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47光年の手紙  作者: たびしずく


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2/22

第二章 どこにいる?

挿絵(By みてみん)


翌朝。

エリックは二度目のアラームで目を覚ました。

いつもより一回早い。

本人は、その小さな変化に気づいていなかった。


窓の外では、まだ二つの恒星は地平線の下にある。

セレスティア特有の青白い薄明かりが、低く垂れ込めた鉱物質の雲をぼんやりと照らしていた。

遠くから地響きが近づいてくる。

居住区の外周道路を、採掘プラントへ向かう大型重機トレーラーが通過していったのだ。薄い窓ガラスが、ビリビリと小さく震える。

エリックは布団の中でしばらく天井を見つめていた。

昨日なら、ここでもう一度アラームを止めていただろう。

だが今日は、そのまま身体を起こした。


「……腹減った」


キッチンへ行き、冷蔵庫を開ける。

冷気が顔に当たる。

いつもの場所へ手を伸ばして――止まった。

豆の煮込みがない。


「……昨日、全部食ったか」


一度扉を閉める。

数秒考えて、なぜかもう一度開けてみる。

当然、増えてはいない。

仕方なく棚から銀色の保存食パックを一つ取り出した。味の表示を見る。

『穀物加工食・標準味』


「標準味ってなんだよ……」


包装を破りかけたところで、視界の端に壁際の洗濯籠が入った。

山だった。

作業着、シャツ、下着。昨日から一枚たりとも減っていない。


「あ」


エリックは洗濯籠を見る。

壁の時計を見る。

もう一度、洗濯籠を見る。


「……帰ったらやる」


昨日とまったく同じ台詞だった。

     *

セレスティア、ヘイブン。


惑星最大級の採掘・物流拠点として発展した都市は、朝から低い機械音に包まれていた。

赤茶けた大地を削るように、灰色の居住棟と工業施設が並んでいる。その間を縫う高架輸送路では、無人貨物車両が絶え間なく行き交っていた。

華やかさとは無縁の街だった。

乾いた風が吹けば細かな赤土が舞い、建物の隙間という隙間に入り込む。住民の多くは採掘、輸送、観測、保守――この惑星を維持するための仕事に従事している。


エリックの職場である惑星間通信観測局は、その市街地から少し離れた荒野に建っていた。

保守区画に入り、照明をつける。

白い蛍光灯が一本ずつ目を覚まし、無機質な地下通路を奥へ向かって照らしていく。

そして、その先。

昨日とまったく同じ場所に、古い通信機があった。


挿絵(By みてみん)


