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47光年の手紙  作者: たびしずく


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20/22

第20章 迎えに行く

挿絵(By みてみん)


ジャックの貨物船。


航法画面のカウントダウンが、容赦なく刻まれる。


『境界到達まで、10分42秒』


副操縦士のオーウェンが、汗を拭いながら画面を切り替えた。


「右、駄目です! 歪みが広がってます!」

「左は?」

「同じです!」

「上は!?」

「境界!」

「下!」

「全方位、境界です!」


ジャック・ハリスは表示を縮小した。


船を囲むように、幾重もの時空の歪みが蠢いている。逃げ道を計算するたび、コンピューターの弾き出す最適解が目まぐるしく書き換わっていく。


    *


セレスティア、観測局。


サイモン・グラントが計算画面を叩いた。


「……おかしい! 境界の速度予測が合わない!」


ヘレン・カーターが画面を覗き込む。


「境界の計算が?」

「はい! 一分前の観測値にあった場所に、もう境界がありません! 予期せぬ場所へ突然跳躍している……『加速』しているんじゃない。――速度という物理概念そのものが、合わなくなっています!」


    *


通信スピーカーから、ジャックの野太い声が響いた。


『それで、俺はどっちへ舵を切ればいい?』


サイモンの手がキーボードの上で止まった。


「……分かりません」


重い沈黙。


『……了解』


ダニエルが思わず呟いた。


「了解するんだ……」


「他にどう返事するんだよ」


エリックが小声で返した。


    *


船内。


オーウェンがジャックを見た。


「どうします……!?」


ジャックは、操縦桿から静かに手を離した。


「止める」

「え!?」

「逃げる方向が分からんのなら、無駄にスラスターを吹かして燃料を捨てるだけだ」


推進力、完全停止。


船体は慣性飛行へと移行する。


ジャックはMOP-1の局所モニターを確認した。


船内の局所時計――正常。

セレスティアとの位相関係――激しく変動。

アルマとの位相関係――微弱。だが、確かに存在する。


ジャックの口元が、わずかに緩んだ。


「……面白いな」

「何がです!?」


オーウェンが聞き返す。


「アルマの信号まで拾ってる」

「47光年先ですよ!?」

「知ってるさ」


    *


アルマ、野生調査施設。


ゾーイ・ベネットは、戻ってきたモップのそばを片時も離れなかった。


各種生体検査――異常なし。

内部エネルギー周期――極めて安定。


モップは何事もなかったかのように、施設内の床を滑らかに歩いている。


ノア・リードが首をかしげた。


「……お腹空かないのかな」

「そもそも、何を食べてるのかすら分からないんだから」


ゾーイが答える。


「今さら?」

「今さらだよ」


    *


モップが測定台の上へとひらりと飛び乗った。


トントン。


ノアも台の縁を指先で叩く。


トントン。


モップが打ち返す。


トントン、トン。


「……あ、違う」

「何が?」

「さっきまで叩いてたリズムと、違う」


ゾーイは過去のパルスログを開いた。


時空の隙間に消失する前――一定の間隔。

戻ってきた後――別の周期波形。


だが、乱れているわけではない。


モップは――何か「別のもの」に、自らの波長を合わせに行っている。


    *


アルマ、観測局のケイトへデータが届く。


ケイトは、アルマの惑星補正データ、時空境界マップ、UNIT-2の通信ログ、そしてジャックの貨物船のMOP-1ログを一つの画面に重ね合わせた。


一つの波形が、ぴったりと重なる。


「……船!?」

「え?」


ミアが顔を上げた。


ケイトはジャックの船のMOP-1ログを最大まで拡大した。


モップの内部周期と、ジャックの船が時空の歪みに近づいた時に記録している位相変化――酷似している。


ケイトは即座にセレスティアへ回線を繋いだ。


『ヘレン博士!』

『見ているわ』

『モップの波形、ジャックの船と同じだよ!』


サイモンが二人の会話に割って入る。


『正確には……完全一致ではありません。ですが、変化を起こすタイミングがほぼ同調しています!』


ヘレンはモップが時空の隙間から戻ってきた直前の記録を展開し、現在のジャックの船のデータと重ねた。


「……帰る時と、同じだわ」

「何がですか?」


エリックが尋ねる。


「モップが向こう側から『こちら』へ戻る直前の波形よ。ジャックの船も今、向こう側に足を踏み入れようとしている」


    *


ジャックの船。


