第61話 再びグラキャス氷河へ
グラキャス氷河に向かって羽ばたくテラム。
俺は移動用の小屋で、シルヴァとソファーに座りながらくつろいでいた。
テネヴァスは窓際に立ち、可愛らしい笑顔を浮かべながら景色を眺めている。
「やっぱり明るい景色はいいなあ」
テネヴァスが住むテネヴァス島は、テラムが青月を壊したせいで常に極夜だという。
常に暗闇にいるテネヴァスにとっては、珍しい景色なのだろう。
テネヴァスがくるっと窓に背を向けて、俺たちに微笑んだ。
「私、夕焼けが好きなんだよね」
「そろそろ夕焼けだし、西に向かっているから地平線に沈む夕日が見られるぞ」
「うん、ちょっと楽しみなんだ」
空が徐々に赤く染まる。
その中心で熱せられた鉄球のような太陽が、地平線に向かって落ちていく。
見渡す限り平地が続くテラム平原は、夕日を遮るものが何もない。
「バカ兄貴はムカつくけど、テラム平原の夕日は本当に綺麗だと思う」
テネヴァスの言葉に、俺は頷いた。
テラムへの怒りは見せるものの、綺麗なものは綺麗だとしっかりと切り分けるテネヴァス。
「はは、いい兄妹だな」
「そう? そんなことないよ」
少しだけ嫌そうな表情を浮かべるテネヴァスだった。
夜を迎え、また朝が来ても飛び続けるテラム。
セディルナ村からグラキャス氷河までの距離は片道三日だ。
ようやくテラム平原の終わりが見えてきた。
その先に、白波を立てる大海原が広がる。
テラム平原とグラキャス氷河に挟まれたこの海域を、マレム海峡と呼ぶ。
テラムの兄、海竜マレムが住む魔竜領で、世界で最も深い海として知られている。
「久しぶりに海を見たな。帰りが楽しみだぜ」
俺たちは、帰り際にこの海で魚介類を獲る。
***
セディルナ村を出発してから三日が経過した。
「見えてきた。グラキャス氷河だぞ」
窓の外を眺めていると、巨大な青白い氷の塊が見えてきた。
俺にとって二回目のグラキャス氷河だ。
島ごと凍りついたというグラキャス氷河。
地平線の彼方まで、氷の大地が続いている。
氷河の上空を飛びながら高度を落とす。
氷山がある場所で、テラムがゆっくりと氷の大地に降り立った。
竜人化したテラムが小屋の扉を開けると、全てを凍らせるような冷たい空気が部屋に入り込んでくる。
「着いたぞ」
「ご苦労さん。テラム、疲れてないか?」
「む、私が疲れるわけなかろう」
自信に溢れる表情を浮かべるテラム。
数日間ノンストップで飛行していたのに、相変わらずの体力だ。
全員で外に出た。
シルヴァの魔法で寒さは感じないが、念のために毛皮のコートを着込んでいる。
「相変わらず、美しい氷だな」
氷山の透明度は高く、一切の不純物がないようだ。
透き通った氷は数十メルテ奥まで見える。
「さて、氷をいただくとしよう」
俺はツルハシを握った。
「待て。姉様にご挨拶をするのだ」
「でも、寝てるんだろ?」
「そんなことは関係ない。礼儀を欠いてはならぬ」
「そ、そうか……」
テラムの口から礼儀という言葉が出るとは思わなかった。
氷壁に向かって深く一礼するテラム。
「グラキャス姉様。氷を分けていただきます」
「グラキャスお姉ちゃん。氷を貰うね」
テネヴァスも氷壁に向かって声をかけていた。
「よし、アレファス。氷をいただこう」
「了解。じゃ、この氷壁を砕くぞ」
俺はツルハシを握り、氷壁に向かって振り下ろす。
フェルム鋼のツルハシが、音を置き去りにして氷壁に突き刺さった。
空気まで凍ったかのような無音の中、少し時間を置き、氷壁に亀裂が走っていく。
「き、貴様! やりすぎだ! ね、姉様を起こしてしまうだろうが!」
「そんなこと言ってもよ……」
テラムが抗議の声を上げると、氷山が一気に崩壊した。
それまで無音だった氷河に、氷が崩れる轟音が鳴り響く。
だが、その音はどこか楽器のように美しくもあった。
不純物のない氷だからだろうか。
「あなたねえ……。この間の山を斬った時もそうだけど、アレファスは力のコントロールを覚えないと、そのうち星を壊してしまいそうね……」
シルヴァが呆れた表情を浮かべている。
「俺だって軽くやったんだよ」
「あなたは魔王になっても日々の努力は欠かさないんだもの。強くなって当然でしょ?」
「わ、分かってるよ」
「分かってないから言っているのよ。訓練するなら力の抜き方もしっかりと練習しなさい」
「ぐっ……」
「いい? 明日からは全力の素振りのあとに、力を加減する方法も練習するのよ?」
「わ、分かったって……」
シルヴァの正論に何も言い返せない。
盛大に溜め息をつくシルヴァに対し、なぜかテラムも申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
もしかして、テラムは怒る女に弱いのだろうか。
「まあいい、アレファス。やってしまったものは仕方がない。氷をいただいていこう」
今回は大きな冷凍庫を四つ持ってきている。
氷と魚を入れるためだ。
シルヴァが魔力を吹き込んだ冷気の魔石は強力で、大きな冷凍庫でも長期間保冷する。
「氷はどれに入れるんだ?」
「氷はたくさん使用するから、三つの冷凍庫に入れるわよ」
シルヴァの指示で小屋から冷凍庫を運び出し、氷を入れていく。
テネヴァスは運びながら、小さな氷を口に入れ、ボリボリと音を立てて食べていた。
「やっぱりここの氷が一番美味しい」
氷に味なんてないと思うが、この透き通った宝石のような氷を見ると納得してしまう。
「煩いのう。誰じゃ、氷山を崩したのは」
突然女の声が聞こえた。
氷のように固く滑舌のよい発声。
氷のように透き通った美声。
俺は声の方向へ視線を向けると、一人の女が立っていた。
僅かな歪みもない凛とした姿勢。
青白い長髪、切れ長の瞳、氷のように透き通った白い肌に、ほのかにピンク色の唇が美しさを引き立てる。
薄い布のようなものをまとっており、まるで物語に登場する女神のようだ。
時が止まるかのような、絶世の美女と言えよう。
「ねねねねねねねねねねねね、姉様!」
これほどまでに狼狽えるテラムを初めて見た。
顔から大量の脂汗が噴き出ている。
「ごごごごご、ご無沙汰しております」