『量子同期通信実験機 UNIT-2』


エリックは真っ直ぐ自分の作業デスクへ向かい――

途中で、わずかに進路を変えた。

UNIT-2の横を通る。

横目で画面を見る。

暗い。

何も表示されていない。

「……」

そのまま通り過ぎる。


「おはよう」

「うわっ」


思わず振り返る。

紙カップを片手にしたダニエルが立っていた。


「……おはよう」

「今、何見てた?」

「別に」


ダニエルがUNIT-2を見る。

エリックを見る。

もう一度UNIT-2を見る。


「昨日もそれ触ってたよな」

「仕事だ」

「にしては楽しそうだったけど」

「どこがだよ」


ダニエルが顔を近づける。


「何かあったか?」

「何もない」

「女か?」

「なんでそうなる」

「顔に出てる」


エリックは反射的に自分の頬を触った。


「普通だろ」

「お前の『普通』が怪しいんだよ」

「……仕事しろ」


ダニエルは壁の時計を見る。


「まだ始業三分前」


昨日より一分増えていた。

     *

同じ頃。

惑星アルマ、リーヴァ。


朝の街には、セレスティアとはまったく違う空気が流れていた。

夜のあいだに降った短い雨が舗装路を濡らし、街路樹の細長い葉から大粒の雫が落ちている。

湿った風が、都市の向こうから吹いてくる。

遠くには水面が朝の光を反射していた。

居住区と研究施設の間には低層の建物が並び、その壁面を這うように植えられた植物が、湿った風にゆっくり揺れている。

その一角。


ケイト・ウォーカーは売店の棚の前で腕を組んでいた。

緑。

黄色。

青。

赤。


同じ形の包装袋が、妙に几帳面に並んでいる。


「今日は何色?」


背後からミアが覗き込んだ。

ケイトは迷わず青を取った。


「青」

「味は?」

「青味」

「もう聞かないことにするわ」


二人はオフィスへ向かって歩き出した。

ケイトが包装を破る。

横を歩くミアが、何気なく尋ねた。


「昨日、帰るの遅かったでしょ?」

「ちょっとね」

「仕事?」

「まあ、ちょっと」

「何その曖昧な答え」

「ちょっとはちょっとだよ」


パンを一口かじる。

ケイトの足が止まった。


「……どうしたの?」


ケイトは手の中のパンを見つめた。

もう一口。


「これ……甘い」

「裏の説明書き読めば?」


包装をひっくり返す。

極小の文字。

『ベリー風味』

「本当だ」


「三十三年生きてきて、ついにパッケージを読むことを覚えたのね」


ケイトは感心したように頷いた。


「私は遅咲きなの」

     *

午前。

環境観測部門の巨大なオフィスには、低い機械音とキーボードを叩く音が絶え間なく流れていた。

壁面ディスプレイには、アルマ各地から集められた環境データがリアルタイムで更新されている。

気温。

気圧。

海水面変動。

大気組成。

植生指数。

ケイトは昨夜から蓄積されたデータを順番に確認していった。

一つ。

二つ。

三つ。

いつもなら、ここで周囲の音が聞こえなくなるほど没頭する。

だが今日は違った。

意識のほんの数パーセントが、画面の隅にある小さな通信アイコンへ向いている。

チラリ。

通知なし。

データへ戻る。

十数秒。

また見る。

何もない。

ケイトは青い包装のパンをかじった。


「……私、何期待してんだろ」

     *

挿絵(By みてみん)


