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第24話 「君とは政略結婚だから」――そう言った夫は、もういない【完】

# 第24話 「君とは政略結婚だから」――そう言った夫は、もういない【完】


 それから一年。


 グランヴィル領では、春を迎えていた。


 領地の織物事業は順調に成長し。


 今では多くの職人が安定した収入を得られるようになっていた。


「奥様、こちらの新しい見本です」


「まあ……素敵」


 エレノアは届いた織物を手に取る。


 以前なら。


 自分がこんな仕事をすることになるなんて、考えもしなかった。


 けれど今では。


 この仕事が、自分の大切な居場所の一つになっている。


「旦那様にも見せてあげましょう」


「はい」


 侍女が笑う。


「旦那様なら、きっと喜ばれますね」


「そうですね」


 エレノアも微笑んだ。


 そのとき。


 廊下から足音が聞こえてくる。


「エレノア」


「あら」


 レオンハルトだった。


「帰っていらしたんですか?」


「ああ」


 レオンハルトは彼女のもとへ歩いてくる。


「ただいま」


「お帰りなさい」


 それが。


 二人の日常になっていた。


     ◇


「これを見てください」


 エレノアが新しい織物を見せる。


「綺麗だな」


「でしょう?」


「君が選んだのか?」


「はい」


「さすがだ」


「またそうやって何でも褒めるんですから」


「本当にそう思っている」


「……知っています」


 エレノアは笑った。


 レオンハルトが彼女の左手を見る。


 そこには。


 一年前から変わらない指輪がある。


「まだ、その指輪をしてくれているんだな」


「もちろんです」


「気に入った?」


「はい」


「良かった」


 レオンハルトは嬉しそうに笑った。


     ◇


 その日の午後。


 二人は久しぶりに、あの庭園へ向かった。


 白い薔薇が咲いている。


 一年前。


 ここで二人は、もう一度夫婦になることを決めた。


「覚えていますか?」


「ああ」


「ここで、旦那様が私に求婚したんですよね」


「そうだったな」


「緊張していました?」


「ものすごく」


「ふふ」


 エレノアが笑う。


「意外です」


「君に断られると思っていたからな」


「私も、すぐには答えませんでした」


「三か月くらい待つ覚悟をしていた」


「三か月?」


「いや」


 レオンハルトが笑う。


「三年でも待つつもりだった」


「そんなに?」


「ああ」


 エレノアは彼の隣に座る。


「では」


 少しだけ意地悪そうに尋ねた。


「今でも、私にもう一度求婚できますか?」


「もちろん」


 レオンハルトは即答した。


 そして。


 彼女の前に片膝をつく。


「エレノア」


「はい」


「私と結婚してくれませんか?」


「……」


「今度は、政略でもない」


「はい」


「家のためでもない」


「はい」


「誰かに決められたものでもない」


 レオンハルトは彼女を見つめる。


「ただ、君を愛しているから」


 エレノアは微笑んだ。


「はい」


「……本当に?」


「はい」


 エレノアは彼の手を取った。


「私も、あなたを愛しているから」


 レオンハルトは立ち上がる。


 二人は静かに抱きしめ合った。


     ◇


「そういえば」


 エレノアがふと思い出す。


「最初に旦那様から言われた言葉、覚えていますか?」


「……忘れられるわけがない」


「私もです」


 エレノアは少し笑った。


「『君とは政略結婚だから』」


 レオンハルトが苦い顔をする。


「……今思い出しても、最低な言葉だな」


「本当に」


「申し訳なかった」


「もういいですよ」


「いや」


 レオンハルトは首を横に振る。


「あの言葉で、君をどれだけ傷つけたのか、私は忘れない」


「……」


「だからこそ」


 レオンハルトは彼女の手を握った。


「これから何度でも、違う言葉を伝える」


「どんな言葉ですか?」


「愛している」


「……」


「大切にする」


「……はい」


「君と一緒に生きたい」


 エレノアの頬が赤くなる。


「もう十分です」


「まだある」


「まだ?」


「君が私の妻でいてくれることが嬉しい」


「……」


「そして」


 レオンハルトは笑った。


「君が私を選んでくれたことを、一生大切にする」


 エレノアの目に涙が浮かぶ。


「私も」


「うん?」


「あなたを選んだことを、後悔しません」


     ◇


 夕暮れ。


 二人は庭を歩いていた。


 繋いだ手は離さない。


 以前。


 二人は同じ屋敷にいながら、心は遠く離れていた。


 夫婦という名前だけが残っていた。


 けれど。


 今は違う。


 政略結婚から始まった二人の関係は。


 一度壊れ。


 離れかけ。


 そして。


 二人自身の意思で、もう一度始まった。


 誰かに決められた未来ではない。


 二人が選んだ未来だ。


「エレノア」


「はい?」


「これからもよろしく」


「こちらこそ」


 二人は顔を見合わせる。


 そして。


 笑った。


     ◇


 夜。


 エレノアは一人、鏡の前に立っていた。


 左手の指輪を見る。


 かつて。


 この結婚が政略であることを知ったとき。


 この指輪が、自分を縛るものに思えた。


 今は違う。


 これは。


 自分自身が選んだ愛の証だ。


「……人生って、不思議ですね」


 小さく呟く。


 あのとき。


 もしレオンハルトの言葉を聞かなかったら。


 もし離縁を決意しなかったら。


 もし彼が自分を追いかけてくれなかったら。


 きっと。


 二人は今のようにはなれなかった。


 だから。


 過去を消す必要はない。


 傷ついた日々も。


 涙を流した夜も。


 全部。


 今の二人につながっている。


「エレノア」


 扉の向こうから声がする。


「はい?」


「まだ起きているか?」


「はい」


「一緒に寝よう」


「……旦那様」


「何だ?」


「そういう言い方をすると、少し恥ずかしいです」


「夫婦なのだからいいだろう」


「もう……」


 エレノアは笑った。


「今行きます」


 扉を開ける。


 そこには。


 いつものようにレオンハルトが立っている。


「おやすみなさい」


「ああ」


 二人は並んで歩き出す。


 もう。


 離れない。


     ◇


 ――君とは政略結婚だから。


 かつて。


 夫から告げられた言葉。


 その一言で。


 エレノアは、自分の愛が必要とされていないのだと思った。


 けれど。


 長いすれ違いの果てに。


 彼女は知った。


 愛は。


 最初から与えられるものではない。


 誰かに決められるものでもない。


 二人で選び。


 二人で育てていくものなのだと。


 そして。


 レオンハルトも知った。


 愛する人を失って初めて、その大切さに気づくのでは遅い。


 だからこそ。


 今度は。


 当たり前のように隣にいる彼女を。


 一日一日、大切にする。


「エレノア」


「はい」


「愛している」


「……私もです」


 政略結婚だった二人は。


 今。


 誰よりも愛し合う夫婦になった。


 もう誰にも。


 二人の未来を決めさせない。


 これから先の人生は。


 二人自身が選んでいく。


 ――そう。


 何度でも。


 お互いを選びながら。


【完】

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