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47光年の手紙  作者: たびしずく


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第21章 いる

挿絵(By みてみん)


《いる?》

《いる。》


ふたつの文字列が、47.2光年の時空を挟んで交わされる。

一回、二回、三回。


それだけなら、今までと何も変わらない、二人だけの密やかな会話だった。

だが今――その通信の背後には、二つの惑星の全インフラがぶら下がっていた。電力網、医療、交通、軌道施設、通信網。数え切れないMOPノードが、二人の交わす言葉を命綱として繋がっている。


    *


サイモン・グラントが画面を叩く。


「セレスティア側、MOP接続率92%!」

通信越しにケイトの声が飛ぶ。

『アルマ、89%!』

「全部は無理か……!」

ダニエルが唸る。

「時間がありません!」


予測カウントダウン――『03:02:15』。


ヘレン・カーターは、刻一刻と減る数字を一度も見なかった。


「切れている地域は?」

「局所独立運用へ移行済みです!」

「それでいいわ」


サイモンが振り返る。


「ですが、惑星全体での時間同期は取れていません!」

「同期させないのよ」


ヘレンは静かに、けれど力強く言い放った。


「――もう、『世界を一つの時計に合わせる』のをやめるの」


    *


サイモンの画面に表示された二つの標準時計。

セレスティア、アルマ。どちらもそれぞれの基準では正確。けれど、互いの時刻は合わない。


「基準時間は……どちらに置きますか?」

「置かないわ」

「では、お互いの関係をどう計算すれば……!」

「一つの『正しい時刻』なんて要らないの」


ヘレンは画面の中央、二つの世界を結ぶ光の線を指した。


「必要なのは――『相手がそこにいて、途切れていない』ということだけよ」


    *


セレスティアの大型病院、手術室。

壁の時計と廊下の時計は、0.8秒ずれていた。

けれど医師は時計を見ない。目の前の患者の心拍モニターだけを見つめている。緑の波形は、一定のリズムを刻み続けている。


アルマの高速列車。

中央管制の標準時と1.4秒のズレが生じている。

けれど列車は止まらない。先行する車両との相対距離を正確に保ちながら、滑らかに線路を走り続けていく。


発電所、給水施設、軌道ドーム。

すべてがバラバラの時間の中で、それぞれの関係を保ちながら動いている。


各地から届く運用映像を見つめ、サイモンはぽつりと呟いた。


「……気持ち悪いです」

「お前、まだ言ってるのか」

ダニエルが苦笑する。

「……時計の技術者ですので」


    *


アルマ、ノアの自宅。

テレビ画面の隅にインジケーターが点滅していた。


『ALMA LINK: CONNECTED』


母親が料理の手を止め、画面を指した。


「ノア、これ何?」

「遠くの星との通信」

「星と通信? いったい何が繋がってるの?」


ノアは少しだけ考え、窓の外の街並みを見上げた。


「……みんな」

「みんな?」

「うん。向こうにいる、みんな」


    *


ノアは端末でゾーイへ通信を入れた。


「モップは?」

『私より先にモップの心配? 元気だよ』


画面が下へ向く。ゾーイの足元で、モップがゆったりと身体を広げていた。


トントン。


ノアは画面越しに笑った。


「よかった」


    *


通信を終えたゾーイは、モップの隣にしゃがみ込んでいた。

今日は外へ出さない。モップ自身も外へ行こうとせず、床に静かに佇んでいる。


トントン。


少し離れた廊下の奥から、かすかな音が返ってきた。


トントン。


ゾーイが跳ね起きる。


「いまの……何?」

「え? 風じゃないか?」

近くの研究員が首をかしげた。


モップがゆっくりと身体を持ち上げる。


トントン。


今度は、別室の壁の向こうから。


トントン。


ゾーイは端末を床へ近づけ、測定値を確認した。振動源を特定できない。音響センサーにも、対応する反応がない。


「……誰がいるの……?」


    *


