第44話 銀月の女神
◇◇◇
魔竜領侵略に失敗したルジェール王国。
王都の騎士団本部に、ある噂が広まっていた。
「おい、レーシェ様の処遇を聞いたか?」
「嘘に決まってるだろ」
「いや、本当らしい……」
騎士団長バシュデルが死亡したことで、全ての責任を負うことになった将軍レーシェ。
多くの騎士は、レーシェの降格は免れないと思っていたが、その内容は騎士たちの想像を遥かに超えるものだった。
騎士団本部の最上階に連行されたレーシェは、自分の運命を悟る。
「この部屋は……」
魔竜領から帰還したレーシェは、戦死者の補償手続きや事後処理に奔走した。
過去例を見ないほどの戦死者だ。
莫大な予算が必要となり、各方面から厳しく追求された。
本来、レーシェに責任はない。
だが、魔竜領遠征を決めた国王ルジェール八世は、全ての責任をレーシェに押し付けた。
「極刑か」
ここは死刑が決まった地位ある者が最後に来る部屋。
終月の部屋と呼ばれている。
部屋の中心には、床に固定された椅子が一つあるのみ。
その椅子に腰を下ろし、天井を見上げるレーシェ。
手が届かない壁の上部に、人の頭よりも小さな窓がある。
それは運が良ければ、最後に月が見られるかもしれないという、要人への小さな憐憫。
「刑の執行は明日か。私の人生は何だったのだろう。私の生きる意味とは……」
騎士として国のために命を捧げ、名誉を重んじてきた。
だが、結果は国王の裏切りによる死罪。
「騎士の名誉といいように洗脳され、利用されただけだったのだな」
レーシェはセディルナ村から帰還してからずっと後悔していた。
畑を焼いたこと、そして、貴重な本を消失させたことを。
国を守るという大義を持って行動してきたつもりだったが、過ちであることに今さらながら気づいた。
「他人の大切な物を壊し、奪い、何が大義だ」
レーシェは窓の外を見つめた。
小さな窓から見える銀色の月。
「月光の葬送か……」
この星には二つの月がある。
銀月と赤月。
今日は銀月の満月だ。
「そうはさせん。自由に生きよう。アレファス殿のように」
レーシェは誓った。
魔竜領へ赴き、贖罪する。
殺されたとしても構わない。
自分の意志で行くと決めたから。
レーシェが覚悟を決めると、満月を見つめるレーシェの赤い瞳が光を増す。
責務、責任、重責から全て解放されたレーシェの身体に変化が生まれた。
「え? な、なに?」
レーシェは『銀月の女神』という二つ名で呼ばれていた。
それはただ、銀月のような銀髪の美しさを表現していたもので、特に能力などで語られたものではない。
だが、その異名を体現するように、レーシェの身体が輝き始める。
そして、銀髪が少しずつ宙に浮く。
「身体が……心が軽い」
レーシェにとって、騎士の誓約は魂を縛る鎖だった。
束縛から解放されたレーシェ。
なぜか今なら石壁が崩せると頭をよぎる。
薄っすらと輝く右腕を壁に当てたレーシェ。
すると、石壁は音も立てず、ふわりと崩れ落ちた。
終月の部屋は、騎士団本部の最上階にある。
人間が飛び降りれば、間違いなく身体は潰れる高さだ。
地上を眺めるレーシェ。
「行こう」
銀の月光に導かれたレーシェは、宙へ足を踏み出した。
タンポポの綿毛のように、軽やかに宙を舞うレーシェ。
銀月の光に抱えられたレーシェは、何事もなく地上に舞い降りた。
頭上の満月を見つめ、女神のような微笑みを向ける。
それは心の底から浮かび上がった、曇りなき笑顔だ。
「ありがとう」
レーシェは囚人服のまま歩き始めた。
そして、王国最古の書庫へ向かう。
◇◇◇
「なあ、お前たちはいつ帰るんだ?」
庭のテーブルで、優雅に紅茶を楽しむ二柱の魔竜。
一柱はシワのないスーツを着ており、もう一柱は可愛らしい黒いワンピースだ。
「夜風が気持ちいいね。テネヴァス」
「ほら見て、フェルムお兄ちゃん。今日は赤月の満月よ」
赤い月光がテーブルを照らす。
俺の話を全く聞いていない二柱。
いや、聞こえないフリだ。
この二人は意外と仲がいい。
俺はテーブルの席についた。
「滞在は少しだけじゃなかったのか?」
テネヴァスが大きな目を見開いて、可愛らしい笑みを俺に向けている。
「アレファスさん。やっぱりご迷惑ですか?」
「そんなことないさ。でも、あまり領地を離れられないんだろ?」
「もちろんです。だから、もう少しだけここにいようと思ってます」
フェルムは背筋を伸ばし、美しい姿勢でティーカップを手に取った。
その表情は曇っているというか、申し訳なさそうに見える。
