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47光年の手紙  作者: たびしずく


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16/22

第16章 帰る場所

挿絵(By みてみん)


五十メートル。

モップは、そこからぴたりと動かなくなっていた。

ゾーイ・ベネットは地面にしゃがみ込み、手元の端末の数値を凝視した。

心拍、なし。呼吸、なし。

それは、この生物にとって普段と変わらない状態だ。

だが――内部エネルギーの循環パルスが、施設内にいたときよりも明らかに不規則に波打っている。

「……戻ろう」

後ろにいたノアが目を丸くした。

「もう?」

「うん」

「まだ五十メートルしか歩いてないよ?」

「だからだよ」

ゾーイは、固く縮こまっているモップを見つめた。

「今日は、ここまで」

    *

施設へ向かって足を進める。

四十メートル、三十メートル、二十メートル。

建物に近づくにつれて、モップの重苦しい歩みが少しずつ滑らかさを取り戻していく。

エントランスをくぐった瞬間、固く縮んでいた身体がふわりと大きく広がった。

ノアがつぶやく。

「……やっぱり、外と中じゃ全然違うんだ」

「うん」

「外が嫌いなのかな」

「昨日までは平気で外にいたよ」

ゾーイは手元の記録を保存した。

位置座標、時刻、内部周期パラメータ。

「『外』だからじゃない。『場所』によって変わってる」

    *

そのデータはすぐに、アルマのケイトへ送られた。

ケイトは、セレスティアへ戻された「白い花」の経過観察ログと、モップのデータを重ね合わせた。

白い花。

アルマへ届いて以降、少しずつ生じた代謝リズムの歪み。

モップ。

施設から特定の方向へ進むと、わずかな距離でも崩れ始める内部循環。

そして――アルマとセレスティアの各地で観測され続けている、地域ごとに異なる時刻補正値。

三つのデータ。

生物学的にも、物理学的にも、まったく別の現象に見える。

だが、それらを位置情報とともに地図の上へ重ねた瞬間、不気味な共通の「歪み」が浮かび上がってきた。

ケイトは席を立ち、ミアのデスクへ向かった。

「ミア、これ見て」

ミアは保存食のパンをかじりながら、画面をのぞき込んだ。

「何?」

「場所」

「場所……?」

ケイトがマップを大きく拡大する。

「歪んでいるのは――時間だけじゃないよ」

    *

セレスティア。

ヘレン・カーターは、ケイトから転送されてきたアルマの重畳マップを見つめていた。

「……実験するわ」

エリックが不安そうに尋ねる。

「モップでですか?」

「モップだけじゃないわ」

ヘレンはアルマの野生調査施設にいるゾーイへ、直接回線をつないだ。

『無理は絶対にさせないで』

画面の向こうで、ゾーイが即座に言い返す。

「それなら、最初からお断りします」

『少しでも状態に異変が出たら、即座に引き返すこと』

「言われなくてもそうします。判断するのは私です」

ヘレンは一瞬だけ言葉を詰まらせた。

『……ええ。頼むわ』

ゾーイは足元で丸くなっているモップを見下ろした。

「この子を都合のいい『測定器』になんてさせません」

『分かっているわ』

「この子が、普通に歩ける場所がどこなのか――それを調べるだけです」

『ええ。それで十分よ』

    *

翌朝、アルマ。

調査用の小型全地形車両が出発した。

乗っているのは、ゾーイ、ノア、モップ、そして解析担当の職員。

モップは車両の後部座席の床に身体を広げ、クンクンと――鼻はないのだが――床の感触を確かめている。

ノアがのぞき込む。

「車、乗るの初めて?」

トントン。

「車、好き?」

トントン。

運転席のゾーイが呆れ声を上げる。

「ノア、何でも返事にするのやめなよ」

「だって、ちゃんと返してるじゃん!」

「意味が伝わってるかは分からないでしょ」

ノアはモップの目の前にしゃがんだ。

