↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
47光年の手紙  作者: たびしずく


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
19/22

第19章 惑星を通す

挿絵(By みてみん)


朝。

アルマの野生調査施設。


モップは、冷たい床の上に静かに佇んでいた。


正確には――座っているのか、休んでいるのかすら、ゾーイ・ベネットには分からない。


ただ。


トントン。


少し待つ。


トントン。


また、待つ。


トントン。


ノアが、広げていた宿題のノートから顔を上げた。


「……今日ずっとそれだね」

「うん」

「誰か呼んでるのかな」

「分からない」


モップは答えず、また床を叩いた。


トントン。


    *


ゾーイは端末で、モップの内部エネルギー周期を確認した。


異常はない。


けれど、床を叩く不定期なノッキング音の間隔が、昨日までとは明らかに異なっていた。


一定ではない。

少しずつ、ほんの僅かずつ、間隔が短くなっている。


ゾーイは手元のログに記録を書き加えていく。


ノアが首を傾げた。


「……時計みたい」

「時計?」


ゾーイが顔を上げる。


「ほら」


ノアが指先で床を叩いて見せた。


トントン。


待つ。


トントン。


「なんか……時間を測ってるみたい」


ゾーイはモップを見つめた。


「時間を測るなら……自分の中に時計があるでしょ」

「じゃあ」


ノアが真顔で言った。


「……合わせてるのかな」


    *


ゾーイの手がピタリと止まった。


「……何に?」

「知らない」


ノアはあっけらかんと宿題に向き直った。


「でもモップって、普通の時計より『先』に分かるんでしょ?」


    *


その一言は、十分後、アルマのケイトへ届けられた。


そしてさらに――47.2光年先のセレスティアの観測局へと届いた。


    *


セレスティア。


サイモン・グラントが画面を見つめたまま呟く。


「……合わせている」


画面には、境界の手前に立ち、内部周期を自力で変化させ、無事に境界を跨いでいくモップの行動データが映し出されていた。


変える――安定する。


また次の境界で、変える――安定する。


ヘレン・カーターが言った。


「MOP-1と同じ理屈よ」

「逆ですよ、博士」


ダニエルがすかさず訂正する。


「MOP-1が、モップの真似をしてるんです」

「そうだったわね」


ヘレンは小さく笑った。


    *


世界中で、新プロトコル『MOP-1』への切り替え作業が不休で続けられていた。


巨大な地熱発電所、地下水処理プラント、高度医療病院、軌道港、大気循環ドーム。


古い設備がある現場では、技術者たちが裏蓋を開け、手作業で配線を打ち直していく。


『絶対的な標準時計』への依存を断ち切るために。


    *


アルマの地方病院。


古い医療管理装置の前で、技術者が汗をぬぐっていた。


「これ、何十年前の型だ……!?」


そばで見守っていた看護師が声を上げる。


「壊さないでくださいね!」

「壊れてないから困ってるんです!」


隣の若い技術者が、細い配線を一本、慎重にニッパーで切り離した。


標準時同期――オフ。


MOP-1局所制御――オン。


不規則に点滅していた心拍モニターが、ふっと安定した緑色の波形を取り戻す。


看護師が胸を撫で下ろした。


「……通った!」


    *


セレスティア、観測局。


サイモンが次々と報告をまとめる。


「MOP-1導入率。セレスティア、61%。アルマ、57%。全域完了までの予測時間……31時間」


ダニエルが息を吐く。


「半分超えたな!」

「『半分しか』です」


サイモンの答えは厳しかった。


    *


ヘレンは数字ではなく、両惑星の星図と境界マップを見つめていた。


MOP-1が導入された青い領域。


まだ取り残されている赤い領域。


そして、押し寄せる無数の大小の境界線。


そこへ、ケイトから緊急通知が届いた。


《博士、モップがいた施設の詳細な局所境界データを送ったよ》


画面に展開される「入れ子」構造の空間。


施設内の廊下――数十センチ。


屋外――数十メートル。


地域――数十キロ。


宇宙空間――数万キロ。


スケールはバラバラ。


だが、時空の折りたたまれ方は、すべて幾何学的に相似形を描いていた。


ヘレンが低く呟く。


「……世界が、入れ子構造になっているのね」


    *


アルマ、野生調査施設。


突然、警報が鳴り響いた。


ゾーイが跳ね起きる。


モップが、施設の外へ出ようとしていた。


「モップ!?」


