第58話 テネヴァスの圧力
俺たちは近日中にグラキャス氷原とマレム海峡へ行く予定を立てた。
「海鮮の天ぷらか。考えただけでもヨダレが出ちまうよ。ははは」
テネヴァスはアイスクリームを楽しみにしていたが、俺はとにかく海鮮が楽しみだった。
「さあ、昼飯だ。シルヴァ、行くぞ」
「今日はレーシェが当番よね」
午前中の作業を終え、レストランへ向かう。
今日の料理担当はレーシェだ。
「朝から仕込んでいたの。巻角羊のローストよ」
テーブルの上に置かれたブロック肉から湯気が立ち、鼻をくすぐる香ばしさが漂う。
レーシェがみんなの前で肉を切り分ける。
フェルム鋼の包丁が、まるで空気を切るような軽さで肉の塊を素通りしていく。
「うおぉぉぉぉ!」
切った肉を皿に乗せて配膳すると、テラムが歓声を上げた。
無理もない。
外側は綺麗に焼き色がついており、内側は赤くレアの状態で肉汁が流れ出ている。
「フェルム鋼の新オーブンで焼いたので、火入れは完璧です。ふふ」
「はい。風の魔石を使用して熱風対流で焼く、コンベクションオーブンを作りました。ムラのない加熱が可能です」
フェルムはフェルム鋼を材料として、様々な道具を作っていた。
特に魔石と組み合わせた道具作りにハマっているようだ。
このコンベクションオーブンも、元々は自分の超高温サウナを熱風でさらに熱くするために作ったものを応用したという。
道具としてはとても凄いのに、発想がバカげている。
それを真面目に開発するフェルムは、やっぱりテラムの弟だ。
「たくさん焼きましたので、おかわりしてくださいね。とても美味しいですよ。ふふ」
レーシェが自信ありげな表情で、各皿の肉にグレイビーソースをかけていく。
さっそく一切れ口に入れると、まさにレーシェの言葉通りだった。
「うっま! こりゃヤバいな!」
柔らかいのに、しっかりと赤身肉の噛み応えもある。
肉の旨味が凝縮されており、噛めば噛むほど旨味が溢れ出す。
そして、グレイビーソースのコクが、ジューシーな赤身肉の旨さを引き立てる。
シルヴァが育てたハーブをふんだんに使用しているため、肉の臭みはない。
それどころか、草原のような爽やかな匂いも感じる。
「おい、レーシェ! おかわりだ! もっと肉を厚く切るのだ!」
「はい。そう思って、テラム様にはブロック肉のまま用意しております」
「なんだと! でかしたぞ!」
「お好きなように召し上がってください」
テラムの前に肉塊が置かれた。
レーシェもテラムの扱いが分かってきたようだ。
テラムは自分で分厚くスライスしてかぶりつく。
結局テラムはこの肉塊を二つも平らげた。
「ぐおぉぉ、食いすぎたのだ」
案の定、テラムは腹を押さえ床に倒れ込んだ。
だが、その表情は満足感で溢れていた。
***
食事を終えて、まったりコーヒータイムだ。
レーシェは俺好みで濃い目に淹れてくれる。
「シルヴァ。午後は何をするんだ?」
「新しい調味料の仕上げよ。ふふふ」
セディルナ村では取り扱う穀物が増えたため、調味料も積極的に作っていた。
その中で、ついに新しい調味料が完成を迎えるという。
それは『醤油』だ。
シルヴァは二百年ほど前から、大豆を使って少量の醤油を作っていたそうだ。
この地でも大豆を収穫したことで、シルヴァが醤油作りを始めていた。
俺は初めて聞く調味料だが、この醤油があると調理の幅が広がるらしい。
「アレファス。今日は醤油の圧搾をするの。手伝ってね」
「もちろん手伝うが、圧搾って何すんだ?」
「簡単に言うと、圧力をかけて絞るのよ」
「なるほどね。力仕事なら任せておけ」
俺たちの話を聞いていたテネヴァスが、瞳を大きく見開いてこちらを眺めている。
「ねえ、シルヴァ」
「テネヴァス様、どうしました? 砂糖とミルクが足りませんか?」
テネヴァスはコーヒーに砂糖とミルクをたっぷりと入れる。
子供舌かと思ったが、十五億歳の魔竜だ。
ただの甘党なのだろう。
「違うよ。その圧搾っていうのは圧力をかけるんでしょ? 私がやろうか?」
「え!? よ、よろしいのですか?」
「うん。アクアスお姉ちゃんも、バカ兄貴とフェルムお兄ちゃんも自分の権能で仕事をしているから、私も得意分野で役に立ちたいなあって」
「まあ、なんてお優しい……」
健気さを見せるテネヴァスだが、そもそも重力を仕事に役立てたいという発想がよく分からない。
「いや、待てよ……」
俺はふと思いついたことがあった。
***
昼食を終え、仕事を再開した。
「それでは、今から圧搾を行います」
シルヴァが午前中の作業で、醤油の元となる諸味というものを布に包んでいた。
布は何重にも重ねられており、人の身長よりも高く積み上げられている。
シルヴァがそれを魔法で宙に浮かせた。
「テネヴァス様、これをゆっくりと絞っていただけますか?」
「うん。重力場で包んで圧力をかけるね」
「はい。お願いいたします」
テネヴァスが手をかざすと、何重にも重ねられた布が徐々に圧縮されていく。
そして、少しずつ液体が滴り落ち、鉄釜に溜まる。
「これを生醤油といいます。これをさらに火にかけて完成です」
シルヴァが生醤油とやらを小皿にすくってくれた。
「アレファス、舐めてみて。塩辛いから少しだけよ」
醤油を指につけて、言われた通り少しだけ舐めてみた。
「な、なんだこれ!」
今まで味わったことのない調味料だ。
塩辛さの中に、旨味とコクを感じる。
「これが醤油よ。醤油があればたくさんの料理が作れるわ。楽しみね」
シルヴァが薪を用意して、そのまま野外で鉄釜に火をかけた。
これでテネヴァスの作業は終わったようだ。
まだ作業し足りないような表情のテネヴァスに、俺はそっと近づいた。
「テネヴァス、ちょっとお願いがあるんだよ」
「んー? なあに?」
俺は先ほど思いついたことをやってみるつもりだった。
「肉の塊に圧力をかけてみたいんだ」
「肉に圧力? どういうこと?」
「今日の羊ローストを見て思いついたんだが、肉の塊に圧力をかけて煮込むと、柔らかくなりそうな気がするんだ。ちょっとやってみたくてね」
上手くいくかは分からないが、やってみる価値はある。
失敗しても別に死ぬわけじゃないし、チャレンジすべきだ。
「圧力をかけて煮込む?」
「ああ、イメージ的に、なんかこう凝縮されていく感じがしないか?」
「確かにね。超高圧にすると、肉なんて崩壊するしね」
「ほ、崩壊って……」
「でも、圧力をかけても平気な調理器具なんてないよ?」
「フェルムに作ってもらおう」
俺たちはさっそく、フェルムの工房へ向かった。




