杖持たぬ者ワムクライ 18
木々が生い茂る深い森の中、少し開けた場所で剣と剣が激しくぶつかり合う音が響いていた。
アロンダイトの剣戟は重く、そして恐るべき速さを持っていた。
しかしその攻撃をまるで美しく完成された舞踏のような動きで避け、そして受け止め、受け流すのはエルフの剣士ニコライである。
一切の無駄もなく、研ぎ澄まされた体裁きの中から繰り出され、空気を切り裂きながら振り下ろされるアロンダイトの渾身の一撃すらニコライは最小限の動きで紙一重のところで躱す。
革製の軽い胸当てだけという身軽な装備だから素早く動けるというわけではない。
その事は実際剣を交えているアロンダイトが一番よく理解していた。
生まれ持った天賦の才もあるのだろうが、それ以上にこのエルフの剣士には”恐れ”というものが大きく欠落しているように思えた。
当たれば確実に死は避けられない攻撃をギリギリのところまで引き付け、それを紙一重で躱す事など狂気の沙汰であり、一度ならずこうまで同じ事を何度も繰り返されると疑いは確信へと変わっていく。
─ このエルフの剣士は心底楽しんでいるのだ
かつての自分がそうであったように、目の前のエルフの剣士も自らの周囲を今か今かとその瞬間を待ち構え、巨大な魂を刈り取る鎌を抱えながら飛び回る死神の気配を感じながら、その状況すら楽しんでいるのだと。
普通の者ならばこのような状態を”狂ってる”と思うに違いないだろうが、自らの背に死の淵の存在を感じながら戦うことに目覚めてしまった者にとっては、それはとても甘美な麻薬のようなものであり一度経験してしまいその虜になってしまえばもう抜ける事など出来はしないのである。
長らく忘れていた感情がアロンダイトの内に溢れ出し、歓喜の渦に包まれその身を小刻みに震わせる。
「楽しい・・・・・・楽しいぞ、エルフの剣士! このような心躍る戦いはいつ以来か・・・・・・ああ、本当に楽しいぞ!」
「僕はそこまで楽しんではいないですがね」
ニコライは面白くもなさげに言い放つと、流れるような動きで素早く懐に飛び込み、アロンダイトの兜の中心に鋭い突きを叩き込む。
顔全体を覆う兜のバイザー部分を破壊されたアロンダイトはその衝撃に思わず後退ってしまった。
「この我の鎧に傷を入れるとは・・・・・・実に見事という他ない」
バイザーが無くなった兜の下から髑髏となったアロンダイトの顔が覗く。
「おのれ! よくもアロンダイト様に!!」
激高した死霊の騎士の1体が足に絡まる木の根を剣で切り裂き、ニコライに向けて走り出す。
「邪魔をするなと命じたはず!」
薙ぎ払うように振られたグレートソードは、走り寄ってきた死霊の騎士の首を跳ね飛ばし、足元に転がってきた頭をアロンダイトは容赦なく踏み砕いた。
「おのれ下級騎士の成れの果てが我に恥をかかせおって・・・・・・」
その光景に残りの死霊の騎士達は動揺し、そして怯えた。
「すまぬ。我が部下が無礼を働こうとしてしまった事を詫びよう」
「詫びるならあなた達が殺したこの森のエルフ族が先でしょうね」
「命令には逆らえぬのよ!」
叫びながら振り下ろされたグレートソードを真横に弾き、返す剣先でアロンダイトの手首辺りを斬り付けるニコライ。
硬いはずの篭手はまるでチーズでも切るようにすっと剣先が通り抜け、グレートソードを握ったまま切り離された手が宙を舞い地面に落ちる様をアロンダイトは驚嘆しながら目で追った。
「拾いなさい」
間合いを取ったニコライは剣先を下げ、アロンダイトにそう即した。
「我に憐れみをかけると言うのか?」
「このまま止めを刺してもいいのですが、それでは僕の腹の虫が治まりません。騎士として剣技で僕に完敗した後に死んでもらいます」
「なるほど・・・・・・なるほどな」
肩を揺らしながら笑うと、アロンダイトは残った手でグレートソードを拾い上げた。
「人の身である時に貴殿と出会えておれば、我は魔に落ちることなく人として死ぬ事も出来たのであろうな・・・・・・実に残念な事である・・・・・・いざっ!」
裂帛の気合を放ち、全身全霊の一撃を叩き付けようとするアロンダイトの脇を一瞬疾風が走る抜ける。
「じ、実に・・・・・・見事・・・・・・」
