page 71 : もう、リー子なんて呼ばない
「……あれ……なんで俺……」
「あ、起きた?」
保健室──目を覚ました苫男は仰向けに寝たまま、ぼーっと真っ白な天井を見つめている。
「──なあ。俺たち、さっきまで何してたんだっけ……俺、お前に何かした……?」
苫男のベッドに腰をかける梨人は、少し間を空けると都合悪そうに笑った。
「ああ……苫男、それなら大丈夫だよ。暴れたのは苫男だけど、それは苫男のせいじゃないっていうか──」
──少し前。
「梨人〜、全部終わったぞ〜。」
「只今、使用中。お静かに!」というタグに気づかない蛇遣いは、大声で保健室へと入ってきた。
シャッとカーテンの仕切りが開き、梨人が顔を覗かせる。
「好は?大丈夫なの?終わったって……?」
心配する梨人に、蛇遣いはふっと笑う。
「大丈夫だ。六本足なら死んだ。」
「死んだって……好が、殺したの?」
「当然。殺さないと、こっちがやられる。」
「──そっか。うん、そうだよね。ハハ……」
猫好きAの無事に安堵した様子の梨人だが、死という言葉に表情は曇る。
「そんな顔するなよ、俺たちにはこれが当たり前なんだから。気にしなくていい。」
そう言うと、蛇遣いはカーテンの中へと入っていく。
「あっ、まだ苫男寝てるんだけど……何するの?」
「六本足の亡骸からじゃ、記憶は読めなかったから。コイツが何か知ってるんじゃないかと思ってな。」
蛇遣いは、囲い手をつくると眠る苫男に向けた。
『 スキャン 』
蛇遣いの片目に、記憶が流れ込む──
"なんか……おかしい……っ"
彼が暴れる直前、自らの身体に起きていた異常──
"──だから!!止まらないんだって!!"
"いいから……っ!逃げてくれっ!!"
荒ぶる四肢とは反対に逃げてくれと梨人に言う、その矛盾。
この記憶の中に、スイーパーに纏わる情報は何一つ存在しないが──動きと言葉の矛盾から見るに猫好きAが見立てた通り、やはり苫男はスイーパーによって操られていたようだ。
(ははーん。コイツ──つけ込まれたな?)
見えた光景に、思わずニヤリと笑う蛇遣い。
彼の能力を前にして、秘密も企みも通用しない。
たった今、苫男と姉による悪質なやりとり、そして彼が梨人に対して抱えていた嫉妬までもが全て丸裸になった。
囲い手を解除した蛇遣いは、梨人に事を説明する。
「コイツは、あの六本足に操られてたんだ。自分の意思で、梨人に手を出したわけではない。」
「僕もあの時、少しおかしいなとは思ったんだけど……そっか。苫男は、悪くないんだね。それなら良かった。」
納得して落ち着く梨人に、蛇遣いは苫男が実際に
悪巧みをしていた事実を伝えるべきか迷ったあげく、開きかけた口を瞑った。
(いけない、梨人のことは梨人が解決しないと。なんでも介入しようとしちゃダメだ。)
蛇遣いは、カーテンを抜けると保健室のドアに手をかける。
「じゃ、俺は行くよ。ボスのところに戻らないと。」
「待って、好は今何してるの?」
「後処理。あ、そうだ。時間かかるから、先に帰っていいってよ。気をつけてな。」
そう言い残すと、蛇遣いは保健室を後にした。
──梨人は、ベッドに横たわる苫男に背を向ける。
「苫男、気分はどう?待って、さっき自販機で買ってきたから……」
苫男はベッドから手を伸ばすと、カバンの中を探る梨人の制服を引っ張った。
「お、おお……!?」
突然、グイと引かれた梨人は体勢を崩し、苫男の上に倒れ込む。
梨人の手からは、ペットボトルのお茶が転げ落ちた。
「なんだよ、痛いな……用事があるなら普通に声かければいいじゃん──」