『境界到達まで、3分08秒』


操縦席の端末に、娘のエマからのメッセージが灯った。


《今どこ?》


ジャックは窓の外の星々を一瞬見つめ、返信を打った。


《仕事中》


一秒で返信。


《また?》


ジャックの口元が緩む。


《うん》

《帰ってくるんでしょ》


ジャックの指がキーボードの上で止まった。


窓の外の宇宙は、静寂に包まれている。


《帰る》


送信。


『境界到達まで、2分41秒』


オーウェンが尋ねた。


「……ご家族ですか?」

「娘だ」

「なんて?」

「帰れってさ」

「……帰りたいですね」


ジャックは、操縦席のパネルの上にどっしりと手を置いた。


「帰るよ」


    *


アルマ、野生調査施設。


モップが床を叩く。


トントン、トン。


間。


トントン。


ゾーイが息をのんだ。


そのリズムを、彼女は知っていた。


一番最初の日、あの草原の岩陰で、自分がモップへと贈った呼びかけのリズム。


「……帰るの……?」


モップが応える。


トントン。


ゾーイは床にしゃがみ込み、同じリズムを指先で刻んだ。


トントン、トン。


間。


トントン。


モップが、力強く打ち返す。


    *


セレスティアの観測局でその映像を見ていたヘレンが、マイクを握りしめた。


「ゾーイ!」

『はい!』

「そのリズムを続けて!」

『これをですか!?』

「ええ! 止めないで!」


ヘレンはジャックの船のモニターへ向き直った。


「エリック!」

「はい!」

「UNIT-2を使うわよ!」

「ジャックへ繋ぐんですか!?」


ダニエルが声を上げた。


「船にUNIT-2なんて積んでませんよ!?」

「MOP-1があるわ!」


サイモンが首を振る。


「プロトコルの互換性がありません!」

「今から作るのよ!」

「あと二分ですよ!?」


ダニエルの悲鳴に、ヘレンが即答した。


「なら、急ぎなさい!」


    *


観測局の床に、引き出された配線がのたうつ。


MOP-1が出力する局所関係信号を、無理やりUNIT-2の通信経路へ流し込む。互換性のない信号を、既存の変換機能を総動員して力ずくで繋ごうとしていた。


動作保証などない。まともな試験をする時間もない。


繋がるかどうかは、やってみるまで分からなかった。


「こんなのシステム設計じゃない! 配線の暴力だ!」


ダニエルが叫ぶ。


「繋がれば何でもいいです!」


サイモンも負けじと叫び返した。


「サイモン……お前、言うようになったな……!」


    *


『境界到達まで、1分12秒』


通信機からジャックの声が飛ぶ。


『まだか、観測局!』


「今!! 繋がった!!」


ダニエルが叫んだ。


画面に猛烈なノイズが走る。文字回線が開いた。


エリックが必死に打ち込む。


《ジャック!》


応答なし。


《見えるか!?》


画面はノイズの海。


『境界到達まで、48秒』


船内では、オーウェンが窓の外を見つめていた。


「来ます……!! 外の星が……歪んで……!」

「MOP-1、最大出力維持!」

「はいっ!!」


    *


セレスティア、観測局。


エリックはもう一度打ち込んだ。


《ジャック!》


ノイズの中から、一文字だけが浮き上がった。


《い》


すぐに消える。


エリックはキーボードへ指を叩きつけた。


モップの時も、ゾーイの時も、ケイトの時も、一番最初はずっと同じだった。


《いる?》


    *


ジャックの船の操縦画面。


ノイズの嵐の中、その三文字だけが異様な鮮明さで浮かび上がった。


「な、何ですかこれ……!?」


オーウェンが目を見開く。


ジャックは不敵に笑い、キーボードを力強く叩いた。


《いる。》


    *


『境界到達』


船体が――消えた。


    *


セレスティア、観測局。


ジャックの船体信号、完全消失。

航法ロケーター、消滅。

MOP-1データ通信、途絶。


「ジャック!? 応答しろ、ジャック!!」


ダニエルがマイクへ叫ぶ。


「船の存在が……画面から消えました……」


サイモンが呆然と呟いた。


「どこへ行った……!?」


エリックは消えた信号の跡を見つめていた。


    *


セレスティア港、エマの端末。


送信済みの《帰る》の文字の下に、新しい通知。


《待ってる》


    *


アルマ。


モップが唐突に立ち上がった。


その身体を、セレスティアの方向でも、ゾーイの方向でもない――何もない「空間の隙間」へと向けた。


トントン。


    *


セレスティア、UNIT-2。


ジジッ……という明瞭な受信ノイズ。


「来た!!」


エリックが叫ぶ。


極めて微弱。文字データではない。規則的な脈動周期。