モップはゾーイの制止を無視し、滑らかな流体のように屋外の草地へと滑り出していく。


十秒。


ノアが後ろから叫ぶ。


「モップ! どこ行くの!?」


三十秒。


モップが草地の中央でピタリと足を止めた。


周囲には何もない。


ゾーイは屋外の局所境界線を踏み越え、駆け寄った。


自分には何の変化も起きない。


「モップ!!」


    *


一分。二分。


ノアが地面にしゃがみ込んだ。


「ゾーイ、待って……!」

「何!?」

「静かに……!」


二人とも息を殺す。


乾いた風。


草の擦れる音。


遠くを走る車両の駆動音。


ノアが青ざめた顔で呟いた。


「……聞こえない」

「何が……?」

「『トントン』が……聞こえない」


    *


ゾーイの表情が一変した。


手元の生体端末を見る。


『UNKNOWN ORGANISM A — SIGNAL LOST』


モップの生体信号、消失。


位置座標、不明。


内部周期パルス、受信不可。


「……施設に戻るよ!!」

「俺も行く!」

「ノアは離れないで!!」


    *


セレスティア、観測局。


けたたましいアラートが鳴り響いた。


エリックが端末を見て叫ぶ。


「モップの信号が消えた!?」


ケイトから画像が飛んでくる。


モップが消え去った、誰もいない静かな草地の映像。


ヘレンが通信マイクに向かって尋ねた。


「ケイト! 前回の実験と同じ地点!?」


『ううん、違う場所! 距離も前回の三メートルどころじゃない……まだ戻ってこないの!』


サイモンが割って入る。


「時計の同期ログは!?」


『生体側の信号そのものが完全に途絶してる!』


ケイトの声にも焦りが滲んでいた。


    *


アルマ、野生調査施設。


ゾーイとノアは、モップがいつも寝そべっていた物質分析装置の測定台の前にいた。


空っぽの台。


ノアは床にポツンと座り込んだ。


「……ノア、何してるの?」


ゾーイが尋ねる。


「待ってる」

「何を……」

「返事」


ノアは、指先で静かに床を叩いた。


トントン。


沈黙。


トントン。


    *


返事はない。


解析担当者たちが青ざめた顔で駆け回る。


地下探査レーダー、大気音響、電磁波スペクトル、全方位センサー。


何をどう探しても、モップの存在を示す数値は「ゼロ」だった。


ノアは諦めず、指を叩き続けた。


トントン。


トントン。


    *


47.2光年先、セレスティア。


古い通信機『UNIT-2』のスピーカーから、ジジッ……という微小なノイズが弾けた。


ダニエルが画面を二度見する。


「……何だこれ?」


アルマのケイトとの通常回線ではない。


文字でも、画像でも、音声でもない――極めて微弱で、不規則な周期信号。


    *


トントン。


    *


ダニエルが叫んだ。


「博士!!」


ヘレンとサイモンが駆け寄る。


画面に波形が表示された。


一回打たれ、間が空き、もう一回打たれる。


その間隔は、アルマでノアが床を叩くタイミングと、寸分狂わず一致していた。


だが、ノアが叩いた音そのものを受信しているわけではない。


UNIT-2が捉えているのは、別の周期信号だった。


エリックの目が大きく見開かれた。


「……モップだ!!」


ヘレンが画面に顔を近づける。


「まだ断定は……」

「これ絶対モップだろ!!」


エリックの声が観測局に響く。


ヘレンは波形を過去の生体ログと重ね合わせた。


完全一致。


モップ固有の、あの頑固でゆったりとした内部周期パルスだった。


ヘレンは、もう否定しなかった。


    *


ケイト経由でゾーイへ通知が飛ぶ。


《セレスティアのUNIT-2に、モップの周期信号が直接受信されている!!》


ゾーイはその文字を震える手で見つめた。


ノアが顔を上げる。


「……いたの!?」

「分からない……でも、返事……届いてるって」

「どこに!?」

「……セレスティアに」


ノアはニッコリと笑った。


「なんだ、いるじゃん!」


ゾーイは笑えなかった。


涙が溢れそうになるのを必死で耐え、床を見つめた。


    *


セレスティア、観測局。


ヘレンは腕を組み、眉間にシワを寄せていた。


「……おかしいわ」


ダニエルが振り向く。


「何がですか! 返事が届いたんだから万々歳でしょ!」


「UNIT-2は、セレスティアとアルマを繋ぐ通信機よ。モップはアルマにいたのよ? なのに――この信号は、アルマの通信基地を経由してきていないわ!」


サイモンが息をのむ。


「……じゃあ、どこから送られてきているんです!?」


ヘレンはしばらく画面を見つめ、静かに答えた。


「『場所』として表現できない領域よ」


