第二話:事件
ダンジョンの中は、外よりいくらか涼しい。
屋内のはずなのに、どこからか風が俺の横を通り抜けていく。
1㎞ぐらい先には青々とした木々が見える。
森林エリアだ。俺はまだ一度も入ったことがない。
スライムが一匹、ぷるぷる近づいてきた。
世界で一番、やる気のない攻撃だ。
バスタードソードを振り下ろすと、ぐにゃ、と気持ちの悪い手応えがあって、スライムが真っ二つになる。顔に飛んだ残骸を、袖で拭った。
これで三匹目。
たった三匹で、もう息が上がってる。
剣を地面に突き立てて、ひと息つく。
絶対、この剣が重い。
正直、武器屋で一目ぼれして買ったが身の丈に合ってない。
あの武器屋のひげもじゃおっちゃんの苦笑いはなかなかむかついた。
だって男の子なんだもん。かっこいいじゃん。
遠くの草むらで、ホーンラビットが跳ねていくのが見えた。
あんなに素早く俺も動けたらいいんだけど。
あと一匹潰したら、今日は帰ろう。それで千円弱。
地面に落ちた核を拾いながら、そんなことを考えていた。
草を踏みしめる音が、近づいてくる。
スライムでもホーンラビットでもない。人間の足音だ。
顔を上げると、見慣れた制服姿が立っていた。
整った顔。細い体。背が高くて、姿勢がいい。
石田だ。
「お、石田」
俺は片手を上げる。
「珍しいな、ここになんか用?」
「ああ、中村くん」
石田はやわらかく笑って、こっちに歩いてくる。
その足取りには、無駄がない。手に提げた盾は、キラキラ光ってて、いかにも新品って感じだった。
「今日はちょっと、新しい盾の感触を確かめたくて」
なるほど。気になるな。
俺は剣を肩に乗せて、すこし意地の悪い笑顔を作ってみる。
「それ、何円くらいしたの?」
「あはは」
「大体、片手くらいかな。素材持ち込みでね」
その値段を聞いてぎょっとする。
50万円ってことは大体、スライム何匹分だ?
頭で電卓もどきをうんうん弾いていると、石田はその様子を笑いながら言った。
「中村くんも、無理しないでね」
無理しないでね、か。
1階層でスライムしか倒したことない俺に言うことか、それ。
皮肉……ではないんだろうな、こいつの場合は。天然なんだろうか。
「スライム相手にどうやって怪我しろっていうんだよ」
「それは…つまずいて転んだりとか…」
頑張って怪我の要因をひねり出そうとする石田。
俺は笑いながら剣を肩から降ろした。
「お前こそ、無理すんなよ」
「えっ…うん。気をつけるよ」
石田は軽くうなずいて、森のほうへ歩いていく。
その背中を、なんとなく見送っていた。
空気が、変わる。
さっきまで抜けていた風が、ぴたりと止む。
かわりに、ぬめっとした重さが、肌に張りついてきた。
軽かったはずの空気が、首元に刃を突き付けられているみたいに鋭くなる。
何かに、見られている。
俺でも、こういうのは分かる。本能みたいなものだ。
やばい。
背中に、つめたいものが走る。
草むらの向こう。木と木のあいだ。石田が歩いていった方向のその先。
影が、立ち上がる。
黒い、四つ足。
低い、唸り声。
牙のすきまから、水色の霧みたいなものが、ふう、と漏れている。
体は、俺がこのダンジョンで見たどれよりも、ずっと大きい。
眼が、夜空みたいに綺麗だった。
知ってる。資料で見たことがある。シャドウウルフ。たしか、3階層のモンスターだ。
3階層の。
なんで、1階層に。
考えるより先に、声が出た。
「石田!逃げ」
でも間に合わない。
ウルフと俺のあいだには、盾を構えた石田の背中があった。
いつのまに。
さっきまで、奥に歩いてたのに。
ウルフが、揺れる。
見えなかった。
ぐしゃり。
ガキン、なんて軽い音じゃない。
何かが潰れる、にぶい音だった。
石田の真新しい盾が、紙くずみたいにひしゃげている。盾の縁が、石田の腕に食い込んでいた。
いや。
食い込んでる、んじゃない。
腕が、盾と一緒に、潰れてる。
肘から先が、人の腕の形を、していなかった。
赤と、白と、なにか分からないものが、混ざっていた。
石田は、声も出さなかった。
ただ、目を見開いたまま、宙に浮く。
目が、合った気がした。
新しかったはずの盾と一緒に石田の体が、俺のすぐ横に吹き飛んでくる。
どさ、と地面に落ちる音。
死。
これは、死だ。
そういう言葉が、頭にぱっと浮かんで、消えなかった。