「楽しい?」

トントン。

「ほら、『楽しい』って!」

ゾーイは可笑しそうに吹き出した。

    *

施設から十キロ。

生体パルス、異常なし。

二十キロ。

内部循環、極めて安定。

三十キロ地点。

わずかな波形の揺らぎ。

車両を路肩に止め、外へ出る。

モップは滑らかな動作で自ら車両を降り、アルマの地面、固有の植物、岩肌にそっと触れた。

ゾーイが安堵の息を吐く。

「ここなら……大丈夫」

施設から五十メートルの場所では、歩くことさえできなかった。

それなのに、ここでは自分から地面に触れ、周囲を確かめている。

やはり、単純な距離の問題ではない。

    *

四十三キロ地点。

モップの身体が、ごくわずかにキュッと縮んだ。

「記録!」

ゾーイの声に、解析担当者が応じる。

「取ってる!」

ノアはモップの隣を静かに歩いた。

トントン。

モップが床を叩く。

トントン。

ノアも指先で応える。

まだ、返音は力強い。

    *

五十一キロ地点。

モップが、ぴたりと足を止めた。

ゾーイも即座に立ち止まる。

「……ここだ」

内部循環周期が、明確な乱れを示し始める。

だが――手元の測定器の数値を見る。

気温、気圧、磁場、放射線、地質構造、大気成分。

すべて正常値の範囲内。

解析担当者が頭を抱えた。

「……何も出てこないぞ!? 環境は完全に正常だ!」

ゾーイは、動かなくなったモップの前に膝をついた。

「何かあるよ」

「何がだよ!?」

「この子には……感じられるんだよ」

    *

現在位置の座標データが、即座にケイトへ転送された。

ケイトはそれを、最新の広域時刻補正マップの上へ重ねた。

「……境目だ」

隣のミアが息をのむ。

「境目って……何の!?」

「分からない……!」

地図を極限まで拡大する。

五十一キロ地点。

まさにその付近を境に、標準時計の補正傾向が明確に切り替わっていた。

ケイトはデータをすぐさまセレスティアへ送った。

    *

セレスティア、観測局。

サイモンが数値を照合する。

「……観測された位置が一致しています」

ヘレンが尋ねる。

「確率的な偶然の範囲と言える?」

「少なくとも、偶然として片づけるには不自然です」

「別の地点のデータも必要ね」

    *

アルマ。

ゾーイたちは一度施設へ戻り、モップを休ませた。

状態が落ち着いたことを確認してから、今度は方向を大きく変え、別のルートへ向かった。

施設から七十八キロ地点。

モップが再びぴたりと止まり、身体をギュッと縮め込んだ。

まったく同じ現象。

環境数値はすべて正常。

だが、時刻補正値の傾向が切り替わる地点で、モップの内部循環は乱れ始めていた。

    *

解析担当者が端末を叩く。

「よし、あと一方向! 三つ目のデータを取れば――」

「今日は終わり」

ゾーイの硬い声。

解析担当者が振り向く。

「は? あと一か所調査すれば、境界の形がもっと分かるんだぞ!?」

ゾーイは答えず、モップの前へ屈み込むと、優しくその身体を両腕で抱き上げた。

いつもなら人間に抱きかかえられるのを嫌がるはずのモップが、今日はゾーイの腕の中で静かに身を委ねていた。

ゾーイは解析担当者をまっすぐ見つめた。

「データは明日でも取れる。この子は、今つらいの。――帰るよ」

解析担当者は言葉を詰まらせ、不満そうに息を吐いて端末をしまった。

ノアが急いで車両のドアを開ける。

「帰ろう!」

    *

帰り道の車内。

モップは後部座席で、ノアの足元にぴったりと身を寄せて丸くなっていた。

ノアがぽつりとつぶやく。

「……モップって、『帰る』って意味、分かってんのかな」

「どうだろうね」

ゾーイはハンドルを握りながら、バックミラーに映るノアとモップを見つめた。

「モップに……本当の帰る場所、あるのかな」

「今は、あの調査施設じゃない?」

「私たちが勝手に『そこが家だ』って決めていいのかな」

ゾーイは少し考え、柔らかく笑った。

