第六話 終着点③
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重い斬撃がジンロを襲う。人と異なる――いや、獣王ですら凌駕する強力な重圧にジンロは本能的に畏怖を覚えた。
(人と獣王の合成獣だって? 冗談じゃない!)
そもそもそんなものがどうやって生み出されるのか理解が出来ない。だが、目の前に立ちはだかるのは間違いなく同胞であったリマンジャであり、敵であったはずのアルトリカであり。
二人の気配を同時に感じる事実は、どうあがいても合成獣の存在を認めざるを得なかった。
《ドうシたジンロ、顔色ガ悪イぞ》
「……こんな状況でどう平然としていろというんだ?」
《ハハッ、違いナい》
怪物は歪んだ顔で嗤っていた。醜悪な笑みの奥にかつての同胞の面影がどうしてもチラつく。その事実に眩暈がしそうになる。
「……リマンジャ、どうしてだ?」
《何ガだ?》
「なんでそんな姿になってるかって事だ!」
勢いに任せて、怪物を剣で押し返す。肩で息をしながら、先ほどから感じる強烈な不快感と焦燥に足がもつれそうになるのを何とか堪えた。
(なんだ? なんか、身体が……)
怪物に気圧されているだけではない。あたりに充満する死の匂いと呪詛の影響だけでもない。
心臓がおかしなくらい出鱈目に暴れだして、指先がびりびりと痺れ始めた。
《ジンロ……、お前ハおかシいト思ワないカ?》
「おかしい……?」
《この空間ハ今呪詛に満チテいる。俺が放っタ、人ヲ喰う呪イが。そレなのニ、僕たチは平然と呼吸ガ出来る。……っハハ、そリャそうダろうサ、俺たちハ元々ソうイウ生き物なンだからナ》
「……」
《不条理ダト思わなイか? 獣王は望ンでもイない人喰イの業ヲ背負って生キナければナらない! 本来ノ獣としテ一生を終えタかっタト思ウ事はないカ⁉ どうシて俺だケ⁉ どウして僕ダケなんだ! ドうして僕だけガコんな力を持ってシまったんダ⁉》
化け物の慟哭にジンロは絶句した。
これはどちらの想いだろう? リマンジャか、アルトリカか。そのどちらもか。両者の願いが絡まり合って溶けて、境界は曖昧になって。
どうして気づかなかったんだろう。アルトリカはともかくも、長く一緒にいたはずのリマンジャの内に、こんな激情が眠っていたなんて。
感情の渦に充てられて、ジンロの眩暈は益々酷くなる。身体に力が入らない。強い――飢餓を感じる。
化け物が動いたのが視界の端に見えた。反射的に剣を構えてそれを受けようとするが、グラグラと揺れ動く視界に吐き気がして力が入らず、ジンロの剣は弾かれてはるか遠くへ飛んでいく。
《ジンロ、お前気ヅいてイるか?》
「な、に……」
化け物の右手がジンロの頭を掴んだ。視界が塞がれて、頭で警鐘が鳴る。
《お前の身体ハもう限界を迎エテいる。モうわカっているのダろう? お前の中にアる本能ノ暴走に》
その言葉が起爆剤だった。ジンロの身体が固まり、そして次の瞬間手で心臓を押さえて蹲る。
(なんだ……、なんだ、これ)
突然の異変に混乱しつつも、ジンロはこの症状に覚えがあった。本能が暴走する感覚。人を喰いたいと全身が暴れまわる。
――時間切れだ。ジンロ。――のけ。
内から響く声がジンロの意識を押しのけようとする。
背に生えた金色の翼がボロボロと砂塵の如く崩れ落ち、代わりにその背から漆黒の翼が生え変わっていくのを感じた。
(ああ、ついに来たか)
これまでも何となく自覚はあった。見てみないふりをしていただけだ。ここ最近少しずつ強くなっていく飢餓感に、本能が暴走を始めようとしているのを。
――安心しろ、ジンロ。お前が消えた後、あの女は俺が喰らってやろう。
自分の声で一層残酷な言葉を吐く。やめろ、そんな事絶対に許すものかと虚勢を張っても身体が思うように動かない。
《なアジンロ。お前だってもウうんザりだロう? いつニなっテも消エないソイつに煩ワされテ、モういっそノ事、死んデ生まレ変わりたイと思うダろう?》
「……っ」
《だカら俺ガその願イを叶エテやる。ソうだ、初メからコうスレバよかっタ。ミンナ死んで生マレ変ワレバいい。嘘ヲツク奴らなンテ、僕ヲ嘲ッタ連中ナンテ――殺シテシマエバヨカッタンダ!》
ジンロの目の前で騎士の大剣が掲げられる。今まさにそれが振り下ろされジンロの首が落とされようとしているのに、ジンロの意識は消えかけそうで、何も考える事が出来なくなる。
(死ぬ……、そうか、そうすればこんな苦しい思いはしなくて済むのか)
