第17話 再会
「あらあ、テラムちゃん。どうしたの?」
突然、湖面から女の声が聞こえた。
声の方向に目を向けると、一人の女が水面を歩いている。
「ひ、人が……」
俺はそれ以上言葉が出なかった。
「むっ! 姉上。気づいてくださったか。突然すまぬな」
テラムが声をかけた。
姉上ということは、この女が水竜アクアスで間違いない。
人の姿に驚いたが、テラムのように魔人化しているのだろう。
女が歩いた水面には、足跡ならぬ波紋が広がる。
そして、そのまま歩いて上陸した。
「テラムちゃん、久しぶりねえ。何万年ぶり?」
「そ、そんなに経っておるか?」
「そうよ。あなたは全然遊びに来ないんだから」
「す、すまぬ姉上」
「ところでどうしたの?」
「姉上に紹介したい者がおってな」
テラムが俺とシルヴァの肩に手を置いた。
「魔人のアレファスとシルヴァだ。シルヴァは魔女でもある」
「へえ、じゃあ、この明かりはシルヴァちゃんの魔法ね」
「うむ。そうだ」
「魔女にしては、この大きさは凄いわね」
「シルヴァは歴代の魔女でも、上位に入ると思うぞ?」
テラムは続いて、俺たちに視線を向けた。
「紹介しよう。私の姉上である水竜アクアスだ」
「アクアスよ。よろしくね。アレファスちゃん、シルヴァちゃん」
水色の長髪が特徴的なアクアス。
それこそ水が流れているかのような、美しい光沢の髪だ。
眉やまつ毛も水色だが、瞳の色はディープブルーだった。
アクアスの表情はとても穏やかで、優しそうな印象を受ける。
年齢は二十代後半といったところか。
人とは思えないほどの美貌だ。
まあ、人ではないのだが……。
見た目ではシルヴァと同世代に感じるのだが、テラムの姉ということは、信じられないほどの永き時を生きているのだろう。
俺はアクアスに向かって、丁寧に一礼した。
「アレファス・デモニウスです」
「シルヴァ・フォリリウスと申します」
アクアスは、俺たち二人を優しく微笑みながら見つめている。
さて、言葉遣いはどうしたものか。
テラムと同じというわけにはいかないだろう。
それに呼び名も分からない。
名前で呼んで激怒されたら、お願いどころではなくなる。
魔竜の感覚なんて分からん。
ここはもう正直に聞くしかない。
「あの、なんとお呼びすればよろしいですか?」
「アクアスでいいわよ?」
「では、アクアス様――」
突然テラムが俺の背中を叩いた。
「いてっ」
「おい、アレファス。私と態度が違いすぎるだろ」
「そりゃそうだろ! お前の姉だし、お願いに来てるんだぞ!」
俺はいつものようにテラムを一喝した。
だが、身内の前だ。
しくじったかもしれない。
俺は恐る恐るアクアスに視線を向けると、その微笑みは崩れていなかった。
「あらあら、仲が良さそうねえ。アレファスちゃん、私にも敬称なんていらないわよ。アクアスでいいわ。敬語も不要よ。うふふ」
「そ、そうはいっても……」
「ふふ。いらないってば」
アクアスは見た目通り、とても優しく理解のある女性だった。
「で、アレファスちゃん。お願いってなあに?」
「では、ちょっと失礼して――」
俺は一旦小屋に戻り、野菜が入った麻袋を持ち出した。
話が通じるのであれば、まずは手土産を渡そう。
テラムも気に入った自慢の野菜だ。
「まずはこちらをもらってくれ。俺が作ってる野菜なんだ」
「野菜? もしかして、テラムちゃんの土地で作ったのかしら」
「ああ、そうだよ」
「なるほどね。テラムちゃんが気に入った野菜なら、きっと美味しいはずよ。ありがたくいただくわね」
アクアスも野菜は食べるようだ。
しかも、テラムが気に入っていることも一瞬で理解した。
理解力というか、洞察力が高いのだろう。
いや、心を読んでいるのか?
いずれにせよ、状況を説明するとしよう。
「俺たちはテラムの領地で野菜を作っているのだが、農地を拡大して、大角水牛の飼育を始めたいんだ。そのために池を作りたい。水に関しては井戸がある。しかし、さすがに池までは作れなくてね」
「大角水牛を飼育して何するの?」
「ミルクからバターとチーズを作る」
「チーズ!」
チーズという言葉に反応したアクアスが、両目を見開き、驚いた表情を見せた。
「チーズかあ。それはいいわねえ。うふふ」
だが、すぐに表情が戻ったアクアス。
胸の前で両手を握り、妖艶な微笑を浮かべる。
「アレファスちゃん。私もチーズを食べさせてもらえるのかしら?」
「もちろんさ。完成したら、ご馳走するよ」
アクアスは笑顔を絶やさない。
なんだかとても嬉しそうだ。
「他には何を予定しているの?」
「長毛鶏を飼育する。そうすれば、卵料理もできるようになる。それと、野菜の種類を増やし、果物にもチャレンジしたいと思ってるよ」
「へえ、果物? 何を作るの?」
「それはこれから決めるよ。野菜とは違うから、勉強しなければならないしな」
「へえ、アレファスちゃんは努力家なのねえ。まあ魔人だものね。しかも……」
「ん?」
「いえ、なんでもないわ。果物も楽しみね。じゃあ、さっそく行きましょう」
「行くって、どこへ?」
「アレファスちゃんの家よ。池を作るんでしょう?」
「え? い、いいのか?」
「もちろんよ。可愛い弟のお友達だし、私もチーズを楽しみたいもの」
「ありがとう。助かるよ」
アクアスが、テラムに視線を向けた。
「テラムちゃん、まだ飛べるでしょう?」
「むっ、それはもちろんだが――」
「じゃあ行きましょう」
「しかし、姉上はどうやって行くのだ?」
俺たちの小屋を指差すアクアス。
「私も運んでちょうだい」
「分かった。では姉上も運ぼう」
「ふふ、よろしくね」
結局、手土産として持ってきた野菜も、そのまま運ぶことになった。
来た時と同じように、魔竜の姿になったテラムが丸太の小屋を掴み、上空へ飛び立つ。
俺たちは二人掛けのソファーに三人で座る。
だが、シルヴァもアクアスも身体が細いため、三人で座っても窮屈さは感じない。
「それにしても、ほとんど揺れないのね。これはシルヴァちゃんの魔法かしら?」
「はい。空気の流れを弱くしています」
「さすが魔人ね。見たところ、人間上がりとしては長いようだけど?」
「さすがでございますね。私は三百五十歳です」
「へえ、じゃあ魔人になって長いのね」
アクアスが俺の顔を見つめていた。
俺にも聞きたいのだろう。
「俺は四十三歳だよ」
「アレファスちゃんは、まだ魔人になりたてのようね」
「数年らしい。実感はないけどな」
アクアスが右手を自分の頬に添えて、俺を凝視している。
「そうねえ。あなたは魔人になって、三年よ」
「わ、分かるのか?」
「魔人化したばかりだと、特に分かりやすいのよ。うふふ」
「三年か。じゃあ、傭兵時代の最後は魔人だったのか……」
「テラムちゃんの土地へ引っ越したのはいつかしら?」
「ちょうど一年前だよ」
「へえ、一年も住んでいるのね。よくテラムちゃんが許したわねえ」
「俺が耕した畑をずっと見ていたそうだ」
「よっぽどアレファスちゃんの野菜が食べたかったのでしょうね。もう、あの子ったら。うふふ」
その後もテラムの話をしながら、俺たちは夜空を飛行した。