47.2光年先、セレスティア観測局。

床に設置された極小振動センサーが、かすかに震えた。


トントン。


ダニエルが床を見下ろす。


「……おい、今なんか響かなかったか?」


エリックも足元を見る。


トントン。


    *


アルマで、モップが床を叩く。

セレスティアの観測局で、床が微かに応える。


ヘレンが低い声で指示を出した。


「波形を記録して」

「発生源の物理データが存在しません!」

サイモンが画面を見つめる。

「知っているわ」


アルマから届く映像の中で、モップは怯えていなかった。むしろ、遠い誰かと手をつないでいるかのように、心地よさそうに身体をゆらゆらと広げている。


    *


『巨大境界到達まで、02:41:00』


セレスティア港の着陸区画。

ジャック・ハリスは、貨物船の重厚な船体へそっと手を置いていた。

一度消え、そして戻ってきた愛機。傷一つない。


端末に娘のエマからメッセージが届く。


《今帰れる?》


ジャックは返信した。


《まだだ》

《帰ってきたって言ったじゃん!》

《セレスティアの港にはな》

《それ、帰宅じゃない!》

《分かってる》

《いつ帰ってくるの?》


以前のジャックなら、「たぶん」と答えて逃げていただろう。

けれど、彼は船体から手を離し、力強く打ち込んだ。


《これが終わったら》

《本当に?》

《帰る》

《絶対?》

《絶対だ》


少しの間。


《……じゃあ、待ってる》

《ああ》

《今度こそ、破ったら承知しないから》

《分かってる》


通信を終え、ジャックは深く息を吐いてポケットに端末を落とし込んだ。


    *


観測局内に、けたたましい警報が鳴り渡った。


「来ます……!! 巨大境界の前面が、一気に膨張しています!」

サイモンが叫ぶ。


セレスティアの街の信号機が一瞬、すべて消灯した。

アルマの空を飛ぶ輸送車が、手動制御へ強制的に切り替わる。

軌道上の人工衛星群が、互いの絶対位置を見失って軌道制御を乱しかける。


MOPノードが次々と局所運用へ移行し、強引に再捕捉を繰り返す。

UNIT-2の帯域が急速に低下していく。


「まずい! 映像が崩れる!」

ダニエルが叫んだ。


画面の中のケイトの顔がモザイク状に壊れ、音声が途切れた。

文字だけが――残った。


エリック《見える!?》

ケイト《文字だけ!》

エリック《こっちもだ!》


ヘレンが叫ぶ。


「余計な容量を食うデータを全部切りなさい!」

「惑星リンクもですか!?」

「リンクは残す! 個人回線もだ!」


ダニエルは一瞬手を止め、エリックと画面を見つめた。そして何も言わず、文字回線だけを死守した。


セレスティア《いる?》

アルマ《いる。》


アルマ《いる?》

セレスティア《いる。》


ふたつの星の膨大なMOPノードが、その呼びかけを芯として繋ぎ止められている。


そして――巨大な時空の歪みが、セレスティアの地表へ触れた。


    *


音はなかった。

光も、衝撃もなかった。


ただ、サイモンのモニターの上で、宇宙の状態を表していた数値たちが、一斉に意味を失った。


絶対位置――測定不能。

標準時間――計算不能。

軌道座標――喪失。


「UNIT-2、切断!!」

ダニエルの声と同時に、画面が黒く塗り潰される。


「ケイト!?」


アルマ側でも、ケイトの端末から文字が完全に消えた。

世界が――一瞬にして、漆黒の孤立へ叩き落とされた。


    *


エリックはキーボードへ指を置いた。

打つべき座標も、宛先も、回線もない。


「……ケイト……」


返事はない。


アルマの観測局で、ケイトは消えた画面をじっと見つめていた。


「ケイト……回線、落ちたよ……」

ミアの声が震える。

「待って」

「もう繋がってない……!」

「……待って!!」


    *


アルマの野生調査施設で、モップが突然、強く床を叩いた。


トントン!


「モップ!?」

ゾーイが振り返る。


遠くの別室の床。

さらに離れた隣の建物の床。


トントン!


ゾーイが顔を上げる。


「……返ってきてる……!」


    *


セレスティア観測局の床。


トントン!