「……だって、自分であそこに戻ってくるんだもん。自分で帰ってくる場所なら、そこが家だよ」

ノアがにやりと笑う。

「じゃあ、やっぱり家だ」

モップ。

トントン。

ノアが指を差し出す。

「ほらね!」

    *

セレスティア。

エリックは、貨物船長のジャック・ハリスと再び顔を合わせていた。

出発準備を進める巨大な貨物船の操縦区画。

エリックは追加の航行ログを受け取りに来ていた。

ジャックは操縦席の計器類を、手際よく一つずつチェックしている。

「……座標エラー、また出たのか?」

「ああ。二回な」

「場所はどこだ?」

ジャックが立体星図を呼び出す。

「ここだ」

エリックが画面をのぞき込む。

一回目、セレスティア接近宙域。

二回目、惑星周回軌道進入前。

「同じ場所ですか?」

「近いが、同一地点ではない」

「時間は?」

「バラバラだ」

ジャックは次のチェック項目へ淡々と指を滑らせていく。

エリックが不審そうに尋ねる。

「……気になりませんか?」

「気になるさ」

「なのに、すごく普通に仕事してますね」

ジャックは手を止め、エリックをちらりと見た。

「気になるたびに船を止めてたら、期限どおりに荷物を届ける仕事なんてできやしないよ」

    *

そのとき、ジャックの個人端末に着信音が鳴った。

画面に「エマ」の文字。

ジャックの表情から、仕事中の厳しい顔が消えた。

「……悪い、少し外す」

「あ、どうぞ」

ジャックは操縦席から離れ、少し離れた壁際へ移動した。

「もしもし、エマか?」

『お父さん? 今どこ?』

「セレスティアだ」

『また?』

「仕事だからな」

『知ってるけど』

ジャックは窓の外に広がる、青白い雲をまとったセレスティアの空を見つめた。

『……あのさ、来年のことなんだけど』

「うん」

『……地球の大学、受けてみようと思って』

ジャックの手が、ぴたりと止まった。

「……地球?」

『うん』

「……遠いぞ」

画面の向こうで、エマが可笑しそうに笑う。

『宇宙船に乗って旅ばっかりしてるお父さんが、それ言う?』

「仕事で宇宙を飛ぶのと、そこに住むのは訳が違う」

『お父さんだって、地球行ったことあるでしょ?』

「あるにはあるが……」

ジャックは記憶をたどろうとして――言葉を詰まらせた。

思い浮かぶのは、無機質な宇宙港、貨物受入区画、殺風景なホテル、滑走路。

「……よく知らないんだ」

『行ったことあるのに?』

「仕事で行くだけだったからな……街を歩いたこともない」

少しの沈黙。

『……そっか』

「今度……ちゃんと見てくるよ」

『いつ?』

「お前と一緒に行くときだ」

通信の向こうが、しんと静まり返った。

ジャックは言い過ぎたかと冷や汗をかいたが――

やがて、小さな声が返ってきた。

『……うん。約束ね』

    *

通話を終え、ジャックが操縦席へ戻ってきた。

エリックが待っていた。

「……娘さんですか?」

「……ああ」

「仲、悪いんですか?」

ジャックが呆れ顔で振り返る。

「……お前、初対面のおっさんに普通そんなこと聞くか?」

「すみません……気になったので」

「……悪くはないよ」

ジャックはシートベルトの金具を確認しながら、小さく息を吐いた。

「……上手くないだけだ。父親ってやつが」

「何がですか?」

「距離感だよ」

エリックは少し考え、あっけらかんと言った。

「帰ればいいじゃないですか。会いに」

ジャックの手が止まった。

「……簡単に言うな。仕事がある」

「すみません」

「……だが」

ジャックは自分の手元を見つめた。

誰もが、自分だけの「時間」と「距離」の中で必死に動き続けている。

同期はしない。

けれど、立ち止まることもできない。

    *

その直後だった。

ジャックの貨物船は、まだ着陸区画から一歩も動いていなかった。

エンジンは停止。

係留フックもつながれたままだ。

副操縦士のオーウェンが、素っ頓狂な声を張り上げた。

「……せ、船長!!」

