Ⅷ
オペラに向けた練習の準備の為の出発を3日後に控えたマイクは、ウィルとその母親(マイクの姉にあたる)と一緒に買い出しに出掛けた。
「おじさんと一緒にいた時間はあっという間だったね。」
「そうだね、ウィル。家に戻ってくるのは久しぶりで滞在は短かったけど、楽しかったし充実していたよ。」
「おじさん、今度はどれくらい留守なの?」
ウィルが寂しそうに尋ねた。
「4ヶ月から半年くらいかなぁ?」
「そんなにいないの?」
「あぁ、歌だけじゃなくてお芝居の稽古もあるからね。それに、ウィルは俺の舞台を聞きに来てくれるんだろう?」
「もちろん、行くよ。」
でももっとおじさんと一緒にいたかったなぁと、ウィルは心の中で思った。
彼らは大きなモールで買い物を済ますと外へ出た。
大きな買い物袋を下げ、母親の両手は塞がっていたので、ウィルは彼女の腕を持った。
外は緊急の道路の舗装工事中だった。
歩いている内に、母親の腕から手から滑り落ちた。
ほんの2歩くらいだ。母親は振り返った。
いつも来ているモールなのだが、工事の大きな音にウィルは方向を失ってしまった。
道の真ん中で立ち止まった。動いたのは、マイクだった。一瞬の出来事だ。荷物を放すと
「危ない!」
マイクはとっさにウィルを庇った。
キーッという車のブレーキ音。ドン!という音が立て続けに聞こえた。
マイクはウィルを胸に抱いて倒れていた。
キャーという悲鳴。
「マイク!ウィル!」
母親の甲高い声が何度も僕たちを呼んだ。
気が付くと、知らない匂いがした。
ここはどこだろう・・・ウィルは何も思い出せずにいた。
繋いだ手は、母親のものだとすぐに気がついた。
「ママ・・・」
「ウィル!」
「気がついたか、ウィル!良かった!」
「パパ」
「良かったわ。ずっと意識が回復しなくて心配していたの。」
「ここはどこ?」
「ここは病院よ。」
「どうしてここにいるの?」
「あなたは、事故にあったのよ。」
事故・・・・。
「おじさんは?!マイクおじさんは無事なの?」
母親は、少し息を詰まらせた。
「あぁ。マイクは・・・大丈夫・・・足を怪我してしまったけど。命に別状はないわ。」
「そう、よかった。じゃぁ、生きてるんだね。」
「えぇ。」
「でも、足に怪我って・・・」
「一緒の病院に入院してるから、あなたがもう少し回復したら会いに行けるわ。」
その後、ウィルの病室に、医者が来て診察された。
明日もう一度検査をし、様子をみて異常がなければ翌々日には帰れるとのことだった。
両親が帰った後、ウィルは看護師に付き添われマイクの部屋にやってきた。
「ウィル!」
マイクは、ウィルに手を伸ばして引き寄せた。
「良かった、君が無事で!」
「マイクおじさん・・・。助けてくれて、ありがとう。」
温かく大きな手がウィルの頭を撫でてくれた。
「あぁ。俺の小さな天使・・・」
「おじさん、足の怪我は大丈夫なの?」
「うん。ちょっと足の骨を折ってしまったけど、なに、3週間もしたら退院できるから。」
「おじさん・・・それじゃ、オペラは?」
マイクは大きく息をついた後、
「そうだね。オペラは・・・無理だな・・・。」
「・・・・」
ウィルは自分を責めた。
あの時、ママの腕を離さなければ・・・。
僕があの場にいなかったら良かった。
目の見えない僕なんか庇った為に、マイクおじさんは・・・。
“あぁ、なぜ僕は見えないんだろう。”
口には出さなかったけど、今まで何度も思った事だった。
「ごめんね。おじさん。」
僕のせいで、おじさんをもう少しで、亡くしてしまったかもしれない。
それに、あんなに喜んでたオペラ・・・。
生き残るのが厳しい世界だって、周りの大人達が言ってるし、何より僕自身がトレブルで感じてる。
トップを張るのは、簡単な事じゃないんだ。
せっかく、スターになれるチャンスが来たというのに・・・おじさん・・・
あぁ、僕はどうしたらいいの・・・
「ウィル、悲しまないでくれ。チャンスはまた来るさ。」
そんな優しい言葉をかけないでよ。
ウィルの目から、ポロリと涙が零れた。
翌日、マイクの病室に彼の所属する事務所の兼任マネージャーのクロエが見舞いに来ていた。
「先方へのお断りと侘びはこちらから入れておきました。」
「ありがとう、クロエ。」
「監督もかなり残念がっておられました。早く良くなるように祈っているとメッセージを頂きました。」
「そうか。回復したら、監督の所へ行って謝っておくよ。」
「そうですね。監督は、かなりあなたに期待されていたようですから。」
マイクの歌声は、まだ駆け出しながらいい物を持っている。
加え、精悍な顔立ちだ。ベースは美しいが、野性味もある。
スター性を兼ね備えている。
もちろん、そんな歌手はたくさんいるし、それにチャンスは皆に平等ではない。
次があるとも、限らないのだ。
「今回の代償は、あなたには高くつくかもしれませんね。」
クロエは、銀縁のメガネをスッと押仕上げた。
「ここで終わるんなら、それまでって事さ。」
マイクは、窓へ顔を向けた。
こっちを見ないのは、痛いところを突かれて不貞腐れている証拠だ。
「おや。少しは落胆してらっしゃるようですね。」
あの繊細な少年が、どうやったらこんな勝気な性格に変わったのやら。
どっちにしても、野性味だけではこの先詰まるだろう。
忙しすぎて心が荒くなっているのかも知れないと、クロエは思っていた。
「まぁ、走り続けたので、いい機会です。ゆっくり休んで、養生してください。幸い、オペラ用の仕事枠は4ヶ月位取ってましたので、この間は何も無いのでゆっくりできるでしょう。それじゃ。」
言うだけ言って、クロエは帰ってしまった。
マイクは、ずっと外を見ていた。
ウィルの事は後悔していない。むしろ良かったと思ってる。
だが、反面、ため息をつく自分もいる。
「なかなか、人生上手くいかないもんだな。」
心にぽっかり穴が空いたようだった。