「呼びかけなさい!」


ヘレンが指示する。


「なんて!?」

「何でもいいわ! ジャックが絶対に理解できる言葉を!」


エリックはキーボードを見つめた。


自分はジャックのことをよく知らない。貨物船の船長で、不器用で、娘がいて――「帰る」と言った男。


《ジャック》


応答なし。


《帰れ》


「雑すぎるだろ!!」


ダニエルが横から叫ぶ。


「うるさい!!」


エリックは打ち直した。


《娘が待ってる》


    *


微弱な周期信号の波形が、劇的に跳ね上がった。


「反応しました!!」


サイモンが身を乗り出す。


「そのまま続けて!!」


ヘレンの声を背に、エリックはもう一度打ち込んだ。


《帰るって言っただろ!!》


    *


ジャックの視界。


暗い。いや、暗いのかどうかすら分からない。


船内照明は点いている。隣にはオーウェンもいる。計器も稼働している。


だが――窓の外に、星がない。


MOP-1の航法画面。


目的地表示――なし。

座標表示――なし。


だが――ただ一つだけ、暗闇の向こうから激しく点滅する関係信号。


崩れかけた文字。


《……娘……待……》


ジャックは鼻で笑った。


「……うるさい奴だ」

「だ、誰なんですか……!?」


オーウェンが尋ねる。


「受取人の男だよ」


ジャックはMOP-1のパネルに目的地を入力しようとした。


座標入力――不能。


「セレスティア」と打ち込む――認識不能エラー。


ジャックは手を止めた。


エマ、自分の家、セレスティア。


帰りたい場所は、はっきりしている。


だが今、その場所を示す座標はどこにも見つからない。


けれど――通信は、繋がっている。


「……これでいいんだな」

「何がです!?」

「帰る場所ってのはさ」


ジャックは座標入力を破棄し、画面に点滅する関係信号を直接選択した。


『SOURCE: CELESTIA LINK』


画面に赤字の警告。


『ABSOLUTE POSITION UNAVAILABLE(絶対座標が取得できません)』


「知ってるよ」


ジャックは実行キーを力強く押し込んだ。


航法装置が何を捉えたのか、彼自身にも分からない。


ただ、途切れかけた関係信号だけが、消えずに残っていた。


    *


セレスティア、観測局。


UNIT-2の受信シグナルが、振り切れるほど跳ね上がった。


「来ます……!! 上空です!!」


サイモンが叫ぶ。


「どこに!?」


ヘレンが振り向く。


「分かりません!! 座標が出ません!!」


観測局から数百キロ上空の宙域。


何もない空間が、一瞬だけ激しく歪んだ。


――重厚な流線型の船体が、唐突に出現した。


セレスティア軌道監視システムのアラートが鳴り響く。


『未登録物体出現――機体識別:HARRIS TRANSPORT』


「来たあああああ!!」


ダニエルが両手を突き上げる。


「ジャック!!」


エリックも通信機に向かって叫んだ。


通信スピーカーから、激しいノイズの後に、聞き慣れたダミ声が届いた。


『……こちらハリス。聞こえるか』


    *


ジャックの視界に、眼下に広がる青いセレスティアの街並みが飛び込んできた。


オーウェンが座席に深々と沈み込む。


「……か、帰ってきた……」


観測局では、帰還した船の記録をサイモンが確認していた。


「外部記録では、消失から六分三十七秒……!」


ヘレンが通信マイクを握る。


「乗員の状態は!?」

『二人とも正常だ。怪我もない』

「向こう側では、何が起きたの!?」

『消えてから戻るまで、ほぼ連続してる感覚だな』


そこへオーウェンの声が割り込んだ。


『ほぼじゃないです!! 俺ずっと生きた心地がしなかったですからね!!』

『それは時間に含まん』


ジャックが平然と返した。


観測局の全員が、緊張のあまり一瞬言葉を失い、それからどっと笑いが弾けた。


ダニエルが力尽きたように椅子へ座り込む。


「船ごと……帰ってきたよ……」


    *


けれど、ヘレンだけは笑っていなかった。


彼女は画面に並ぶ三つのデータを見つめていた。


白い花。モップ。ジャックの貨物船。


規模も質量もまったく違う。けれど、起きた現象には共通点があった。


向こう側――歪みの隙間へ入り、通常の座標では追跡できなくなり、それでも戻ってきた。


「……座標じゃないわ」


ヘレンが呟く。


「はい」


サイモンが頷いた。


「モップはゾーイの元へ戻った。ジャックはセレスティアの私たちへ戻ってきた」


ヘレンはUNIT-2のログを指した。


《いる?》

《いる。》


「……繋がっていた『相手』へ、帰ってきたのよ」


アルマのケイトの声が届く。


