表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/6

第五話:実感

 放課後の改札を抜けると、いつもの穴が、いつもの顔で口を開けていた。

 昨日と同じ。一昨日とも、同じ。

 変わったのは、たぶん、俺の方だけだ。


 石の階段を、地の底へ降りていく。

 降りるごとに、土と苔の匂いが濃くなる。壁の光苔が、ぼんやり青白い。

 たった一階分。それでも、地上の音は、もう聞こえない。


 草原に出る。

 スライムが、間延びした動きで揺れていた。毎日、何十匹と斬ってきた、見飽きた相手だ。

 でも今日は、その一匹が、やけにくっきりと、目に映る。


 剣を抜く。

 握りの感触は、いつもの安物のまま。なのに、柄を持つ手だけが、妙に汗ばんでいた。

 スライムの間の抜けた突進をよける。

 斬る。

 よける。

 斬る。

 一匹、倒す。


 いつもなら、ここで切り上げる。今日のところはこのくらいで、って。

 今日は、剣を下ろさなかった。

 もう一匹。次の、一匹。


 二十を数えたあたりで、握る指が、自分の指じゃないみたいになってきた。

 肩の付け根が、内側から焼けるみたいに熱い。

 それでも、振った。振り続けた。


 その夜、茶碗を持つ手が、かたかたと鳴った。

 手の皮が剥けて、何をするにも痛くて、情けないくらい、握力が残っていなかった。


 *  *  *


 それから、来る日も来る日も、剣を振った。


 学校では、普通にしていた。

 田島のくだらない話に笑って、適当に相槌を打って。

 でも、頭の中は、ずっとダンジョンのことだった。早く放課後にならないか、そればかり考えていた。


 最初のうちは、ただ、しんどいだけだった。

 朝、まぶたを開けるたび、全身が抗議の声をあげる。

 それでも、足はダンジョンに向いた。行かない言い訳を探す自分の方が、よっぽど嫌だった。


 何日かして、ふと、気づく。


 いつも俺をからかうみたいに跳ねるホーンラビットに、切っ先が、届いた。

 かすめただけだ。倒せちゃいない。

 それでも。


「お」


 間の抜けた声が、勝手に出た。

 誰もいない草原で、ひとり、突っ立ったまま。

 胸の奥が、ほんの少しだけ、軽くなる。

 昨日の自分より、ほんの少し。前に出られた気がした。


 そんな気がした瞬間に。

 頭の隅で、石田の腕がちらつく。


 俺がこうやって、ちょっと前に進んで、嬉しくなってる、今この時も。

 あいつの腕は、戻らない。

 笑っていいのか、俺が。

 たった1階層ウサギに剣が当たったくらいで、浮かれて。


 軽くなりかけた胸がまた、ずん、と重くなる。

 それでも、剣は下ろさなかった。

 下ろせなかった。


 *  *  *


 そうやって、1ヶ月。


 ときどき、足が止まる。


 これで、合ってるんだろうか。

 誰かに教わったわけじゃない。我流で、ただ、腕を振り回しているだけだ。

 強くなっているのか。

 進んでいるのか。

 それとも、ただ、疲れることに慣れただけなのか。

 それを教えてくれるものは、どこにもなかった。


 それに。

 ここは、一番浅くて、一番ぬるい場所。

 命を懸けたことなんて一度もない。

 ここで何匹倒したって、意味は無い。

 石田が立っていた場所には、届かない。

 あいつは、とっくにこんなところを通り過ぎていた。


 ためしに、息を、深く吸ってみる。

 この階の空気は、薄い。

 魔力が薄いんだ、と、いつか授業で聞いた。

 浅い階は力が淡くて、だから、弱い魔物しか育たない。


 半歩前に出た、あの小さな嬉しさが、急に、ばかみたいに思えた。


 もっと前に進むべきだ。


 俺は森の方に足を向けた。


 森の中は薄暗かった。

 高くのびた木々の合間から、かろうじて陽が差し込んでいる。手元がやっと見えるくらいの明るさだ。

 足もとは、木の根があちこちで地面から飛び出していて、気を付けないと、つまずいて転んでしまいそうだった。


 草原の、あの間延びした空気はもう、どこにもない。

 葉ずれの音さえ遠くて、自分の足音だけが、やけに大きく聞こえる。


 ここには強いモンスターがいる。

 でも、こんなところで止まっているわけにはいかない。

 周囲を警戒しながら前に進む。


 足もとが、ふいに、やわらかく沈む。


 あ、と思ったときには、片足が、地面に飲まれていた。

