第48話 アレファスの進化
俺とレーシェは、庭のテーブルに移動した。
朝日は完全に姿を見せており、明るさと比例するかのように気温の上昇を感じる。
いつもと同じ、清々しい朝だ。
「二人ともお疲れ様」
シルヴァがレーシェにはハーブティーを、俺にはコーヒーを淹れてくれた。
「ありがとう、シルヴァ」
「これはレーシェが持ってきたコーヒーよ。ふふ」
白い湯気が優雅に舞うと、高貴な香ばしさが鼻をくすぐる。
相当な高級豆だろう。
「うん、旨いな」
久しぶりのコーヒーだ。
俺は瞳を閉じ、しばらくの間、癖になる苦味とちょうどいい酸味を堪能した。
そろそろコーヒー豆の栽培を始めようと思っていたところだったから、参考になる。
自分でも、こういうコーヒー豆を栽培したいものだ。
カップの三分の一を飲んだところで、ずっと気になっていたことを聞いてみることにした。
「なあ、アクアス。聞きたいことがあるんだよ」
「なあに?」
「魔獣ってなんだ?」
アクアスが微笑みながら、ハーブティーを口にした。
「レーシェちゃんもいるし、ちょうどいいか。真実を話すわね。でも、これって人間の世界では知られてないから注意してね」
音を立てずにティーカップをソーサーに置くアクアス。
貴族のような優雅な動きに、つい見惚れてしまう。
「魔獣はね、月に住んでいた種の総称なのよ」
「前に言っていたよな。月に生物がいたなんて、未だに信じられんよ。はは」
「そうねえ。言いたいことは分かるけど、多分アレファスちゃんが考えていることは逆なのよ」
「逆だと? どういうことだ?」
「元々ね、この星の生物は月から来てるのよ」
「はあ?」
アクアスの言葉に、俺は思わず間抜けな声を出してしまった。
シルヴァもレーシェも動きが止まっている。
「この星は末っ子のテネヴァスちゃんが生まれてからも、まだしばらく安定してなくてね。草木すら生まれる状況じゃなかった。月のほうが小さい分、早く安定したのよ。とは言っても、月の環境も過酷だったみたいでね。月の環境に適した魔獣が生まれたのよ」
話が想像を越えすぎて、相槌すら打てない。
「でも、テラムちゃんが青月を壊したでしょ? 青月に住んでいた魔獣はこの星に降りてきたの。他の月に住んでいた魔獣たちも、もしかしたら自分たちの月も壊されるかもしれないって、全員がこの星に降りてきたのよ」
「ちょ、ちょっと待て。この星の生物は、元々月から来たってことなのか?」
「全部ではないけどね。草木や虫なんかは、この星で生まれているわ。一部の動物の祖が魔獣なのよ」
とんでもないことが判明した。
俺の認識では、全ての生命はこの星で誕生しており、当然ながら月に生物などはいない。
こんなこと、人間界で発表しても変人扱いされるだけだろう。
まあ言うつもりもないが。
「ちなみに、野菜はテラムちゃんが作ったのよ。この星が少しずつ安定してきて、テラムちゃんが自分の大地で野菜の原型を作り始めたの。少し食べさせてもらったけど、今とは全然違う味でね……。正直美味しくないんだけど、それでもあの子は美味しいって喜んで食べていたわ。可愛かったなあ。うふふ」
「それで季節を変えないために、月を壊したのか……。それって、いつ頃なんだ?」
「五億年前よ」
五億年前にテラムが月を壊した。
そして、月の魔獣がこの星に降りてきて、この星の動物の祖となった。
信じられない話だが、アクアスは実際に見ているのだから、事実なのは間違いない。
「ってことはだぞ。テラムの行動が、結果的にこの星の生物を増やしたってことか?」
「そうなのよ。あの子っていつもめちゃくちゃな行動ばかりだけど、必ず良い結果を生むの。不思議よね。うふふ」
俺は一旦コーヒーを口にした。
舌の奥で苦味を感じながら、気持ちを落ち着ける。
頭の中にチラつくテラムの威張った顔と、尊大な笑い声を消し去った。
「ところで、魔竜の中で最初に竜人化したのはテラムなんだよな?」
「そうよ。食事をしたいって、この姿を作り出したわ。この姿は凄く好評で、私たちもマネをしたの」
テラムの食に対する飽くなき欲求は、竜人の姿を生み、野菜の原型を作った。
残念ながら旨い野菜を作る才能はなかったようだが、味を堪能できる身体を作り上げた執念はさすがだ。
「テラムは人間が生まれる遥か以前に、人の姿になったってことだよな。じゃあ人間は何なんだ?」
「それはねえ、本当に偶然なのよ」
「偶然だと?」