普段と変わらず悪態をついた梨人は、目を疑った。
目の前に居る、いつもの生意気な青年は──泣いていた。
「え、ちょっ、どうしたんだよ……どこか痛い?気持ち悪いとか……?あ、家帰る?僕、一緒に帰れるけど……」
慌てる梨人に、苫男は応える。
「幼稚園児じゃねんだからよ……」
身体を起こした彼は、そのまま頭からベッドに突っ伏した。
「ええっ!?なに、やっぱ気持ち悪いんじゃ……ちょっと、ビニール、どこ!?」
またも、あたふたする梨人を苫男の声が止めた。
「ごめん……梨人。」
彼は、頭を下げたまま白いシーツをぐしゃっと強く握っている。
「な、なんだよ急に──別に、さっきのことだって、ここまで運んだことだって。怒ってないよ?僕。」
「違う。違うんだ、梨人。」
「だからなんなの、気持ち悪いな。いつも梨人なんて呼ばないのに。変だよ、今日。」
眉を歪める梨人に、苫男は顔を上げると向き合った。
「今まで……ごめんって。そう言いたいんだよ、俺は。」
そう言いながら、涙を堪える苫男。
「俺……何が起きたのかよく分からないんだけど、身体が勝手に動いて……怖くて。コレ、梨人を殺す勢いなんじゃないかって、もっと怖くなって。俺、お前への嫉妬で、とうとうおかしくなっちまったのかなって。」
話を聞いた梨人は、キョトンとした顔をしている。
「嫉妬……?馬鹿だなあ、僕の、こんな痩せっぽちの、どこに嫉妬する要素があるっていうの。」
苫男は、梨人の反応を見て少し俯く。
「……何をコンプレックスに思うかは、人それぞれだろ。俺は、お前の頭のキレるところも、優しい性格も、好きなことに夢中になれる気質も……意外と顔がいいところも。全て羨ましかったよ、昔から。」
「ふ〜ん。悪く言えば"自分を生きられてない"、良く言えば"人の良いところをたくさん見つけられる"ってことになるね。」
「どうして今……?」
「正直な感想だもん。」
くだらないと口をへの字に曲げる梨人に、苫男は言う。
「俺、冗談じゃないんだよ。このまま身体が止まらなかったらどうしようって……梨人を傷つけたらどうしようって本当、怖かったんだ……あの瞬間。」
苫男の真っ黒な瞳が、梨人の茶色い瞳を真っ直ぐに見つめた。
その瞳からは、ポロポロと涙が溢れ出る。
「ごめん……っ、ごめんなあ……っ。何もなくて、本当に良かった……」
──なんでだろう。
あんなに、毎日苛立っていたのに。
会話をする度に、胸がモヤモヤすることだってあったのに。
すぐそこにいる苫男が泣いていると……何故か、自分まで泣けてくる。
これが、長い時間を共にするということなのかな。幼馴染って……こういうものなのかな?
「今更だよ、まったく。」
言葉では呆れている梨人の頬にも、気づけば涙が伝っていた。
梨人は、苫男の背中を優しくさする。
──あの瞬間。
僕を嫌いだったとしても、僕のことを蔑んでいたとしても。
身体を操られて、怖かったんだろうな。
言うことを聞かない手足をどうにか止めなきゃって、必死だったんだろうな。
二人は、近い体勢から自然と抱き合った。
梨人の手が、苫男の背中でゆったりとしたリズムを刻む。
苫男は、梨人の細い身体にしがみつくと子供に戻ったかのように涙を流し続けた。
「梨人ぉ……ごめんな、俺が幼馴染で……本当ごめんなあ……っ」
「分かった、今まで通り幼馴染でいいから。だから、リー子って呼ぶのだけはやめて?鈴央。」
「うん……っ、絶対呼ばない。」
互いを慰める二人の姿は……まるで、仲直りの抱擁を交わしているかのようだった。