「——っ、石田ァ!」
声が、勝手に出た。
頭の中は、まっしろだ。何を考えてるのかも、何がしたいのかも、分からない。
ただ、剣を握り直して、走り出していた。
ウルフに向かって。全力で。
「うわあああああっ!」
喉が裂けるみたいな声が出た。
ウルフが、こっちを見る。
夜空みたいな眼が、ゆっくりと、俺を面白がるみたいに、細められた。
笑ってやがる。
届かない。
分かってる。こんな剣、届くわけがない。
でも。
何もしないよりは、ましだ。
——その時。
風が、横を通り抜けた。
俺の体の、すぐ横を、何かが走り抜ける。
速すぎて、残像みたいなものだけが、見えた。
気がついたら、ウルフが、二つになっていた。
ウルフの体が、上下に分かれて、地面に落ちる。
べちゃりと、黒い液体になってシャドウウルフの体が消える。
さっき牙の間から漏れていた水色の霧が、空気に、すうっと溶け込むように消えていった。
その向こうには、男が立っていた。
長身。黒髪。艶消ししてある暗い赤色と白いフルプレートの装備の上から、ギルドのワッペン。
片手に提げた剣の先から、血じゃない、なにかが、ぽたぽた落ちている。
ニュースで、見たことのある顔だった。
神崎龍。
「間に合ったか」
誰に言ったわけでもない、独り言みたいだった。
龍さんは、消えていく霧の跡を、ほんの一瞬だけ見て、それからすぐ石田のそばにしゃがみ込む。
腰のポーチから何かを取り出して、石田の胸に振りかけた。それから、潰れた腕の付け根に、手早く止血帯を巻い
片耳に手を当てて、低い声で言う。
「至急。1階層で異常個体発生。被害者一名、重傷だ。腕の損傷がひどい。回復系を急いで回してくれ」
異常個体。
あのウルフのことを、そう呼んだ。
石田の顔は、紙みたいに白い。
胸が、かすかに上下していた。
息はしている。
俺は、突っ立っていた。
なにもできない。
石田は俺を守って、ああなった。
なのに、声をかけることも治療をすることもできやしない。
手の中の剣を、見る。
握ったままの、右手を。
刃に、緑色の汁が、こびりついている。さっき倒した、スライムのだ。
その剣が、小刻みに、震えていた。
頬が、ひりひりする。
さわってみると、ぬるりと、指についた。血だ。腕も、どこかで切ったらしい。ところどころ、赤い。
俺の血か、石田の血か。もう、分からない。
少し離れたところで、龍さんが、石田の腕に、止血帯を巻きつづけている。
石田の腕は、もう、腕の形をしていなかった。
肉が裂けて、白い、やけに綺麗な骨が、その腕みたいなものから、ところどころ飛び出している。
腕。
俺は今の石田のあれを見て、それでも腕って、言えるんだろうか。
俺の傷なんて、それに比べたら、ちっぽけだった。
俺は、何もできなかった。
憧れがなかったわけじゃない。
夢がないわけじゃない。
剣を取れば、なにかになれると思ってた。
強くなくても、前に出れば、なにか変わると思ってた。
でも俺は、剣を握ってスライムを初めて倒したあの日から、見ないようにしてきたんだ。
石田だって努力してないわけない。みんな努力して強くなってるんだ。
でも、俺はそれを見ないようにして、才能だとか生まれ持ったものが違うだとか。
たくさんの言い訳を探して、強くなれない自分じゃなくて、強くなろうとしていない自分にしていたんだ。
俺は、何のために、剣を握ってるんだ。
剣を握る手が、まだ震えてる。
寒いのか、怒ってるのか、自分でも分からない。
たぶん、両方だ。
——中村君。
声が、聞こえた気がした。
顔を上げる。
斎藤が、立っていた。
斎藤朝陽。同じクラスの、ダンジョン通いの女子。
今日も、来てたのか。
少し離れたところから、こっちの様子を、うかがってる。
「石田君、大丈夫だって。治癒師の人、もう向かってるってさ」
ゆっくり、こっちに歩いてくる。
斎藤の声は、いつもどおりだった。軽くて、素朴で、教室でもよく聞く、あの声。
何か言わなきゃ、と思った。
でも、言葉が、出てこない。
なんて返せばいいのかも、分からなかった。
「そっか」
斎藤は、俺を、まっすぐ見ていた。
それから、ちょっとだけ首をかしげて。短い髪が、軽く揺れる。
「あんたも、めっちゃ顔色悪いよ。大丈夫?」
責めすぎもよくないよね。