『……関係そのものが、場所になる……?』

「そう……そういうことよ」


ヘレンは画面から目を離さなかった。


    *


その時、けたたましい緊急警報が観測局内に響き渡った。


「博士!! 巨大境界の通過予測が、再計算されました!」


サイモンが叫ぶ。


画面の数字が猛烈な勢いで書き換わっていく。


『19時間』だった予測値が――『11時間』。


さらに数分後には――『7時間』。


「ちょっと待て!! 速すぎる!!」


ダニエルが画面に詰め寄る。


「待ってくれません!! 幾何学的な崩壊が加速しています!」


MOP-1の全自動導入率。


セレスティア:78%

アルマ:71%


残された未導入領域は大きい。今のままでは、絶対に間に合わない。


ヘレンは両惑星の星図を見つめた。


地域ごとのMOP-1による関係維持は進みつつある。


だが、巨大な時空の波が惑星全体を丸ごと呑み込んだ時――この惑星そのものは、どこへ帰ればいいのか?


通信機からケイトの声が届いた。


『……セレスティアと、アルマ』


ヘレンが弾かれたように顔を上げた。


『二つの星は、ずっと繋がってる』


エリックも画面を見つめる。


『最初から……ずっと』


UNIT-2が引き合わせたふたつの世界。


47.2光年離れていながら、距離が「ゼロ」で繋がっているふたつの星。


「互いを使うのよ……!」


ヘレンが呟いた。


「何にですか!?」


サイモンが聞き返す。


「帰還先よ!!」


セレスティアがアルマを、アルマがセレスティアを。


物理的な絶対座標ではなく、切れることのない「絆(関係)」として保持し続ける。


ダニエルが目を丸くする。


「惑星同士で……転送みたいなことをするんですか!?」

「転送じゃないわ! 通過している間も、お互いが『そこにいる』ことを確認し続けるのよ!」


エリックが顔を上げた。


「『いる?』って……?」

「そう!!」


サイモンが凄まじいスピードで打鍵する。


「世界中の全MOPノードを、UNIT-2の関係信号へ統合します!!」

「できるのか!?」


ダニエルが叫ぶ。


「やります!!」


残り時間表示。


『04:12:00』


    *


セレスティア港。


ジャックは船から降り、自分の足で冷たいアスファルトを踏みしめた。


一歩、二歩。確かな踏み心地。


端末にエマからの通知。


《待ってる》


ジャックは笑い、返信した。


《帰ってきた。》


すぐ返信。


《家じゃないでしょ》

《まだな》

《じゃあ帰ってきてない》

《厳しいな》

《早く帰ってきて》


ジャックは空を見上げた。


「……はいはい」


    *


アルマの夕暮れ。


ノアは自宅で、母親と夕食を囲んでいた。


テレビニュースが、時空同期障害と避難便の停止を報じている。


「他星系への避難船、また全便見合わせなんですって……」


母親がテレビを見つめながら言った。


「うん」

「……怖くない?」


ノアは少し考え、窓の外を見た。


見慣れたアルマの街並みに、ぽつぽつと温かい灯りがともっていく。


「……怖いよ」

「そう……」

「でも」


ノアはご飯を一口口に運んだ。


「……ここが、俺の家だから」


母親は何も言わず、ノアのお皿におかずを少し多めに盛った。


「食べなさい」

「多いよ」

「いいから食べなさい」


    *


観測局。


セレスティアとアルマ、二つの世界のMOPノードが、UNIT-2を中心に一つの巨大な「関係網」として統合されていく。


エリックとケイトの通信画面。


『なんだか……すごいことになっちゃったね』


ケイトが笑った。


「最初、文字だけだったのにな」

『《誰かいますか?》だっけ』

「やめろって」

『恥ずかしい?』

「ちょっと」


ケイトが可笑しそうに笑う。


「……ケイト」

『何?』

「明日も、いるか?」


ケイトはほんの少しだけ沈黙し、そしていつもの輝くような笑顔を見せた。


『いるよ』


    *


「統合率……81%……!」


サイモンの声が観測局に響く。


『巨大境界到達まで、03:19:00』


ヘレンは二つの惑星を一本の青い光で繋ぐモニターを見つめた。


47.2光年。


通常の宇宙では果てしない絶望の距離。


だが――いま、二つの世界の間にある距離は「ゼロ」だ。


「……始めるわよ」


ヘレンが静かに告げた。


セレスティアからアルマへ。


惑星規模の時空を超えた、たった三文字の問いかけが放たれた。


《いる?》


47.2光年先、アルマからの返信。


《いる。》


(第20章 了)




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