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残滓の探偵  作者:


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第四章 アリバイという名の嘘



 翌朝、蒼は三人の容疑者のアリバイを一つずつ検証していくことにした。


「完璧なアリバイほど疑わしい、と昨日言いましたね」セレナが資料を広げながら言った。「でも、三人ともアリバイがあります。どこから手をつけるんですか」


「順番にやる」蒼は答えた。「まず、出資者のハーグ=レンから」


 ハーグのアリバイは、晩餐会への出席だった。何百人もの前で挨拶をしている。完璧に見える。


「ハーグは博士に致死術式を仕込めたか」と蒼は問いを立てた。「ここが鍵だ。トリックには博士への直接接触が必要だった」


「ハーグは事件の三日前に博士と面会しています」セレナが記録を見た。「研究の進捗を確認するために」


「三日前。遅効性の術式は、それだけの時間潜伏できるか」蒼はマーゴを見た。


「理論上は可能よ」マーゴが答えた。「高度な遅効術式なら、数日の潜伏もできる。ただし、それだけ長く潜伏させると発動時刻の精密な制御が難しくなる。〈封域〉の発動とぴったり合わせるのは至難の業」


「つまりハーグの場合、三日前に仕込んだ術式を、事件当夜の〈封域〉発動と正確に同期させる必要があった」蒼は考えた。「不可能ではない。でも極めて高い精度の術式制御が要る。ハーグにそれだけの腕があるか?」


「ハーグの固有術式は〈鋼化〉。物体を硬化させる術式です」セレナが答えた。「遅効性の致死術式や遅延式の〈封域〉を扱える技量は、記録上ありません」


「ならハーグ単独では実行できない」蒼は頷いた。「共犯がいれば別だが、いったん保留にする。次、助手のティム=ロウ」




 ティム=ロウのアリバイは、隣室での実験記録だった。魔導具の連続稼働実験のログが、彼が部屋にいた証拠になっている。


「ティムは博士の助手だ。日常的に博士と接触している。致死術式を仕込む機会はいくらでもあった」蒼は言った。「博士の習慣も熟知している。条件の二と三は満たす」


「では、ティムが犯人ですか」セレナが身を乗り出した。


「まだだ。条件の一——遅延式の〈封域〉を扱えるかを確認する必要がある」蒼はマーゴを見た。「それと、アリバイそのものを検証したい。ティムのアリバイは実験ログだ。マーゴさん、そのログは信頼できるか?」


「ログは魔導具が自動で記録するもの。改ざんは難しいはずだけど……」マーゴが言葉を切った。「ただ、ログ自体に術式干渉の痕跡がないかは、まだ調べていない」


「調べてくれ」蒼は言った。「もしログが偽造されていたら、ティムのアリバイは崩れる」


 マーゴは半信半疑の表情だったが、研究院に戻ってログを再解析した。


 数時間後、彼女は青ざめた顔で戻ってきた。


「あなたの言う通りだった」マーゴはログの記録板を机に置いた。「実験ログに、〈術式干渉〉の痕跡があった。極めて巧妙だけど、確かに改ざんされている。ティムは、実験記録を偽造して、自分が隣室にいたように見せかけていた」


 セレナが立ち上がった。「では、ティムが——」


「落ち着け」蒼が制した。「アリバイが崩れたのは事実だ。でも、それはティムが『その時間に隣室にいなかった』ことを示すだけだ。博士を殺した実行犯だとは、まだ確定しない」


「どういうことですか」


「ログを偽造した理由が殺人とは限らない」蒼は言った。「ティムには、別の後ろ暗いことがあったのかもしれない。それを隠すために、アリバイを偽造した可能性もある。順番に、確かめる」




