第23話 私たちの結婚を決めた、本当の理由
# 第23話 私たちの結婚を決めた、本当の理由
応接室。
レオンハルトとエレノアは並んで座っていた。
向かいには、レオンハルトの叔父――アルベルト公爵。
長い沈黙のあと。
アルベルトが口を開いた。
「まず、謝らなければならない」
エレノアは驚いた。
「謝る……?」
「ああ」
アルベルトは静かに頷いた。
「お前たちの結婚を、私が強く推したことは事実だ」
レオンハルトの表情が険しくなる。
「なぜです?」
「グランヴィル家を守るためだ」
「……それだけですか?」
「いや」
アルベルトはエレノアを見る。
「もう一つ理由があった」
「私ですか?」
「そうだ」
エレノアは身構えた。
「君の実家が持っていた商業権は、当時かなり価値があった」
「はい」
「だが、それだけではない」
アルベルトは一枚の書類を取り出した。
「君の父親が残した事業計画だ」
「父の……?」
エレノアは書類を受け取る。
そこには。
地方の職人を支援しながら、王都へ商品を流通させる計画が書かれていた。
それは。
今、エレノアがレオンハルトと進めている事業と。
驚くほど似ていた。
「……これ」
「君の父親は、生前からその事業を実現しようとしていた」
「知りませんでした」
「君の父親は、君に負担を背負わせたくなかった」
エレノアは書類を見つめた。
「だから、君が公爵家へ嫁ぐことで、その計画を実現できるようにした」
「では……私との結婚は」
「政略だった」
アルベルトははっきり言った。
「最初はな」
レオンハルトが黙っている。
「だが、私は一つだけ読み違えた」
「何を?」
アルベルトは苦笑した。
「お前が、こんなにも彼女を愛するようになるとは思わなかった」
レオンハルトの目が細くなる。
「叔父上」
「何だ?」
「それは、今さら私に言う必要がありますか?」
「ある」
アルベルトは真剣な顔になった。
「私は、お前が誰も愛さず、公爵家のためだけに生きると思っていた」
「……」
「だから、エレノア嬢との結婚も、家を守るための一つの手段だと考えていた」
エレノアの胸が痛む。
「では」
彼女が尋ねる。
「私が幸せになれるかどうかは、考えていなかったんですね」
「……そうだ」
アルベルトは目を伏せた。
「それについては、申し訳ないと思っている」
「……」
「だが」
アルベルトは続けた。
「君がレオンハルトを愛していることに気づいたとき、私は考えを改めた」
「いつですか?」
「君が一度、離縁を決意したときだ」
エレノアが息を呑む。
「私は、初めてレオンハルトが失うものの大きさを理解した」
「……」
「そして、あいつ自身も初めて気づいた」
アルベルトはレオンハルトを見る。
「自分が、本当に愛していた女性を傷つけていたことに」
レオンハルトは黙ったままだった。
ただ。
エレノアの手を握っていた。
◇
「では」
エレノアが静かに尋ねる。
「私たちの結婚は、最初から誰かに決められたものだった」
「そうだ」
「でも」
エレノアは隣を見る。
「今は違う」
「……ああ」
レオンハルトが答える。
「今は、私たち自身が選んでいる」
アルベルトは二人を見つめた。
「その通りだ」
「叔父上」
レオンハルトが口を開く。
「私は、もう誰かに決められた人生を歩むつもりはありません」
「分かっている」
「公爵家のために、エレノアを犠牲にすることもしない」
「それも分かっている」
「そして」
レオンハルトはエレノアを見る。
「彼女が望む未来を、一緒に作っていきたい」
エレノアの目に涙が浮かぶ。
アルベルトは小さく笑った。
「ならば、私から言うことはもうない」
「……」
「ようやく、お前は公爵になったな」
レオンハルトが眉を寄せる。
「どういう意味です?」
「肩書きの話ではない」
アルベルトは立ち上がった。
「自分の意思で、大切なものを守ろうとする男になったということだ」
そう言って。
アルベルトはエレノアへ頭を下げた。
「エレノア嬢」
「はい」
「レオンハルトを頼む」
「……はい」
エレノアも立ち上がる。
「私も、旦那様に頼ります」
レオンハルトが少し驚いた顔をする。
「そして」
エレノアは笑った。
「私も旦那様を支えます」
アルベルトは満足そうに頷いた。
「それなら安心だ」
◇
アルベルトが帰ったあと。
屋敷は静かになった。
エレノアは庭へ出た。
白い薔薇を眺める。
レオンハルトも隣に立つ。
「……不思議ですね」
「何が?」
「私たちの結婚が、最初から誰かに決められていたなんて」
「ああ」
「でも」
エレノアは左手を見る。
「今の結婚は、私が選びました」
「私もだ」
「だから」
エレノアはレオンハルトを見る。
「もう、政略結婚なんて言わせません」
レオンハルトは微笑んだ。
「そうだな」
「私は、あなたの妻でいたいです」
「……」
「誰かに決められたからではなく」
一歩近づく。
「私自身が、あなたを愛しているから」
レオンハルトはしばらく言葉を失った。
「エレノア」
「はい」
「もう一度、言ってくれないか?」
「嫌です」
「なぜ?」
「恥ずかしいからです」
「……そうか」
レオンハルトは笑う。
「では、私が言う」
エレノアを見る。
「私は、君を愛している」
「……はい」
「これから先も」
「はい」
「君と一緒に生きたい」
エレノアは笑った。
「私もです」
そして。
二人は静かに抱きしめ合った。
◇
翌朝。
エレノアは久しぶりに、結婚したばかりの頃のことを思い出していた。
あの頃。
レオンハルトは言った。
『君とは政略結婚だから』
その言葉に。
エレノアは何度も傷ついた。
だから。
ずっと忘れられなかった。
けれど今なら。
あの言葉に。
別の言葉を重ねられる。
「……私たちは、もう政略結婚ではありません」
鏡の中の自分へ呟く。
そこには。
以前よりずっと穏やかな顔が映っていた。
◇
その日の夕方。
レオンハルトが帰宅すると。
エレノアが玄関で待っていた。
「お帰りなさい」
「ああ。ただいま」
以前なら。
こんなやり取りすらなかった。
今は。
当たり前のように交わされる。
「今日はどうでした?」
「忙しかった」
「そうですか」
「でも、君の顔を見たら疲れが取れた」
「……そういうことを平気で言うようになりましたね」
「本心だからな」
「もう」
二人で笑う。
その夜。
二人は同じ食卓を囲んだ。
くだらない話をして。
笑って。
明日の予定を話して。
何でもない一日を過ごした。
けれど。
エレノアにとって。
それは何より大切な時間だった。
政略で始まった結婚。
すれ違い。
離縁の危機。
そして。
もう一度選び直した二人の人生。
すべてを乗り越えた今。
残されたのは。
これからの未来だけだった。
そしてエレノアは思う。
――この人となら。
きっと。
幸せになれる。