「なんだ、うるさい」

「位置情報が……!!」

ジャックが航法モニターへ目を向ける。

現在位置:セレスティア港・第四着陸区画。

正常。

――その瞬間、画面の自船プロットが、一瞬だけぶれて消失した。

『現在地:東へ203m地点(港湾外郭宙域)』

次の瞬間、何事もなかったかのように「第四着陸区画」へ引き戻される。

オーウェンが慌てて窓の外を確かめた。

整備員が荷物を運び、作業車両が通り過ぎている。

船は微動だにしていない。

「今……船が二百メートル跳びましたよ!?」

「船は動いてない! 全ログを即座に保存しろ。独立センサーのデータもだ!」

    *

数分後、観測局の作戦室。

ジャック、サイモン、エリック、ヘレンの四人がテーブルを囲んでいた。

ジャックが船のログをテーブルへ叩きつける。

「船は一切動いていない。係留フックも外れていない! なのに、航法コンピューターは『二百メートル移動した』と吐き出した!」

サイモンが静かに答える。

「位置情報の座標ジャンプだけなら……まだシステムの誤作動として説明がつきます」

「『まだ』だと……!?」

サイモンは、ジャックの船内時計のログと、港湾管理オフィスの超高精度標準時計のログを並べて表示させた。

ジャックの表情が、一瞬で引きつった。

時刻差――0.47秒。

エリックが叫んだ。

「……ナノ秒じゃない! 秒単位だ!?」

「ええ」

サイモンの声が硬くなる。

これまで追いかけていたのは、十億分の一秒という微小なズレだった。

それが今、半秒近くにまで広がっている。

ジャックが怒声を上げる。

「船の時計は正常だ! 整備も完璧だった!」

「港湾側の時計にも、故障を示す記録はありません」

「じゃあ、どっちが間違ってるんだよ!?」

サイモンは答えなかった。

ヘレンが静かに言った。

「……どちらも、間違っていないのかもしれないわ」

「……は?」

「それぞれの時計は正常に動いている。それでも、互いの時刻が一致しない。そういう現象が起きている可能性があるのよ」

ジャックはヘレンを不気味そうに見つめた。

「……嫌な答えだな」

サイモンが深々とうなずく。

「まったくの同感です」

    *

ヘレンは、部屋中央のホログラム星図を起動させた。

セレスティア、アルマ、周辺星系。

これまでの航法異常ポイント、時刻の補正値、モップが動けなくなった地点、白い花の代謝異常に関する観測位置。

すべてのデータを星図の上へプロットしていく。

無数の光の点。

一見すると、ばらばらに散らばる点群。

ヘレンはホログラムの表示範囲を縮小し始めた。

十光年、二十光年、三十光年――

画面の中に、47.2光年離れたセレスティアとアルマが同時に収まる。

観測された異常の分布から、巨大な「影」のようなものが浮かび上がった。

点でも、線でも、球体でもない。

何か、いびつで途方もなく巨大な「領域」。

ただし、その輪郭は途切れ途切れだった。

観測していない場所にまで、同じ異常が広がっているかどうかは分からない。

エリックが言葉を失う。

「……これ……全部ですか?」

「その可能性があるわ」

ジャックが星図を指さす。

「……何の地図だ、これは?」

ヘレンは、答えを自分自身の中に探すように、その巨大な影を見つめた。

「……私たちがまだ知らない『場所』の地図かもしれない」

「宇宙の未知の領域ってことか?」

「それすら、まだ分からないわ」

「……余計に分からなくなったぞ」

「私もよ」

    *

ヘレンは、セレスティアとアルマを結ぶ光の線を指でなぞった。

「二つの惑星が物理的に近づいているわけではない。けれど、時間や距離の対応関係が、場所によって変わり始めている」

サイモンが息をのむ。

「通常の空間とは別の、何かが関係している可能性も……?」

「ええ。私たちがいる空間そのものが、別の『何か』と重なり合っているのかもしれない」

ヘレンは一呼吸置いた。

「もちろん、仮説よ。今のデータだけでは、何が起きているのか断定できない」