 ティムを問い詰めると、彼は最初は否定したが、ログの改ざんの証拠を突きつけられると、崩れ落ちた。


「……確かに、僕はあの時間、隣室にいなかった」ティムは震える声で言った。「でも、博士を殺してなんかいない!」


「では、どこにいた」蒼は静かに尋ねた。


「……博士の研究データを、無断で持ち出していた」ティムは顔を覆った。「博士の未発表の研究を、外部に売ろうとしていたんです。金が必要で……。だから、その時間のアリバイを偽造した。データ持ち出しを隠すために」


「持ち出したデータを、誰に売ろうとした」


「仲介者がいて……名前は知りません。ただ、ある組織が、博士の研究を欲しがっていると」ティムは声を落とした。「灰紋、という名前を、一度だけ聞きました」


 その名前に、セレナの表情が変わった。


「灰紋」セレナが繰り返した。「術式犯罪組織の」


「僕は、研究データを盗んだだけです。殺人なんて……」ティムは必死だった。「本当です。あの夜、僕は研究院の地下資料室にいた。それは——監視の魔導具に記録が残っているはずです。確認してください」


 セレナが地下資料室の記録を確認した。確かに、事件当夜、ティムは地下にいた。最上階の研究室にはいなかった。


「ティムのアリバイは偽造だったが、彼が最上階にいなかったことは、別の記録で裏付けられた」蒼は言った。「ティムは、データ窃盗の犯人だが、殺人の実行犯ではない」


「では、残るは——」セレナが言葉を止めた。


「カイン=ドレア」蒼は頷いた。「最後の一人だ」




 カインのアリバイは、研究院の警備記録だった。事件当夜、彼の入退場時刻が記録されている。滞在は十五分。博士を殺す時間はなかった、とされる。


「カインのアリバイは、警備記録という客観的なものだ」セレナが言った。「これを崩すのは難しい。記録が正しいなら、カインは十五分しか滞在していない」


「記録が正しいなら、な」蒼は言った。「マーゴさん、その警備記録に、干渉の痕跡はないか」


「もう調べた」マーゴが答えた。「警備記録には、改ざんの痕跡はなかった。きれい」


 蒼は少し考えた。記録は本物。カインは十五分しか滞在していない。ならば、アリバイは成立する。


 だが、何かが引っかかった。蒼は昨夜のカインの言葉を思い出した。


『博士を殺した方法に、君は気づいた。だが、なぜ殺されたかには、まだ気づいていない』


 カインは、トリックの存在を知っているような口ぶりだった。なぜ知っている。


「……待て」蒼は呟いた。「トリックの肝は、犯人が現場にいなくても殺害が成立することだった。遅効性の術式と、遅延式の〈封域〉。犯人は、博士に術式を仕込んで、〈封域〉を仕込んだら、あとは立ち去っていい。発動は自動だ」


 セレナが息を呑んだ。「つまり、十五分という滞在時間は——」


「むしろトリックと整合する」蒼は言った。「犯人は現場に長居する必要がなかった。博士に接触して致死術式を仕込み、扉に遅延式の〈封域〉を仕込む。それだけなら、十五分で足りる」


「でも、それだとカインのアリバイは、アリバイになっていない……」


「そうだ。十五分の滞在は、アリバイのようでいて、実はトリックを実行するのに十分な時間だった」蒼は言った。「カインは『博士とは玄関で短く話しただけ』と証言した。でも、その『短い接触』こそが致死術式を仕込む機会だったとしたら?」




