第59話 重力場で角煮
「圧力をかけても平気な鍋ですか? ではフェルム鋼で鍋を作りますね。ですが、テネヴァスなら鍋に圧力をかけるのではなく、鍋の中で直接肉に圧力をかけることが可能ですよ。鍋の中に重力場を作るんです」
「なるほど。じゃあそれで頼むよ」
魔竜の言葉は理解しようとしても無駄だ。
適当に頷けばいい。
フェルムがフェルム鋼を取り出し、粘土細工のようにこね始めた。
いつ見ても不思議な光景だ。
「フェルム、水を貰うぞ」
「どうぞ。冷蔵庫で冷やしてます」
工房の冷蔵庫から水が入った瓶を取り出し、グラスに注いでテネヴァスに手渡す。
そして、俺の分も入れた。
「はい、鍋の完成です」
「え? いやいやいや……」
水を飲みながら見学しようと思った矢先に完成してしまった。
まだグラスに口すらつけていない。
「早いな……」
「鍋ですから」
その理屈が全く分からない。
鍋は簡単なのだろうか。
その割にはとても立派な鍋に見える。
「ふうう」
俺は水を飲み干すと同時に、疑問も飲み込んだ。
魔竜相手に常識は通じない。
「アレファスさん。僕も調理を見学していいですか?」
「もちろんさ」
俺たちは庭のバーベキューコンロに移動した。
「ま、待てよ……」
先日の山に穴を開けた、テネヴァスの水の圧縮が頭をよぎる。
もし失敗したら、家なんて簡単に吹き飛ぶだろう。
「そうか。魔竜は料理ですら、失敗が死に繋がるのか……」
失敗しても死ぬことなんてないと思っていたが、そんな常識は魔竜に通じない。
それでも、この圧力調理は試してみたい。
「さて、テネヴァス。この肉に圧力をかけてくれ」
俺はレストランのキッチンから、森豚のブロック肉を持ち出した。
適度な大きさに切り、ひとまず一本を鍋に投入。
「じゃあ、圧力をかけるね」
テネヴァスが鍋に向かって手をかざす。
「何も変わらんな」
「鍋の中で重力場を作って圧力をかけてるからね」
鍋が大きく揺れるとか、蓋が暴れるとか、そんなことをイメージしていた。
だが、何の動きもなく静かだ。
「で、どれくらい待てばいいんだ?」
「もういいんじゃないかな」
「お、おいおい。数秒しか経ってないぞ? 今から火をかけるんだぞ?」
「でも、結構な圧力をかけちゃったからね」
テネヴァスが蓋に手をかけた。
「お、おい! 爆発しねーか!」
「圧力はもう抜いたから大丈夫だよ」
蓋を開けると、テネヴァスが落胆の表情を浮かべた。
「あちゃー、圧力かけすぎちゃった」
「え?」
俺も鍋を覗いたが、肉はドロドロの液体に変わり果てていた。
肉の原型なんてどこにもない。
「な、なんだこれ?」
「深海の数十倍の圧力かけたからね。調理だともっと低くていいのか……。よし、もう一回!」
テネヴァスが妙にやる気になっている。
溶けた肉は何か別の料理に使うとして、ひとまず鍋を洗い、もう一度森豚のブロックを入れた。
その後もやり方を変えて何度も試したことで、テネヴァスは感触を掴んだようだ。
「アレファス、一番いい方法が分かったよ!」
「ああ、こりゃ凄いな。こんなことテネヴァスにしかできんよ」
色々試した結果、瞬間的に超高圧をかけて瞬時に肉を柔らかくする。
そして、あとは味を染み込ませるために煮込む。
これだと短時間で煮込みが完成する。
煮込みという概念を覆す調理方法だ。
「アレファス、何やってるの?」
「ん? シルヴァか。そっちはもう終わったのか?」
「ええ、醤油の火入れは終わったわ。完成よ」
シルヴァが俺の隣に立ち、興味津々で鍋を見つめている。
「肉に圧力をかけて煮込んだら、柔らかくなりそうな気がしてな。テネヴァスにやってもらったんだ」
「へえ……。面白いことやってるわね。肉は何を使っているの?」
「今は森豚だよ。違う肉でもやってみるつもりだがな」
「森豚かあ。いいわね。ちょうど私が作ろうと思っていた煮込み料理があるんだけど、作ってみない? 醤油を使った料理よ」
