第67話 魔竜の結婚
◇◇◇
テラムたちがグラキャス氷河に飛び立ったセディルナ村には、アクアス、フェルム、レーシェが残っている。
庭のテーブルで、アクアスとレーシェがハーブティーを嗜んでいた。
「レーシェちゃん、そんなに気を張らなくてもいいんじゃない?」
ルジェール王国の襲撃によって、一度破壊されたセディルナ村。
その破壊に参加していたレーシェは心から悔いており、この地を離れないと一人誓っている。
アクアスは、そんなレーシェの密かな誓いに気づいていた。
「アクアス様、私は今でもあの時のことを夢に見るのです。シルヴァの大切な本を焼き、テラム様の畑を踏みにじり、アレファスの家を破壊したことを……」
「やってしまったものは仕方がないわよ。それに、人間にだって被害は出ているでしょう?」
襲撃した人間側の被害は甚大で、二万人の騎士と傭兵が死亡した。
もちろん自業自得ではあるのだが、アレファスに命を助けられたレーシェとしては複雑な思いだ。
「私はここで、のうのうと幸せに生きています。よろしいのでしょうか……」
「いいのよ。あなただって全ての責任を押し付けられて、処刑されそうになったんだから。だから生まれ変わって魔獣になったんじゃない」
「は、はい……」
「ねえ、レーシェちゃん。ルジェール王国に復讐する? 魔竜から人間の世界を襲うことはないけど、あなたが希望するなら手伝ってあげるわよ?」
「い、いえ! そんな! アクアス様のお手を煩わせるわけにはいきませんし、復讐などは考えておりません」
「そうなのね。じゃあ、もう前を向いて生きていきなさい。これから悠久の時を過ごすのだから。うふふ」
レーシェはティーカップに手を添え、波打つハーブティーの表面をじっと見つめている。
「あの……、アクアス様。私はどれくらい生きるのでしょうか?」
「あなたは史上初めて、人間から上位への進化で魔獣になった存在よ。正確には分からないけど、生物の進化を見るくらい長い年月を生きるでしょうね。でも孤独じゃないわよ? 私たちやアレファスちゃんもいるもの」
「そ、そうですか。アレファスと一緒なら……」
「あら? あなた、アレファスちゃんが好きなの?」
「え? その……は、はい……。以前から、魔神と呼ばれていた傭兵アレファスに憧れていました……」
頬を赤らめるレーシェ。
照れを隠すかのように、ハーブティーを口に含んだ。
「でも、アレファスちゃんはシルヴァちゃんと結婚するんじゃないかな」
「それは全然構いません。尊敬している憧れの存在ですから」
「へえ、そうなのね。付き合っちゃえばいいじゃない。もう人間じゃないんだし。人間のルールなんて関係ないわよ?」
「そういうわけにはいきません。それにシルヴァのことも大好きですから。あの二柱は本当にお似合いです」
「ふーん」
アクアスが微笑みながら、ハーブティーを口にした。
その笑みは僅かに悪戯がかっている。
「ねえ、私とアレファスちゃんはどう見える?」
「え? アクアス様はアレファスが好きなのですか?」
「魔竜に恋愛なんてないけど、アレファスちゃんのことは好きよ。面白いもの、ずっと見ていたいわね」
「そうなのですね。私の想いもそれに近いかもしれません。アレファスと……その……、そういう関係になりたいわけではないですし」
「そういう関係って?」
「も、もう! 意地悪しないでください!」
「うふふ、ごめんね。でも、魔人や魔獣になると子孫を残すことはできないから、心の繋がりになるのよ」
「心の繋がり……ですか」
レーシェの分類は魔獣になるが、元々は偶然魔獣の因子を持っていただけの人間だ。
感覚も心も人間の頃と同じで、恋愛感情も変わらない。
少し頬を赤らめたレーシェが席を立つ。
「そ、それでは、朝食を作りますね」
「あ、レーシェちゃん。新しいチーズが完成したから使ってね」
「はい、承知いたしました」
レーシェがレストランのキッチンへ向かうと、朝からサウナに入っていたフェルムが庭に姿を見せた。
「あれ、レーシェさんは?」
「朝食の用意よ」
「では、手伝ってきますね」
フェルムが足早にレストランへ向かう。
「あらあ?」
妙に嬉しそうな弟の背中を見つめるアクアスだった。
***
アクアス、レーシェ、フェルムの三人で朝食を取り、食後のコーヒーを楽しむ。
「テネヴァス様のエスプレッソが飲みたいですね」
「そうねえ、まだグラキャス氷河にいる頃かしら。帰ってくるのが楽しみね。うふふ」
フェルムはフェルム鋼から作った愛用のカップに、二杯目のコーヒーを注ぐ。
カップには熱が冷めない加工を施しており、熱湯のコーヒーを飲んでいる。
「レーシェさん、今日は剣を作ります。あとで希望を聞かせてくださいね」
今日はレーシェの剣を作る予定だ。
フェルム鋼を使って、レーシェにふさわしい最高の一本を作る。
「ありがとうございます。あの、フェルム様。いつもお伝えしているように、私のことは呼び捨てにしてください」
「そうはいっても、レーシェさんも僕を様付けしてるし」
「フェルム様は魔竜なのですから当然です」
「しかし、僕のことは普通に呼んでほしいです」
「そ、それはさすがにできません」
「アレファスさんやシルヴァさんには――」
二人とも真面目で融通が利かない性格だ。
同じやり取りを何度も繰り返している。
そんな二人の様子を眺めるアクアスの口元が緩む。
弟の気持ちの変化に気づくとともに、嬉しさがこみ上げてきた。
「ねえ、フェルムちゃん。もしかして、レーシェちゃんのことが好きなの?」
「はい。恋愛というものがよく分からなかったのですが、これが好きという感覚だと思います」
「どういう気持ち?」
「ずっと一緒にいたいです」
「いつからなの?」
「初めて見た時からです」
「あらあら、一目惚れじゃないの。いいわねえ。魔竜にも恋愛の気持ちが芽生えるのね。それって凄いことよ。うふふ」
フェルムの突然の告白に、理解が追いつかないレーシェ。
「あ、あの……」
「いいじゃない! 魔竜だって結婚してもいいと思うわよ? 私たちも時代に合わせていかなきゃ」
「え? け、結婚? な、何を仰って……」
困惑するレーシェを見つめながら、フェルムが立ち上がった。
「レーシェ。僕と結婚してください」
突然の魔竜からのプロポーズに、レーシェの身体の動きと脳内の理解力は完全に停止した。
銀月の女神と呼ばれ戦場を駆け抜けた歴戦の騎士も、この時ばかりは一人の乙女に戻ったようだ。
「す、少しお待ちください……。その……突然のことなので……」
膝の上に置いた両手をギュッと握り、顔を伏せたレーシェ。
その顔は熱した鉄よりも赤く火照っていた。