「だが、まだ足りない」蒼は続けた。「カインが実行犯だと確定するには、彼が遅延式の〈封域〉を扱えることを示す必要がある。カインの固有術式は何だ」


「〈糸縛〉です」セレナが答えた。「魔素を不可視の糸状にして、対象を拘束する。遠距離と精密操作が得意な術式です」


「精密操作」蒼は反応した。「遅延式の〈封域〉を博士の習慣に同期させるには、極めて精密な術式制御が要る。〈糸縛〉のような精密術式の使い手なら——」


「待ってください」セレナが遮った。「でも、〈封域〉は局長クラスの高位術式です。カインは上級捜査官ですが、〈封域〉が使えるという記録はありません」


 蒼は動きを止めた。


 そこが、最後の壁だった。〈封域〉を使えなければ、トリックは実行できない。カインに〈封域〉が使えるという証拠はない。


 蒼は現場の図面を見つめた。〈封域〉。遅延式。二重展開。


 ——〈封域〉を使えるのは、局長クラス。


 その言葉が、頭の中で反響した。蒼の中で、何かが繋がりかけた。だが、それは、あまりに重い結論だった。


「……マーゴさん」蒼は声を落とした。「現場の〈封域〉の痕跡を、もう一度精密に解析してくれないか。特に、術式の『癖』を。同じ〈封域〉でも、術者によって紋様の刻み方に個性が出るはずだ」


「術式の癖……」マーゴは少し考えた。「確かに、術者の固有の癖は痕跡に残る。比較対象があれば、特定できるかもしれない。でも、〈封域〉の使い手は限られている。比較対象が——」


「ある」蒼は言った。「局には、〈封域〉を使える人物がいる。その人物の術式の癖と現場の痕跡を照合してくれ」


 マーゴの顔が強張った。彼女は、蒼が何を言おうとしているのか、気づいたようだった。


「……それは」マーゴが声を絞り出した。「局長の、オード=ナイン様の——」


「照合してくれ」蒼は静かに、しかしはっきりと言った。「真実が、そこにあるかもしれない」




 その夜、蒼は一人で考え込んでいた。


 もし現場の〈封域〉の癖がオード局長のものと一致したら。


 それは、局長が事件に関与していることを意味する。だが、局長が直接手を下したとは限らない。〈封域〉の術式だけを提供し、実行は別の者が行った可能性もある。


 あるいは、カインが局長から〈封域〉の術式を学んでいたとしたら。


 断片が、まだ繋がらない。


 扉がノックされた。セレナだった。


「マーゴさんから、解析の中間報告が来ました」セレナは硬い表情で言った。「現場の〈封域〉の癖は——オード局長のものとは、一致しませんでした」


 蒼は顔を上げた。「一致しない?」


「ええ。でも」セレナは記録板を差し出した。「別の人物の癖と、一致したんです。局の記録にある、〈封域〉を使える人物のうち——もう一人」


 蒼は記録板を受け取った。そこに記された名前を見て、息を止めた。


 それは、容疑者三人の誰でもなかった。


「……カイン=ドレアでも、オード局長でもない」蒼は呟いた。「この人物は、容疑者リストにすら入っていなかった」


「ええ。完全に、捜査線の外にいた人物です」セレナが言った。「でも、この人なら——三つの条件を、すべて満たします」


 蒼は記録板の名前を、もう一度見た。


 そして、すべての断片が、一気に繋がった。


 完璧すぎるアリバイを持つ人物。それは、容疑者の中にいたのではなかった。


 ——アリバイすら必要としなかった、最初から疑われていない人物。それこそが、真犯人だった。


「明日」蒼は立ち上がった。「決着をつける」




 真犯人は、博士の研究院の、別の研究者だった。


 名をクレイ=ヴェント。博士の長年の同僚で、〈封域〉を扱える数少ない術式研究者の一人。表向きは、博士の死を悼む立場にあり、捜査にも協力的だった。だからこそ、容疑者リストに入っていなかった。


 翌日、蒼とセレナは、クレイの研究室を訪ねた。


「クレイ=ヴェントさん」蒼は静かに切り出した。「あなたに、いくつか確認したいことがある」


「何でしょう」クレイは穏やかに応じた。初老の、知的な雰囲気の男だった。


「ベルダ博士が殺された方法を、説明させてもらう」蒼は淡々と語り始めた。「犯人は、遅効性の致死術式を博士に仕込み、扉に遅延式の〈封域〉を仕込んだ。博士が自分で部屋を封鎖した瞬間、二重の〈封域〉が発動し、博士は閉じ込められ、仕込まれた術式で死んだ」