そして、古い通信装置の記録を呼び出す。

「UNIT-2は、その異常を最初に捉えた装置だったのかもしれないわ」

    *

ジャックは、腕を組んだまましばらく星図を見つめていた。

高度な理論も、物理学も分からない。

けれど、彼は宇宙船の船長だ。

どこからどこへ荷物を運ぶか。

それだけを何十年も叩き込んできた男だ。

ジャックがぽつりと言った。

「……ひとつ、いいか?」

「何かしら?」

ジャックは、二つの星を取り囲むように広がる巨大な異常領域を指した。

「これ……俺たちの星も、船も、全部この『歪みの中』に入っちまってるんだろ?」

「観測結果が示す範囲では、そう考えられるわ」

「なら――」

ジャックは太い指を、その異常領域の「外側」へとすっと動かした。

「――ここから『外』へ出ればいいんじゃないのか?」

    *

部屋の中に、完全な静寂が訪れた。

ヘレンの目が、ジャックの指し示した「領域の外側」をまっすぐ見つめた。

誰もしゃべらない。

サイモンが弾かれたように端末へ向かい、星図をさらに縮小した。

異常領域の外。

そこには、観測データがほとんど存在しない。

そもそも、本当に「外側」があるのかさえ分かっていない。

エリックが尋ねる。

「……そこ、調べてないんですか?」

「内側の歪みばかりに目を奪われていたわ」

ヘレンの目に、激しい知的な情熱が戻ってきた。

「境界があるのなら、その向こう側も調べる必要がある」

「何があるんですか!?」

「分からない。――だから、探すのよ!」

ジャックが不敵に笑った。

「話が早くて助かるぜ」

    *

アルマの夜。

ノアはモップのすぐ横で、床にノートを広げて宿題をしていた。

ゾーイは、今日の移動データを静かに整理している。

モップ。

トントン。

ノア。

トントン。

ゾーイが振り返る。

「ノア、静かにしなよ」

「モップにも言ってよ!」

「モップはいいの」

「それ絶対差別!!」

そこへケイトからの緊急通信が入った。

《明日、無人探査機でもっと遠くの領域を調べたいって》

ゾーイはモップを見つめた。

「……モップは、絶対連れて行きません」

《うん、分かってる》

即答だった。

ゾーイは胸をなで下ろした。

《セレスティアとアルマの両方から、無人機を飛ばすの。まずは異常の分布をもっと広く調べて、境界がどこにあるのか確かめたいって》

「それなら、いくらでも協力します」

    *

セレスティア港。

ジャックの貨物船には、航法ビーコンの異常により出発一時停止命令が下りていた。

操縦席でチェックリストを閉じるジャック。

副操縦士のオーウェンが肩を落とす。

「……当分、帰れませんね」

「……そうだな」

ジャックは端末を開き、娘のエマへ文字を打ち込んだ。

《少し遅れる。》

一度手を止め、その一文を消した。

そして、力強い指で打ち直した。

《今、すぐには帰れなくなった。》

送信。

数分後、返信。

《大丈夫……?》

ジャックは窓の外の、静かなセレスティアの空を見上げた。

《大丈夫だ。》

少し考え、決意を込めて付け加えた。

《必ず、帰るから。》

送信。

    *

同じ頃。

セレスティアとアルマの双方の基地で、高速無人探査機の最終カウントダウンが始まっていた。

使用するのは、従来の宇宙航行技術。

未知の境界がどれほど遠くにあるのか、まだ誰にも分からない。

探すのは、敵でも、新しい惑星でもない。

この世界に生じた歪みが、どこまで続いているのか。

そして、その先に何があるのか。

ヘレン・カーターは、巨大な星図の前に立っていた。

セレスティアとアルマ。

47.2光年を隔てた二つの星。

サイモンが尋ねる。

「……どこまで飛ばしますか?」

ヘレンは、ジャックが指さした星図のはるか外側をまっすぐ見つめた。

「――見つかるまでよ」

(第十六章 了)



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