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47光年の手紙  作者: たびしずく


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第17章 外側へ

挿絵(By みてみん)


最初の無人探査機が、セレスティアの軌道基地を離れた。


機体は驚くほど小さく、人間は乗っていない。


搭載されているのは、推進器、独立高精度時計、位置計測器、そして通信ユニット。ただそれだけだった。


目的も極めて単純だった。


世界を呑み込みつつある歪みが、どこで「切れる」のか。


その境界線を探すこと。


管制室の後方で、貨物船長のジャック・ハリスが腕を組み、モニターを見つめていた。


ヘレン・カーターが振り返る。


「あなた……船の待機命令が出ているのに、帰らなくていいの?」


「船が飛ばなきゃ帰れんだろう」


「だからって、ここで管制班の邪魔をする必要はないでしょう」


「暇なんだよ」


ジャックは画面に映る探査機の軌跡を指差した。


「それに……飛ばし方が下手だ」


管制担当者がムッとして振り向く。


「全自動プログラムの標準航路です」


「だから下手だと言ってるんだ」


    *


探査機が距離を伸ばしていく。


一万キロ――正常。


二万キロ――航法時計の微小補正が発生。


三万キロ――位置情報の自動計算にズレが生じ始める。


サイモン・グラントが身を乗り出した。


「来ました」


探査機自体の機能は、すべて正常だった。


だが、セレスティアの管制室から見た探査機の位置と、探査機自身が計算する位置が、じわじわと食い違い始めていた。


ジャックが低い声で命じる。


「外部基準との同期を切れ」


管制担当者が反論する。


「外部基準を切ったら位置精度が落ちます!」


「今、その外部基準と探査機が喧嘩してるんだろうが」


サイモンがヘレンを見る。


ヘレンは即座に頷いた。


「切りなさい」


外部同期、停止。


探査機は自らの慣性航法のみで進み始めた。


位置ズレの警告表示が、フッと消え去る。


ジャックが鼻で笑った。


「機械は悪くない。基準同士がケンカしてただけだ」


「……仰る通りです」


サイモンが悔しそうに認めた。


    *


探査機は、さらに遠くへ進んでいく。


セレスティアの親時計と、探査機内の時計の差が開き続ける。


だが――ある距離に達した瞬間。


差の「増え方」が、ピタリと止まった。


サイモンが目を見開く。


「……待ってください!」


「どうしたの!?」


「クロックの補正変化率がゼロになりました! 差の増加が停止しました!」


ヘレンが画面へ顔を寄せる。


「その座標は!?」


画面に数字が打ち出される。


探査機を少しだけ逆方向、つまり内側へ戻すと、再び補正率が跳ね上がる。


もう一度外側へ進めると、ピタリと止まる。


サイモンが震える声で呟いた。


「……境界があります。ここに、明確な『壁(端)』が存在します!」


ダニエルが叫んだ。


「歪みの……出口か!?」


「まだそうとは言えないわ」


ヘレンは、抑えきれない興奮を隠すように言った。


「けれど……私たちが閉じ込められている『領域の端』であることは間違いないわ」


    *


アルマ側でも、別の方向へ何機もの探査機が放たれた。


一機、二機、五機、十機――。


マップ上に、変化率が止まる「境界点」が次々と打ち込まれていく。


アルマの環境解析部。


ケイトは地形ホログラムの上に、探査機から届いた境界データを重ね合わせていた。


ミアが覗き込む。


「何か形が見えてきた?」


「まだ……点を繋げようとすると、変になるの」


「綺麗な丸い球体とかじゃないの?」


「全然違う……平らな壁でもない」


ケイトは三次元のホログラムをくるくると回転させた。


高さを加え、軌道データを加え、大気圏外の観測点を重ねる。


「……三次元の形として成立しないの」


    *


セレスティアのヘレンも、同じ不気味な結論に行き着いていた。


「繋がらないのよ」


「測定誤差ではありませんか?」