その言葉を最後にアロンダイトの身体は鎧ごとバラバラに切り刻まれ地面へ落ちていく・・・・・・
「さあイリアーナさん、残りを処理してみんなの遺体を埋葬してあげましょうか」
一瞬でアロンダイトの脇を走り抜けながら目にも止まらぬ速さの無数の斬撃を放ったニコライの言葉に、イリアーナは深い溜息を落として杖を頭上高くに構えたのであった。
ワムクライ達は順調に歩を進め、目的地である呪われた都市イキまで残り半日余りのところまで辿り着いていた。
周囲は見渡す限りの平原で、かつては街道であったであろう整備されていた道も今となっては茂った草に覆い隠され、道標代わりの石柱に掘られた文字も風化して読めなくなっている。
「あそこに見える山の麓に目指すイキがあるようです」
羊皮紙に記された地図を確認しながらムーアが指差す先には、草木が一本も生えていない険しい斜面の山が見える。
「噂には聞いてはいたが、これだけ離れていても漂ってくる瘴気は凄まじいものがあるな」
ワムクライは眉を顰めてそう言った。
「魔法使いにはそういうのもわかるんだなぁ。俺には草の匂い以外何も感じねぇけどよ・・・・・・」
「ハウザー、お前は殺気と血の臭い以外はわかんねぇだろうが。俺はさっきから鼻がむずむずしてやがる」
サルエルは指先で鼻を擦りながら辺りを警戒して歩く。
「自分はさっきからずっと鳥肌が立ったままで・・・・・・何なんでしょう?」
「瘴気に当てられるのさ。気をしっかり持ってないと魔の者に付け込まれるぞ」
槍を脇に抱え、両腕を抱えるようにしてびっしりと立った鳥肌を擦るムーアにワムクライは注意する。
「しかし妙な感じだ。これだけの瘴気が漂っているのだから何かしらのモンスターが姿を見せても不思議は無いのだが・・・・・・」
眉間に皺を寄せ、どこか神妙な顔付きになるワムクライ。
「村を出てからここまでゴブリンすら見かけていないしな・・・・・・でも警戒だけは怠らない事だぜ、若者よ」
「は、はい。わかりました」
ハウザーに言われたムーアはあたふたと槍をしっかりと両手で握り締め、歩きながら周囲を注意深く見回した。
警戒をしながら注意深く歩を進めた一行が、ようやく呪われた都市イキの入り口へ到着した頃にはすっかり日は傾き、辺りには夜の帳が降りようとしていた。
繁栄を極めたかつての都市は今となっては見る影も無く、石造りの無数の建物は崩壊し、都市を囲む城壁も所々が崩れている。
目的の地下遺跡は都市の中深部、巨大な神殿の奥に入り口があるという話であった。
「・・・・・・いるぞ!」
イキに足を踏み入れようとしたワムクライは叫び、その声に反応するように他の三人はそれぞれ武器を手に周囲を見回す。
「完全に気配を消していたはずなんじゃがな・・・・・・流石はウルアカを倒すだけの事はあるわい」
崩壊した建物に声を反響させつつ、ゆっくりと姿を現したのはマンティコアのソブデリウスである。
「あの魔族の親分ってわけか・・・・・・なるほどそれっぽい顔をしてやがるぜ」
バスターソードを肩に担ぐように構えたハウザーは、いつでも飛び出せるように腰を低く落とす。
「ひー、ふー、みー・・・・・・四人か。丁度いいわい」
ワムクライ達の顔を見回すとソブデリウスは、その老人の顔を醜悪に歪めながら邪悪な笑みを浮かべる。
「おい、貴様等。出番だぞ」
ソブデリウスの呼び掛けに応じるように、その背後からのっそりと姿を見える異様な影が三体。
「そこの魔法使いには見慣れた顔ばかりじゃろ?」
針金のように細く捻れた手足を持ち、その表面にはびっしりと鋭利な刃を生やした魔族にはホビット族のアールガの顔。
下半身は蛇、上半身には二対の腕を持つ魔族には顔半分が焼け爛れたままのニュクヘスの顔。
そして蠢く無数の触手の中央にはシェロの顔があった。
「ふん、なかなか似合ってるじゃないか」
ワムクライはその瞳を金色に輝かせ、瞳を砂時計のような形へ窄ませる。
「その女は我が直接相手をする・・・・・・貴様等は残りの三人と遊んでおれ」
─ グオオオオオオオッ
ソブデリウスの合成魔法によって、人ならざる者へとその身を変化させたかつての【13使徒】の三人は咆哮した。




