page 91 : 揺れる風船、雨予報
「本日、AOHARU MOBILE抽選会やってまーす!」
梨人と順太が肩を並べる公園の向かい側、小さな携帯ショップの駐車場では、ジャンパーの上からストライプ柄のはっぴを羽織った店員が風船を片手に宣伝に励んでいる。
「こんにちは。風船、ひとつください!」
「こんにちは、来てくれてありがとう。はい、ちゃんと持ってね」
父親に手を引かれイベントを訪れた子供に、お姉さんは企業名の入った風船を手渡す。
梨人たちが見渡す公園内はたちまち、AOHARU MOBILEの風船を持った子供で溢れた。
「なあ。ハナミズキのお礼に、俺が風船貰ってきてやろうか──」
順太が振り返ると、さっきまで居たはずの少女が居ない。
「あれ?どこいった、あの大人しそうな子」
「あの子なら、お母さんらしき人が見えて帰っていったよ。ちなみに今は、ほら。向こうで風船貰ってる」
梨人の指差す方を見ると、母親と手を繋いだ少女が道沿いの携帯ショップ前で、赤い風船を片手に微笑んでいた。
「また、赤か。あの子、赤が好きなのな」
子供の無邪気さに頬を緩めると、手元で貰ったハナミズキの実を転がす、順太──
その嬉しそうな背中に、黒い影が迫る。
「……仲直りは、したのかい?」
「うわっ!!」
いきなり背後を取られた順太は、絵に描いたようにベンチから転げ落ちた。
「ちょっと、大丈夫?!」
心配して立ち上がった梨人は、その影の正体にため息をつく。
「……好。何してるの」
「ごめんね、脅かすつもりはなかったんだけど」
そう言う猫好きAの後ろから、袋を手に下げた蛇遣いがやってきた。
「やけに風船塗れだな、この公園。不吉だと思うのは、俺だけか?」
子供たちの持つ風船を見て、眉をひそめる蛇遣いに、猫好きAは堕界の景色を浮かべる。
風船を離した少女。
空に飛び立つ、ハトメ。
ハーバルアイスの歌。
遠ざかる巡影に、どこまでも広い空。
「それは多分……あの日を思い出すからだろうね」
しんみりとする、ふたりの瞳に笑顔の梨人が映る。
「コルク!あ、その袋。ベーグル買えたんだね」
「ああ。恵さんが今日は洋の気分だって言ってたから、家族分な」
梨人は蛇遣いから受け取ったHAZE BAKERYの袋を開き、中を覗く。
「わあ、全種類ある……ありがとう、皆喜ぶよ」
嬉しそうな梨人の前で、猫好きAは開かれた袋に手を突っ込むとべーグルを一つ掴む。
そして、ズボンに付いた砂を払う順太にその包み紙を差し出した。
「君にも、一つあげよう。さっき試食してきたんだけど、とても美味しかったから」
「い、いいのか?俺が貰っても」
「え、いらない?いらないなら、いいんだけどね」
「要る、けど……」
順太は、ベーグルに手を伸ばすもなかなか受け取らない。それも、そのはず。
彼は猫好きAに対して、ちょっとしたトラウマがあった。
そう──あれは、初対面。
猫好きAと蛇遣いが、高校へ転入した初日。
梨人の本を守るように発動した、アメーバ。
順太の手の甲を這う、猫好きAの白い指。
そんな彼から感じた、化け猫のような生気。
一度、恐怖を覚えた記憶は、そう簡単に拭えない。
心の奥を見透かされるような、この鋭い瞳が──怖い。
妙にオドオドする順太を見た猫好きAは、彼の手を取ると、無理やりベーグルを握らせた。
「私が、怖い?」
「……少し」
順太の目が、あちらこちらに泳ぐ。
「前までの卑怯な君は、私を恐れていれば良かった。でも、今の君は?変わったんじゃないのかい?」
猫好きAの問いに、彼は顔を上げる。
光のない目をした猫好きAの後ろでは、蛇遣いと梨人が微笑む。
順太が視線を戻すと、猫好きAも薄ら笑みを浮かべた。
「ってことで。これは私たちからの、門出のベーグルだよ」
──午後5時を回った、公園。徐々に空は暗くなり、遊具で遊んでいた子供たちも気がつけばほとんど家に帰って行った。
ポッと白い光を放つ街灯の下、ジャングルジムには誰かが忘れていった風船が揺れている。
「日が落ちてきたな。そろそろ、帰ろうぜ」
肩に通学カバンを掛けた蛇遣いは、残りの三人を急かす。
先を歩き出した、ふたりを追いかけ出口に向かおうとした梨人を、順太が呼び止める。
「あ、そうだった。今日は待夜に、これを渡そうと思ったんだ」
「え、僕に?」
「そう。これなんだけど」
順太は、梨人に一枚の紙切れを手渡す。
裏返した梨人は、目を大きくした。
『鍵谷航展』──それは、梨人の好きな青龍シリーズの作者が催す、展覧会のチケットだった。
「待夜、その……一緒に行かないか?」
照れくさそうにする順太を前に、梨人は手の中のチケットを嬉しそうに眺める。
「もちろんだよ、一緒に行こう。でも、知らなかったな。野辺山も、鍵谷先生が好きだったなんて」
「兄ちゃんが、鍵谷先生の大ファンだったから。どんな感じか自分の目で見て、兄ちゃんに話してやるんだ。弟としては、グッズも買わないといけないし、写真を残す義務もある」
「凄く……凄く、良いと思う!そしたらお兄さん、絶対に喜ぶと思うよ!」
帰り間際に、ワイワイと盛り上がる二人の後ろから、猫好きAがぬっと現れた。
「おや、これは梨人が読んでいた本の作者さんじゃないか。私も興味があるよ」
梨人のチケットを覗いていた顔が、ぐりんと順太の方を向く。
「あ、ええと……一緒に行きますか?あ……でも、どうしよう。チケットはこれしか……」
本気で悩む順太に、猫好きAはニヤリと笑う。
「無いなら、偽造すればいい。そしたら、皆で行けるだろう?」
「偽造!?何言ってるの、捕まるよ?」
「それなら。君たちの口を塞げば、ノープロブレム」
そう言うと、猫好きAは順太と梨人の腰に手を回し、引き寄せた。
その光景を、蛇遣いは少し離れたところから見ている。
呑気に高校生を揶揄う猫好きAに、顔を見合わせて笑う二人。
そんな、彼らの頭上──上空の東側からは、黒い雨雲がこちらへ流れてきているのが分かる。
ジジジ──
蛇遣いのカバンのファスナーがゆっくりと開き、裂け目からはニュッとマキシが顔を出す。
「クンクン……向こうから、雨の匂いがするナ」
蛇遣いは、声を上げる梨人たちから視線を移すと、だんだんとくすんでいく空を見上げた。
「ああ。今夜はまた、一段と冷えるだろうな」