「醤油で煮込み? それ旨いのかよ」
「食べてみて同じこと言いなさいよ。うふふ」
シルヴァが森豚の肉をブロック状に切り分けた。
「きっとテラム様が食べると仰るから、多めに作りましょうね」
俺はそのブロック肉を鍋に入れた。
鍋に火をかける前に圧力をかける。
「テネヴァス、いいぞ」
テネヴァスが鍋に向かって掌をかざす。
「はい、終わり」
「え? も、もうですか?」
シルヴァが唖然とした表情を浮かべている。
無理もない。
「うん。ちょっとでも長くやると液体になっちゃうからね。一瞬でいいんだ。でも、超高圧力だから、肉は凄く柔らかくなってるよ」
「す、凄いですね」
「シルヴァが味付けするんでしょ?」
「は、はい。醤油を使った料理です」
シルヴァが鍋に醤油、料理酒、砂糖を入れていく。
「あとは生姜とネギを入れて煮込むだけよ」
火をつけてしばらくすると、甘さとしょっぱさが同時に香るような匂いが漂ってきた。
「なんとも言えない香りだな。何て言う料理なんだ?」
「角煮よ」
「角煮? 初めて聞く名だな」
「角煮はこの調理方法と相性がいいと思うわ。本当はじっくり煮込むのだけど、最初から肉が柔らかいなんて信じられないけどね。ふふ」
少し煮込んで、角煮が完成した。
料理は香りというが、それを体現するかのようないい匂いだ。
早く食べたくて仕方がない。
テラムじゃないが、飯が待ち遠しい。
***
夕飯の時間を迎え、俺たちはレストランに移動した。
当番のレーシェと一緒に、シルヴァがキッチンへ向かう。
角煮を切り分け配膳してくれた。
「こ、これが角煮というものか! なんともいい香りだな」
はしゃぐテラムの前には、一際大きな肉の塊が置かれた。
今日のメニューはライス、キノコのスープ、サラダ、そして森豚の角煮だ。
さらに、この角煮には、長毛鶏のゆで卵まで入っている。
味が染み込んだゆで卵なんて初めてだ。
俺は最近覚えた箸を使って角煮を掴む。
「お、おい! 箸で掴んだだけで肉が切れたぞ!」
俺はあまりに驚きすぎて、独り言とは思えないほどの大きな声を上げてしまった。
肉が崩れないようにそっと箸で掴み、慎重に口へ運ぶ。
「なっ!」
口に入れた瞬間、角煮が溶けて消えた。
魔法かと思ったほどだ。
信じられない柔らかさだった。
そして、醤油のしょっぱさとコク、砂糖の甘さが口いっぱいに広がっていく。
「こ、これは旨い。マジで旨いぞ」
俺は二口目を取りながらテラムに視線を向けた。
涙を流しながらも、意識が飛んだかのように静止しているテラム。
いつもなら大げさだとバカにするが、今は気持ちがよく分かる。
「美味しいわねえ」
「私、これ好き!」
「テラム兄さんが昇天する気持ちが分かります」
テラム以外の魔竜たちにも好評のようだ。
「はぁぁ、美味しい……」
吐息のように呟いたレーシェは、瞳を閉じて味の余韻に浸っている。
肩が僅かに震えているようだ。
それほど感動しているのだろう。
「ねえ、シルヴァ。この味付けは他の料理にも使えるのかしら?」
「もちろんよ。角煮以外にも様々な煮物に使えるわ。お魚にだって使えるのよ」
「わあ、それは楽しみね」
レーシェが微笑みながら俺に視線を向けた。
早くマレム海峡に行きたいという意思表示だろう。
二柱の会話を聞いたことで、俺もすぐにでも魚を獲りに行きたいと考えていた。
「ふおぉぉ、今日も大満足だったのだ」
テラムがまたしても腹を押さえ、床に倒れ込んだ。
結局、調理した森豚は全てなくなった。
テラムだけではなく、珍しく全員がおかわりしたほどだ。
シルヴァが作った醤油のおかげで、料理の幅が格段に広がった。
そして何より、テネヴァスの重力場による超圧力というデタラメな権能は、料理と抜群に相性がいいことが判明した。
もうこうなったら、魔竜の権能を積極的に取り入れるべきだろう。
豊かな生活のために。