「いえ、もしかしたら必然かもしれないわね。この姿が生物として最も洗練されているという意味では」
「どういうことだ?」
「生物の進化って本当に凄くてね。魔獣の子孫たちは、悠久の年月をかけて進化していったの。もちろんその中で、競争に勝てず淘汰されていった種もいたけどね。その中の一種が人間に進化したの。さすがに私たちも感動しちゃってね。しかも、食に対する姿勢がテラムちゃんと同じ……。いえ、テラムちゃんよりも貪欲だったから笑っちゃったわ。だから私たちは、人間の世界を壊そうとしないのよ。でも、人間は領地を奪い合う戦争も生んだ愚かな種族でもある。この星を穢しすぎると危険よ。うふふ」
魔竜の機嫌一つで人類は絶滅する。
そもそもテラムは、野菜を作りたいというアホみたいな理由で、月を破壊しているほどだ。
魔竜に常識なんて一切通用しないだろう。
シルヴァの表情が強張りながらも、アクアスの瞳を見つめていた。
「あの、アクアス様。質問してもよろしいですか?」
「もちろんよ」
「魔獣の姿はどのようなものだったのですか?」
「今の動物に近くてもっと大きいわ。といっても、動物の祖が彼らだから当たり前よね。うふふ」
「今も魔獣はいるのですか?」
「残念ながら魔獣の原種は絶滅したわよ。今は魔獣の因子を持った獣が、条件を満たすと魔獣化するのよ」
そういえば、以前テラムから獣が魔獣になる話を聞いたことがあった。
全く気にしてなかったが、こういうことだったのか。
魔獣については理解した。
まあ理解せざるを得ないというのが正直な気持ちだが。
他にも気になることがある。
この際だから聞いてみようと思う。
「なあ、アクアス。そもそも魔竜ってなんだ?」
「この星そのものよ。星が私たちを作り、私たちが星を作ってきたの」
「聞いてもよく分からんよ……。はは」
「そうでしょうね。うふふ」
「なあ、魔竜はもう増えないのか?」
「ええ、新たな誕生はないわ。あとは進化していくだけね」
「え? 進化? 魔竜が進化するのか?」
「もちろんよ。魔人と魔獣だって進化していくわよ」
「は? ま、魔人も進化するのか?」
「超越した存在とはいえ、進化するわよ。うふふ」
俺は自分の両手を見つめた。
これからさらに進化していくという。
人間の頃から見た目は変わってないが、どうなっていくのだろうか。
「ア、アクアス様。私も質問をさせていただいてもよろしいですか?」
「ええ、いいわよ。レーシェちゃん」
「私はもう人間ではないのでしょうか?」
レーシェが緊張した面持ちで、震える声を上げた。
そんなレーシェに、アクアスは優しく微笑みかける。
「あなたは上位への進化を果たした魔獣よ」
「私が……魔獣」
「人間が魔獣化するのは初めてなのよ。見た目は人と変わらないから、獣人とでも呼ぶのかしらね。あなた、きっと面白いことになっていくと思うわよ。うふふ」
「え? 面白いこと……ですか?」
「そうよ。だから恐れず受け入れて、人生を楽しみなさい」
恐れず受け入れる。
確かにアクアスの言う通りだ。
拒否しようが、もうその存在になってしまっているのだから、受け入れるしかない。
であれば、ポジティブに受け止めたほうがいい。
当然俺だって今では魔人を受け入れている。
まあ、身体は強くなっているから、快適といえば快適だ。
魔人として生きていく覚悟もある。
「そうそう、アレファスちゃんはもう魔人じゃないわよ? 進化したもの」
「は?」
「今はもう魔王ね」
「ま、待て! ど、どういうことだ!?」
「魔人が上位への進化を果たして、魔王になったのよ。驚いちゃったわ」
「ま、魔王だと?」
「そうなのよ。何十億年も生きている私たちだって、まだ竜王になれてないのにね」
アクアスがティーカップを手に取り、ゆっくりと口に運ぶ。
テーブルには静寂が訪れた。
「俺が魔王?」
困惑する俺の肩に、シルヴァがそっと手を乗せた。
「さ、魔王様、まずは温泉に入りましょ。それから農作業よ。ふふふ」
シルヴァが立ち上がると、真剣な面持ちから、いつもの美しい微笑みに戻った。
「私は騎士として、魔王様をお守りさせていただきます。ふふ」
レーシェも立ち上がり、笑みを浮かべながら俺に一礼した。
「お、お前ら。からかってんだろ?」
「ほら、行くわよ。魔王様。温泉で私の背中を流してね。うふふ」
最後にアクアスが立ち上がり、俺の肩をポンと叩いた。
「て、てめえら!」
「「「魔王様が怒った!」」」
三人の明るい声が、庭に響いた。