セレスティア。


午前の作業を一通り終えたエリックは、UNIT-2の前に座っていた。

昨日のログが残っている。


《誰かいますか?》

《いる。》

《誰?》

《そっちが聞いたんでしょ。》

《エリック》

《ケイト》

《どこにいる?》

《それ、こっちが聞きたい。》


最後の一文をしばらく見つめる。

エリックは返信欄へ指を置いた。

何と答えるべきか少し考える。

住所を教えるほどの相手じゃない。

かといって、観測局とだけ答えても意味がない。

短く打った。


《ヘイブン》


送信。

     *

ピピッ。

アルマ。


ケイトの指が止まった。

反応が早すぎたことに自分で気づき、あえて数秒待つ。

隣を見る。

ミアは仕事中。

何でもない顔で通信ウィンドウを開いた。


《ヘイブン》

「……?」


聞いたことがない。

ケイトは少し考えてから打った。


《どこ、それ》


数秒。


《ヘイブン知らない?》


ケイトの眉が上がった。


《知らない》


そして、


《そっちは?》


ケイトは自分のいる街の名前を打った。


《リーヴァ》

     *

今度はエリックが止まった。


「リーヴァ……?」


知らない。

辺境の小さな居住区だろうか。

セレスティアには採掘拠点から発展した街がいくつもある。自分が知らない地名くらいあっても不思議ではない。

だが――リーヴァ。

記憶にない。


《それ、どこ?》


すぐに返ってきた。


《知らないの?》

《知らない》

《ヘイブンも知らない》

《リーヴァも知らない》


数秒、返事が途切れた。

そして、


《お互い田舎なんじゃない?》


エリックは思わず鼻で笑った。


《ヘイブンは田舎じゃない》

《こっちも》

《じゃあどこだよ》

《だから、それを聞いてるの》


エリックは椅子にもたれた。

面倒な相手だ。

なのに、通信を閉じようとは思わなかった。

     *

昼休み。

エリックは食堂の隅で、保存食のトレーを突きながら個人端末を眺めていた。


《そっち寒い?》


突然そんな質問が来た。


《寒い》

《やっぱ北の方?》


エリックの指が止まる。


《何の北?》


少し間があった。


《何のって……》

また止まる。


《リーヴァ、今日は暑いよ》

《こっちは朝かなり冷えた》

《雪?》

《降らない。乾燥してる》

《こっちは朝雨だった》


エリックは何となく窓を見る。

食堂の厚い防塵ガラスの向こうには、赤茶けた荒野が広がっている。

風に巻き上げられた砂塵が、遠くの輸送塔の根元を薄く霞ませていた。


《雨、最近見てない》

《嘘》

《本当》

《こっちは結構降るよ》


エリックは眉を寄せる。

同じ惑星でも気候が違うことくらい珍しくない。

当然だ。

だが、何かが少しだけ引っかかった。


《海は?》

《あるよ》


返事は即座だった。


《窓から見える》


エリックはもう一度、外を見る。

どこまでも続く赤土。


《こっちは遠い》

《ヘイブンって内陸?》

《そう》


会話としては、それで終わるはずだった。

ところがケイトから、もう一通届いた。


《ところで今日、夕焼け綺麗だった》


エリックは壁の時計を見る。


《夕焼け?》

《うん》

《こっちまだ昼だけど》


しばらく返事が来なかった。


《時差でしょ》

《だろうな》


まだ、おかしくはない。

     *

挿絵(By みてみん)


