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第六話 終着点②

 《やァ、チェスター。ひどイじゃないか、恩人ノこのボクを出し抜いテ、こんナ化け物トつるんでイるなんテ》


 アルトリカらしきもの、は歪な声で笑った。奇怪な、壊れた人形の様な引きつれた笑いにイスカはぞっとする。

 ジンロと拮抗したアルトリカは、鋭い目線だけをチェスターに送った。それだけでチェスターの表情が凍り付き、血に塗れたリシュリューを抱える手が蒼白になる。


「チェスターさん! リシュリューさんを!」


 凍り付き動けなくなっていたチェスターの元に駆け寄ると、イスカは怪我を負ったリシュリューの容態を確認する。チェスターの腕の中でぐったりしているリシュリューは、首を真っ赤に染めながらもまだヒュー、ヒューと苦しそうに息を吐いていた。


(今ならまだ助けられる……!)


 イスカは己の力を解放する。万物の奏者(レーディンレル)が持つ、癒しと再生の力。ブリドリントの森でチェスターを救った時の様に、今度はリシュリューに向かってその力を放つ。あの時の様に無意識にやったのとは違う。淡い光がリシュリューを包むと、無残に切られた首の傷がみるみるうちに塞がっていく。


「リシュリュー!」

「……う」


 チェスターの呼びかけにリシュリューは僅かながらにも返事をした。まだ脈動は弱い、だが傷が塞がった影響かリシュリューは一命をとりとめた。


《……やハり厄介だナ。そノ力は》


 その様子を一部始終視ていたアルトリカが憎悪の目でこちらを見ていた。ジンロが必死に抑え留めているが、その圧はどんどんと凶悪になっていく。

 改めて一瞥したアルトリカの雰囲気はやはり激変していた。目を血走らせ、禍々しいオーラを纏ったその青年に悪寒が走り震えが止まらなくなる。


 ――様子がおかしい。


 確かにアルトリカは出会った頃から掴みどころのない、得体のしれない人間だった。でも、彼はあくまでも人であり、人間らしさを垣間見られる機会はいくらでもあった。それなのに、


(まるで違う生き物だ、この感覚は――そうだ、ジンロ達と同じ)


 それは獣王と初めて相対した時と同じような、あの懐かしい感覚(・・・・・・・・)をどうしてかアルトリカに抱いてしまった。


「――イスカ!」


 思考を奪われている最中、目の前にジンロが飛び込んできた。重い衝撃を受け止める彼の背の向こうで、人ではない残忍な獣の笑みがこちらを捕らえている。

 戦慄した。アルトリカであるはずのその何かが、捕食者の目でイスカの事を嬲っている。そして今度はその目をジンロに向け、


《邪魔をするナ、――ジンロ》

「⁉」


 一瞬、ジンロの横顔に動揺が走った。その一瞬の隙をついて、アルトリカは剣ではなく、右掌をジンロの胴に叩きこんだ。

 たったそれだけの衝撃で、ジンロの身体が勢いよく吹き飛び、後方の壁に激突した。軽く触れるくらいの感覚に見えたのに、凄まじい威力にイスカは言葉を失う。

 だが、吹き飛ばされたジンロは別の意味で驚愕に顔を歪ませていた。


「……お前、その力――」

《ハハ、気づいたカ。そリゃあ、お前何度もこれデぶちのめサれテきたもんナァ》


 アルトリカの口調が変わった。軽薄な、人を嘲笑うような声で、アルトリカだと思っていたそれの輪郭に、別のものが上書きされる。


「……リマンジャ」


 ジンロが仲間の名を紡いだ瞬間、それは満足げに笑みを浮かべる。イスカの前で不敵に笑うその姿は、猿の王――リマンジャ=アハル=サームのものに相違なかった。


(なんで……?)


 目の前に立ちはだかる者は、アルトリカであり、リマンジャであり。

 敵であり、味方であり。

 けれど間違いなく言える事は、


(これは、私たちを害するものだ)


 それだけは間違いなく、疑いようのない事実なのだ。


「……っ! リマンジャ! お前何してんだ!」

《理解がネえなぁ、ジンロ。俺ガ何者かなンテどうでもいイだろうニ》

「何を言って――」

《俺はもう獣王じゃネぇ。ヒトでモなけれバ、猿デもナい》


 それは両手を広げ空を仰ぎ、悦楽に浸った顔で叫んだ。


 《(おれ)はもう自由だ! 何者でもない! これが(ぼく)の望んだ姿だ!》


 歪な存在の笑い声が回廊にこだまする。二つの気配が混ざり合って、そして一緒になって笑っている。この気配、今まで見た中で最も近いものであるならば、


「――合成獣(キメラ)

