page 83 : 猫好きと猫嫌い
──岳陵第一高校、屋上。
「さ……寒──い?」
「あ、起きたみたい」
目覚めた彼の目の前で、猫好きAが振り返る。
「て、てめえっ!……ん?」
真二は、身動きの取れない状況にようやく気づく。
彼の腕は猫好きAと蛇遣いのネクタイ、そしてそれに込められた少しの影響力によってフェンスの網目に固定されていた。
「なんだよ、これ……っ!外せっ……外しやがれっ!」
──ガシャンッ、ガシャンッ。
真二が暴れて、フェンスが音を立てて大きく揺れる。
「おっとお!?」
頭上から、誰かの驚く声が聞こえてくる。
上を見るとそこには、蛇遣いが跨っていた。
「よう。怪我は?まだ痛むか?」
ニカッと笑う蛇遣いに、真二は動揺する。
「あ?怪我ぁ?……そういえば、痛まない……かも」
「そうか、良かったな」
(そりゃそうだ、俺が治療したんだから)
蛇遣いは、当たり前というようにニッと口角を上げた。
「とうっ」
フェンスの上から体操選手みたく華麗に着地した蛇遣いに、「おお〜」と猫好きAが拍手を送る。
ふざけたふたりのやりとりを前に、真二は口を開く。
「お前ら、待夜に聞いたのか。俺が手を上げたってこと」
猫好きAは、拍手の手を止めると真剣な顔に戻る。
「ううん、聞いてない。言ったでしょう、私には真実が見えるんだって──」
「えっ?そうなのか?」
あたかもそうであるかのように、サラッと嘘をつく猫好きAに蛇遣いはつい、反応してしまった。
「──そうでしょう」
「……そう、だよな」
少しの間の後、蛇遣いはいつもの猫好きAの口車であったことを理解する。
しっかりしてよと言いたげに、猫好きAは蛇遣いに視線を送る。
(そっか、俺がいないと記憶は見れないもんな)
蛇遣いは、猫好きAのテレパシーに応えるように目だけで笑ってみせた。
「っ……キツいな……クソっ……」
右手も、左手も固定されている真二は体勢の辛さに身体を捩り始めた。
「いけない、暴れ出しそうだ。マスター、始めるとしようか」
「ああ」
猫好きAに合図をもらった蛇遣いは、真二の縛られた位置の延長線上に立つと両手を前に出す。
「あ?始めるって……何をだよ」
多少不安そうにしている真二に、囲い手を構えた蛇遣いは唱える。
『 スキャン 』
指の合間から見える蛇遣いの瞳の中に、不思議そうな顔をした真二が映った。
「──岩倉真二」
「なんだよ」
呼ばれた真二が声をした方向を見ると、猫好きAがフェンスに片手をついていた。
尋問スタイルだろうが──これでは、まるで壁ドン。
「私がこれからする質問に、正直に答えること。いいね?」
鋭い目が、真二を見下ろす。
「わーったよ」
(馬鹿か、答えるわけねえだろ)
真二が口での返答とは裏腹に、心の中で猫好きAへ楯突いた時。
囲い手から真二の脳内を覗く蛇遣いが、声を上げる。
「ボス、残念ながら"コインは裏"だったみたいだ」
コインは裏──ふたりの間で交わした"予想"の答え合わせ。
真二が目を覚ます前。
猫好きAは、一枚のコインを弾いた。
コイントスとは、表か裏か運に答えを委ねること──言わば、運の導き。
表はYES。
裏はNO。
真二は正直に答えるのか、それとも拒むのか。
コイントスは、その予想を決めるための指標だった。
──結果を聞いた猫好きAは、面白そうに笑い出す。
「フフフ、残念どころか予想通りじゃないか」
猫好きAは、白い手で真二の首を掴んだ。
「はっ、はあっ!!」
肌に密着する、細くも硬い手に震え上がる真二──さっきまでの勢いを完全に無くしていた。
「まだ何もしてないのに、大袈裟だよ。でも、これから言うことに正直に答えないと──ねえ?」
猫好きAはほんの少しだけ、彼の首を握る手に力を込める。
「分かった、ちゃんと答える!いや、答えます!」
猫好きAは力を緩めるも手は首に添えたまま、尋ねる。
「では最初に聞こう。一番嫌いなモノ、それは?」
「ね……」
「ね──?」
「猫……です」
この回答に猫好きAはニヤリと笑うと次には指を咥え、笛音を鳴らした。
ピュイピュイ──
指笛の音に、何かが迫り来る気配を感じた真二は顔を強張らせる。
「な、なんだ……?」
ガシャンッ!ガシャッ、ガシャンッ!!
