page 75 : ハダカの付き合い
「なんていうか……気恥ずかしいな、この状況。」
待夜家の浴室には、バスタオルを腰に巻いた蛇遣いと猫好きAの姿。
先に身体を洗い終えた梨人は、湯船に浸かっている。
「邪魔していいか?」
「ええ、なんで。やだよ、まだ僕入ってるし。お湯溢れちゃうし。」
「まあ、そう堅いこと言わずに──」
蛇遣いが湯船に足を入れようとしたところを、猫好きAに止められる。
「こら、先に身体を洗うんだよ。一日過ごした身体で湯船に浸かるんじゃない。汚いでしょ。」
「ああ、そうか。」
蛇遣いはバスチェアに、猫好きAは湯船の縁に腰をかけた。
「えっと〜、シャンプーは……コレか?」
蛇遣いは、目の前に置かれていた青い容器を手に取った。
「私にも分けて。」
「どのくらい?」
「んー、2プッシュくらいかな。」
ふたりして、わしゃわしゃと頭を泡立て始めた。
のほほんと湯船に浸かっていた梨人だったが──視線を移した先で偶然、側に腰かける猫好きAの身体に紋様を見つけてしまった。
背中、左右の肩甲骨辺りにダイヤのマーク。
尾てい骨には小さな黒い十字架が刻まれていた。
(あっ、見ちゃいけなかったかも。)
梨人は、慌てて視線を下に戻した。
「なんだ、これ?おもしれえ、頭がスースーする!」
「うん、冷たくて爽快で……初めての感覚だよ。」
洗髪ひとつではしゃぐ成人男性を傍らに、梨人は微かに揺れる水面を見つめる。
──車の窓ガラスに映っていた、あのバケモノ。
二色に変化した髪に、ギラリと光る獣の瞳──
僕の変わり様に驚いた、マキシの顔。
いっそのこと、あれが全て幻覚なら良かったのに。
思い出すだけで、胸の鼓動は早くなる。
(もし、このまま僕が僕じゃなくなったら……?この生活はどうなるんだろう。母さんは?父さんは?紘は?あの姿を見た後でも、僕を僕として見てくれるのかな……)
──キュッ、サーーーーッ
猫好きAがシャワーで頭を濯ぎ始めた、その時。
「ああっ……目が……!ぐああっ!」
声に驚いた梨人が顔を上げると、そこには蛇遣いが泡まみれの頭を振りながら悶えていた。
「えっ!なに、ちょっと、どうしたの!?」
「目がぁ!痛え〜〜〜っ!」
ザパザパザパ──
梨人は慌てて桶で湯船の水をすくい、蛇遣いの頭上から勢いよく掛けた。
「ぶはあっ……!」
蛇遣いは髪をかきあげると、更に自ら湯船のお湯を手に取り、バシャバシャと顔を洗う。
「は〜、参った!死ぬかと思った。」
事なきを得た彼だが、その瞳は真っ赤に充血してしまっていた。
「なんの騒ぎだい。」
迷惑気にこちらを見る猫好きAは、髪を念入りに絞っている。
「あははっ、大したことないよ。目に泡が入っちゃったみたい。」
笑いながら応える梨人に、蛇遣いは食いつく。
「大したことなくねえよ!目が焼けるように痛いんだぞ!」
「染みただけでしょ、そんなに騒がなくたって。じきに治るよ。」
そう、呆れた猫好きAがバスチェアから立ち上がった時。
仄かにハーブ系の香りが漂ってきたのを梨人は見逃さなかった。
「あ──もしかして。」
ザパッ──梨人は、湯船から立ち上がった。
「コルク、ちょっといいかな。」
「あ、ああ。」
梨人は洗い立ての蛇遣いの頭に鼻を近づけると、香りを嗅いだ。
「これ……普通のシャンプーじゃないよ、ふたりとも。」
「え?どういうことだよ。」
「私たちが使ったのは、これだよ。ほら。」
猫好きAが、目の前に置かれたブルーの容器を指差した。
それは英字で"SHAMPOO"と明記されているだけの、シンプルなボトル。