 クレイの表情は変わらなかった。「興味深い推理ですね。しかし、私とどう関係が」


「現場の〈封域〉の術式の癖が、あなたのものと一致した」蒼は言った。「あなたは博士の同僚として、日常的に博士と接触できた。博士の習慣も知っていた。そして、〈封域〉を扱える。三つの条件を、すべて満たす」


 クレイは、しばらく沈黙した。それから、ゆっくりと笑った。


「……術式の癖、ね。まさか、そこから辿り着くとは」クレイは静かに言った。「〈残滓読み〉の協力者がいると聞いて、警戒はしていたが。あれは断片しか見えない、当てにならない術式だと思っていた」


「断片しか見えない。だが、断片を繋げば、真実は見える」蒼は言った。「なぜ、博士を殺した」


 クレイの表情から、笑みが消えた。


「博士は、ある研究を完成させようとしていた」クレイは低い声で言った。「世界の根幹に関わる研究だ。それは公にされてはならないものだった。私は止めなければならなかった」


「誰に頼まれた」蒼は鋭く問うた。「あなた一人の判断じゃない。〈封域〉を遅延式に改良する技術、致死術式の精密制御。個人で完結する話じゃない。背後に、組織がいる」


 クレイの目が、わずかに揺れた。


 その瞬間、彼の手が動いた。




 クレイが術式を発動させた。研究室全体に、〈封域〉が展開し始める。蒼とセレナを、閉じ込めようとしている。


「逃がさんよ」クレイの声が冷たくなった。「ここで二人とも消えてもらう」


「セレナ!」蒼が叫んだ。


「わかってます!」


 セレナが床を蹴った。〈衝脈〉。魔素を脚に集中させ、一瞬でクレイとの距離を詰める。だが、クレイの〈封域〉が、彼女の動きを阻もうとした。空間そのものが固まるように、セレナの体が鈍る。


「術式が、効かない……っ」セレナが歯を食いしばった。


「〈封域〉の中では、お前の〈衝脈〉も封じられる」クレイが嗤った。


 蒼は前に出た。〈術式干渉〉。


 彼は手をかざし、クレイの〈封域〉に割り込んだ。相手の術式の流れに自分の魔素をねじ込む。〈封域〉の展開が、一瞬、乱れた。


「なに……っ」クレイが動揺した。


「今だ、セレナ!」


 〈封域〉の綻びた一瞬。セレナの〈衝脈〉が、解き放たれた。


 魔素を込めた拳が、クレイの腹部を捉えた。衝撃波が炸裂し、クレイの体が吹き飛んだ。研究室の壁に叩きつけられ、彼は崩れ落ちた。〈封域〉が霧散する。


「……っ、は」クレイが咳き込んだ。「この、若造どもが……」


「あんたの〈封域〉は確かに強力だ」蒼はクレイを見下ろした。「でも、俺の〈術式干渉〉は術式を一瞬乱せる。そして、その一瞬があればセレナの〈衝脈〉が届く」蒼はセレナを見た。「戦闘ができる人間がいないと、推理は意味を失う。昨日そう言っただろう」


 セレナは、拳を握ったまま、蒼を見た。何か言いたげだったが、頬がわずかに赤らんだだけだった。


 駆けつけた捜査官たちが、クレイを拘束した。


 クレイは連行されながら、蒼に向かって、最後にこう言い残した。


「……お前は、深入りしすぎた。灰紋は、お前を許さない。お前のような『型』を持つ人間を、あの組織はずっと探していたのだからな」


 蒼は、その言葉の意味を、まだ理解できなかった。


 だが、後ろに立っていたセレナが、その言葉にはっと反応したのを、蒼は見逃さなかった。


「型を、探していた……?」セレナが呟いた。その顔は、青ざめていた。

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