「誤差にしては大きすぎるわ。私たちが強引に『三次元の箱』の中に、この境界線を当てはめようとしているから歪むのよ」


エリックが尋ねる。


「三次元じゃないなら……何なんですか?」


「少なくとも、私たちが描ける球体や平面ではないわね」


ジャックが腕を組んだまま言った。


「船から見たらどうなんだ?」


全員がジャックを見た。


「理論は知らん。だが、俺たちの乗る船は三次元の宇宙しか飛べないんだ。実際に行ってみれば分かるだろ」


ヘレンが即座に釘を刺す。


「有人船はまだ絶対にダメよ」


「乗るなんて言ってない」


「顔が『俺が飛ぶ』と言っているわ」


エリックが思わず吹き出した。


「何がおかしい?」


「いや、俺も前に、まったく同じことを言われたなと思って」


    *


アルマの野生調査施設。


モップは静かな廊下を、滑らかに滑るように歩いていた。


ゾーイが半歩後ろを静かについていく。


ノアが退屈そうに声をかけた。


「また散歩?」


「施設内の行動観察!」


モップがピタリと足を止めた。


壁の前だった。


トントン。


ゾーイも足を止める。


昨日まで何度も通っていた、何もない普通の白い壁。


モップが右へ一歩滑る。


身体がギュッと硬く、小さく縮んだ。


左へ一歩戻る。


身体がふわりと柔らかく広がる。


右へ進む――縮む。


左へ戻る――広がる。


ノアが可笑しそうに笑った。


「何あれ、一人ダンス?」


ゾーイは笑わなかった。


端末を床へ置き、モップの内部エネルギー周期をリアルタイムで測定する。


右――パルスが激しく乱れる。


左――パルスが滑らかに安定する。


ゾーイは息をのんだ。


「……ここにある」


「え?」


ゾーイはポケットからマーカーを取り出し、床に一本の目立たない線を引いた。


線の手前――モップは普通に広がる。


線を一センチでも越える――身体が極限まで縮む。


ノアの顔から、冗談めかした色が消えた。


「……何があるの、そこに?」


「……分からない」


ゾーイはまっすぐ線を見つめた。


「分からないけど……探査機が何万キロ先で見つけてる『境目』が、ここにもある」


    *


ゾーイからケイトへ、そのマイクロデータの位置が送られた。


ケイトは息をのんだ。


探査機が宇宙空間で観測している「何万キロ単位の境界」。


そして、モップが足元で感じ取っている「数センチ単位の境界」。


スケールはまったく違う。


それなのに、時空の折りたたまれ方を示す幾何学構造は、完璧な相似形を描いていた。


「モップは……この歪みの『壁』を、全身で知ってるんだ……」


    *


その日の夕方。


セレスティア側で、ついに「有人の境界接近試験」が許可された。


ただし、境界を絶対に越えないこと。


手前ギリギリで踏みとどまり、データを収集すること。


パイロットに選ばれたのは、ジャック・ハリス。


副操縦士のオーウェンが、呆れ顔でシートベルトを締める。


「……結局、乗るんですね」


「仕事だからな」


「『暇だから』の間違いじゃ?」


「黙ってプリチェックしろ」


ヘレンの声が通信に入った。


『ジャック。境界手前で必ず停止しなさい。絶対に越えてはダメよ』


「聞こえてるよ。越えない」


    *


発進。


大気圏を抜け、漆黒の宇宙へ踊り出る。


船内は不気味なほど静かだった。


ジャックは自動航法をすべて切り、手動の慣性航法と船内時計のみを信頼して操縦桿を握る。


境界予測地点まで、あと三千キロ。


位置情報の自動補正が発生。


二千キロ。


セレスティアの親時計との差が開き始める。


千キロ。


オーウェンの声が強張った。


「外部位置測定と、自船計算の位置が七百メートルずれました!」


「船内の数値は?」


「正常です!」


五百キロ――外部時計差、0.31秒。


二百キロ――外部時計差、0.52秒。


百キロ――外部時計差、0.84秒。


「船長!!」


「見えてる!」


五十キロ地点。


ヘレンの叫び声が響く。


『ジャック! 停止して!!』


「減速!!」


ジャックは逆噴射レバーを限界まで引いた。


激しいGが二人を襲う。


その瞬間――!