彼女は机の上にあった紙を引き寄せ、二つに折った。


そこに『A(セレスティア)』と『B(アルマ)』を書き込む。


「私たちは今まで、この紙の『表面』だけを見ていたのよ」


エリックが尋ねる。


「モップは……どこへ行ったんですか?」


ヘレンは、折られた紙の『厚み(隙間)』を指で強く叩いた。


「たぶん……この厚みの中を、歩いたのよ」


    *


通信スピーカーから、アルマのノアの声が響いた。


『……じゃあさ。もう繋がってるんじゃない?』


観測局の全員が静まり返った。


ヘレンがマイクに向かう。


『……何がかしら?』


『そこだよ。モップがいなくなった場所。アルマから送ってないのにセレスティアで聞こえるんなら、そこ、もう最初から繋がってるじゃん』


ヘレンは何も言えなかった。


ただ、その言葉の真実味に背筋が震えていた。


    *


アルマ、野生調査施設。


ゾーイは、モップが消えた草地に立っていた。


ノアも隣にいる。


ゾーイは地面にしゃがみ込み、指で叩いた。


トントン、トン。


短い間。


トントン。


計測用でも、実験用でもない。


一番最初の日、あの岩陰でゾーイがモップへ贈った、愛おしい呼びかけのリズム。


セレスティアのUNIT-2の画面で、波形が劇的に変化した。


エリックが叫ぶ。


「波形が変わった! ゾーイのリズムに同調し始めてる!」


    *


次の瞬間――草地の上で、静かに風が舞った。


ノアが指を差す。


「ゾーイ……!」


何もない空気が、ふわりと光を屈折させる。


ゆらゆらと結ばれる馴染み深い輪郭。


モップが、そこに姿を現した。


ゾーイは走り出し、途中でハッと足を止めた。


いきなり触っていいのか分からない。


けれど、モップの方から滑らかに近づき、ゾーイの足元へ身体をすり寄せてきた。


ゾーイはしゃがみ込み、その温かい身体を抱きしめた。


「……おかえり、モップ」


ノアが施設の記録ログを確認し、叫んだ。


「消失時間、31分18秒!」


そして、帰ってきたモップの内部記録データがセレスティアへ飛ばされた。


サイモンが数値を二度見する。


「……モップの内部経過時間……『0.00秒』です」


外の世界では三十一分。


けれど、モップの内部記録には、その間の時間経過が一切残されていなかった。


時間が止まっていたのか。


それとも、そもそも時間の流れ方が違っていたのか。


今はまだ、誰にも分からない。


ゾーイが通信マイクへ向かって、誇らしそうに笑った。


「この子は……逃げたのでも、壊れたのでもありません。私たちが『壁』だと思って塞ぎ込んでいた場所を……ただ、普通に歩いただけなんです」


    *


セレスティア。


ヘレンは立ち上がり、全員を見回した。


「サイモン。MOP-1の目的を書き換えるわよ」


サイモンが顔を上げる。


「……書き換える?」


「境界を避けるためでも、通過に耐えるためでもないわ。――関係を、維持するのよ」


絶対的な時間も、絶対的な位置も要らない。


街と街、病院と電力、人と人。


互いの「関係(絆)」さえ切らさなければ、世界は崩壊しない。


少なくとも、世界を支える仕組みを守り続けることはできる。


ヘレンは両惑星を映した画面に目を向けた。


「惑星を通す。そのために必要なのは、歪みを消すことじゃない。歪みの向こう側でも、すべてを繋ぎ続けることよ!」


それが実現できるかどうかは、まだ分からない。


だが、目指すべきものは見え始めていた。


    *


その頃、セレスティア港の外縁宙域。


ジャック・ハリスの貨物船は、最後の中継機器を設置し終えていた。


「船長! 燃料ギリギリです! 帰れなくなりますよ!」


オーウェンが計器を見ながら叫ぶ。


「帰るさ」


ジャックは落ち着いた声で答えた。


「根拠は!?」


オーウェンが食い下がる。


ジャックは操縦桿を強く握り直した。


「帰る場所があるからだ!」


娘のエマが待っている。


ジャックは貨物船を旋回させ、帰還航路へ向けた。


だが、その前方に、激しく拡大する巨大な歪みの境界線が立ち塞がった。


しかも、境界は一つではない。


複数の歪みが周囲から迫り、帰還可能な航路を次々と塞いでいく。


以前の試験飛行で通過した、単独の境界とは状況が違っていた。


通信機からサイモンの切迫した声が響く。


『ジャック! 進路変更を! 囲まれています!』


境界到達まで、あと十一分。


ジャックは窓の外の変わらぬ星々を見つめ、不敵にニヤリと笑った。


「そうか。――じゃあ、通るぞ」


MOP-1、全系起動。


(第十九章 了)




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。