「⁉」


 イスカが呟くと、ジンロもハッとして顔を歪めた。

 どうして。という疑問だけがイスカとジンロの脳裏を駆け巡る。二人に一体何があったのか。この惨状を作り上げたであろうリマンジャの望んだ姿とは何だったのか。

 ジンロですらも受け止められないという顔をしていた。


《僕たちハ王を喰って一ツにナった。でもまだ完全じゃない。完全体ニ至るたメにアと必要なものは一ツ――万物の奏者(レーディンレル)


 その右手がぬるりとイスカの方へと向けられて、イスカは身体が鉛の様に動かなくなる。


《――お前をクイタイ》

「――っ!」


 その瞬間、ジンロの翼が大きく翻り、強烈な突風が化け物を襲った。狭い回廊の何もかも吹き飛ばすくらいの轟音と衝撃の中で、


「おいチェスター! イスカを連れて逃げろ!」


 ジンロはチェスターたちにそう命じた。未だにぐったりしているリシュリューとそれを抱え込むチェスターだったが、


「――っ、逃げよう!」


 チェスターはリシュリューを肩に担ぎ、イスカの手をとって走り出した。あっ、と声を上げる間もなく、ジンロの化け物が遠ざかっていく。


「待って! チェスターさん!」

「あんなの俺たちが敵うわけない。足手まといにならないように離れるべきだ」


 チェスターは自分に言い聞かせるように、必死の形相で足を動かした。それに引きずられイスカも走り続けるが、


「!?」


 回廊の曲がり角を何度か曲がったころ、呪詛に犯された人間たちの群れがイスカたちの退路を塞いでいた。奇声を上げ、新たに現れた新鮮な獲物に我先にと群がってくる。


「この……っ!」


 チェスターが前方に手をかざすと、手のひらから電流が迸った。小さな雷が前方に照射され、近づいてきた者たちを貫く。直撃した者は身体が泥の様に崩れ落ちたが、


「くそ! 数が多い!」


 一度に倒せるのはせいぜい一体か二体。その間にもそれらは無尽蔵に湧いてきて、イスカたちに群がっていく。


「!」


 一番近い化け物の口がありえないほどに開かれ、イスカの腕に食らいつこうとした。イスカは痛みを覚悟してその衝撃に備えるが、


《ギァア!》


 何か重い風圧がその化け物を弾き飛ばした。驚いて目を見開くと、その化け物がいたところに、ふわりと小さな影が舞い落ちる。


「ラタトスク!」

「大丈夫か、嬢ちゃん」


 少し険しい顔つきのラタトスクが、イスカに問いかける。返事をする間もなくイスカが無事だとわかったラタトスクは、にやりと笑い手の大きな獲物を構えた。


「そこの兄ちゃん二人も伏せてな」


 ラタトスクはそう告げるや否や、手の大剣を振るった。たった一振りで、イスカたちに群がっていた化け物が一気に数体吹き飛んで、壁に激突し崩れた。

 襲い来る脅威をその少年はたった一人で屠る。鮮やかすぎる手腕に、イスカもチェスターも開いた口が塞がらず、ただその光景を眺めていることしかできなかった。



 化け物が一通り打ちのめされあたりは静まり返る。思いがけぬ助けに身の安全を確保できたことにイスカは安堵した。


「ラタトスク、どうしてここに?」

「おっちゃんと一緒に突入してきたんだよ。おっちゃんとははぐれちゃったんだけど、突然異様な空気になってさ」


 ラタトスクにしては珍しいしかめ面に、彼もリマンジャの異変を知らない事が見て取れた。


「ラタトスクは大丈夫なんですか? その――」

「ああ、呪詛の事? 大丈夫だよ、俺たちは獣王だから」


 彼は不快感を示したが、狂っている様子はなかった。

 獣王だから。

 それはつまり、元々獣王は人喰いの業を負っているから。無邪気そうに見えるラタトスクでさえ、その内には悍ましい欲望を秘めている事に気づかされる。

 そして、先ほどであった化け物たちの姿を思い出し、イスカは再びその恐怖を思い出す。


「どうした? お嬢さん?」

「ラタトスクさん。リマンジャさんは……」


 どう説明したらいいかわからない。リマンジャが何故ああなったのか、その事情もイスカにはわからない。ただ一つ、その異形となったリマンジャと今、ジンロが対峙しているという事だけは確かで。


「――っ、ごめんなさい。チェスターさん。私やっぱり戻ります」

「って、おい嬢ちゃん⁉」

「ジンロを置いていけない!」


 イスカは踵を返すとチェスターたちの静止を振り払い駆け出した。

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