しかし、中身には美雪が詰め替えたものが入っていた。
「……これはねえ、シャンプーじゃなくて。父さんの育毛トニックだよ。そりゃ目にも染みるって、刺激性だもん。」
梨人の回答に、ふたりは顔を見合わせた。
「育毛!?」
トニック事件も、ひと段落して──
梨人と猫好き A、ふたりは向かい合って湯船に浸かっている。
「にーちゃん、サイダーあげる。」
「おっ、いいのか……おわっ、吹き出した!紘、お前……」
「え〜?」
「え〜、じゃない!振って持ってきただろ?くそお、風呂入ってきたばかりだってのに!」
「キャハハ!逃げろ〜〜!」
「あ、おいっ!逃げるな!」
「あちい」と、湯船に浸かることなく風呂から上がっていった蛇遣いと、紘の賑やかなやりとりが
ドア越しに聞こえてくる。
「まーた、なんかやってるよ。」
クスクスと笑う梨人の正面で、猫好き Aは水面に上と下から手を加えている。
「なにやってるの?」
「フフ、見ててご覧。」
猫好きAは、静かに指先を動かし始めた。
梨人が注意深く水面に目を向けると、水はぐにゃりとうねりながら形を変え、剣を持った兵士のような人型とコウモリのような羽の生えたヘラジカらしき動物ができあがった。
「うわあ、すごいっ!水のフィギュアみたいだ!」
興奮する梨人に、猫好きAは更に水を動かす。
「これは、水操劇って言ってね。入浴というと親子の中ではこれが定番なんだよ。」
並んだ人型と動物型が、手足を動かして走り始めた。
目を輝かせる梨人に、猫好きAは説明する。
「巡影の戦士と、闘獣•ゾル鹿だよ。ゾル鹿はね、
普段はかなり人懐っこくて、意外と可愛いんだよ。」
「へ、へえ。そうなんだ……」
何故か、明らかにテンションが落ちた梨人を猫好きAは気にかける。
「どうしたの。長風呂も良く無いよね、そろそろ上がるかい?」
「あ、ああ……えっと。好のことで、ちょっと気になってることがあるんだけど……いい?聞いても。」
「私?いいよ、答えよう。」
「じ、実は──さっき、見ちゃったんだよね。」
申し訳なさそうにする梨人に、猫好きAはとぼけたような表情をつくる。
「ああ、タオルの下?別にいいじゃない、男同士なんだし。」
「あ、ううん。そうじゃなくて。見ちゃったんだよ、背中のマーク……腰にも、十字のが。ごめん、偶然目に入っちゃって。」
梨人の告白に少し驚いた顔を見せた猫好きAだったが、次には笑いながら背中を見せた。
「ああ、これ?背中のは、時衛官って言って翼を持つ国仕えの印。これが無いと、光翼はまず使えない。腰の十字は、よく分からないね。生まれた時からあるみたいだから。」
「そうなんだ、てっきり良くないものなのかなって。好の仕事に必要なマークだったんだね。」
感心する梨人に、猫好きAは言う。
「印とかマークって、上空では変化の証に現れるものって認識なんだけど──梨人には、違うものに見えたりするのかな。」
梨人は少し悩むと、答えた。
「変化の証……なんだろう、変化自体が怖いのかも僕は。変化の証を抱えて生きていくって、言葉では表せないくらい凄いことだと思うよ。」
猫好きAは湯煙の中、控えめに笑う目の前の華奢な青年を見つめた。
「私も、マスターも。変化に戸惑いながらも、変化を受け入れて、モノにして。そうしてようやく、今の自分に慣れたところだよ。育った環境は違えど、空を見上げる同じ命。私も梨人も、これからの変化を恐れずにいよう。そうすれば、変化も私たちを悪いようにはしないから。」