それは自分に残された、たった一つの希望なのかもしれないと、脳裏によぎった瞬間、ジンロの意識を強く引き戻す声が聞こえた。
「ジンロ!」
その声は、ジンロと本能の心臓を震わせた。無理やりに上げた視線の向こうに、
「な、んで――」
いるはずのない。逃がしたはずの、愛しい光が駆け寄ってきた。
急いで戻ったイスカの目に飛び込んできたのは、怪物とその前で苦しそうに蹲るジンロ――のはずの影。
――あれは、
黒い靄を纏わせた禍々しい気配。金色の髪と青い瞳は闇のような黒に染まっている。何と疑問を浮かべる前に、イスカはその正体に思い至った。
ジンロの内に秘められた、もう一人の本能。以前一度だけ邂逅を果たした、ジンロと同じ声と姿を持った正真正銘の化け物。
そして今、目の前の怪物がジンロに向けて大剣を振り下ろそうとしていた。
「やめて!」
イスカは迷いなく彼の元へ駆け寄った。両者の間に滑り込むと、その途端強烈な光が合成獣の方に発せられる。
《――ッ!?》
合成獣は弾き返されて大きく距離を取った。その瞳は、アルトリカのようでありリマンジャのようであった。
「今のあなたがどちらなのかわからないけれど――」
イスカは二人の事をそう多く知っているわけではない。何故彼らが融合したのか、二人の中に共鳴する何かがあったのか、わからないけれど。
――泣いているみたいだ。
イスカは純粋にそう思った。彼らは悲しんでいる。そしてそれ以上に何かに酷く怒っている。
「リマンジャ、アルトリカ。貴方たちは本当にこんな事望んでいた?」
イスカの問いに、僅かに動揺を見せたのは、――リマンジャの方だった。
「リマンジャさん。貴方はジンロを追い詰めたかったの? 貴方は――、獣王の、仲間の事なんかどうだっていいと思ってるの?」
瞬間、合成獣の輪郭がぶれたような気がした。ああ、やはり齟齬がある。この二人は共鳴しているようで、違う部分がお互いを縛りあっている。
だが、
《イイノカ万物の奏者? ソイツニ背ヲムケテ》
「え?」
そう問われて呆けた瞬間、
ズブリ
身体が重くなった。燃える様に熱い何かがイスカの身体に侵入して、
「――っ」
声を発しようとしたら、代わりに口から大量の血が溢れた。
恐る恐る下を向くと、イスカの身体から悍ましい何かが生えている。闇よりも暗い、奇怪に蠢く脚が、イスカの身体を後方から貫いていた。
――あ、
背後にいる、それは苦しそうな声を上げてイスカの身体を抱き寄せる。凶悪な脚がイスカの身体の核――心臓を鷲掴みにしていた。
そして身体を貫かれながらも、イスカは優しく抱きしめてくれる暖かな腕に身を委ねた。
天を仰ぐと、後ろからイスカの顔を覗き込む怪物の顔が見えて、イスカは息をのむ。
その怪物の瞳は黒く濁り、本来の蒼がじわりじわりと塗りつぶされていく。あの美しい色が塗り替えられて、
――その瞳から息をのむほど美しい涙が溢れていた。
(泣かないで――)
イスカは体の痛みより、胸に宿る切なさで全身が張り裂けそうだった。動かなくなりつつある腕を必死に伸ばして、怪物の頬に触れる。
――ああ、これは回帰だ。
イスカは迷うことなく怪物に寄り添った。
いつかこの人に食べられる未来を想像していた。心臓以外はあげられないと言っても、彼は獣王だから。
きっといつかイスカを食べる日が来るのだと、心のどこかで思っていた。――いや、
(貴方に食べられることを、心のどこかで待ち望んでいたのかもしれない)
どこの誰でもない。この身を捧ぐなら、貴方がいいと――。
《イ、スカ……》
耳元で愛しい人が名前を呼ぶ。それだけでイスカはもう、喜びしか感じえない。
次の瞬間、視界が赤く染まった。イスカたちを包み込むように、消える事のない業火が燃え盛る。炎は、闇と死臭に塗れた世界を浄化するように広がり、全てを焼き尽くす。
《ナ……、コレハ⁉》
目の前にいた、もう一人の怪物は驚愕に身を震わせ、わき目も降らず逃亡を図る。追う事はしなかった。そんなものはもう、どうでもよかった。
この炎はどこから現れたんだろう?
発生源のわからない炎に煽られながら、それでもイスカが感じるのは、イスカを抱きしめてくれる彼のぬくもりだけだった。
――大丈夫だよ。鳥の王、私がいる。
イスカが笑うと、彼もその口元に優しい笑みを浮かべた。
イスカもその炎の中に消えていく。五感の全てが奪われていく中で、
最期に大好きな人のぬくもりだけが残った。




