第37話 シルヴァの過去と未来
「アレファス、私の話を聞いてもらえるかしら」
「話?」
「ええ、私の過去よ」
湯気がレースのカーテンのように、シルヴァの顔を隠している。
表情は見えないが、その声は悲しげだ。
「私は幼い頃から本ばかり読んでいたの。そのことで、読書をからかわれていたわ。だけど、徐々にエスカレートしていったの。次第にいじめへ変わり、いつしか迫害へ変わっていったの。私は魔女と罵られ、姿を見られる度に石を投げられたのよ。その頃はまだ魔法なんて使えなかったのに……。ついには狂気にかられた村人が、全員で襲いかかってきて、家を焼かれ両親も殺されたわ。私は人がいない場所へ必死に逃げたの。そこで静かに暮らしていたのよ」
シルヴァの声が震えていた。
「無理に言わなくていいぞ?」
「あなたに……知ってもらいたいの」
シルヴァの姿はよく見えないが、両手で湯をすくい、顔に浸しているようだ。
湯を弾く音が響く。
涙を隠しているのだろう……。
「あなた、私のこと美人って言ってくれたわね」
「ああ、そう思うよ。……今まで見たこともないほどだ」
「ふふ、ありがとう。嬉しい。あのね、今の容姿は当時と変わらないのよ」
つまり、昔から絶世の美女だったというわけだ。
「当時の領主が私を発見して、館で保護すると言ってきたの。まだ二十代で世間を知らなかったら、私はその言葉を信じちゃったのよ」
「話の流れから、嫌な予感しかしないな……。胸糞悪い展開か?」
「その通りよ。私が地下室に連れて行かれると、裸の領主が待っていたわ。以前から私を手に入れたかったって、醜い顔で喜んでいた。部屋には見たこともない器具が並んでいた。私を凌辱した後に、身体を弄ぶつもりだったのよ。文字通り切り刻むつもりだったのでしょう」
若い女を騙して凌辱や拷問はよくある。
特に権力者に多い。
俺はそういったクズたちを始末したことがある。
「私は抵抗したわ。髪を掴まれ何度も殴られたけど、とにかく必死に抵抗した。そしたらね、眠っていた私の魔力が暴走して館ごと吹き飛ばしたの。そこで初めて魔法というものを使ったのよ」
「そうか……」
「服は破れ、顔は腫れて、血を流しながら歩いたわ。どれだけ歩いたか分からないくらい。いつの間にかテラム様の領地に入っていたの。でも最初は気づかなくてね。あの森で生活を始めたら、テラム様が突然いらっしゃったわ。野菜を食わせろってね。ふふふ」
シルヴァの周囲から、湯気がゆっくりと流れ始めた。
そして、俺を見つめながら微笑んでいる。
その表情は、あまりに美しい。
「シルヴァ、今は幸せか?」
「ええ、あなたとテラム様とアクアス様のおかげでね」
「そうか、よかった。なあ、シルヴァ。いつか金を貯めて本を買いに行こう。お前のために、本屋ごと買い占めるよ」
「いいの?」
「もちろんさ。人間は醜いが、文化は素晴らしい。それに――」
「それに?」
「お前の喜ぶ顔が見たい」
「あら、それってプロポーズ?」
「ち、ちげーよ!」
シルヴァが瞳を細めながら、俺の頬を細い指で軽く撫でる。
「ねえ、アレファス。私は今も処女よ。三百五十歳だけどね」
「そ、そういうことは言わなくていいっつーの!」
「私、あなたが好きよ」
「ぶぅぅぅぅ」
「汚いわねえ」
「と、突然何だよ!」
「アレファス。私とずっと一緒にいてくれる?」
俺はもう人間じゃない。
魔人としてどれだけ生きるか分からないが、この地で暮らしていくつもりだ。
シルヴァがこの地から離れないのであれば、それは必然的に――。
俺はシルヴァの頭に手を乗せた。
「ああ、一緒にいるよ。だけどいいのか? お前のほうが間違いなく長生きするぞ?」
「分からないわよ? あなたって異常だもの」
「な、なんだよ! お前のほうが異常だろ!」
「うるさいなあ」
突然、シルヴァが唇を重ねてきた。
「え?」
「ふふふ。ずっと一緒って約束したからね」
シルヴァはそう言い残し、風呂を出ていった。
湯気でその姿は見えない。
「あらあ、裸で告白なんていいじゃない。ロマンチックねえ」
「ど、どこがだよ……」
アクアスが微笑みながら俺に近づいてくる。
そして、俺の肩にその小さな顔を乗せた。
「ねえねえ、アレファスちゃん。私ともずっと一緒にいてくれる?」
「アクアスは無理だ。いくら魔人になったとはいえ、億なんて生きられるわけがない」
「ひどーい。私もアレファスちゃんが好きなのに」
「嘘つけ」
「本当よ? まあでも、私たち魔竜には生殖器官がないから何もないわよ。安心して」
「安心って、何をだよ」
「襲ったりしないってこと。うふふ」
「お、襲うって……」
人間の姿になることができても魔竜は魔竜だ。
種族が違う。
そもそも魔竜から見れば、人間なんて下等な生物だろう。
相手にするわけがない。
「ところで、アクアス。魔人はどうなんだ?」
「どうって?」
「繁殖だよ。魔人って繁殖するのか?」
「それは残念だけど、魔人になると子は産めなくなるわ。魔人の個体によって寿命は変わるけど、概ね長寿になるの。命の長さと繁殖には因果関係があるのよ」
「なるほどね。じゃあ、この村はずっと四人のままってことか」
「そうね。外から来なければね」
アクアスが俺の頭を軽く撫でた。
「アレファスちゃん、もしかして子供が欲しかったの?」
「いや、そういうわけじゃないが……」
俺は湯に潜った。
十を数えて顔を出す。
「ぶはっ!」
「急にどうしたの?」
俺はシルヴァとの約束を考えていた。
ずっと一緒にいる。
それはもう――。
「今すぐじゃないが、俺はシルヴァと結婚するよ。この先もずっと一緒にいるんだ」
「あら、いいじゃないの。そしたら家も一緒に住んじゃえば?」
「そうだな。それもいいな」
アクアスは笑みを浮かべたままだが、僅かながら表情が変わった。
なんというか、悪戯な笑顔だ。
「ねえ、アレファスちゃん。結婚するっていうのに、他の女と一緒にお風呂に入るのはやめたほうがいいわよ?」
「は? ふざけんなよ! 勝手に入ってきたのはそっちだろうが!」
「私のことが好きなんでしょ? 相思相愛ね。うふふ」
「んなわけねーだろ!」
「もう、すぐ怒るんだから」
「怒ってねーよ!」
「これからも一緒に入りましょうね」
「嫌だよ!」
「そんなこと言うと、お湯出さないわよ?」
「き、汚ねーな!」
アクアスのおかげで温泉が出ている。
アクアスが機嫌を損ねたら、温泉どころか水も使えなくなるのは明白だ。
「結婚かあ、いいなあ。私も一度してみたいなあ」
「すりゃいいだろ」
「じゃあ、アレファスちゃんが結婚してくれる?」
「無理」
「ケチ」
「そういう問題じゃないだろ!」
その後もアクアスにしつこく絡まれたのは言うまでもない。