どうしたのだろうか。
「温泉とサウナを体験してしまった僕は、堕落してしまいました」
「堕落って……」
「僕ももう少しだけ滞在させていただいてもよろしいですか?」
「そりゃ構わんが……」
フェルムは仕事前の温泉と、仕事終わりのサウナが日課だ。
特にサウナにハマっており、水風呂と交互に入ることで「焼入れ」とわけの分からないことを言っていた。
「まあ構わんけどな。助かってるし」
フェルムは鍛冶師として、様々な道具を作ってくれている。
しかも、この星でも最も優れた鋼材たるフェルム鋼だ。
その性能は驚くべきもので、鍬は岩をも抉り取り、鎌は大木ですら刈り取る。
俺のクレイモアにいたっては、まさに斬れないものなどない。
「綺麗な赤月ですね」
シルヴァがレストランから姿を見せた。
両手持ちの大きなトレーには、カットした果物の盛り合わせと、ティーセットが乗せられている。
テーブルに皿を置くと、さっそくテネヴァスが嬉しそうに果物をつまんだ。
アクアスも一緒だ。
ということは、二人で女子トークでもしていたのだろう。
「女子トークか……。ぷっ」
自分で言いながら吹き出してしまった。
シルヴァの周囲に風が巻き起こり、髪が逆立つ。
「死にたい?」
「な、なんも言ってねーだろ!」
この二人を女子と言っていいのか分からんが、見た目は美しい二十代だ。
というか、数億歳の魔竜が四柱もいるのに、最も若い俺が、最も老けて見えるという。
まあ、気にしても仕方がない。
ここにいる俺以外の者たちは、シルヴァも含めて生物の理を外れた存在だからだ。
アクアスが妖艶な笑みを浮かべながら、俺を見つめていた。
どうせ俺の考えてることに気付いているのだろう。
「ところで、フェルムちゃんもテネヴァスちゃんも、具体的にどれくらいで帰るか教えてくれる? それによって、新しい施設を増やそうか考えているのよ」
道具が揃ったことで、建築効率が遥かに向上した。
俺たちのログハウスは、石材などで増築している。
レストランや温泉施設も拡張していた。
「アクアス姉様。僕はあと三万年くらいで帰ります」
「あらあ、早いのね。もっとゆっくりしていけばいいのに。別の温泉を掘るわよ?」
「そ、それは……。しかし、アレファスさんにご迷惑をおかけしてしまいますので……。なるべく早く帰ろうかと思います」
テネヴァスはリンゴをつまみながら、シャクシャクと音を立てている。
「私は四万年くらいかな」
「テネヴァスちゃんも早いのね」
二柱とも三日とか四日のような言い方だ。
それに対するアクアスの反応も狂ってる。
魔竜は頭がおかしい。
「あ、あのなあ……。三万年なんて俺は死んでるわ……」
「アレファスちゃんなら大丈夫よ」
「大丈夫ってなんだよ。それに、建物が持たねーっつーの」
「また建てればいいじゃない」
その通りではあるが、問題解決になっていない。
魔竜基準で、あと四万年いたとしよう。
俺が死んだら建物はどうするのだろうか。
ちょうどその時、空気を読めないことで定評のあるテラムが、鼻歌交じりに温泉から出てきた。
「私はぁ、最強のぅ、テラム様ぁ」
「なんつー歌だ。ダサいにもほどがあんだろ……」
センスがなさすぎて、俺は呆れ返った。
テネヴァスなんて、殺意剥き出しの表情を浮かべている。
しかも、絶妙に歌が上手いことが、テネヴァスの怒りに火を注いでいるようだ。
俺たちの空気感に気づかないテラムが、ふと立ち止まり草原に視線を向けた。
「ん? なんだ?」
「テラム、どうした?」
「侵入者だ」
「侵入者だと?」
「こちらに近づいておる」
「マジか! どこの軍だ!?」
「軍ではないな。少ない。というか一人か? ちょっと分かりづらいぞ。なんだこれは……」
赤月が照らす地平線を見つめるテラム。
何かを探っているのだろう。
「どうする? 迎え撃つか」
「ふむ、まずは行ってみるか。アレファス、用意しろ」
「分かった。俺を乗せてくれるか?」
「構わん」
テラムがさっそく魔竜の姿に戻った。
巨大な掌を地面に広げる。
俺は腰にクレイモアを吊るし、その掌に飛び乗った。
「私も行くわ」
「じゃあ、私も行こうっと」
「では、僕も」
「触りたくないけど、仕方ないもんね……」
シルヴァ、アクアス、フェルム、テネヴァスも掌に飛び乗る。
「おいおい、遊びに行くんじゃねーぞ!」
「いいじゃないの。ほら、テラムちゃん。出発よ」
「グゴォ」
テラムの声が、心なしか困惑しているようだった。
とはいえ、魔竜が四柱も揃っていれば対応できないことなどないだろう。