午後。

仕事の合間に、二人のやり取りは細々と続いた。

最初は都市の話だった。

次に天気。

食べ物。

交通。

仕事。

どれも決定的におかしいわけではない。

ただ、話せば話すほど、小さな違和感だけが積み上がっていった。


《そっち、貨物軌道うるさくない?》

《何それ》

《大型貨物船のコンテナ輸送》

《そんなの街の上飛ばないよ》

《飛ぶだろ》

《危ないでしょ》

《今さらだな》


ケイトは画面を見ながら笑った。


《ヘイブン、住みたくない》

《俺もそう思う》


思わず吹き出した。


「何?」


隣からミア。


「何でもない」

「今日それ多くない?」

「気のせい」

     *

夕方。

ケイトは仕事を終え、オフィスを出た。

外へ出ると、雨上がりの湿った空気が頬に触れた。

リーヴァの空はすでに深い藍色へ変わり始めている。

建物の間から、一番星が見えた。

ケイトは歩きながら端末を開いた。


《星見える?》


少しして、


《見える》

《一番明るいのどっち?》

《今?》

《今》

《南西》


ケイトは足を止めた。

自分の星図を開く。


《こっちは東》

《時差》

《たぶん》


ケイトは空を見る。

何となく聞いた。


《恒星いくつ?》


返信が来る。


《何が》

《太陽》

《二つ》


ケイトの指が止まった。

空を見上げる。

もう一度、画面を見る。


《……二つ?》

《二つ》

《恒星が?》

《そうだけど》


ケイトはしばらく何も打たなかった。


《そっちは?》


ゆっくり指を動かす。


《一つ》


今度はエリックから返事が来なかった。

     *

セレスティア。

UNIT-2の前。

エリックは画面を見つめていた。


《一つ》


それだけ。

何度読み返しても変わらない。

同じ惑星なら、恒星の数が違うはずがない。

エリックは背もたれから身体を起こした。

冗談。

嘘。

誰かの悪戯。

そのどれかだ。

そのはずだった。


《ケイト》

《なに》

《リーヴァって》


指が止まる。

少し考え、続きを打った。


《どこの惑星?》


今度はケイトが黙った。

数秒。

十秒。

そして、


《アルマ》


エリックは画面を見つめた。

知らない。

検索端末を開く。

惑星登録データベース。


『ALMA』


検索。


『該当なし』


綴りを確認する。

もう一度。


『該当なし』


エリックの顔から、わずかに血の気が引いた。


《そっちは?》


エリックは答えた。


《セレスティア》

     *

アルマ。


ケイトは街路脇のベンチに腰を下ろした。


《セレスティア》


星間植民地データベースを開く。

入力。

検索。


『該当なし』


別表記。

該当なし。

旧植民地名。

該当なし。

ケイトは端末を膝の上に置いた。

さっきまで少し面白いだけだった。

知らない都市に住んでいる、少し変な男。

それだけだったはずなのに。


《セレスティア、ないよ》


すぐに返ってくる。


《アルマもない》


ケイトは夜空を見上げた。


《……じゃあ、どこにいるの?》

     *

そこから先は、遊びではなくなった。

二人は互いの観測情報を送り始めた。

最初に照合したのは、それぞれの星図に記録された遠方天体だった。

近くの恒星は役に立たない。

見る場所が変われば位置も変わる。

だが、遥か遠方にある天体なら、二人の星図に共通の基準を作ることができる。


エリックは観測局の正式な星図解析システムを立ち上げた。

ケイトも環境観測部門から利用できる天文データへアクセスする。

一つ。

一致。

二つ。

一致。

三つ。

角度が違う。

四つ。

さらに違う。

それぞれが見ている宇宙そのものは同じだった。

だが――

見ている場所が違う。

エリックは無言で演算条件を修正した。

ケイトから届く観測角度。

自分の星図。

共通する複数の基準天体。

位置をずらす。

一光年。

五光年。

十光年。

二十光年。

一致率が少しずつ上がっていく。

「……冗談だろ」

三十光年。

四十光年。

エリックの手が止まった。

もう一度、条件を入力する。

解析。

画面に数字が現れた。


『推定観測点間距離:47.2光年』

「…………は?」


計算方法を変える。


『47.1光年』


別の基準天体を追加する。


『47.3光年』


誤差の範囲だった。

エリックは椅子から動けなくなった。

     *

アルマ。

ケイトもまた、自分の画面を見つめていた。


『47.2光年』


単位を見る。

計算式を見る。

基準点を見る。

もう一度計算する。

同じ。

ケイトは間違いを探した。

探して。

探して。

どこにもなかった。

画面の向こうには、昨日知ったばかりの男がいる。

会ったこともない。

顔も知らない。

どんな声なのかも知らない。

なのに、メッセージは数秒で届く。

その男がいる場所まで、

47.2光年。

ケイトはキーボードに指を置いた。

文字を打つ。

消す。

また打つ。

消す。

最後に短く送った。


《そっち、何光年になった?》

     *

セレスティア。

UNIT-2が鳴った。

エリックは画面を見る。


《そっち、何光年になった?》


ゆっくり打った。


《47.2》


ほとんど間を置かず、返事が来た。


《こっちも》


エリックは椅子に深く沈み込んだ。

47.2光年。

光ですら、届くまで47年以上かかる。

今ここから普通の通信を送ったところで、ケイトが受け取るのは47年後。

返事が戻るのは、さらに47年後。

なのに。

ピピッ。


《エリック》

《何》

《今いる?》


エリックは少しだけ画面を見つめた。

そして打つ。


《いる》


数秒。


《……いるんだ》


エリックは返事をしなかった。

何を返せばいいのか、分からなかった。

     *

アルマ。

ケイトは端末を持ったまま、夜空を見上げた。

無数の星がある。

そのどれがセレスティアなのか、肉眼では分からない。

47.2光年。

昨日までなら、ただの数字だった。

環境データにも、天文データにも、もっと大きな数字はいくらでも並んでいる。

けれど今は違った。

その数字の向こうに、一人いる。

エリック。

ケイトは再び画面を見る。


《……じゃあ》


一度、指が止まった。


《なんで返事できるの?》

     *

セレスティアの地下。


古い通信機の駆動音だけが、静かな保守区画に響いていた。

廃棄予定だったUNIT-2。

見知らぬ都市。

知らない惑星。

47.2光年先の、会ったこともない女。

そして、数秒で届いた彼女の言葉。


《……じゃあ、なんで返事できるの?》


エリックはしばらく画面を見つめた。

それから、誰もいない地下室でぽつりと言った。


「知るかよ……」


その答えだけは、まだ47.2光年の向こうへ送られていなかった。

(第二章 了)


第3章 間違っているもの

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