航法画面の自船プロットが、完全に消滅した。


外部通信が激しいノイズに呑み込まれる。


オーウェンが悲鳴を上げた。


「位置消失!! 外部とのリンクが完全に切れました!!」


「落ち着け! 画面を見るな! 窓の外と船内の慣性儀だけを見ろ!」


ジャックはメインモニターを叩き消した。


暗い窓の外に広がる、静寂の星々。


「船内速度、正常。姿勢、制御下。俺たちは飛んでる」


一秒、二秒――。


フッとノイズが晴れ、外部通信が復帰した。


『ジャック!! ジャック、応答しなさい!!』


ヘレンの悲痛な声。


ジャックはゆっくりとマイクを引き寄せた。


「……生きてるよ」


『今、どこにいるの!?』


「そっちの画面で教えてくれ」


管制室が静まり返った。


サイモンが青ざめた顔で画面を凝視する。


船の現在地――予測停止地点から、横へ十二キロも飛んだ場所にプロットされていた。


けれど、船内の航海日誌ログには「完全な直進」が記録されていた。


そして――サイモンの手がピタリと止まる。


「……ジャックさん。船内時計のログを見せてください」


オーウェンが船内時計のデータを開く。


連続して刻まれている数字。


だが――一箇所だけ、タイムスタンプが不自然に跳んでいた。


『欠損時間:1.02秒』


ジャックが眉をひそめる。


「……一秒、消えたのか?」


『そう見えます……あなたたち自身の時間から、一秒が消失しています……』


ヘレンの硬い声。


『……すぐに戻りなさい』


ジャックは今度は反論しなかった。


「了解。帰還する」


    *


同時刻、アルマの野生調査施設。


モップが静かに廊下を進んでいた。


床に引かれた、あのマーカーの線。


ゾーイとノアが見守る。


モップは線の手前で足を止めなかった。


そのまま、ゆっくりと一歩を踏み出す。


境界を越えた。


身体がキュッと極限まで縮み――


フッと、その姿が完全に消失した。


    *


ゾーイは、息をすることすら忘れて固まった。


ノアの顔から血の気が引いていく。


「……モップ……?」


何もない床。


壁も、光も、影もない。


ただの空虚な空間。


一秒。二秒。三秒――。


三メートルほど離れた廊下の奥で、空間がふわりと光を屈折させた。


ゆらりと輪郭が結ばれ――モップが、何事もなかったかのように姿を現した。


身体をふわりと広げる。


    *


セレスティアの通信画面。


ケイトからのメッセージ。


《エリック》


《いる》


《……怖い?》


エリックの指がキーボードの上で固まった。


画面の向こう。


47.2光年先で、今まさに起きた「消失と出現」。


自分たちの足元で広がり続ける、未知の時空の歪み。


エリックは隠さず、素直に打ち込んだ。


《……怖い。》


すぐにケイトからの返信が届く。


《私も。》


    *


アルマ。


ゾーイは、帰ってきたモップの目の前に静かに膝をついた。


「……さっき」


トントン。


「……どこ行ってたの?」


トントン。


「……怖くなかったの?」


モップの身体が、ゾーイの膝に寄り添うようにふわりと大きく膨らんだ。


ゾーイは胸を深く撫で下ろし、大粒の涙をこぼしながら笑った。


ノアは床の線をじっと見つめていた。


人間にとっては、ただの冷たい床と壁。


けれど、モップにとっては――。


「ねえ、ゾーイ」


「何……?」


「これ、俺たちが『壁』だと思ってるだけで……モップにとっては、壁じゃないんじゃない?」


モップが再び線へ近づき、その手前でピタリと止まる。


トントン。


ノアが指先で床を叩き返した。


「……ここ、別の場所へ繋がる『道』なのかも」


(第十七章 了)


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