ダニエルが弾かれたように足元を見た。


「いまの……!!」


ヘレンが静かに立ち上がった。


「機械の通信じゃないわ」

「じゃあ何が……!?」

サイモンが問い返す。


ヘレンは足元の床を見つめた。


「47.2光年という距離は、確かにある。でも……それだけが、二つの世界の隔たりじゃなかったのかもしれない」


ヘレンはエリックの肩に手を置いた。


「呼びかけなさい、エリック」

「回線が……」

「回線が道を作っていたとは限らないわ。UNIT-2は、最初からあった繋がりを覗いていただけなのかもしれない」


エリックは真っ黒な画面へ向かい、声を絞り出した。


「……ケイト」


    *


アルマの暗闇の中で、ケイトがふと顔を上げた。

声が聞こえたわけではない。けれど、指先が自然と動き、冷たいキーボードへ触れていた。


セレスティアで、エリックが呟く。


「……いる?」


その声が届くはずのないアルマで、ケイトもまた、誰に促されるでもなく呟いた。


「……いる」


    *


UNIT-2の電源ランプが、一度、二度、そして――眩いばかりに点滅した。


「画面……! 文字が……!」

ダニエルが身を乗り出す。


ノイズの海から、一文字だけが躍り出る。


《い》


消え、そして力強く刻まれる。


《いる。》


次の瞬間、破綻していたMOPネットワークが、連鎖するように再接続を開始した。

一基、十基、一万基――!


セレスティア《いる?》

アルマ《いる。》


アルマ《いる?》

セレスティア《いる。》


ふたつの世界に、その合言葉が広がっていく。


病院の機器が安定し、発電所の出力が回復する。列車は安全確認を経て速度を戻し、衛星群は互いの位置を再び捕捉し始めた。


巨大な時空の境界線は、惑星そのものを引き裂くことなく、ふたつの世界を「通り抜けて」いった。


    *


どれほどの時間が過ぎたろう。


サイモンが、信じられないものを見る目で画面の数値を一つずつ確認していった。


セレスティアの地域時刻差――減少。

アルマの時刻偏位――検出限界以下。

軌道補正値――安定域へ復帰。


各地にはまだ点検と復旧を待つ設備が残っていた。けれど、崩壊の連鎖は止まっていた。


サイモンは力尽きたように椅子へへたり込んだ。


「……大規模な位相の乱れは、検出限界以下です……」

「終わったのね」

ヘレンが呟く。

「……本当に?」

ダニエルが尋ねた。

「科学者だから『たぶん』と言っておくわ」


    *


数時間後。


安全が確認された路線から電車が走り、店が少しずつ開き、人々が街へ戻り始めた。

復旧作業の続く地区もある。それでも世界は、驚くほど普通の表情を取り戻しつつあった。


ただ――一つだけ、決定的に普通ではない数値が残っていた。


UNIT-2の通信回線。最高帯域、遅延ゼロ。


ヘレンが二つの惑星間の数値を再測定する。


物理的空間距離:『47.2光年』

関係的時空距離(RELATIONAL DISTANCE):『0』


サイモンが息をのむ。


「……ゼロ……!?」

「道が……残ったのよ」


エリックがヘレンを見た。


「……花」

「何?」

「……送れる?」


ヘレンは呆れたようにエリックを見つめた。


「……駄目よ」

「まだ何も言ってないのに」

「顔に出ているわ。『人間を行かせろ』って顔に」

「……俺は?」

「面倒な人間はお断りよ」


ダニエルが大爆笑する。

画面の向こうで、クリアな映像のケイトが可笑しそうに笑っていた。


『何話してるの?』

「会いに行けるかって」

『……まだ?』


ヘレンは二つの星の間に残された「ゼロ」という数値を見つめ、静かに微笑んだ。


「ジャックの帰還は、あの境界の中で起きたことよ。今度は行き先を選んで、安全に戻れる方法を確かめなければならないわ。まずは無機物、次に生体、そして人間。――順を追って試すことはできる」


エリックが少し不満そうに椅子へ戻ると、ケイトが優しく語りかけてきた。


『待ちなよ。私たち、47.2光年も待ったんだから』

「……距離はな。時間は?」

『……それは、分からないね』


ふたりは画面越しに、深く微笑み合った。


星も、宇宙も、47.2光年の果てしない闇も、そのままそこにある。

けれどいま、ふたつの世界の間には――一本の確かな「道」が架かっていた。




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