杖持たぬ者ワムクライ 4
─ 魔界
魔のモノ達が住まう場所であり、幾つもの階層によって構成される世界である。
その世界は厳格過ぎる階級社会で成り立っており、低位のモノ達は高位のモノ達によって使役され搾取され続けているのだが、その事に気付くモノや疑問を持つモノは少ない。
高位のモノが使用する魔法によって人間界へと送り込まれた魔物達は、自分達の主の為に人の血肉・魂といった供物を集めるためだけに存在している。
ゴブリンやオークといった珍しくも無い魔物達がそれに該当する。
その魔界の最深部、高位のモノ達が住まう階層の更に深い場所に鎮座している存在。
魔界の王として君臨し続ける邪悪の化身と呼ばれ、光すら吸収してしまうと言われる漆黒の鱗に全身を包み込んだ巨大な体躯の龍・・・・・・
禍々しい瘴気を身に纏い、僅かに身動ぎする度に周囲に溢れ出す闇よりも深い邪悪な波動は、高位魔族ですら眩暈や麻痺を生じる程であった。
地獄の業火のように燃える紅蓮の瞳の先には床に跪き、頭を深々と垂れる異形のモノが居た。
「何用か?」
発した言葉にすら力が存在しているのか、跪いた異形のモノの体がビリビリと小刻みに震える。
「お、恐れながら申し上げます」
身体が四散しそうな波動が充満する中、異形のモノは喉の奥から辛うじて声を絞り出す。
「我らが主たるカオス様の完全復活の為、人間界各所に空間の歪を発生させておりますが・・・・・・幾つかの場所において冒険者共の手によって歪が元に戻されております」
「・・・・・・ほお」
カオスと呼ばれる存在から驚きとも怒りとも取れる波動が発せられる。
「恥ずかしながら低位の兵では手に負えない力を有する冒険者も出てきているようで、お許しさえ頂ければ中位以上の兵を派遣したいと考え馳せ参じた次第です」
「我が傷を癒している間に人間共も力を付けてきたと・・・・・・忌々しい」
カオスは吐き捨てるように言うと、かつて神界への足掛かりとして数万の軍勢を率いて人間界へと乗り込んだ時の事を思い出していた。
虐殺の限りを尽くし、幾つもの街や村、そして国を焼き尽くし、人間界は滅ぼされる寸前まで追い込まれたのだが、それまで傍観を決め込んでいた神界から多数の天使や神々が人間界へと姿を現した事で形勢は逆転し、激しい戦いの中で傷付いた魔界の王カオスは撤退を余儀なくされたのだった。
あれから数百年の歳月が流れたのだが、未だカオスの傷は完全には癒えてはいなかった。
傷を癒し、かつての力を手にする為に多数の魔族を人間界へと送り込み、供物を捧げさせ徐々にではあるが当時の力は戻りつつあった。
魔族との戦いで神界側にも多大な被害が発生し、その影響力が弱まったままの現状を利用しない手は無い。
その為の空間の歪みである。
供物を集め、人間界へ瘴気を溢れさせ、魔族の活動しやすい環境へと変える為の重要な拠点とも言える場所であるからだ。
「ヤクシャよ・・・・・・貴様に一任しよう。くれぐれも我を退屈させるな」
カオスにそう言われた異形のモノは「はっ!」と短く答えると、ゆっくりとその頭を上げる。
その姿は人間の女性を模しており、腰まである長い髪を掻き分けるかのように額から歪な2本の角を生やし、腰に巻かれた布で覆われた部分以外は裸体で、全身には複雑な模様が刻まれている。
「このヤクシャ、命に代えましても我が主のお心のままに!」
蛇の如き長い舌で自らの顔を舐め回し、狂気に満ちた笑みを貼り付けヤクシャは再び深々と頭を垂れるのであった。
「さっきから人の顔をチラチラと見ているが、私の顔に何か付いてるのか?」
「いえいえ、そうではないのですが!」
隣を歩くワムクライから尋ねられたムーアは、慌てたように大袈裟に顔を大きく左右に振る。
「ちょっと・・・・・・気になったものですから」
照れたように頬を指先で掻きながら、どこかバツが悪そうにムーアは言った。
所々石が剥がれ、整備が十分行き届いていない街道を歩き出して半日。
そういえば朝から会話らしい会話が無かったなとワムクライは思っていた。
「折角喋るきっかけが出来たんだ。どうしたのか教えてくれてもいいだろ? こっちはいい加減無言で歩き続けるのにも飽きてきたところだ」