何かがフェンスを伝う音に、真二が上を見上げた時。
「ニャオン!」
「ニャウ゛〜〜」
フェンスを飛び越えてやってきたのは、数え切れないほどの野良猫だった。
「うっ、うわあ〜〜〜〜っ!!」
柵の上から次々に落ちてくる猫たちに、彼の顔はみるみる青ざめていく。
「む、無理いっ!あ……あっちいけ、あっちいけってえ!!」
目を瞑り、必死に足をバタつかせて拒む真二だが肝心の猫たちは皆、真二から一定の距離をとって座っている。
「……?」
襲ってこない猫に、真二が恐る恐る目を開けると一匹の猫の、まんまるな瞳と目が合った。
きゅるりとした瞳は、真二の姿を見るなり鋭く変わる。
"馬鹿にゃのか、コイツは"──まるで、そう言ってるかのよう。
「ひいっ!!」
一人騒ぐ意気地なしに呆れる猫好きAは、真二を見つめるその猫に話しかけた。
「斑夫人、そこで待っててくれるように皆に伝えてくれるかい?」
「ミャオン」
可愛く返事をした猫が振り向くと、猫の大群はコンクリート床に腹をつけて寝そべった。
完全に、待機の姿勢だ。
「これでようし」
満足気に微笑む猫好きAに、蛇遣いは言う。
「なんだよ、ボス。こんなにたくさんの猫ちゃんと、知り合いだってのか?くうっ、羨ましいなあ!」
「この間、猫たちの夜会にちょこっと顔を出してきてね。皆、良い子たちだよ」
動物好きな蛇遣いが潤む瞳で猫たちを見つめると、そのうち片目に傷を負った一匹のぶち猫が
腹を出して仰向けになった。
「え〜?撫でさせてくれるのか〜?」
「ギャウ」
渋い声で返事をした猫を、蛇遣いはわしゃわしゃと撫で回す。
「お〜〜よしよし、良い子だにゃ〜〜。」
「ギャウ」
猫を愛でることに夢中な蛇遣いはさて置き、猫好きAは真二に向き合った。
「ここまで来れば、嘘はつけないよねえ。嘘をつけば、この猫たちが君を襲う」
「う、嘘は絶対につきません……だから、それだけはやめてくれ……ください」
真二は、猫たちから顔を逸らすように空を仰ぐ。
彼の反応から、反抗心が1ミリも残っていないのを確認すると猫好きAは、質問を再開した。
「岩倉真二──君は何故、梨人に危害を加えるんだい。何か、理由があるんだろう?」
真二は、梨人との出会いから思い出す。
「……あいつは、なんでかわからないけど他のヤツより大人しくて、初めっからクラスの中で一人だけ違って」
「うん、それで?」
「同じクラスになったばかりの時、浮いてたら嫌だろうなって思って、その……誘ったんだよ」
「誘った──なんて?」
「東京に遊び行くけどお前も来るか?とか、サッカーするから仲間に入れてやるよ、とか……」
いつの間にか、猫塗れになった蛇遣いが口を挟む。
「なーんか、ヤな感じだな」
「うん、ホント」
これには、蛇遣いだけでなく猫好きAも同じ反応。
否定された真二は、更に口を動かす。
「どこが、嫌な感じなんだよ。俺だって、気を遣って誘ってやったってのに。
でもそこから、待夜は俺を避けるようになった。何回か誘ったけど、"無理しなくていいよ" "僕はいいから"って。俺の努力を踏みにじられたみたいで、頭にキて。そっから、お前らが急に転校してきたり、眼鏡外して女子からキャーキャー言われたりしてるの見たら、もっと頭にキて。だから──」
「鬱憤晴らしに殴る蹴るをした、ってことだね」
「そう……です」
聞きに徹していた猫好きAはパッと顔を上げる。
「今の話を聞くに、君は先入観とノンデリそれに暴力が合わさった──"害悪ハイブリッド"だね」
「なっ……!」
カッとなった真二だが、猫好きAの後ろで耳を動かす猫たちを見ると、大人しく口を結んだ。
「ひとつ、言うけどね。世の中、同じタイプの人間ばかりではないんだから、君たちみたいにすれ違って、こじれることなんていくらでもある。
でもね──知りもしないのに、最初からなんでも決めつけるのは良くないことだよ」
猫好きAは、近くに寄ってきた猫の頭を撫でる。
「その時、梨人は本当に自分が浮いていると思っていたのか──そして、梨人という人間は何を好むのか。側から見ての体裁ばかりじゃなくて、相手の気持ちの部分も考えられたら、とは思わない?」