 落とし穴、じゃない。

 穴の縁の土を押しのけて、何かが這い出してくる。

 節くれだった黒い脚。一本、二本、三本——数えるのは、やめた。

 ピットスパイダー。穴に潜んで、獲物を待つ。

 今日の獲物は、俺だ。


 剣を抜く。両手で、握る。

 飲まれた足を引き抜きながら、軽くピットスパイダーに向かって振り下ろす。

 脚の一本に刃が食い込んで、硬い手応えが、肩まで跳ね返ってくる。

 蜘蛛が、たたらを踏むみたいに後ろへ下がった。

 倒せる。

 そう思った次の瞬間。


 口元から、白いものが、こっちに飛んできた。

 よけきれない。糸だ。

 左の腕に、べたりと巻きついて、ねばつく。引いても、剥がれない。

 腕一本、持っていかれた気分だった。


「クソッ」


 それでも、右手一本で、剣を振った。

 重い。糸を引きずって、よけて、また振る。

 当たらない。

 毎日振って、軽くなってきた剣が、片手になった途端、邪魔をする。

 あいつは、跳ねて、回って、俺の攻撃を避けているのか、おちょくっているのかわからない。

 息が、すぐに上がる。手の皮の剥けたところが、柄にこすれて痛い。


 ちくしょう。

 ちくしょう、当たれ。

 当たれよ。


 一度だけ、脚の運びが、噛み合った。

 踏み込んで、体ごと、剣を叩きつける。

 蜘蛛の胴に、刃が深く入った。

 脚が、いっぺんに、ばたついて——やがて、動かなくなる。


 倒した。

 肩で息をしながら、勝利をかみしめる。

 初めてだ。こんなふうに、本気で、命を懸けたのは。


「はは」


 楽しい。

 自然と口角が上がる。

 案外、あっけなかったな。

 俺の勝ちだ、蜘蛛野郎。


 瞬間、その熱が、ぞくりと冷えた。


 背中の、すぐ後ろ。

 土を押しのける、あの音が、もう一度した。

 ふり返る。

 さっきより、ひとまわり大きいのが、穴から、ゆっくりと這い出してくる。


 足が、動かなかった。

 さっきの一匹で、もう、腕が上がらない。糸の巻きついた左腕は、感覚が遠い。

 やれる、と、口の中で言ってみる。

 やれる。まだ。俺は——。


 言葉が、続かなかった。


 無理だ。

 体の、ずっと奥の方が、そう言っていた。理屈じゃない。

 ここで意地を張ったら、死ぬ。

 瞬間、俺は背を向けて走った。

 木の根に、何度もつまずきながら。

 かっこ悪いとか、情けないとか、そんなことを考える余裕も、なかった。

 ただ、生きて、森を出ることだけを、考えていた。


 明るい草原に転がり出て、膝に手をついて、はじめて、自分が震えているのに気づいた。


「あんた」


 声に、顔を上げる。

 斎藤だった。少し離れた所で短剣を収めて、まっすぐ、こっちに歩いてくる。


 俺の、糸の巻きついた腕。木の枝で切ったらしい頬。たぶん、ひどい顔。

 斎藤の目が、その一つ一つを、順番に、たどっていくのが分かった。


「森、入ったの?」


 責める声じゃなかった。問い詰める声でも。

 ただ、分かってしまった、という声だった。


「ちょっと、迷い込んだだけ」


 笑って、軽く返したつもりだった。

 声が、思ったより、かすれていた。


 斎藤は、何も言わずに、俺を見ていた。

 まっすぐ。いつものやつだ。何かを、見透かすみたいに。


 何か言われる、と思った。焦ってるとか、無理してるとか。

 でも、斎藤は、ひとつ息を吐いて、それだけだった。


「無茶しないでよ。見てるこっちが、ひやひやするから」


 それから、もう何も言わずに、行ってしまった。

 その目線の感覚だけが、いつまでも、残っていた。


 *  *  *


 その夜、布団にもぐって、スマホの光を顔に浴びていた。


 強くなる方法。剣術。独学。コツ。

 思いつく言葉を打ち込んでは、ぴんと来なくて、消す。


 我流じゃ、限界だ。

 そんなことは、もう嫌になるほど分かっている。今日、体で、思い知った。

 このまま一人で続けたら、強くなるより先に、死ぬ。


 何度目かの検索の、その先に、それはあった。


『初心者向け・探索者ステップアップ講習』


 ただ、知りたかった。

 どうすれば、強くなれるのか。

 あの場所に立っている石田に、少しでも、近づけるのか。


 親指が、申し込みのボタンの上で、止まる。

 それから、押した。

進もう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