「・・・・・・えっとですね」
どう答えたものかと難しい顔で思案していたムーアだったが、ようやく意を決したように口を開いた。
「今更なんですがどうして自分のような新兵を供に指名されたのかと思っていまして・・・・・・」
「・・・・・・ふむ」
ワムクライは顎に手を当てる。
「面白そうだと思った・・・・・・という答えでは駄目か?」
「面白い・・・・・・ですか?」
ムーアは面食らったように目を大きく見開いた。
「本当なら私一人でも構わないのだが、それでは面白くない連中が居てな」
そう言うとワムクライはフード付きの黒いマントの下の腰に吊るされた酒の入った皮袋を口へ運ぶ。
「幸いにお前は連中の息の掛かった者とも思えぬし、どうせ供を連れて行かねばならないなら面白そうな奴の方がいいだろう?」
「はあ・・・・・・そうなんですか」
釈然としないものを感じつつもムーアは軽く頷いてみせた。
ワムクライから指名を受け、何故自分がと戸惑いつつも兵舎で旅の準備をしていた時、直属の上司では無いがウエイという男が隣にやって来た。
─ いいか、あの女から絶対に目を離すな。道中では定期的に報告をしろ
そう言われ、遠く離れた場所にいる相手に言葉を送る事が出来る魔力が封じ込められた小さな水晶を幾つか手渡された。
(あのウエイという男がワムクライ殿の言う面白く思っていない連中の一人という事なのか?)
ムーアは首を捻りながら背嚢の中に忍ばせている水晶を思い浮かべた。
「ああ、つまんねぇ! 全くつまんねぇ!」
髪の毛を掻き毟りながら足元に転がっていたゴブリンの首を蹴飛ばし、血塗れで横たわる胴体に唾を吐きながら男は憤慨していた。
標準的な人間の男性の身長よりも頭2、3個分は大きく、遠目から見ればトロールのような巨躯を持つ男はバスターソードの刃先を地面に突き立てるとゴブリンの死体から矢を引き抜いて回ってる仲間の方へ向き直り、少しイラついたような口調で「あのよぉ・・・・・・」と言い放った。
「ここ最近ゴブリンだのオークだの雑魚ばっかり相手してるが、もう少し骨のある魔物討伐の依頼はねぇのかよ?」
「ハウザー、文句言ってる暇があったらそいつらの耳切り落として袋に詰めろ。報酬貰えねぇぞ」
引き抜いた矢を矢筒に入れながら溜息をつくのはサルエル。大陸で狂戦士と呼ばれ、冒険者の中では一目置かれているハウザーの相棒の弓使いである。
そのトロールと見間違う程の巨体の為に巷ではハウザーばかりが目立っているが、弓の腕前ではこの大陸では並ぶ者がいないと言われている人物でもある。
共に十代の頃から冒険者稼業に染まり、気がつけば十数年一緒に行動をしていた。
「ゴブリン、オーク結構じゃねぇか。仕事は楽に越した事はねぇよ。ちゃちゃっと片付けて報酬貰って酒場で浴びるほど酒を飲む。一体何が不満なんだよ?」
腰の短剣を抜くとゴブリンの死体から耳を切り落とし、用意してあった袋の中に放り込みながらサルエルは少しはなれた場所でまだブツブツと文句を言っているハウザーに声を掛ける。
「でもよ、仕事には張り合いってもんが必要だと思うワケよ。こいつらみたいな雑魚相手じゃ俺は楽しめねぇんだよな」
「よく言うぜ」
20匹近いゴブリン達のほとんどはバラバラに切り刻まれ散乱し、周囲には濃厚な咽返るような血の臭いが充満している。
それらを見回すとサルエルは大きく頭を振った。
「打ち合わせを無視するのはいつもの事だが、嬉々としてその馬鹿デカい剣を振り回しながら群れに突っ込んで行ったのはどこの誰だ? 結構楽しんでたんじゃねぇのかよ」
「生意気にも全身鎧なんか着込んでやがるからよ・・・・・・少しはやる連中かと思ったんだがなぁ。拍子抜けもいいとこだったぜ」
普通の成人男子の身長程はある特注のバスターソードを軽々と振り回し、背中の鞘に仕舞うと心底残念そうにハウザーは口を尖らせた。
「ああ本当につまんねぇ! こうなったら今日は自棄酒だ!早く帰ろうぜサルエル」
「全く・・・・・・いつまでもガキのままかよ」
ドスドスと歩いていく相棒のハウザーの背中を見つめながらサルエルは大きく溜息をついた。




