婚約破棄、巻き込まれました。③
「ごぅきげんよう、ノクトール様!」
声が裏返りそうになったが言えた。言えたのだ。ずっと練習をしてきた勝利だ。
心臓の音がうるさすぎる。とんでもなく顔が熱い。息ができているか分からない。でも逃げ出したくは無いから、繋いでいるイーヴィルの手をギュッと握る。すると分かったよと言う様にキュウッと握り返された。安定の安心感と肯定感のお陰でリズベットはふぅぅっと息を吐く。
シエラからの返事は無い。本来ならこちらから声を掛けるなどしてはならないのだ。でもこちらを、リズベットを見つめている。束の間浮かんだやるせない表情ではなく、こちらの真意を確かめるような、ただ驚いているような。少なくとも嫌悪は無さそうだ。
リズベットは肺を意識して、ゆっくりと息を吸い、シエラに話しかけた。
「あの、私、リズベット・バードと申します。ノクトール様と同じ第四学年で、その、それしか、それだけなのですけど・・・」
そう、それだけ。シエラとの共通点は同学年というだけ。図書館のことはリズベットの一方通行だ。
だけどずっと憧れてきた。あの入学式の日から、きらきらしい茫然とした気持ちが胸の中から無くなることなどなかった。それに、本当は察せている。ファーストダンスを一体、誰と誰が踊っていたのか。高位貴族の何事かになんて首を突っ込むべきじゃ無い。尊き方からしたらリズベットの存在など、気づかれもしない小石だろう。けど、そんな尊き方よりもシエラの方が特別な存在だ。してもいいならば、シエラをこんな風に貶めているど阿呆を堆肥の中に埋めてやりたい。だってシエラが悪い訳ないのだ。
王子妃になるかもしれないシエラは膨大な量の勉学に励んでいるはずだ。いつだったか、噂で寝る時間が三時間もないと聞いた。第三学年からは生徒会にも入り、成績を一位から落としたこともない。垣間見れた時のシエラはいつだって姿勢も服装も乱れる事がなく、楚々と微笑んでいた。
だから、こんな扱いをぜっっっっっったいに受けていいはずがない!第三王子など知ったことではない。リズベットにはシエラの方がずぅっと特別な存在だ。力になれるのなら成りたい。
今までの人生で目一杯の勇気を奮うのは二回目だ。リズベットは尋ねる。
「・・・何か、私にできる事があるでしょうか?」
(言っちゃったー!)
言った後になって急速に不安になった。力になりたいのは本当だ。全力でお応えしたい。だがしかし、リズベットは下位貴族で高位貴族との差は歴然だ。
もしシエラから「不敬よ!」「必要ないわ」などと言われたら。
(ノクトール様はそんな事言わないと思うけど!・・・多分っ)
だって実際に話した事ないし。
シエラはまだ何も言ってはくれない。やはり、そこらの石ころに力になれることなど無いのだろうか。落ち込みそうになりながらシエラの様子を伺っていると、その背後に光が見えた。何だろうかと見れば、光っているのは眼だ。未だ立っているノアの瞳が講堂からの明かりで煌めいていた。
こちらを見ているらしい・・・けれど・・・、
(野生生物!?)
何分全身黒づくめだ。眼の存在が異様に目立つ。合った視線を外せない、ゆっくりと後退りしたくなる。イーヴィルだけは面白そうにリズベットを見ている。
面白がらないで!と思ったがギリギリ踏みとどまっていられるのはそんなイーヴィルが居るからだ。この弟は人に対して緊張するという事がない。学園に入学してから特定の誰かとつるむということも無いし、友人だよっと誰かを紹介されたことも無い。大概はリズベットと一緒だ。それは嬉しい事なのだが、次期領主としては何かしら縁を深めておくべきではなかろうか?一度そう聞いてみたら、
「仲良くしなくても、協力は出来るよ〜。」
である。何だか関心がないようだ。自領ではそんなことなかったのに。
「・・・御機嫌よう。バード様」
シエラの声が聞こえた。シエラの・・・。
「っっはっい」
しまった、意識が逸れていた。イーヴィルが可愛いせいだ。
何とか返事をして、全部の神経をシエラに集中する。シエラは柔らかく微笑んでくれていた。うっかり意識が遠退きそうになる。シエラは次に何を言うだろう。心臓がまたバクバクしてきた。
「力に、とのお言葉嬉しく思います。けれど、ご心配には及びませんわ。私はここに、こほっ」
心臓が止まるかと思ったが、シエラがコホコホと咳をしだすので風邪を引いたのではと心配になる。春になったとはいえ、夜は冷え込む。何よりいつから此処に居たのだろう?今更ながらに気になった。
自分は北の生まれで、このくらいは暖かい方だと感じてしまうがシエラはそうではないだろう。自分の羽織を渡すべきか?リズベット達が着用しているのはアルディオ王立学園の制服なので品はいい。とはいえ日々着ているものを侯爵令嬢にかけてもいいものだろうか?羽織に手を掛けて迷っているとシエラが大丈夫ですと手で制してきた。