そう言うと、猫好きAは俯く真二の顎に白い指を添えた。
「!?」
眉をしかめる真二に、猫好きAは話を続ける。
「それに。誰だって上からモノを言うみたいに誘われたって、行こうという気は起きないよ。いいかい?スクールカーストたるものなど、存在はしない。本当のカーストっていうのはね、この世界さ。私たちから見た君たちは、皆おんなじサイズ、おんなじ力量のアリンコでしかないんだから」
するりと顎から指が外れると、真二は猫好きAから目を逸らした。
「でも、真二。お前、全部が全部、悪いわけではないんだよな」
膝でくつろいでいた猫を静かに床に下ろすと、蛇遣いは真二の方へと歩み寄る。
「え……?」
「梨人は、ああいうタイプだからお前みたいにワイワイ賑やかにするのは苦手だろうけどよ。
お前は例え決めつけだったとしても、そんな梨人をそれなりに心配して、声をかけようと思ったんだろ?さっき言ってたもんな、"浮いてたら嫌だろうな"って」
蛇遣いは、フェンスと真二の手を縛るネクタイに手を掛けると、その結び目を解き始めた。
「そういう、分かりにくいけど優しい一面もあるんだから。全て、偏見と暴力に振っちゃあもったいないぞ」
もう片方のネクタイを、猫好きAが解き始める。
「今からでも、遅くはないさ……一度、梨人と向き合ってみたらどうだい」
梨人を傷つけた自分にも良いところを見つけてくれる、待夜コルク。
背中を押してくれた、待夜好《猫好きA》。
ふたりの言葉に、真二は胸が苦しくなる。
そして、梨人に手を上げてしまった自分を信じられない気持ちになった。
拘束から解かれ、自由になった真二──五本の爪痕の刻まれた顔が、ふたりを見つめる。
少し伸びた髪を風に揺らしながら、青年は言った。
「──待夜を今までたくさん傷つけて、怪我までさせて……俺、一人でずっと間違ったことしてた」
真二は、ふたりに深々と頭を下げた。
「お願いします。教えてください、待夜の好きなこと。こんなことしておいて、我儘だって分かってる。でも、ちゃんと向き合って待夜に謝りたい。待夜さえ良ければ、俺はやり直したい。だからそのために、教えてください──待夜のこと」
猫好きAは、真二の頭をポンポンと優しく叩いた。
「とりあえず、頭をあげな」
顔を上げた上目遣いの真二に、猫好きAは言う。
「それじゃあ、きっかけ作りくらいは手伝ってあげよう。梨人は一番は読書なんだけど、最近はスマホゲームにハマっていてね」
「そうそう、これなんだけどな──」
猫好きAと蛇遣いは、真二を挟むとなにやらゴニョゴニョと話し始めた。
──数分後。
「これで……大丈夫だよな?」
スマホの画面上で動く、初期装備の主人公。ぎこちなくキャラクターを操作する真二の肩を蛇遣いが持つ。
「もし、不安なら今日の夜、練習付き合ってやってもいいぞ。ある程度レベル上げておかないと、他のプレイヤーからの加入申請は受け付けられないからな」
「えっ、そ、そうなのか……た、頼んでも……?」
「ハハ、いいぞ。任せとけ」
いつの間にか、猫好きAは少し離れたところで退屈そうにしていた猫たちの相手をしている。
肩に二匹の猫を乗せた彼は、その状態で真二に話しかける。
「ところで、君。どうして猫が嫌いなんだい」
「この、頬の引っ掻き傷みたいに──小さい頃、親戚の家でやられたんです。それから、猫は苦手」
苦笑いする真二の元に、猫好きAは猫を一匹抱えてやってきた。
「ちなみに、この子達は人間を嫌っていない。むしろ、好いているくらいだよ。どうだい、試しに触れてみるのは」
猫好きAは、彼の胸元に猫を差し出す。
「か、噛まない……?」
「君次第じゃない?いきなりしっぽを掴めば噛むだろうし、優しく撫でれば噛まないだろうし」
緊張からゴクリと喉を鳴らした真二は、震える手をゆっくりと伸ばすと、猫の頭に触れた。
ひと撫ですると、猫は「ニャン」と小さく返事をして、目を細めた。
「ハッ……ハハ……可愛い」
「だろう?」
気持ちよさそうに目を閉じる猫を、慣れない手付きで撫でる真二。
彼の背後では、毛繕いを終えた斑夫人がクアッと大きな欠伸をした。




