の髪をハンカチで拭く母親に、子供は泣き叫ぶ。
「イヤだぁっ!まだ帰らないっ、まだ帰りたくないよおっ!うわぁーーーん」
号泣する緑のニット帽の男の子の元に、色違いの青いニット帽を被った、子供がやってくる。
背丈からして、その子の兄のようだ。
兄は、顔をくしゃりと歪めて泣く弟の頭を小さな手でポンポンと撫でた。
「泣かない、泣かない。よーしよし」
兄があやすも、弟の涙は止まらない。
「あっ、そうだ!おうちで兄チャと一緒に恐竜チョコ食べよう!な?」
「何言ってるの。もうすぐ、ご飯なんだからチョコは明日。今日は食べない!」
「なんでえっ!チョコくらいいいじゃんか!ママのケチ、アホ、ちびゴリラ!」
「ああ、いいよ?そういうこと言ったらママ、ゴリラどころか鬼になるからね!」
「いいもんっ!そしたらオレ、一人で鬼やっつけちゃうもーんだ!」
母に食ってかかる兄を見て泣き止んだ弟は指を咥え、泣き止んだ。
(うわあ……お母さんって大変)
苦笑いする梨人の隣、順太がぽつりと呟いた。
「……やっぱ、アニキって強いんだな」
彼の横顔を見た梨人は、気づかれないようにそっと目を逸らす。
その光景に兄と自分を重ねたのか、順太は目に涙を浮かべていた。
母と兄と、手を繋ぐニット帽の子供が、公園の向こうへと遠ざかる──
三人の足どりが完全に見えなくなると、梨人は話し始めた。
「──ごめん、野辺山。僕には、大切な人を亡くした経験が無いから分かってあげられる部分は少ないかもしれない。でも……もし僕が野辺山なら、家族が欠けた毎日で、いつものようには居られない。すぐに立ち直れるとも思えない」
その言葉に、順太は潤んだ瞳で梨人を見た。
「お兄さんは、もう居ないかもしれないけど。お兄さんを慕う、その気持ちは止めなくたっていいんだよ。だから、思い出さなければ良いだなんて、そんな風に思わないでよ。きっと、お兄さんだっていつまでも覚えていて欲しいはず。だって、お兄さんが居たから野辺山が居て、野辺山が居たからお兄さんは、お兄さんだった──それが、兄弟ってものでしょ?」
「待夜……」
伏せられた順太の目から、一気に涙が溢れ出した。
「あれ……?なんだ、これ……っおかしいな……」
見られまいと一生懸命、涙を拭いながら順太は言う。
「俺……っ、お前の親戚にも言われたんだ。兄ちゃんを……兄ちゃんとの思い出を糧に、周りを照らせって。そして、誰かにとっての"忘れられない人"になれって。まさか、ふたりの待夜から同じようなこと言われるなんて……俺、びっくりだわ……っ」
「──あのさ。それ、言ってたのってコルク?」
「あ、ああ。金髪の方」
「そう、だったんだ……」
ハンバーガー無料券を片手に猫好きAが呼び止めたあの時──急いで順太を追いかけていった蛇遣いの謎が今、解けた。
「わりい、待夜……こんな、情けないところ見せちまって。俺、待夜に謝るために、ここまで付き合ってもらったのに……」
制服の袖でゴシゴシと目元を擦る順太に、梨人はハンカチを差し出す。
いらないと小刻みに頭を振る彼に、梨人は出番の無くなったハンカチを膝の上に降ろすと、指で弄んだ。
「それは……また野辺山に当たられるのは御免だけどさ。今日、こうして話してくれて、僕は納得できたし、スッキリした。今までのこと、許せると思った。だって……話すと野辺山、悪いやつじゃないんだもん」
そう言うと、梨人は目を腫らした順太に向き合った。
「野辺山が少しでも穏やかでいられるなら、僕は力になるよ」
順太は、ストッパーが外れたように泣き出した。
今だ!と、梨人が膝に置いていたハンカチを差し出すと今度こそ、彼は受け取った。
「あ、ああ……っ、ありがとう。俺も、お前たちに言われたように、もっと周りを大切にしようと思う……っ」
ハンカチに縋るように涙を流す順太に、ベンチの後ろから小さな子供の手が伸びてくる。
真っ赤な目をした順太が後ろを振り向くと、女の子は赤い木の実を差し出した。
「これ、あげる」
"泣かないで"と言うように、女の子はそっと順太の大きな手の平に木の実を置く。
触れた女の子の手は、ひんやりと冷たい。
でも、手の中にある木の実は、生命を感じさせるように赤い──
スンスンと鼻を啜った女の子は、隣に座る梨人に話しかけた。
「ねえねえ、この赤いのってなあに?ここにしか落ちてなかったの」
もっと欲しかったのか、ベンチの上に並べられた赤い実は数える程しか無かった。
「ああ……これは多分、ハナミズキの実じゃないかな。ほら、ここの公園って春になると赤い花が咲いてなかった?」
「あ!うんうん、いっぱい咲いてた!綺麗な花!」
「こんなに寒い時期だし、木の実も少なくなったのかもしれないね」
「そっかあ、いっぱい拾いたかったのに。ざんねんだなあ」
楽しそうに話す二人の隣で、順太は女の子から貰ったハナミズキの実を手に取る。
(春先か──この辺をよく散歩したよなあ、兄ちゃん。いつだか、兄ちゃんが綺麗だって嬉しそうに写真撮ってた、あの赤い花……ハナミズキだって。俺、今知ったよ。そのくらい、教えてくれたってよかったのになあ)
花なんて、興味ないだろ?という兄の声が聞こえたような気がして──親指で小さな木の実をひと撫ですると、彼は懐かしそうに微笑んだ。




