幕間:少女の恐怖の根源
昔のことを、思い出す。
「おお、おお。これまたずいぶん大きい鹿を狩ってきたなあ」
長さまにそんな声をかけられたのは、備蓄庫に今日の狩りで仕留めた食料を運んでいる時のことだった。
「おまえは本当に、立派で勤勉な働き者だ。いつもこの集落のために走り回っては、足りないものを埋めようとしてくれて……おまえのような若者が居てくれて、わし達は感謝してもし足りないよ」
長生であるエルフ族は人間達ほど頻繁に生殖を行わないこともあって、子供が産まれるのはごく稀な出来事だ。
とりわけ、この森の集落は若者が少ない。
狩りが出来ないほどの現役が居ないわけではなかったけれど、毎日を生きていくための人手は、いつだって求められていた。
「まったく。あの力ばかりが強い猪女……おまえの姉にも見習って欲しいものだ。
ところで、食料調達とはまた別に、畑の世話を頼みたいんだが……ああ。本来は別の者の当番なんだが、どうも昔の古傷が痛んで、足の調子が悪いらしくてなあ……頼まれてくれるかね?」
──はい。もちろんですと、わたしはいつも通りに返事します。
「おお。そうか、そうか。助かるよ。では……しばらくの間、よろしく頼むよ」
お口を覆うたっぷりのおひげを撫でながら、長さまは満足そうに笑ってました。
「……ねえ、そこのあなた。あなたよね? あのシーナの妹って」
また別の日。
仕事だった薬草の調達を終えて、畑の水やりを終えた時。お隣の、お隣の、お隣に住む女性に声をかけられた。
「ねえ、聞いてちょうだいよ。うちの夫、今日はあなたのお姉さんと狩りの当番だったんだけど、さっき彼女と揉めちゃって……。
喧嘩の理由? これがまた馬鹿な話でねえ……あの人、うっかりあなたを悪く言うようなことを口にしちゃったらしいの。……あの女が、目に入れても痛くないぐらい可愛がっている妹を馬鹿にされたら、どんな行動に出るかなんて明白なのにね。ああ、あなたにも悪いことをしちゃったわ」
──気にしないでください。誰にでもうっかりはありますからと、わたしは答えます。
「でも……その時のいざこざであの人、腕を痛めちゃったのよ。困ったわ……これじゃあとても当番の狩りになんて行かせられないし、どうすべきかしら……。
え。あなたが代わってくれる? でも、それは流石に悪いわ……仕事を終えたところだから大丈夫? 姉と狩りに行けるのは嬉しいことだからって……。あらあら、殊勝な心がけね。じゃあ、そこまで言ってくれるなら、お願いしようかしら?」
くすくすと彼女が微笑を浮かべたので、わたしも合わせて笑います。
「あなたって、本当にシーナと違って健気な子なのね。感心しちゃう」
──……はい。もちろんです。
わたし。この森で暮らすことができて、幸せですから。
こんなにまっとうに生きられて──本当に、ありがたかったんです。
ぐるぐる、ぐるぐる。
ずっしりした重りを胸に抱えながら。
頭の中の渦に、囚われる。
「随分前に、付き合えるのはローラシアまでだって言ってたから、それでかもね…」
イセリナの宿で、リオさんとの最後の語らいを交えたあの晩。
彼女は、そんなことを腹立たしげに口にした。
「それにしたって、何も言わずに去るなんて礼儀知らずにもほどがあるっての。もしも次に会うことがあったらタダじゃあおかないわ!」
でもその憎まれ口は、わたしを慮ったリオさんの優しさそのものだ。
それぐらい……あの時のわたしは、情けない有様だったんだと思う。
「だからねフィナ。アンタが気に病むことなんて、これっぽっちもないんだからね」
わたしの目を見て、リオさんはハッキリとそう告げてくれた。
それに対してわたしは、「ありがとうございます」としか言えなかった。
明朝のお別れの時にしたって、酷いもので。
「フィナ」
わたしの名前を呼んだリオさんが、ぺち、とわたしにデコピンをする。
リオさんなりの激励だったのだろう。いつかみたいに、痛くはなかった。
「アタシが居なくなっても、シャキッとやっていきなさいよ。アンタの心は、アンタだけのものなんだから」
そう言い残して、リオさんは行ってしまった──。
ぐるぐる、ぐるぐる。自問自答を繰り返す。
どうしてゼルスさんは居なくなってしまったのだろう。
お別れはいいの。
悲しいけど…さよならが出来たなら、二年前みたいに折り合いをつければいいだけだから、別にいいの。
でもね。突然のさよならは、苦しいの。
なんでなんだろう?
ひょっとして……わたしのせいだったりする?
そんな考えに囚われる。
それはきっと、多くの人が無意味とか卑下が過ぎると断ずるものなのだろう。
リオさんも。ガーラさんも。姉さんも。そんなことないと言ってくれるけど。
でも、わたしは……どうしても、その恐怖から逃げられないのです──。
今日からまた連載再開ということで、回想をちらっとな。