「失礼しました。その、先ほどのつづ「喉が渇いているようですね、ノクトール嬢?」
シエラの言葉を遮ってイーヴィルが語りかける。
つい先程自分も身分のあれこれを外に放って声を掛けたが、イーヴィルまでそれをするとは思わなかった。
不敬と思われるのでは!?という懸念を込めてイーヴィルを見ると、気付いたようで人差し指で手のひらをトンっとされた。離すよの合図だ。
すっと引いた手を胸に当て腰を折る。
「礼を取らず失礼いたしました。お初にお目にかかる。北方守護官・ハミルトン伯爵の縁故にあたりますバード子爵家嫡子、イーヴィル・ルリエ・バードに御座います。」
さっきまでこちらを面白がっていたのに。
リズベットは一転して良家の貴族よろしく相手を仰いではいるが、己れの事も侮らせない、聞き手の耳にするりと入るような挨拶をして見せた弟に心の中で拍手を贈る。次いで比べて自分はと振り返り、双子なのにこの差は何だと小さく唸る。しかし二重の意味でそうじゃないでしょ、と我に返り、シエラの様子を見てみたが、背筋を伸ばしたイーヴィルが先に話しだした。
「それで、どうやら喉が渇いてらっしゃるようですね、ノクトール嬢?」
「御機嫌よう、バード子息。ええ、そうですね、少し。」
「やはり。此処に居てはお体にも障るでしょう、中に入られては?」
「それは・・・出来ません。殿下の指示なのです。こちらで待てと。叛くわけにはまいりません。」
あぁ、やっぱりそうだったのだ。婚約者そんな指示を出すだなんて何を考えているのだ。それでなくとも、今夜のパーティーで二人がファーストダンスを踊ることは周知されていたのに。シエラがまた俯いてしまう。折角こちらに顔を上げてくれたのに。
リズベットは歯痒くて仕方なかった。シエラは指示と言ったが、相手は王族。実質は命なのだ。無視など出来ようはずがない。
ノクトール侯爵家はシエラが婚約者となった事で、中央への発言力が増している。それを面白く思っていない勢力もあるわけで、ここでシエラが王族の意に反す行動を取れば叛意を持っていると囃し立てる家が出てくるだろう。シエラは家を守るためにも動かないのだ。
「先程も申しましたが、ご心配には及びません。どうぞお二人はなか「いえ、私はノクトール嬢の心配をしている訳ではないのです。」
「「・・・・・・・・は?」」
リズベットとシエラの反応が重なる。
妙な間が生まれた。リズベットはイーヴィルがまたもやシエラの話に被せて発言した事に、シエラはイーヴィルの発言そのものに、それぞれ困惑したのだ。
リズベットは遅れて発言内容にも驚いて、流石にまずいと苦言を呈す。
「何てこと言うのイーヴィル!!ノクトール様に謝りなさい!というか、もう色々失礼っっっ!!」
「だって心配してるのはリズでしょう?俺は別に。ノクトール嬢とは今まで特に接点無いし、急に思い入れろと言われてもねぇ。この状況はあれのアホな行動のせいっていうのは引くし、少し?可哀想かなとは思ってるよ。」
「あっああああれとかアホとか言わないの!!誰が聞いてるかって、すこし!!????」
「うーん、リズの声が大きい。」
言われてパッと両手で口を塞ぐ。講堂から此方を見るような人影は見当たらない。リズベットはひとまずほっとすると先程より声をひそめて話す。
「とにかく!ノクトール様に謝りなさい!!」
「分かったよ。ノクトール嬢、すみませんでした。」
その軽い謝罪に、シエラは眉を顰める。シエラを気にしたような発言の後に心配してるわけではないと言い、姉に言われたから取り得ず謝罪する。シエラにも高位貴族としての矜持がある。今はどうにもらしく無いが第三王子の婚約者という立場も持つ。こちら軽んじているようにも見られる態度に、場が場なら厳しく叱責しなければならない。
だが、イーヴィルからは悪意や害意を感じない。本人が先に述べていたように、本当にシエラに興味がないのだろう。姉が気にしているから。其れだけ。
対して姉のリズベットからは、シエラを気にしている事が真摯に伝わってくる。初めて声を掛けた時、断りを入れようとした時、咳をした時、シエラの様子にコロコロと逐一反応する。今だって深々と膝につきそうなくらい頭を下げている。対照的すぎてどう応じるべきか悩ましい。
「さて、シエラ嬢、話を進めても宜しいでしょうか?」
先に動いたのはイーヴィルだった。
イーヴィルの中で高位貴族という身分は遠慮や配慮をする対象ではないらしい。これは仮に叱責しても相手に響くことはないだろうと思い、話を聞くことにした。
だって、立ち去るという選択は二人共通して無いようだから。
予想以上に序盤が終わりませんでした。まだ会場に入らないんだぁ・・・。




